最終話 通い妻から
文化祭後の振替休日はこれと言ってやる事もなく、非常にのんびりと過ごしている。
「ねえ悠くん。ちょっと散歩しない?」
昼飯を終え、メイド服の皺を取った昼下がり。
今日も悠斗の膝の上で
「散歩か? 珍しいな」
「確かにそうだけど、嫌かな?」
「嫌な訳がないだろ。よし行くか」
文化祭を終えて、夏の暑さが過ぎ去ろうとしている。
真夏の日差しの中での散歩は中々に辛いが、今日の気温ならば良い散歩が出来るだろう。
瞳に不安を浮かべる美羽にハッキリと答えれば、端正な顔が綻んだ。
「うん、行こう!」
膝の上から温もりが無くなり、美羽が悠斗の服を準備しだす。
渡された服をすぐに受け取ると、美羽が客間に向かった。
服に袖を通して準備を終え、玄関で靴を履いて美羽を待つ。
それほど時間を掛ける事なく、長袖のワンピースを着た美羽が出て来た。
今まで見た事のない服だからか、美羽がくるりと一回転する。
「どうかな?」
「可愛いな。似合ってるぞ」
「えへへー。ありがと」
簡素な褒め言葉に美羽が頬を緩ませ、靴を履く。
玄関を出て鍵を閉めると、小さな手が差し出された。
すぐに指を絡ませ、歩き出す。
何度もして慣れきった行為だが、普段と違う状況だからか、妙にくすぐったい。
「♪~」
機嫌が良いのか、美羽が鼻歌を歌っている。
それどころか、普段は横並びなのだが、今は美羽が悠斗を引っ張っていた。
あまり見る事のない姿だが、こういう美羽も可愛らしい。
おそらく目的地は決まっているはずなので、何も言わずに美羽について行く。
そして美羽に連れられる事約十分。普段ランニングで横切っている公園に着いた。
「ここに来たかったのか?」
「うん。どうしても来たかったの」
その口ぶりからすると、何か特別な目的があったようだ。
美羽が繋いだ手の力を緩め、悠斗の傍から離れる。
どこに行くのかと思いつつ、ゆっくりと美羽を追いかけていると、美羽が一つのベンチの前で止まった。
悠斗の方へ振り返った顔には、何かへの哀愁が浮かんでいる。
「本当は数日後なんだけど、学校だからね」
「数日後?」
「そう。悠くんは分からない?」
悪戯っぽい目をしつつ小首を傾げ、美羽が悠斗を見上げた。
数日後は特別な日ではなかったと思うが、美羽としては大切な日らしい。
顎に手を当てながら、公園という状況と合わせて思案する。
それほど時間を掛ける事なく、あっさりと答えが出た。
「そうか。俺と美羽が初めて話した日か」
「せーかい。あの日から一年経ったんだよ」
可愛らしさを詰め込んだ笑顔で、美羽が公園を見渡す。
「懐かしいなぁ。去年の今頃まで、私はここで時間を潰してたね」
「ああ。俺はずっとランニング中に、美羽の無事を確認してたな」
たった一年前の出来事なのに、随分と昔のように思える。
そう感じる事が出来たのは、それからの時間が充実していたからだろう。
あの時の迷子の子供のような美羽を思い出し、少しだけ胸が苦しくなった。
「声を掛ける勇気もなくて、仕方なく様子を見るだけにしてたんだっけ」
「うん。私はそんな悠くんを、最初はストーカーかなって警戒してた」
「ホント、ストーカーは否定出来ないなぁ……」
日課としてランニングしているとはいえ、毎日様子を見られているのだ。
声を掛けるタイミングを
美羽へ苦笑を向けると、くすくすと軽やかに笑われた。
「でも、今の時期は信用してたし、ナンパから助けてくれたのも凄く嬉しかったよ。改めて、ありがとね」
「どっちかって言うと、話を合わせてくれたから俺が感謝したいくらいだけどな。あれから始まったんだよなぁ……」
ほんの小さな出来事から、この関係は始まったのだ。
悠斗の胸に懐かしさがこみ上げてきて、目の奥がジンと痺れる。
沸き上がる感情に浸っていると、美羽が以前座っていたベンチをそっとなぞった。
可愛らしい顔には、柔らかな微笑が浮かんでいる。
「最初は悠くんを年上だと勘違いして、次は別の高校の人だと勘違いして。勘違いしてばっかりだったねぇ」
「その後は雨の日に美羽の様子を見に行って、ずぶ濡れだったから家に招待したんだよな」
「そうそう。お風呂に入れてもらって、悠くんの食生活を把握して、打算で料理を作るって言い出したの」
決して忘れる事のない、大切な思い出に浸りつつ、お互いに起こった事を口にしていく。
「そしたら丈一郎さんに俺が呼ばれて、一緒に飯を食べたんだよな」
「それから一緒にご飯を食べるようになって、いきなり正臣さんと結子さんが帰ってきて、あったかい空気に私が泣いたの」
「そんな事もあったなぁ」
簡単に距離が縮まった訳ではない。
美羽は過剰に遠慮するし、悠斗も過剰に卑屈だった。
「私の問題が解決したら、次は悠くんの番だったね」
「ヘタレで悪かったよ。随分長い間、美羽を待たせてたからな」
告白出来たのは、関係を持ち始めて半年も経った頃だ。
自らのヘタレ具合に謝罪すれば、美羽が悠斗を包み込むような優しい笑顔を浮かべる。
「そんなヘタレな悠くんも大好きだよ」
「俺も、背負い込みがちな美羽が大好きだ」
良い所ばかりではない。お互いの悪い所すらも好きなのだ。
そして一緒に居るうちに、お互いが傍に居なければ落ち着かなくなってしまった。
好意を伝え合い、笑い合うと、美羽が口元に緩やかな弧を描かせる。
「ねえ悠くん。やりたい事があるの」
「やりたい事?」
「うん。私も悠くんも、出来なかった事だよ」
そう言うや否や、美羽が唐突にベンチへ座り込み、ワザとらしく沈んだ表情になった。
一年前はよく見ていた光景に、やりたい事を察してくすりと笑みを零す。
ナンパから守って始まるのではなく、二人きりの公園から始めよう。
「なあ。毎日そうしてるけど、どうしたんだ?」
心配そうな顔を作って問い掛けると、少女は溜息をついた。
「色々あって、家に帰りたくないの」
「まあ、そうだと思ったけどさ。……なら、俺の家に行くか?」
「……いいの?」
初対面のような態度を取る癖に、初対面では絶対に有り得ないやりとり。
なのに互いに表情を取り繕うのがおかしくて、内心で笑ってしまう。
そして、無垢な表情で首を傾げる少女に、手を差し伸べた。
「もちろん。気が済むまで居てくれ」
「ならずっと、ずっと、ずーっと先も、一緒に居て良い?」
「ああ。高校を卒業しても、大学に行っても、その先も一緒だ」
本当ならもっと大人になり、責任を持てるようになった時に言うはずだった。
しかし今の状況には、この言葉が一番相応しい。
細い手を握って少女を立たせると、勢い良く抱き着いてきた。
「ねえ。あなたの名前は?」
「芦原悠斗。君の傍にずっと居る人だ。君は?」
「東雲美羽。大好きな
この一年だけでも、様々な事があった。
おそらく、これから先も順風満帆とはいかないだろう。
それでも、腕の中の愛しい少女が居るならば、どんな事でも乗り越えられる気がした。
厳かな雰囲気の式場に、大勢の人が集まっている。
着慣れないタキシードを着て待っていると、後方の扉が開いた。
ゆっくりと、純白のドレスを着た小柄な女性が入ってくる。
「綺麗……!」
「似合ってるよ! 美羽!」
集まってくれた人達が口々に彼女を褒め、拍手を送った。
あまりにも綺麗な姿に、悠斗も見惚れて立ち竦む。
そして花嫁――美羽が悠斗の少し前で立ち止まった。
噛み締めるように、僅かな距離をゆっくりと縮めれば、会場にアナウンスの声が響く。
「それでは、花嫁である美羽さんをここまで連れて来てくださった、祖父の丈一郎さん! 花婿である悠斗さんへ、美羽さんの手をお渡しください!」
美羽の隣を歩いてきた丈一郎が、繋いでいた小さな手を悠斗へ差し出した。
しわがれた頬には、既に涙が流れている。
「……頼んだぞ」
「はい。任せてください」
小さな呟きにしっかりと答え、美羽の手を受け取った。
美羽が丈一郎を一瞬だけ気にしたものの、すぐに幸せそうな笑みを浮かべて悠斗の傍に来る。
二人で歩を進め、一番前で待機している、神父風の男性の前に着いた。
「悠斗さん。貴方は病める時も健やかなる時も、美羽さんを愛すると誓いますか?」
「誓います」
「では美羽さん。貴女は病める時も健やかなる時も、悠斗さんを愛すると誓いますか?」
「誓います」
「それでは、誓いキスを」
お互いに一生の愛を誓い、向き合う。
美羽の顔を覆う純白のベールを持ち上げれば、誰もが見惚れるだろう愛らしい女性がいた。
緊張に震える指先で美羽の肩に触れると、美羽が顎を上げる。
ゆっくりとお互いの唇が近付き、ついに触れ合った。
「悠! 東雲――じゃなかった、もう芦原美羽か。おめでとう!」
「お二人共、おめでとうございます! 綺麗ですよ、美羽さん!」
「悠斗! 美羽さん! お幸せに!」
「二人共仲良くねー!」
「美羽先輩! 芦原先輩! おめでとうございます!」
「おめでとう! 二人共!」
蓮や綾香、哲也に紬。そして直哉と桜。親友達の祝いの言葉が聞こえた。
それ以外の人も、言葉を送ってくれるだけでなく、割れんばかりの拍手をしてくれている。
唇を離して周囲に視線を巡らせれば、正臣と結子が笑みを浮かべて涙を流していた。
「美羽。これからもよろしくな!」
「うん! よろしくね、
これは終わりではなく、新たな始まりに過ぎない。
その新しい生活を、愛しい妻と一緒に歩んでいく。
小さな同級生が気付いたら通い妻になってました。 ひるねこ @hirunekonekone
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