第223話 お楽しみは

 文化祭は瞬く間に過ぎていき、二日目の終了となった。

 綾香が来た事で蓮へ嫉妬の念が向けられたり、紬の給仕を受けたいが為に男子が大勢来たが、大成功と言っていいだろう。

 また、美羽や紬のメイド姿を見て綾香が暴走するかと思ったものの、流石に抑えてくれた。

 代わりに、蓮から聞いた話だと「家に招待して、特注のメイド服を二人に着せる」などと恐ろしい事を言っていたようだが。


「皆お疲れ様! 本当にありがとね!」


 既に片付けは終わっており、教室は元通りだ。

 仕切り役の女子がクラス全員に声を掛け、いよいよ解散となる。


「なあ芦原、打ち上げに行こうぜ」


 悠斗と同じく執事として働いていた男子が、弾んだ笑顔で声を掛けてくれた。

 折角なのだし、達成感をクラスメイトと分かち合ってもいいかもしれない。

 しかし、小柄な少女が悠斗と彼の間に割って入る。


「ごめんね。悠くんはこれから予定があるの」


 美羽からはこの後の予定など聞いていない。

 しかし、何かをしたいようだ。

 内容に当たりをつけて苦笑を浮かべると、クラスメイトがやれやれという風に首を振った。


「東雲が言うなら仕方ないな。全く、彼女持ちは羨ましいぜ」

「……その、何だ、悪い」

「そんなに気にすんなって! 一緒に執事をしたにも関わらず、彼女が出来なかった僻(ひが)みだっての!」


 どうやら、クラスメイトは言葉ほど悠斗を羨んではいないらしい。

 苦笑気味ではあるが笑顔を浮かべ、けらけらと声を上げた。

 彼が流してくれた事で罪悪感は薄れ、悠斗も笑顔を浮かべる。


「分からないぞ? もしかしたら、振替休日明けに告白してくれる人が居るかもな」

「確かに! 俺と話してくれる人も居たし、期待出来そうだな!」

「ああいや、そこまで期待すると後で――」

「ありがとな芦原! 希望が持てたぜ!」


 悠斗の言葉に確証などないのに、瞳を輝かせながらクラスメイトが去って行った。

 余計な事を言ってしまったかと、肩を落としつつ彼の去った方を見つめる。

 どうやら他の男子と打ち上げに行くようで、数人の男子と固まっていた。

 とはいえ、彼らは残念そうな目で去ったクラスメイトを見ているのだが。


「しまったなぁ……」

「悠くんは悪い事なんてしてないし、フォローしようともしてた。だから、別に良いんじゃないかな」

「……そう思う事にするか」


 どうせ声が届かなかったのだから、ここで落ち込んでいても仕方ない。

 振替休日明けに彼が傷心なら慰めようと思いつつ、落ち込んでいた肩を上げる。


「それで、取り敢えず帰るのか?」


 わざわざ悠斗達の会話に割って入ってまで、クラスメイトとの打ち上げを断ったのだ。

 ただ単に家でゆっくりしたい訳ではないだろう。

 その証拠に、美羽は手に持った大きな紙袋を、楽し気な表情をしながら振った。


「うん。そうしないと、これ・・を使えないからね」

「よし。ならさっさと帰るか」

「事後承諾になってごめんね?」

「俺だって期待してるし、気にすんな」


 美羽が何か企んでいたにも関わらず、最後まで悠斗と美羽はお互いに給仕する事はなかった。

 その上で早く家に帰ろうとするのだから、ここまで来れば、紙袋の中身が何かなど分かる。

 片方の荷物を奪い取り、空いた手を掴んだ。


「えへへ。ありがとぉ」


 ふにゃりと緩んだ表情の美羽と、教室を後にする。

 すると、蓮や哲也、紬も付いてきた。


「悠、外まで一緒に帰ってもいいか?」

「いいぞー」

「俺と紬もいいかい?」

「おう、もちろんだ」


 哲也が紬を呼ぶ際に名前呼びになっているが、あえて口にはしない。

 ただ、全員が打ち上げに行かない事、そしてそれぞれが紙袋を持っている事に、くすりと笑みを零す。


「看板役全員が打ち上げに参加しないんだから、参加する人達は気まずいだろうなぁ」

「仕方ないって。俺は綾香に『もっと給仕してください』って頼まれてるし、全員後で俺と同じ事をするんだろ?」


 どうやら十分程度の蓮との会話では、綾香は物足りなかったらしい。

 美羽や紬のメイド姿に興奮していたから、というのもあるだろうが、恋人との時間をもっと長く取りたいのだろう。

 蓮のからかいに、哲也と紬の頬が赤く染まる。


「……まあ、そうだね」

「あ、あう……」

「それじゃあ、途中まで一緒に帰りますかね」


 蓮も哲也と紬の態度を指摘せず、のんびりとした声を発した。

 文化祭終わりの騒がしい校内を、友人達と談笑しつつ歩く。


「にしても、衣装を貸してくれるなんて太っ腹だよなぁ」

「これ、美羽が交渉したんだよね?」

「うん。我慢できなかったから、誠心誠意お願いをしたよ」

「結果的に感謝だけど、こういう時の東雲さんの行動力は凄いなぁ……」


 少しだけ関係が変わったにも関わらず、五人の空気は穏やかだった。





 家に帰り着くと、すぐに着替えて欲しいとねだられた。

 この為に打ち上げに行かず帰って来たので、すぐに紙袋の中から執事服を取り出す。

 そして着替えを終えて、リビングへと顔を出した。


「ほら、これでいいか?」

「うん、ばっちり! かっこいいよ! 口調もお願い!」


 美羽の頬が興奮で赤く染まり、鼻息が荒くなる。

 目を輝かせながらのおねだりに苦笑を零し、表情を切り替えて一礼した。


「これでよろしかったでしょうか、お嬢様?」

「はうっ!?」


 どうやら美羽には大ダメージのようで、胸を抑えている。

 他の生徒と同じ対応をしたのだが、これでいいらしい。


「ね、ね! お茶が欲しいなー!」

「かしこまりました。暫くお待ちください」


 他の人が居ない場所であっても、無茶な注文をするつもりはないようだ。

 もう一度頭を下げてキッチンに向かい、コップにお茶を注いで持って行く。

 いつものお茶と変わらないはずなのに、差し出したお茶を一口飲んだ美羽が、ご満悦の表情になった。


「はぁ……。さいこう」

「ありがとうございます」


 取り敢えず感謝の言葉を口にすれば、美羽の瞳が悪戯っぽく細まる。


「ねえかっこいい執事さん。彼女とかいるんですか?」


 悠斗と美羽が付き合っている事が知れ渡っているからか、文化祭中に同じ事を聞いて来る人は居なかった。

 典型的な面倒臭い客になっている美羽に、文句を言うべきかと口を開く。

 しかし言葉にする直前で、良い仕返しになると思いなおした。


「はい、いますよ。物凄く嫉妬深くて、誰よりも可愛らしい彼女が」

「んむっ!?」


 ちょうど美羽がお茶を含むタイミングで告げたせいで、むせそうになったようだ。

 何とかお茶を飲み込み、頬をほんのりと染めて物言いたげに悠斗を見上げる。


「うー、むー」

「そういう所も可愛らしいですね」

「うー! ひきょう! ひきょうだよ!」

「はて、何の事でしょうか?」

「悠くんのいじわるー!」


 惚け続けると、美羽が悠斗の腹を叩いてきた。

 ただ、全く痛くないので、単にじゃれつきたいだけのようだ。

 淡い栗色の髪をゆっくりと撫で、美羽を宥める。

 すぐに美羽は落ち着き、不満そうに眉を下げつつも、表情は蕩けさせるという器用な事をした。


「執事服の悠くんはかっこいいけど、心臓に悪いよぉ……」

「満足してくれたか?」

「……うん。でも、もう他の人にはしないでね?」

「もちろん。それに、俺がこうして給仕したいのは美羽だけだよ」


 正直なところ、来年の文化祭の出し物が同じものになる可能性はある。

 だが、恋人のささやかな願いを叶えるのが彼氏というものだ。

 胸を張って頷けば、美羽が席を立つ。


「じゃあ交代だよ! 次は私が悠くんにご奉仕するね!」

「おう。期待してる」


 美羽が客間に着替えに行き、悠斗は二階で私服に着替える。

 リビングで待っていると、フリルたっぷりのメイド服を着た恋人がやってきた。


「お待たせしました、ご主人様」


 最近では子供っぽい態度を取る事も多いが、美羽の元々の仕草は非常に綺麗だ。

 そのせいか、僅かに頬を染めてスカートを摘まむ仕草が似合い過ぎて、言葉すら出せずに見惚れてしまう。

 悠斗の目を引き付ける愛らしい姿を眺めていると、メイドがくすくすと軽やかに笑った。


「どうでしょうか?」

「あ、ああ。最高だ。でも、そんな事してたっけ?」

「いえ、ご主人様だけの特別ですよ」


 にこりと柔らかく笑み、口元を隠して笑う仕草も可愛らしい。

 今まで誰にもしなかったという事実を言葉にされ、悠斗の独占欲が満たされる。

 欲望のままに美羽へ触れそうになったが、ぐっと我慢して手を膝の上に置いた。

 大した動きはしていないはずなのに、美羽が妖艶な笑みを浮かべて悠斗に耳打ちする。


「まだ駄目ですよ。それは後でたっぷりしてください」

「……分かったよ。それじゃあ、飲み物を頼む」

「かしこまりました」


 優雅に一礼し、美羽がキッチンへと向かう。

 美羽は単に悠斗に触れて欲しいのだろうが、先程のささやきで悠斗の腹は決まった。

 体に灯った熱を内に抑え込んでいると、美羽が悠斗のコップを持ってくる。


「お待たせしました」

「……いや、何で隣に座るんだよ」


 美羽がテーブルにコップを置き、なぜか悠斗の隣に座った。

 先程のスカートを摘まむ仕草はリップサービスで済んだが、これは給仕の域を超えている。

 渋面を作って問いかければ、美羽がはにかみにも似た色気ある笑みを浮かべた。


「それはもちろん、ご主人様にご奉仕する為ですよ」

「これのどこがご奉仕なんだ?」

「でしたら、早速させていただきますね?」


 美羽が悠斗のコップを持ち、お茶を口に含む。

 なぜそんな事をするのかと疑問を覚えた瞬間、両手で頬を挟まれた。

 ゆっくりと瑞々しい唇が近付いてくる。


「まさか……」

「ん――」


 悠斗の呟きに楽しそうに目を細め、美羽が口づけを交わした。

 それだけでなく、美羽の体温で僅かに温くなったお茶が、少しずつ口内に入り込んでくる。

 零さないように全て飲み込み、唇を離した。


「はぁ……。はぁ……」

「ふふっ。お気に、召しましたか?」

「ああ、もちろんだ。というか、初めからその気だったな?」


 息を整えつつ、美羽をほんのりと睨む。

 奉仕という名目で悠斗を誘惑した少女は、頬を真っ赤に染めて瞳を潤ませた。


「ご奉仕、というのはそういう事もあると聞きましたので」

「……分かった。やってやろうじゃないか」


 据え膳食わぬはなんとやらだ。ここまでお膳立てされたのなら、手を出さない方が失礼というのもだろう。

 残り少ない理性で、美羽を一度離す。


「皺になるのは駄目だから、着替えて来い」

「構いませんよ。明日アイロンを掛ければ大丈夫でしょう」

「ああもう。知らないからな!」


 どこまでも悠斗の理性を溶かすメイドをお姫様抱っこし、リビングのソファへと運ぶ。

 腕の中のメイドは抵抗する素振りすら見せず、むしろ悠斗の首に腕を回した。


「ええ。たっぷりお楽しみくださいね?」


 普段ならとっくに晩飯の用意をしている時間だが、そんな事はどうでもいい。

 悠斗の奥で炎となっている欲望に促されるまま、美羽を求めるのだった。

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