第222話 ご機嫌取り

「あー、つっかれたぁ……」


 喫茶店が開店してから一時間半。

 時間だけを見れば、大した仕事量ではない。

 しかし控室では長時間の休憩を取れず、客足が途切れなかった事により、体がそれなりに疲労を感じている。

 客の居なくなった店内で、仕切り役の女子生徒がパンと手から乾いた音を響かせた。


「まずは一時間半お疲れ様! また一時間後には開始するから、集合をお願いね! それと、次は十四時まで続けてもらうから、早めだけどご飯も食べておく事!」


 彼女の声に各々おのおのが返事をし、着替えに向かう。

 その間にも他の生徒達に興味の目で見られつつ、更衣室で着替えを終えた。

 哲也と共に、教室へと戻る。

 蓮は一人で行動するようで、悠斗達と別れてふらりと屋台の方へ向かっていった。


「お疲れ様、悠くん、柴田くん」

「お、お疲れ様ぁ……」


 教室の入り口に着くと、美羽と紬が悠斗達へ手を振ってくれた。

 悠斗以上に給仕していた筈だが、美羽には疲労が見えない。

 大勢の人との会話に慣れている恋人とは対照的に、紬の顔には疲労が色濃く出ていた。

 これまで大勢の人と話す機会などなく、その上で注文を取った男子のほぼ全員と会話していたからだろう。


「お疲れ様。滅茶苦茶人気だったな」

「来てくれた人には申し訳ないけど、私がご奉仕したいのは悠くんだけなんだよ?」

「知ってるよ、ありがとな」


 仕事と割り切って笑顔で給仕はするものの、美羽の中で一番に優先するのは悠斗だ。

 十分に理解しているが、本心は違うのだと声に出してくれる事が嬉しい。

 淡い栗色の髪を撫でると、端正な顔がとろりと蕩けた。


「えへへー、もっと褒めてー」

「気持ちは分かるけど後でな。椎葉は大丈夫か?」


 哲也や紬も含め、今ですら微笑ましい視線と呆れた視線を周囲からいただいているのだ。

 人の行き交う廊下で、これ以上の視線を受けるのは遠慮したい。

 話題を変えれば、表情を気まずそうなものへ変えた紬が頷く。


「うん。これから休憩するから、多分大丈夫」

「哲也と一緒にちゃんと休むんだぞ。この調子だと一日持たないからな」


 着替えに行く際に他の人達の会話を耳にしたが、どうやら紬は美羽に次ぐ可愛い店員と噂されているようだ。

 このままだと、紬は毎回客と会話をする事になり、疲労が凄まじい事になるだろう。


(まあ、哲也と文化祭をまわるなら、そこら辺は大丈夫だと思うけど)


 教室に向かう理由をあえて哲也に尋ねなかったが、この状況を見れば察しがつく。

 哲也と一緒ならば、他の男子から過剰に絡まれる事もないだろう。

 それに、哲也はしっかりと紬を気遣って休憩してくれるはずだ。

 笑みと共に告げれば、紬の体がびくりと跳ねる。


「え、えっと……」

「やりたいようにやればいいんだよ。その方が俺も嬉しいからな」


 好意を伝えてくれた人が他の人を好きになっても、悠斗に文句を言う権利などない。

 むしろ、哲也と距離を縮めるなら、背中を押す形で口を挟みたいくらいだ。

 ただ、哲也には悠斗が紬に告白された事を伝えていない。

 もしかしたら知っているのかもしれないが、今の状況で悠斗の口から伝える必要はないはずだ。

 抽象的過ぎて伝わるか怪しかったが、紬が顔を綻ばせて頷く。


「ありがとう、芦原くん」

「気にすんなって。美羽、行こうか」


 悠斗が紬と会話している間に、美羽は哲也に視線を向けていた。

 会話はしていないが、何かが通じたようで小さく頷きあっている。

 声を掛ければ、美羽がすぐに悠斗の方を向く。


「うん。それじゃあ二人共、また後でね」

「ああ」

「またね」


 美羽と手を繋ぎ、哲也達と反対方向に足を向ける。

 十分歩いた所で、美羽へと笑い掛けた。


「これでいいよな?」

「うん」


 多くを語らずとも、二人を応援するという気持ちを改めて共有し、早めの昼飯の為に屋台が出ている広場へ向かう。


「にしても、さっきは凄まじい嫉妬っぷりだったな」

「う……。だってぇ……」


 悠斗が給仕中に感じた視線を揶揄からかえば、美羽が不満気に唇を尖らせた。

 とはいえ、当初の予定が一つ出来なくなったのだから無理もない。


「休憩時間が同じになったからなぁ。お互いに給仕が出来ない点だけは俺も残念だ」


 メイドや執事の人数はクラスの半分にも満たないので、休憩を交代で取ろうとすると喫茶店が回らなくなってしまう。

 結果として一斉に休憩を取る形になったが、そのせいでお互いの給仕を受けられなくなった。

 悔いを口にすれば、美羽が口角をくいっと上げ、悪戯っぽい笑みを浮かべる。


「その件だけど、多分出来るよ」

「そうなのか?」

「うん。どうしてもこのまま終わるのが許せなくて、ちょっとね」


 先程まで呪詛の言葉すら発していたにも関わらず、迎えに行った際の美羽は普段に近い態度だったので、不思議に思っていた。

 おそらく、何かしらの行動を起こした事で溜飲りゅういんが下がったのだろう。

 低く暗い声と陰のある笑みを向けられて、頬が引き攣る。


「そ、そうか……。ちなみに、休憩時間をずらしたりするのか? そんな事が出来るとは思えないけど」

「ううん。もっと確実に、誰の邪魔も入らないようにするの。その時まで、ないしょ」

「分かった。期待しておくよ」


 美羽と一緒に文化祭をまわり、お互いに給仕するという願いが叶うのであれば、悠斗に文句はない。

 その時まで教えないというのなら、悠斗は待つだけだ。

 期待と僅かな恐怖を抱きつつ、ちょうど到着した広場へと突撃するのだった。





 何か企んだ事である程度美羽の機嫌は戻ったが、それはそれとして甘やかして欲しいようだ。

 人で混み合っている広場に着いてから、美羽がずっと悠斗の腕にしがみついており、全く離れようとしない。

 制服越しに僅かな膨らみを感じながら、屋台で早めの昼飯を注文する。


「はい。たこ焼きだ」

「ありがとう」


 男子生徒が微妙に雑な態度でたこ焼きを差し出してくれたので、苦笑を浮かべつつ受け取った。

 彼の目には「仕事してる時にいちゃつかれると鬱陶しい」という感情がありありと込められている。

 そんな視線を向けられていても、美羽は悠斗の腕を離そうとしない。

 これ以上この場に居ると文句が飛んで来そうだったので、小さく頭を下げて屋台を後にする。

 そして、美羽に腕を抱き締められながら、他にもいくつか食べ物を見繕ってベンチに腰掛けた。


「ほら美羽。食べるぞ」

「……食べさせて」

「それはいいけど、腕を離さないと食べ辛いぞ?」

「いーの。たーべーさーせーてー」


 意地でも腕を離したくないようで、滑らかな頬を擦り付けられる。

 周囲からの生温い視線を受けても、美羽は一向に態度を変えない。

 それどころか楽しんでいるらしく、端正な顔にはご機嫌な笑みが浮かんでいた。


「はいはい。仰せのままに」


 駄々っ子のような美羽に苦笑を零し、たこ焼きをある程度冷やして小さな口へと持って行く。

 爪楊枝つまようじの先からたこ焼きが一瞬で無くなり、美羽が顔を綻ばせた。


「んー! おいひぃー! もーいっこ!」

「……もしかして、ずっとこのままなのか?」

「当然だよ。この場に居る全員に、悠くんは私のものだってアピールするんだから」


 とっくに悠斗達が付き合っているのは知れ渡っており、この場でアピールする必要があるのか。美羽は食べさせてくれないのか。

 いくつかの疑問が浮かんだが、これが乙女心というものなのだろうと納得し、言葉を飲み込む。


「分かったよ。好きにしてくれ」

「はーい。好きにするー」


 猫ならば喉を鳴らしている程に上機嫌な美羽へ、たこ焼きを与えていく。

 紛う事なきご機嫌取りではあるが、嫉妬が爆発して我儘な美羽も可愛らしく、嫌な気持ちにはならない。

 美羽の手の平の上で踊らされている自覚を持ちつつも、ベンチで一時の休息を取るのだった。

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