第221話 親友達の背中を押して
いよいよ文化祭が始まり、校内が慌ただしくなった。
もちろん悠斗のクラスも例外ではなく、執事やメイドが教室の中を忙しなく移動している。
「はい次! 元宮くん行って!」
「あいよー」
仕切り役の女子の声に、蓮がのんびりとした声を上げた。
へらりと緩んだ笑みが、仕切り用のカーテンを横切る瞬間に真剣な表情へと変わる。
そして蓮がホールに入ると、客である女子のざわめきがここまで聞こえてきた。
喫茶店が始まってから一時間。全く途切れない客足に、哲也と苦笑する。
「今日は生徒だけなのに、繫盛し過ぎだろ」
「元も子もない言い方をすると、このクラスは顔が整ってる人が多いからね。男子であれ女子であれ、給仕されたいと思うのは仕方ないんじゃないかな」
「……まあ、確かに。それに、俺らとしても喫茶店が成功するのは嬉しいし、文句を言うのも筋違いだな」
「そういう事だね」
蓮に恋人が居るのは去年の文化祭から広まっているはずだし、悠斗と美羽が付き合っている事も大勢の人に知られている。
にも関わらず、見目麗しい人達を目に焼き付けたいと思うのは、もはや本能なのだろう。
ただ、見目麗しい人の中には紬も入っている。
先程までタイミングが悪くて詳しい事情が聞けなかったが、今は絶好の機会だ。
「でも、椎葉のメイド姿を色んな人に見られても良かったのか?」
現在紬は控室にはおらず、ホールに出ている。
先程悠斗が出た際に様子を見たが、紬はかなり人気のようで、給仕した男子から褒められていた。
悠斗の指摘を受け、哲也が頬を引き攣らせる。
「……正直、面白くはないよ。というか、やっぱりバレるよね」
「そりゃあ、あれだけ露骨だったらな」
衣装のお披露目の際、どう考えても哲也と紬はお互いを意識し合っていた。
苦笑に呆れを混ぜれば、哲也の顔が気まずそうなものになる。
「今回俺が執事役を引き受けたのは、椎葉が俺の執事姿を見たいって言ったからなんだ」
「それが理由だったのか」
「それと、俺に頑張らせる代わりにメイド服を着るって言われて、後に引けなかったんだよ」
「気持ちはよく分かるぞ」
どうやら、哲也は悠斗と似たような状況になっていたらしい。
目立とうとしない紬がメイドに立候補したのは疑問だったが、そういう事ならば納得だ。
男としての欲望に従った哲也に、親近感を覚える。
大きく頷いて同意を示すが、哲也の顔は曇ったままだ。
「……悠斗。俺の告白を振った人と友達になって、その上で別の人を意識するのは、不誠実だと思うかい?」
「いや、別に。俺も美羽も大賛成だ」
他の人は物申したくなるかもしれないが、悠斗と美羽には二人に対する悪感情などない。むしろ、応援したくなる。
哲也と紬が振られた事を糧にして、新しい一歩を踏み出したのだから。
心からの笑顔を向ければ、哲也が安堵したように胸を撫で下ろす。
「そう言ってくれて良かったよ」
「というか、無茶苦茶仲良くなってたな。付き合ってない……んだよな?」
デリカシーのない質問だと悠斗ですら思うが、どうしても気になってしまった。
なにせ夏休みから先程まで、二人がお互いを意識している姿を、悠斗は殆ど見た事がないのだ。
強いて言うなら、花火大会やプールの時くらいだろう。
怒るかと思ったが、哲也は微笑を浮かべて頷く。
「ああ、まだ付き合ってはいないよ。意識したのは、プールの時くらいだね」
「……もしかして、俺達が追い込んだか?」
あの時、哲也は紬の水着姿を半強制的に褒める事になった。
それだけでなく、二人で行動せざるを得なかったのだ。
外堀を埋めるつもりはなかったものの、強引に距離を縮めさせたと言われても否定出来ない。
顔を顰めれば、哲也が大きく首を振った。
「そんな事はないよ。あの時に意識して、それから距離を縮めたのは俺の意思だ。悠斗達のせいじゃない」
「なら良いんだ」
哲也の言葉から察すると、プールの後から哲也は紬に何らかのアクションを起こしたのだろう。
夏休みの後半は哲也達と遊ばなかったので、悠斗が把握出来なくて当たり前だ。
そして今の今まで言わなかったのも、意識しているような素振りを悠斗達に見せなかったのも、先程までのように負い目を感じていたからだろう。
「次、芦原君だよ! よろしくね!」
「分かった」
胸の靄が晴れると、仕切り役の女子が悠斗を指名した。
まだ哲也と話していたかったが、今の悠斗は店員なのだ。客を待たせる訳にはいかない。
しかし、哲也へ送っていない言葉がある。
「応援してる。だから、これからは隠さないでくれよ?」
「本当にありがとう。悠斗」
悠斗や美羽の前だからと、遠慮する必要はない。
哲也と紬が笑っているのが、親友として一番嬉しい事なのだから。
少しだけ震えた声を背中に受け、仕切り用のカーテンへ向かうのだった。
メイド兼執事喫茶をするにあたって、客に対しての店員の割り振りは事前に決めていた。
具体的には男性にはメイドが、女子には執事が向かう事になっている。
男女で来たり、女性がメイドに給仕されたい場合は、その
(まあ、そっちの方が儲かるもんなぁ……)
悠斗とて、この方法が一番成果を出せるのは分かっている。
美羽の恋人として物申したくはあるものの、文句を言うのはぐっと我慢した。
とはいえ、柔らかな笑顔を浮かべて注文を取る美羽を見ると、胸の中に黒い感情が沸き上がってしまう。
必死に抑え込み、来店してくれた女子生徒二人に向かって、笑みと共に一礼する。
既に何度か行っているので、今更恥ずかしさなど抱かない。
「おかえりなさいませ、お嬢様方」
自信がある訳ではないが、それなりに練習した事で、悪くはない仕上がりになっているはずだ。
満足してくれたらしく、彼女達が呆けたような顔になる。
「わぁ……」
「かっこいいなぁ……」
美羽に褒められた時程ではないが、やはり賞賛の言葉は嬉しい。
緩みそうになる頬を引き締め、執事然とした笑顔を保つ。
「ふぅん……」
注文を裏方のクラスメイトへ届ける為に、悠斗の近くを小柄なメイドが通った。
その際に向けられた刺すような視線と、不満がこれでもかと込められた小さな声に、内心で苦笑する。
(まあ、そりゃあそうだよな)
一応、昨日の時点で『お互いに嫉妬を表に出さないようにする』という決め事を美羽としていた。
愛の重い美羽とはいえ、喫茶店に迷惑が掛かるのは駄目だと、昨日は承諾してくれたのだ。
しかし、簡単に割り切れないのだろう。
悠斗も内心では同じ気持ちなので、美羽の態度は理解出来る。
だが、今の悠斗の役目は給仕だ。思考を切り替えて注文を取る。
「ご注文はいかがなさいますか?」
「え、えっと、カフェオレ一つ」
「あ、私も」
「じゃあ二つで」
「カフェオレを二つですね。かしこまりました。暫くお待ち下さい」
もう一度深く礼をし、練習した動きで去っていく。
「芦原って、あんなにかっこいいんだねぇ」
「誰が来るかは分からないって話だったけど、当たりだったね!」
「うん。来て良かったー!」
客としてのある意味残酷な言葉を背中に受けつつ、裏方へ注文を伝えた。
すぐに飲み物が渡されたので、彼女達へ届けに行く。
「お待たせしました。カフェオレです」
音を立てないようにカフェオレを置き、一歩下がる。
背を向けようとする悠斗へ、「ねえ芦原」と声が掛かった。
「何でしょうか?」
「折角だし、飲み終わるまで一緒に話そうよ」
「かしこまりました。精一杯、お嬢様方とのお相手を務めさせていただきます」
普通に考えれば店員としてあるまじき姿だが、この喫茶店では許されている。
なぜなら「給仕されるだけだと客が眺める事しか出来ず、つまらないのではないか」という意見が事前に挙がっており、多少なら話をして良い事になっているのだ。
とはいえこちらから話し掛けはせず、客に求められたら行い、客が店に居られる時間を十分程度に限定した上でだが。
現に、先程まで紬は客と頑張って会話していたし、蓮は輝かんばかりの笑顔で女子と会話を弾ませている。
(これ、意外と好評なんだよなぁ。……店員と会話出来るなんて俺らは言ってないのに、なぜか広まってるけど)
クラス内では賛否両論あったものの、非日常の空気を楽しみたいようで、客からの受けは良い。
それに、この条件は客を喜ばせるだけではなく、長々と居座る客への対策だ。
会話を禁止したところで、店員に話し掛ける人が出て来るだろうと予想し、事前に手を打つという意味も兼ねている。
ただ、この状況で自らメイドや執事になりたい人などそうそう居ない。その結果、執事やメイドはクラスの半分にも満たなくなった。
ホール役の負担を軽くする為に店そのものの時間を限定し、席も少なくしたので、給仕し続けずに済んでいるのは救いだろう。
会話スキルのない悠斗としては約十分の会話でも苦しいものの、
「にしても、本当にかっこいいねぇ。似合ってるよ」
「そうそう。イケメン三人衆だけはあるねぇ」
「それが目玉だったからね。眼福眼福」
「……申し訳ありません。イケメン三人衆とは?」
聞いた事のない言葉に、頬が引き攣ってしまった。
どういう事かと問えば、彼女達の表情が失敗したという風なものに変わる。
「お、怒らないでね?」
「かしこまりました」
「女子達の間では、よく三人一緒に行動してる元宮、柴田、芦原がそう呼ばれてるの」
「……嘘だろ」
喫茶店の看板として三人一纏めにされるのは、既に納得した。
しかし、悠斗は普段から蓮や哲也と一括りにされているようだ。
執事の口調すら取り繕えずに愕然とすると、反対に彼女達の目が輝く。
「そういう砕けた口調もいいなー!」
「うんうん! ラフな執事もかっこいい!」
「女子って分からねえなぁ……」
執事の形から外れても受け入れる彼女達の姿に、頭が痛くなった。
とはいえ、着飾らないでいいのなら悠斗も話しやすい。
多少緩んだ空気の中で、会話を楽しむ。
「ウラヤマシイ……。ネタマシイ……。ズルイ、ズルイ……。アァ……」
仕切りの奥から聞こえてくる呪詛は、きっと気のせいだと自分自身に言い聞かせた。
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