空の花と赤い紐

鱗青

空の花と赤い紐

「ねーザンおじさん。毎度の事だけど遅刻ちこくしそうだからって無謀運転むぼううんてんスレスレで乗りつけるのはやめてほしいなー」

 助手席で頭とお尻が逆転した姿勢(でもシートベルトはつけてるよ!)で文句をつけたレトリバー系犬人のボク・サルヴァトーレ=コッレオーニに、シベリアンハスキー系の大男・ザンパノ=デル=レグルスはでっかい口を開きツバを飛ばす。

馬鹿ぶぁ〜っか!最短距離を俺様の超絶ちょうぜつ運転テクで走ってんだ、むしろ時短じたんだっつの」

 大きな屋敷やしきの車寄せ。おじさんの愛車である中古の日産のサイドブレーキの音が、ギッ!と大きく響き渡る。

「ザンおじさんがサッカー中継に夢中になってたから出遅れたんじゃん。何度も時計見た方がいいよって教えてあげたのにさあ」

 おじさん、大きな耳を倒して思いきりハンドルにす。

「あ〜ぐぞ、ゾランの野郎!あそこでシュート外さなきゃあオトコになれたのによ。おかげで俺様の二千ユーロがぁ…」

 けサッカーに興じるのはおじさんの趣味しゅみの一つだけど、その金額は僕の尻尾しっぽはじき上げた。

「そんなに賭けてたの⁉︎じゃあ今月の電気代とガス代は⁉︎食費は⁉︎僕のお小遣こづかいは‼︎」

 なさけなく顔を上げておじさんは首を振る。

 これは冗談じゃない。僕はまだやる気の出ない相手の巨体を運転席から引きずり下ろし、事件の調査を依頼された屋敷、男爵家だんしゃくけの玄関ポーチに向かった。

「急に呼び出して済まん、ザンパノ、サルヴァトーレ君シニョーレ・トト。君達コンビの手腕しゅわんを借りたくてな」

 ハンチング帽を丸い頭に乗せ、首元にゆったりマフラーを巻きつけたペンギン人がひらべったい手を振る。おじさんが警察時代に世話になり、ちょくちょく仕事を紹介してくれるブルーノ警部さん。

「そんな事ありません!むしろ助かり…ゴホン、探偵として当然ですから‼︎」

 僕とほとんど変わらない身長の警部にペコリと頭を下げ、まだぐにゃぐにゃしているおじさんの襟首えりくびを引っ張る。と、そこでもう一人出迎でむかええてくれている事に気づいた。

「失礼を申し上げますけど…警部さん、こんな子供まで巻き込まなければならないんですの?」

 警部の隣には羊人の女の人がいた。さわったられてしまいそうなほど華奢きゃしゃな体つきで、赤みのある素敵な髪が肩先までウェーブを描いている。左目の下に泣きぼくろがワンポイントある他は白灰ライトベージュの毛並みの美人。

 と、おじさんシャキッと立ち上がって執事しつじのように右手を胸にかまえ、胡散臭うさんくさ男前キメ顔になる。

素敵すてきなおじょうさん。こっちのガキは助手というかコブみたいなもん。俺が本命の辣腕らつわん探偵ザンパノです!どうか御昵懇ごじっこんに」

色気いろけを出すな馬鹿者ばかもの

 警部の手元からタッセル付きのなわはなたれた。それはまるであやつられたヘビのように伸びて、おじさんは一瞬いっしゅんでがんじがらめ。地面にころがり「ふがぎご」とうなりをあげる。

「さすがブルーノさん、カッコいい!久しぶりに見たよ縛縄術ヴァイパーバインド

「トト君も練習しているのだろう」

「んー、でもなっかなか上達しないんだよね」

千里せんりの道も一歩から…あきらめず精進しょうじんする事だ」

「いやそんなんどうでもいいからコレほどけよ親爺おやっさん」

「ハイハイ、僕が解いてあげる。手がかかるんだから…」

 おじさんの縄をはずそうと低くしゃがんで、目のはしに変な物がチラついた。羊人の女の人のワンピースすそからわずかにのぞく足首に、赤いひもが巻きついている。教えてあげようかな?でも、裾の奥をじっと見てたなんて言ったら、エッチな子と思われるかな。

「こちらアポロニア嬢シニョーラ・アポロニア。被害者である男爵の一人娘ひとりむすめ唯一ゆいいつ相続人そうぞくにんだ」

 簡潔かんけつな警部の紹介に、羊人の女の人はかしこまった会釈えしゃく。なんていうか、とっても気位きぐらいが高そう。僕も思いっきりお辞儀じぎをしながらてのひらをズボンでゴシゴシして、手を差し出した。

 けど。

下々しもじもかたうのはれておりません」

 と、アポロニアさんは一歩退いた。

「ケケッ。フられたな」

 復活ふっかつしたおじさんに、そっちもじゃんと言い返す。

「俺様は大人の男だからな。それに名前に“デル”がついてる」

「油を売っとらんで現場に行くぞ。こっちへ。邸内ていないの食堂だ」

 首や肩をグキグキ回すおじさんに続いて屋敷のとびらをくぐった。一瞬、立木たちぎ隙間すきまからえてきたようにしずかにたたずんでいる柴犬人の男の人が見えた気がしたけど、僕の後ろでドアが閉まる前にフッと姿を消してしまった。

 食堂には車椅子くるまいすに座る顔色の悪いせた羊人のおじいさんと、つめみながら床をるコックコートの太ったたぬきじんが待っていた。

「遅いぜザンパノ。親友のピンチに何チンタラしてやがる」

「うるせぇファルコ。面倒メンド―ごとしか持ちかけてこねえでなにが親友だ。たまにゃうまいもうけ話でもよこしやがれ」

 お互い毒づきながらこぶしを合わせる。狸人…ファルコはおじさんの古い知り合いらしい。

「何者がこのワシにどくったか、すでれておろう。この恩知おんしらずのけがらわしい貧民ひんみんをとっととたたき出せ!」

 羊人のお爺さんは、車椅子の上からずり落ちそうな勢いでファルコを指差ゆびさした。それをなだめてから警部が語る。

「昨晩、男爵は夕食ののち嘔吐おうと発熱はつねつ症状しょうじょうていし、いっときは危険な状態だった。緊急医療きんきゅういりょうチームが派遣はけんされ事なきを得たのだが、胃洗浄いせんじょうの結果に毒物反応どくぶつはんのうが出てな。メニューにあった紫蘇シソパスタが原因で、どうやら庭に植樹しょくじゅされていた紫陽花あじさいの葉の混入こんにゅうによる中毒症ちゅうどくしょうらしいのだが」

 言い終わる前にファルコがえた。

「俺っちがぜたんじゃねえ!料理に入れた紫蘇シソはちゃんと市場で値切ねぎって買ってきたんだぜ!」

「セコい横領おうりょうだな」

 おじさんは口をゆがめる。

「料理人が紫蘇を購入こうにゅうした店では何も問題が起きていないのだ。つまり、犯人は確実にこの屋敷内の誰かだ」

 ブルーノさんは眠たげにげる。

 食堂の窓からちょうどこんもりしげる紫陽花が見えていた。僕は窓辺まどべに走って窓を開け、手が届くあたりまで伸びている葉を(勢い余って何枚か)ちぎり、戻ってきてテーブルの上に並べてみる。

「あー、確かに紫蘇の葉に似てるなぁ。気付きづかずきざんでパスタにしちまうのも分かる」

「ちょっザンパノ!俺っちの弁護べんごしてくれんじゃねえのかよ⁉︎」

「俺は探偵、犯人を探すのが仕事」

「俺っちじゃねえっての!」

 わめらすファルコ。にらむ男爵。だまるアポロニア。うなる警部。

「ねえブルーノさん、ファルコさんが男爵さんを殺して何かトクがあるの?」

 僕の疑問ぎもんに男爵が息を切らしながら答えた。

「そう。こやつ腕前うでまえが良いので重用ちょうようしておったのじゃ。先日の見合いで娘が侯爵家こうしゃくけとつぐ事も決まったのでな、華燭かしょくうたげの料理長に取り立ててやろうとも思うたに…ワシの眼鏡違メガネちがいだったわい」

 男爵は別に眼鏡なんかかけてないのに。おかしいの。

「でもだとするとよ、余計よけい理屈りくつに合わないぜ」

 おじさんは腕組みして言い切った。

ファルコこいつは確かに札付ふだつきのチャラで金にだらしなくて女のケツばかり追いかけて計画性がなくて浅ましくて人望じんぼうも薄い野郎だが」

「てめゴラザンパノ!」

「ザンおじさんそっくりだね」

「やかまっしい。──だがな、だからこそコロシはわりに合わねえと知ってる。自分をひいきしてくれる奴を消そうとするほど落ちぶれちゃいねえのさ」

 ふーん、そんなものか。僕はうなずく。

「そう、彼には男爵に毒を盛る理由が無いのだ。だから貴様を呼んだのだ、ザンパノ」

 男爵のそばにいたアポロニアがキャッと悲鳴を上げた。紫陽花の葉の裏にひそんでいたらしい数匹のカタツムリバッバルチェッドがテーブルの上にい出して、クロスに銀色の筋をつけている。

「アポロニア様!」

 窓から茶色の影がヒラリと飛び込んできて、素早くカタツムリをすくいとり窓の外に放り投げた。

 あの柴犬人だった。アポロニアが溜息ためいきをついて胸をなぜ下ろす。

「驚かせたな。これは孤児みなしごであったのを拾ってやったヒロキという便利な男じゃ。昔日せきじつ優雅ゆうがな呼び方ならエスカヴァジュとでもいったところかの?うちの娘はカタツムリアレルギーがひどくての…さがれ、仕事に戻るがいい」

 ヒロキはクルンと巻いた尻尾が頭より高くなるくらいうやうやしく直角のお辞儀をして立ち去った。床を泥土どろつちで汚さないよう靴を脱いで片手に持つ如才じょさいなさ。あののこなしといい東洋人である事といい、本物のニンジャの末裔まつえいなのかな?

 僕は男爵のセリフの途中からえらく不機嫌ふきげんになったおじさんに小声でたずねた。

「ね、エスカヴァ…って何」

奴隷どれいのことさ」

 僕はなんとなくヒロキが気になり、おじさんの方を見た。おじさんも目配めくばせでOKを出したので、柴犬人の後を追ってみる。

 柴犬人はまっすぐ玄関を抜け、建物を回り込む。大きな庭。四阿あずまやがあり、噴水がこんこんと水音みずおとを立てている。

 そして食堂に面した側には、天空の色を吸い取ったような紺碧こんぺきの紫陽花がほこっていた。

 あんまり見事な青に包まれて、僕はしばらくぼうっとしてしまう。

「君は探偵の…」

 ハッと振り返るとヒロキが直立不動で後ろにいた。東洋人特有のフラットな表情で見つめられ、居心地いごこち悪くて尻尾が下がる。

「僕をけたのかね」

「あ…その…ごめんなさい」

 ヒロキは口許くちもとを引く。しかめっ面のまま、握りこぶしを紫陽花の上で開いた。

 こぼれ落ちたのは螺旋らせんの形のから。大きなドーム状に寄り集まる花の上を転がり、ギザギザした葉の上にまる。と、中からおずおずと二本の触角しょっかくが現れた。

「あ、カタツムリ!ヒロキさん助けてあげてたの?」

「人の歩く場所にいたらつぶされるね」

 ちょっと怖い人かと思ったけど、自分が投げた(アポロニアさんのためだけど)カタツムリを助けてあげるなんて、意外と優しい人じゃない!

 僕は気になってた事をいてみた。

「青い紫陽花なんてあるんだね。僕この島シチリアで初めて見たよ?」

「土の問題ね。元々もともと赤も青も白もある花。原種げんしゅは日本から来た。僕と同じね」

 そう言うヒロキの栗色の顔がほころぶ。笑うとすごく若くて初々ういういしい印象。

丹精たんせいめて育ててようやくしげってくれたね。アポロニア様の好きな色に…」

「へー、青いのはお姉さんのリクエストなんだ?」

「特に命じられたわけではないが…」

 ヒロキはポリポリ頭をく。

「土のpHを整えた。この辺はとくにアルカリ性の強い土地だから苦労したね」 

隠密行動オンミツコードーだ!ヒロキさんやっぱりニンジャでしょ!」

 キョトンとした柴犬人、次の瞬間には腹を抱えて笑い出した。

 うん、この人は悪者はんにんじゃあないな。僕の直感がそう言ってる。だって、生き物を大事にしたり花を眺めてうれしそうな人が悪い事なんかするはずないもの。おじさんにもそう伝えなきゃ!

 まるでテレパシーが通じたように、おじさんや警部達がひとかたまりでやってきた。

 走り寄る僕に、帽子を目深まぶかにした警部の声が響く。

「ヒロキ=カツラ君。男爵に対する殺人未遂の疑いで逮捕する」

 えっ?

 見上げると、おじさんも口をへの字に曲げていた。横にいるファルコは勝ち誇ったようにニヤつく。

「よーく考えりゃよぉ、庭師にわしもしてるお前ヒロキならいくらだって紫陽花をもいでこれるし、あんなスタンドプレーできるくらい運動神経ありゃあ俺や給仕きゅうじの目をぬすんで食材の紫蘇と取りえるなんざ朝飯前だろ?」

「え?そんな!もっとアリバイとか指紋しもんとか」

「トト、給仕に囲まれていたファルコと違い奴にはアリバイが無い。反対に指紋を残さねえための手袋は、庭仕事用のがたんまりある。後は取調室で聴取ちょうしゅしかねえんだ」

 僕はヒロキを見る。柴犬人は少し目を伏せていたが、大人しく両手首をそろえて差し出した。それを警部のヴァイパーバインドが瞬時に拘束する。

手錠てじょうはかけない。君は自首、という事にする」

 目の前を連行されていくヒロキ。信じられない。

 ホラ、男爵だってさっきよりもっと青筋あおすじ立てて苦虫にがむしみ潰したような顔をしているし(ショックで死んじゃわない?)、アポロニアだってあんな動揺どうようして…

 あ!

 僕はおじさんの大きい尻をけ登り、広い肩にしがみついた。

「なんだトト邪魔だぞ!」

「ザンおじさん!もしかしてさ…」

 僕はアポロニアの方を示し、さっき見たものの事を話す。おじさんはすぐ意図をみ、更に思考を進めて…

 きわめてざっかけないいつもの調子で、おじさんヒョイとアポロニアの顔の横に頭を突き出す。

「良いのかいおじょうさん。あいつ連れてかれちまうぜ?」

 ビクッとした羊人は、それも仕方ないでしょうとささやくようにつぶやき、うつむく。

「そうか。あんたが構わないなら仕方ねえんだろうな。ところでよ…」

 ボリボリと両耳の間を掻き、おじさんはダメ出しのひとことを言い放つ。相手の心理をき動かす必殺の台詞。

「紫陽花にも花言葉ってあんのかい?」

 アポロニアが顔を上げた。まゆり、必死になみだこらえていた顔がくずれる。

「───待って!待ってください、その人を連れて行かないで‼︎」

 警部が足を止め、小さな体をグルリと回してこちらを向く。

「ヒロキではありません!私…私が父様とうさまにアレを…紫陽花の葉を」

「な、何を言うんじゃアポロニア?長年働いたからといってお前があんな下種ゲスの肩を持つ事は」

…⁉︎」

 羊人は瞳をうるませて父親を睨みつけた。

「ヒロキは私の大事な人よ!お父様にだってそうだったでしょう⁉︎私は───ゆくゆくはヒロキがおっとになるものとばかり…」

「お、お嬢さん何言ってるんですかい?」

ファルコあなたに疑いをかけてごめんなさい。私がいけなかったの。紫陽花あのはなの毒を知っていたから…ヒロキと離れたくなくて…」

 ワンピースの裾をつまんで優雅に持ち上げる。その足首には両方とも、赤く太い紐が巻き付いて…

 違う。そう見えてしまうほどに酷くれ上がった皮膚ひふだった。毒の葉を料理に入れた天罰てんばつのように、凶々まがまがしい赤。

「なんて事ね!」

 ヒロキがダッシュして、拘束こうそくされたままアポロニアの足元にひざまずく。

「ああ、君の美しい肌にこんなにカタツムリのあとが!早く手当てをしなければ、さぞつらかったね、アポロニア」

 微笑ほほえみながら彼女は僕達を眺める。それは、とてもとても、幸せな顔だった。

「───こういう事ですわ」

 

 数日後。

 ファルコはおじさんと僕の探偵事務所にやってきて、

「結局あれから二人くっついちまって、今度俺っちウエディングケーキまで作らされんだぜ。やってらんねー!」

 とコックコートをだらしなくはだけてワインをラッパ飲みしてクダを巻いた。

 おじさんはそんな旧友を笑いつつ、

くやしかったらお前もたま輿こしねらってみろよ。ま、貴族なんてお互いガラじゃないだろうがな」

 とものすごい煙の出る葉巻はまきをふかした。

 僕は酒の匂いとヤニ臭さで充満じゅうまんした応接室から自分の小部屋に逃げ込んで、本棚にあった百科事典を引っ張り出して『紫陽花』のこうを開く。

 色鮮いろあざやか、様々な種類の花の写真と一緒に並ぶ解説は、学名のラテン語から何から単語がどれも難しくてヤキモキした。

 結局、最後の『花言葉』の部分だけ読んで満足し、本棚に戻す。窓の方から友達が大声でサッカーに行こうぜとさそってきたので、元気よくこたえて外に走り出す。

 シチリアの空は今日も、海の色とけ合ってしまうくらい大きく青かった。

 

『紫陽花の花言葉…“移り浮気うわき無常むじょう”。

 青く咲いた場合には“貴方を辛抱しんぼう強く愛する”』

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空の花と赤い紐 鱗青 @ringsei

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