ごめん、勇者なんだ

月波結

旅立ちの時

 ユアンとはずっと幼なじみだ。

 母親同士が友達で、同じ村で、同じ年頃の子供達と一緒に転がるように笑いながら大きくなった。

 鳶色の瞳と明るいブラウンの波打つ髪、田舎育ちにしてはソバカスの目立つ色白の肌。それが僕のユアンだった。


 いつも一緒だったふたりにも時が経つにつれて違いがどんどん広がっていった。

 摘んだラズベリーを手のひらに乗せられる数が違う。

 転んだユアンを引き起こしてあげる時、ふたりの手の大きさが明らかに違う。

 僕の背はするする朝顔の蔓のように伸びるのに、ユアンの背はそこで花開く向日葵のように根付いている。

 僕は次第に、自分とユアンの違いを意識するようになった。


 十二の歳のことだ。

 いつもなら「早く寝なさい」と言われるのに、ランプが琥珀色に部屋を灯す中、父親は僕にこう言った。

 ――お前は勇者だ。

 は? 何を言ってるんだろうと、その突拍子のない言葉を受け止められずにいた。

 ――信じられないのも無理はない。私達だって未だに信じられない。だが、中央神殿の神託が下った以上、信徒である私達はお前を勇者として差し出すしかない。自由に未来を決められなくて済まない。

「信じろ」というのが無理な話だった。

 頭の中では「どうしよう」という思いだけがぐるぐる回っていた。

 みんなと一緒に大きくなって、田畑を耕したり、狩りをしたりするものだとずっと思っていたから。


 勇者として旅立つのは十五で迎える村の成人式の翌日だと教えられた。魔王はその数年後に復活するらしい。

 ただし、それまでこのことは秘密にすること。

 国王からもらった剣で、みんなが見てない時に使い方を練習した。斧や鍬とは使い勝手の違う武器に手間取った。


 ユアンを守りたい。

 ただその一心で剣を振るい、弓を射った。みんなは僕の狩りの腕がぐんぐん上がったことに驚いた。

 捕れた獲物はユアンの家に分けることが多かった。喜んでくれるのを見る反面、胸がチクリと痛かった。


 このままじゃすぐ、十五になってしまう。

 十五になってすぐ婚約や結婚をするのは両家の子女だけだったけど、婚約だけでもしようというヤツらは幾らかいた。ユアンのソバカスが目立たなくなる度に、焦りはあきらめろと囁いた。


 成人式を迎えた。

 父と母は僕を見上げて何も言わなかった。

 成人式の後、僕は勇者の名乗りを上げる。そうしたらもう戻れない。

 村特有の刺繍の入った服を着て、焚き火をたいた広場に村中の人が集まる。筋力で僕に敵う者は、もうここにはいなかった。

 焚き火を囲んだダンスを終えて、成人になるひとりひとりが村長から頭にオリーブの冠を戴く。責任感がずしりと伸し掛る。

 村長が静まり返った儀式の後、厳かに僕の名を告げた。


「ディラルド、ここに」

 僕は覚悟を決めて、立ち上がる。僕はこの村を守るために、国を守るために、そしてユアンを守るために遠くへ旅立つ。命の保証なんてものはない。

「ディラルドは中央神殿の神託により勇者に選ばれた。これは我が村にとって大変名誉あることだ。ディラルドは明日、旅立つ。みな、無事を祈ってくれ」

 割れるような歓声が広場から溢れた。きっと、その声で悲しくなったのは僕ひとりだ。古い剣の刃はボロボロにかけ、王からの新しい剣が与えられた。その剣の美しい装飾は、後戻りできないことを表していた。


 翌朝早く、家族に気づかれないよう静かに、小屋のような、それでも暖かい我が家をそろりと出た。

 村は朝靄に包まれ、まだ摘まれていないベリーが宝石のように輝いて見えた。

 その時、大きな木の後ろから誰かの気配がして、立ち止まった。

 木の後ろからそっと姿を現したのはユアンだった。


「もう行くの?」

「ああ」

 ユアンは下を向いてしばらく顔を見せなかった。

「おかしいと思ってた。いつからか村の他の男の子よりディルだけが大人の顔になったから。――どうしても行かなくちゃいけないの? 怪物に襲われて怪我をしても、もう助けてあげられないんだよ。今までみたいにずっとそばにいてほしいけど······それが無理なら、あなたの帰りをずっと待たせて? 何年でもずっと、待ってるから」


 胸に湧き上がる想いは決して伝えてはいけないものだ。彼女の未来を不確定な僕の未来で縛ることはできない。

 彼女を抱きしめたい気持ちを、ぎゅっと堪える。

「ユアンはきっと、誰よりも綺麗な花嫁になるよ。ソバカスもすっかり消えたし。僕が保証する」

「待って」

「ごめん、王命なんだ。どうか幸せに」


 それが僕にとって彼女にできる最後のことだった。もしかしたら涙ってやつが出たかもしれない。それでも今日くらいは神様も許してくれるだろう。


 王都に着くと、魔王の復活はまだ数年後で、それまでに武術を磨くことを強いられた。

 驚いたことに僕と同じく選ばれた勇者は全部で五人。パーティーも五つ。半ば呆れるとともに、本当の戦いがそこにはあるんだなと実感した。

 僕ひとりで倒せるような存在じゃないということも――。


 旅は熾烈を極めた。僕は十八になった。

 神殿から、魔王復活の神託が伝えられた。

 生きていくことに精一杯。水の精霊使いがパーティーにいなかったら、飲み水にも困ったかもしれない。

 魔族を狩りながら獲物を探し、魔王に近づくにつれ獲物になる動物たちもその魔力を感じたのか次第に減ってきた。


 鳩の伝令が、他の勇者パーティーの苦戦や全滅を伝えてきた。

 戦慄が走る。

 他人事じゃない。

 苦しい時も笑顔でみんなを励ましたアイツも、誰よりも綺麗な剣筋を描いたアイツも散っていった。

 後に続く僕は、彼らの仇を打たなければならない。例え命がすり減っても。


 ある日、漆黒の大きな馬体に跨った男がやって来て、救援物資を置いていった。

 そんなことは今までなかった。状況はかなり悪いんだろう。

 荷解きをするとそこには神の力が宿った護符アミュレットと、神官が飲まず食わずで一週間祈りを捧げたという白金の剣が入っていた。剣の鞘には僕の愛称――ディル、と一言彫られていた。

 不思議と心の中が暖かくなって、どんどん距離も時間も遠のいていたユアンの顔が、いつもよりくっきり胸に浮かんだ。その剣を胸に抱くと、あの日できなかった、ユアンを抱きしめているような気持ちになった。


 それからはパーティーは気力を取り戻したかのように快進撃が続き、自分のどこにそんな力が宿っていたのか、魔王は黒い瘴気を放ちながら闇の中に霧散していった。


 ――つまり、全てが終わったんだ!


 僕の旅も、戦いも、国中を脅かしていた魔王軍の侵攻も。

 ヤツはまた復活する時が来るだろう。しかしそれまでにはまだ時間がある。仮初の平和であれ、僕らは手に入れることに成功したんだ。


 王都に帰って報告を終えると、五日後の戦勝パレードまでは好きにしていいと言われた。

 シーフのミドは報奨金で好きなだけカジノに入り浸ると言い、召喚士のエリィは村の長老に報告をする義務があると言った。

 僕はとりあえず村に戻るべきだろうと思った。もうきっと誰かのものになったユアンを思うと悲しくなったが、両親に、友人に会える日がまた来るとは思っていなかったからだ。


 何でも揃っている騒がしい都を出て、村までの道のりを楽しみながら踏みしめた。ここの土をまた踏む日が来るなんて。


 帰った日は村中が大騒ぎだった。

 伝令から僕の帰還はすでに伝えられて広まり、またいつかの日のように、広場には多くの人が集まった。

 懐かしい友の笑い声。よくやったな、と肩を叩かれる。

 両親の涙。お前ばかりに辛い思いをさせて、と母はむせび泣いた。

 少女たちが手に提げた籠の中からは花びらが舞散った。


 ところがどこを見てもユアンの姿が見当たらない。

 気がつくと僕はもう二十歳を超えていた。ユアンは幸せそうに子供を抱いていてもおかしくない年頃だ。それとも近隣の村に嫁いだんだろうか?

 ユアンの友達の肩を掴んで声をかけると、意外な真実が耳に入った。

 ユアンは僕が旅立った日の数日後、誰かに高貴な馬車に乗せられて行ったきり戻らないと言うのだ。

 呆然とした。

 田舎貴族にでも見初められたのだろうか?

 あの日、彼女が「待つ」と言ったのは、心の中だけのことだったんだろうか?


 釈然としない思いを抱えたまま、王都に戻った。

 戦い続けた日々の褒賞として僕が真実望んでいたのは、ユアン、彼女だったんだ――。


 戦勝パレードは華々しく執り行われた。

 誰もが笑顔で手を振り、僕も適当に振り返した。

 ディラルド様、という若い女性達の歓声。そこに僕の探す人はいない。

 心の中は空っぽだった。


 パレードの終わり、広間の国を象徴する大きな鷲の像の前に、白く薄い幾重にも張り巡らされた紗の向こうから、誰かが神官らしき者に手を引かれて出てくる気配がする。

 僕は礼儀を尽くし、膝をついた。

「顔を上げてください」

 澄んだ声に誘われてそちらを見ると、レースの縁取りのついた白いベールを目深に被った女性がいた。

 それは、この国の聖女だった。

 初めて目にする聖女の纏う清らかな空気に、全てが洗われる気がした。


「ディラルド、この国の勇者よ。何物にも替えがたい賞賛と誇りを受け取りなさい。あなたのお陰でこの国の民はみな、守られたのです。神の祝福がまた、あなたを護ったことを忘れてはいけません」

 彼女はそこまで言うと小さく頷いて、お付きの神官に自分の顔を覆ったベールを上げさせた。


 信じられないことが起きた。

 聖女だと思っていた人の顔は、思い焦がれたユアン、その人にそっくりだったのだ。

 勿論、あの日別れたユアンと比べると全てが洗練されていて、強い神聖力を感じた。けれど彼女は。


「ディル。あの日、私が言ったことを覚えていますか? 私はあなたの帰りを待ちたかった。なのに運命の悪戯とでも言うのでしょうか、私はこのように聖女に選ばれてしまったのです。

 私自身、受け入れるまでに大変時間がかかりました。聖女になるということは、神に身も心も捧げるということ。あなたを待ち続けることができなくなってしまう」

 彼女の、昔よりいっそう白くなった頬に、一筋の涙がこぼれた。

 広場は静まり返り、野次を飛ばす者はひとりもいなかった。みんな、彼女の次の言葉を待った。


「私は聖女になりました。神託に従ったのです。しかし、その一方であなたを案じる気持ちを消してしまうことはできなかった。私にできることと言えば、祈りを捧げ、神聖力の高い武具を贈るくらいのこと。私は考えに考え、中途半端な私に成り代わり、全てを神に捧げられる乙女を極秘に探しました。

 それが、このアルメラです。この国の新しい聖女、アルメラに国民からの祝福を――」


 そこまで言うとユアンは長いドレスの裾を引きずって、赤い絨毯の上を僕に向かって走ってきた。

 彼女が僕に抱きつこうと飛んだ瞬間、彼女のレースのベールは風に飛んだ。


「長い、長い間、待ってたわ。もう離さない。これ以上は待てないから」

 信じられない気持ちのまま、手にしたものを壊さないように抱きしめた。何故なら彼女は羽根のように軽かったから。

「ユアン、本当にいいのか? 大きな権威を投げ出して」

「馬鹿ね。勇者の嫁だって、この国でひとりしかなれないのよ」


 国王が立ち上がり、僕たちの婚約を認め祝福の言葉を贈った。

 広場はまた一段とすごい歓声に包まれ、僕の名前と彼女の名前が熱狂的に叫ばれた。


 ――今夜の夕食は兎のシチューだ。

 パンは、十歳になる娘とユアンの共同制作。魔王の力が国中から消えた今、豊作が続いている。

 食事の前に家族揃って神に今日の日の感謝を祈る。

 今年十二になる長男が食卓で声を大にして言った。

「僕、大きくなったら父さんみたいな村一番の狩人になる!」

 僕達家族を迎えた優しい村人たちは誰一人として、僕の、そして彼女の数奇な物語を子供達に語ろうとしなかった。

 特に変わりのない一日。

 それが平和だ。


(了)

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