第6話 廃屋にて

紺のローブに身を包んだ男が深夜、人気のない廃屋の前で佇んでいた。

歳のころは二十代後半。

貴族を思わせる整った顔立ちをしているが、ボサボサの髪と無精髭がその魅力を損なわせていた。

右手には先端に大きな宝石をあしらった杖、左手には白銀に輝く小剣を携えている。

そんな男はひとつ息を吐くと、静かに扉の前に移動し、手にした杖で押し開けた。

外は月明かりのおかげで意外と明るかったが、室内は流石に暗く、何も見えない。

しかし、男が杖を掲げて、二言、三言つぶやくと杖の先に灯りがともり、辺りを照らした。

中はだだっ広く、いくつかのテーブルと椅子が並んでいる。

そして、それらは長いこと使われていないようで、どれもひどく傷んでいた。


「誰かいませんか?」


廃屋の外から男は問いかけるが、返事はない。

しばらく間を空けて、再び問いかけるも状況は変わらなかった。


「お邪魔します」


どこか場違いな断りを入れて、男は中に足を踏み入れる。

男は部屋の中腹ほどまで差し掛かったところで、歩みを止める。

彼はそのまましばらく動かなかったが、突然、剣を背後に振るった。

剣を持つ手に手応えがあり、ぎゃっと驚くような声が耳に入る。


「いるなら返事してくださいよ」


涼しい顔でそう告げる男を、手で肩口を抑えた男が獣のような唸り声を上げながら睨みつける。


「私の名はサラディン。偉大なる魔術師ラテの弟子です」


「サラディン……ラテ……」


「その名に聞き覚えはありますか?」


傷を負った男は記憶を辿るような素振りを見せたが、やがて首を横に振る。


「知らんな」


「そうですか、残念です」


サラディンと名乗った男はそう言うと、再び剣を横に薙ぐ。

鋭い斬撃だったが、男は後ろに大きく跳躍して躱した。


「何をする!」


「何をするも何も貴方のような悪魔を放っておくわけにはいかないでしょう? 上手く人間に化けているようですが、私の目は誤魔化せません」


男は一瞬だけ驚いた顔を見せたが、すぐにニヤリと不敵に笑う。

同時に、男の体がみるみるうちに膨れ上がった。

頭からは山羊のような角が生え、口は頬まで大きく裂ける。


「下級悪魔(レッサーデビル)ですか」


サラディンはあからさまに残念そうな顔をして、剣を

構えた。

その態度を侮辱と捉えた悪魔は怒りの咆哮を上げて、サラディンに襲い掛かる。

悪魔が丸太のような腕を一振りすると、周囲のテーブルと椅子が吹き飛んだ。

しかし、当のサラディンの姿はすでにそこにはない。


「瞬間移動(テレポート)だと!?」


高位の魔法を目の当たりにした悪魔は驚愕の表情を浮かべる。

次の瞬間、悪魔目がけて巨大な火球が着弾した。

凄まじい爆音とともに壁に大きな穴が開く。

熱風が巻き起こり、近くの家具を焼く。


「ぐっ」


悪魔の口から苦悶のうめき声が漏れる。

その両腕は火球を受け止めた衝撃で吹き飛んでいた。


「下級とは言え、やはり悪魔。魔法耐性の高さは見事なものです」


そう言いながらサラディンが悪魔の前に姿を現す。

そして、剣先を悪魔の胸に向けた。


「ま、待て、何が望みだ! できることなら何でも……」


「貴方ごときに叶えられる望みではありませんよ」


サラディンは冷たく言うと、悪魔の心臓目がけて鋭い突きを放つ。

輝く剣は悪魔の硬い皮膚をやすやすと貫き、その命を奪った。

サラディンが剣を抜くと悪魔の巨体は大きな音を立てて後ろに倒れる。

その屍を表情のない顔で見下ろしながら、サラディンは剣を納めた。


「また無駄足でしたか。しかし、いつか必ず……」


悪魔を容易く屠るほどの力を持った魔術師は決意を固めるようにそう呟くと、未だ炎の燻る廃屋を後にした。



「力は人のために使いなさい」


それはサラディンの師であり、育ての親だったラテの口癖だった。

彼はミスタリア王国で五本の指に入るほどの力を持った魔術師で、こと火術については右に出る者はいないとさえ言われていた。

また、人格者として知られ、困っている人がいれば力を貸さずにはいられない性格だった。

そのため、彼に救われた人間は数知れない。

サラディンもそのうちのひとりだ。

幼くして親に捨てられ、寂れた路地裏で人知れず命の火を消そうとしていたサラディンをラテは拾い育てたのだ。

ラテは己の力と知識を惜しみなく彼に与えた。

そして、サラディンも十二分に応え、偉大なる賢者の弟子として相応しい力を身につけた。


―――火を継ぐ者


いつの頃からかサラディンはそう呼ばれるようになっていた。

そんな彼らは、各地で起こる様々な問題を解決して回っていた。

山賊退治から果ては悪しき魔神の封印まで。

二人はそれら全てを解決し、日に日に名声を高めていった。


そんな折、ラテのもとをひとりの旅人が訪れてきた。

名すら名乗らぬその者は、ラテと二人で話がしたいと言い、サラディンを別室に追いやった。

しばらく後、心配になったサラディンが部屋を覗いた時には、すでに旅人の姿はなく、彼の敬愛する師は冷たくなっていた。

深い悲しみにくれたサラディンだったが、その日以来、師の仇を探すため各地を巡り、人間、魔物を問わず力を持つ者の噂を耳にしては、訪ね回っている。

しかし、三年経った今でも仇は見つからないでいた。



今回の探索も空振りに終わったサラディンは、一日かけて拠点としているキングスガーデンの街に戻っていた。

ここ数日ほどの間、寝泊まりしている宿の一階で軽い食事を済ませると、そのままエールを注文する。

そして、運ばれてきたエールにちびちびと口を付けながら、周囲の話し声に耳を傾けた。

ここ数年の彼の日課だ。

このような酒場には街の住人だけでなく冒険者や傭兵といった類の人間も多く訪れる。

彼らは冒険や戦などを通して外の世界と接する機会が多いため、様々な情報を持っていた。

サラディンが倒した悪魔の情報もこの酒場で飲んでいた冒険者に金を握らせて得たものだ。

今日も彼は喧騒の中から師の仇に関わりそうな情報を探る。


―――隣の家のじいさんが病で倒れたんだと


―――先日の遺跡調査の仕事はかなり稼がせてもらってなあ


―――隣国のレナスがランダスとの戦の準備を始めてるようだ


サラディンは三杯のエールをたっぷりと時間をかけて飲み干すと、予約している部屋に向かうため席を立つ。


(今日は大した情報は得られませんでしたね。まあ、そうそう上手くは……)


―――北のドワーフ族が滅びたらしい


サラディンの足がぴたりと止まる。

北のドワーフ族と言えば、灰の民と呼ばれ、屈強なことで知られる戦士の部族だ。

特に竜殺しで名高い二人の英雄は、この国の王であるアンデル・パラミオンも一目置く存在だと聞く。

そんなドワーフ族が滅びたという。

サラディンにはそこに強い悪意が介在しているように思えた。

彼は話の出どころである冒険者の一行の方を見る。

そして、この件に関して更なる情報を得るべく、冒険者たちに向けて歩を進めた。



それから三日後。

キングス・ガーデンから遥か北の山中にサラディンの姿はあった。

冒険者たちから情報を仕入れた彼は現地に向かうことを決意したのだ。

話によると、灰の民の村長である竜殺しのゴートが突然発狂して、村人たちを皆殺しにしたらしい。

一週間ほど前、村を訪れた行商人が、山積みされたドワーフの死体の前に座り込むゴートの姿を目撃したことから話が広まっているようだった。


(ドッペルゲンガー……あるいは呪いといったところでしょうか)


英雄と言われるほどの人物が何の理由もなく、仲間を殺害するとは思えない。

先日、サラディンが戦ったような、思うままに姿を変えることができる悪魔ドッペルゲンガーが村人たちをたぶらかして殺したか、村長自身が何者かに強力な呪いをかけられたか。

いずれにせよ、悪意を持った第三者の存在があることは疑いようがなかった。

そして、サラディンは、今回の件が師の仇に繋がるのではないかと期待していた。

ドッペルゲンガーを召喚、もしくはこれほどの強力な呪いをかけることができる魔術師というのはそうそういないからだ。

ラテを倒せるだけの力を持っている可能性も大いにあった。

そう考えるだけで、サラディンの杖を握る手に力が入る。

その時、微かではあるが、獣の吠えたける声が彼の耳に届いた。

次いで、女性のものと思しき声。


(なんでしょう?)


サラディンは考えるのを辞めて、意識を聴覚に集中させる。

やはり、獣の咆哮と女の声で間違いないようだ。


「大変だ!」


魔物に女性が襲われている―――。

そう思い至ったサラディンはすぐに声のする方へと駆け出した。

それと同時に、手早く短い呪文を唱える。

サラディンの体が軽くなり、走る速度がみるみる上がっていった。

彼は疾風のように岩山を駆け抜け、声の主の元に辿り着く。

そこでサラディンが目にしたのは、一頭の翼竜(ワイバーン)と銀色の髪をした一人の美しい女エルフだった。

翼竜は大きな翼を広げ、威嚇するようにエルフの周りを飛び回っている。

エルフはというと美しい細身の剣を翼竜に向けて、振るっていた。

剣は翼竜には届かず空を切るが、その先から鋭い真空の刃が発生し、相手を傷つける。


(魔法の剣か!)


サラディンは驚きで目を見開く。

魔法の武具を扱うには、強い精神力や魔力が必要とされる。

要求される力は武具によって様々だが、基本的には持ち主がその武具に認められない限り本来の力を引き出すことはできない。

サラディンも魔法の剣を所有しているが、それを扱えるのは彼の高い魔力があってこそだ。

そのため、エルフは若い―――エルフの寿命は非常に長いため、本当の年齢など分かりようもないが―――見た目の割に強い力を持っていることが窺えた。

翼竜は手強くはあるが、彼女の力であれば勝てない相手ではないだろう。

一瞬、安堵したサラディンだったが、徐々に女エルフの剣が鈍っていくことに気づいた。

よく見ると彼女の顔色は悪く、息も荒い。

翼竜の攻撃を防ぐことで精一杯になっている。

何かを察したサラディンは剣を抜き放つと、エルフと翼竜の間に割り込む。


「下がってください」


エルフは突然現れた男に驚いた様子だったが、状況を理解すると抗議の声を上げる。


「私はまだ戦えますわ」


翼竜の動きを警戒しながらサラディンはちらりとエルフを見やる。


「貴女、毒を受けてますよ。早く治療しないと命に関わります」


エルフは、はっとして右腕の辺りに手を当てる。

そこからは服が破れ、血が滲んでいた。


「翼竜の中には尾に猛毒を持つものがいます。おそらくこいつもその類でしょう」


サラディンはそう言うと、剣先を翼竜の尾に向ける。

見ると尾には数本の棘が生えており、そこからは緑色の液体が滴っていた。


「ちょっとだけ待っていてくださいね」


優しいが有無を言わせぬ口調でそう言われ、女エルフはしぶしぶといった様子で後ろに下がる。

それを確認したサラディンは、突如激しい身振りで魔法を唱え始めた。

少し遅れて翼竜もサラディンに襲い掛かる。

翼竜は飛行したまま、サラディン目掛けて尾を打ち付けた。

しかし、尾の先がサラディンの体に届くかというところで、見えない壁に阻まれる。

その間に、サラディンは呪文を唱え終えた。

突如として翼竜の体が燃え上がる。

炎が渦を巻くように翼竜を包み込むと、翼竜は堪らず落下して、地面を転げ回った。

サラディンは暴れる巨体の動きを冷静に見極めて、剣を振るい、毒を持つ尻尾を斬り飛ばした。

続けて、素早く頭部に移動すると今度はその首を刎ねる。

硬い鱗を持つ翼竜をこうもやすやすと斬り裂けるのは、魔力を込めるほどに切れ味を増す剣『月光』とサラディンの卓越した剣技の成せる技だ。

翼竜は首と尾から血を噴き出しながら、しばらくの間、激しくのたうっていたが、やがて動かなくなった。


「ふう」


サラディンは大きく息を吐き、剣を収める。

そして、ぐったりと座り込んでいるエルフに駆け寄ると、鞄から小瓶を取り出し、頭を抑えてやりながら中の液体を彼女の口に服ませた。

水液(ポーション)の効果はすぐに現れ、エルフの真っ白な顔に赤みが灯る。


「大丈夫ですか?」


サラディンが心配して顔を覗き込むと、うつろだったエルフの瞳に光が宿る。

しばらく、お互い顔を見合わせていたが、突然エルフが立ち上がり、距離をとった。


「あ、あ、あ、ありがとうございましたわ」


エルフはどもりながら礼を述べる。

視線は定まらず、その顔は真っ赤に染まっている。


「無事で何よりです」


サラディンは、そんなエルフの挙動に多少戸惑いつつも笑顔を向ける。


「ところでなぜたった一人でこんなところに?」


「そ、それは……」


何か言いにくいことでもあるのかもごもごと口を動かしながら下を向くエルフだったが、急に姿勢を正して、声を張り上げた。


「わたくしの名はピアース! このご恩は忘れませんわ! そ、それではごきげんよう!」


「あ、ちょっと」


言うが早いかピアースと名乗った女エルフは、サラディンの静止の声も聞かず、凄まじい速さで走り去ってしまった。

流石は身軽で風の精霊に愛されるエルフ、こうなってはサラディンの魔法を持ってしても追いつけそうにない。

彼は苦笑いを浮かべた後、翼竜の屍に近づき、その体から無傷な鱗を選んで数枚剥ぎ取る。

翼竜の鱗は魔法薬の触媒としても使われるため、そこそこの金になるのだ。

毒を持つ尻尾の部位がもっとも高値で取引されるが、荷物になるため諦める。

サラディンはひとしきり作業を終えると、向かう先を見据えた。

件の村まではもう少しのはずだ。

彼はピアースの去った方向を数瞬だけ眺めた後、再び目的の地へと足を向けた。

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いろんな冒険者たちが頑張って世界を救う話 @korobe0113

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