第2話 聖女のはじまり

 パチリ、と音がして記憶水晶には孤立しているメリーナ、やはり様々な男性と恋に落ちるシェイラがうつっていた。

 そのうちに水晶の中のシェイラは、メリーナの持ち物を破壊したり、はたまた自分の持ち物を壊して男性に泣きつくという自作自演を繰り返している。


「シェイラ、これは……」


 唖然とするライアンと焦るシェイラ。どうやら少年の姿をしているユグオンはやはり年若い神なのだろう。楽しそうに光がはじけていた。


「これは嘘です!」


「そっかぁ、嘘か。どうしよう皆に見せてしまったよ」


 叫ぶシェイラを笑うユグオン。その言葉を反映するように、記憶水晶には事前活動をするメリーナの姿。シェイラは本当に権力を狙う家の人間に言われ、嫌々平民たちに接していた。


『うすぎたない平民のご機嫌とりなんかしないといけないなんて皇子妃になるのも大変ね』


『どうかこれを売って孤児院の運営の足しにしてください』


 市井の噂とは正反対のシェイラとメリーナの姿に、ユグオンが顕現しているにも関わらず人々は大きくどよめいた。


「現実になった≪ゲーム≫が思い通りに進んで楽しかったか、異世界の魂を持つ者」


「ゲーム? 異世界?」


 困惑するメリーナにユグオンは微笑んだ。


「でも大丈夫。この国の人間が選んだ次代の皇妃を認めよう」


 ユグオンはシェイラに向かい微笑むと、メリーナに向き合う。


「お嬢さま、前に言っておられましたよね。ただの少女であれば、旅にでも行けたって」


 そのトーンはとても楽しそうだった。


 それは、彼が神とも知らずに学友とした図書館での会話だった。


 そんな些細なことを覚えていてくれたんだ。


 メリーナはユグオンの言葉に小さく頷いた。祭壇の向こうに輝く扉が現れる。ユグオンに手を引かれ、メリーナは一緒に走り出した。

 そしてメリーナは衆目が見守る中、ずっとお守りのように持っていた魔力を保管する魔道具をその場に捨てた。


 それはメリーナを公爵令嬢たらしめるためのものだったから――。


「良いの? 家族がくれたものなのに」


「ただのメリーナは魔法なんて使えなくて良いの」


「そっか。それじゃ行こうか、”ただの”メリーナ!」


「うん!」


 神に触れれば嘘はつけない。神力を持つ神官が裁判に呼ばれる所以だった。そのせいだろうか、メリーナは笑えていた。


 虫や動物が好きで、庭を駆けまわっていた小さな頃のような笑顔だ。


「メリーナ!」


 ライアンが走るメリーナを呼び止める。


「私は、お前が変わってしまったものだと……冷たい女になってしまったと思っていた……」


 怒りでみにくく顔を歪めるシェイラに怯えつつ、手からすり落ちたかつての自分の婚約者に追いすがる。その姿にメリーナは思わず微笑んだ。


「あなた、誰でしたっけ? 私はあなたの名前ももう憶えておりませんけど」


 冷たいまなざしは、天真爛漫な少女のものとはうって変わって冷遇されてきた女性の絶望がこもっていた。


 それからメリーナは光る扉をくぐり、神の世界に足を踏み入れた。穏やかな常春の庭。そこで様々な国に向かい、ユグオンと共に小さな奇跡を起こす手伝いをする。


 それは楽しい日々だった。大陸ごとに神がおり、それに仕える天使もいる。神の祝福を受けず、彼らと一緒に過ごすメリーナは特別なお客さまだった。


 いつしかメリーナは、人々の世界でも≪聖女≫と呼ばれていた。


 隠れて家族に会いに行くことも多かったメリーナの姿は噂として大陸中に広がっていた。


 彼女の持つ髪の色や目の色は神に好かれると、幸運の象徴になっていた。


 神が次期皇妃を認めてしまった為、皇国は神罰を恐れ、彼女を皇妃にせざるを得なかった。

 どうやら妃教育もうまくいかず、皇妃は病気のために塔で療養しているそうだ。


 家族と皇族の間に確執ができてしまったら、と不安に思っていたが杞憂だったらしい。全部、解決して、家族はメリーナの帰りを待ってくれている。


「ユグオンさま、私このままここにいていいのでしょうか?」


「楽しくない?」


 不安そうにメリーナに聞くユグオンは、出会った頃と同じような素朴な少年の姿をしている。彼のように神になったものたちは既に人間としての感覚が薄れているらしい。


 メリーナの意図を汲むことが出来ずに困っているようだ。


「楽しい……です……、でもこのままではいけないと思うのです」


「そっか。それじゃあ聖女として神さまの代行でもしてみる? ぼくはその間、遊びに行ってるから」


「え?」


 思いがけないユグオンの言葉にメリーナは驚いた。人の世とは時の流れが違い神の世界では老い衰えることはない。ただ世界の≪システム≫を管理する業務が人間が思っている以上に驚異的なことは理解していた。


「ほとんど天使たちがやってくれてるし、根本的なことはぼくがやる。人助けでもしてあげればいいんじゃないかな?」


 翌日、ユグオンは言葉通りというか気まぐれにまた姿を消してしまった。


 メリーナと出会った時のように、どこかで人間のふりをして会話を楽しんでいるのだろう。


「メリーナ、奇跡の選択をしますか? 我々には出来ないのですが、代行権を持っているあなたならこの方を救えますよ」


 ぼうっと世界を眺めていたメリーナに、天使が困った顔でいくつかの紙を手渡した。内容は――難病の治癒。生き別れた家族の再会。不可能だと思える仇への復讐。


「これは?」


「ユグオンさまが治めるこの大陸の人々の願いです」


「これ全てが?」


 メリーナの手にある紙以外にも天使はたくさんのファイルを抱えていた。魔法の力だろうか、いくつかの塊ごとに空中に浮かせている。


「奇跡の力も限度がありますので、どれかを選びどれかを見捨てなければなりません」


 迷いはしたがこうしてメリーナは神の代行者――聖女として人の世界で小さな奇跡を起こすことになったのだった。


「それではこの、難病の治癒を叶えて差し上げてはどうでしょうか?」


「その子が健康になると、悪徳領主の後を継いで民を圧政で苦しめます」


「え?!」


「後悔なさいませんよう、実際にその人を見て奇跡を行使しましょうか。それに悪徳領主を成敗してから、奇跡を行えば良いのではないですか?」


「そんなことできるんですか?」


「反動のない歪みが、神の奇跡です。我々も元は人間だったので願いが無下にされるのを見るのは辛いのです。――それでは、護衛として優秀な者を連れてきますね」


 天使はさっと姿を消してしまう。メリーナが紙に書かれた願いの内容を読んでいると、今度は先ほどの天使が二人の天使を引き連れて現れた。


「それではこの二人がメリーナさまの護衛を務めます。よろしくお願いしますね」


 そうして二人の天使とメリーナは、人間の願いをいくつも吟味し、実際に見聞きして奇跡を行使することになった。


 こうして”悪役令嬢”であったメリーナは、月の神ユグオンに愛され、天使と共に人間界に訪れる聖女として人々の間で語り継がれることになる。

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聖女の導く奇跡の先で 夏伐 @brs83875an

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