セーフティネット

蒼木 蒼空(あおき そら)

セーフティネット

 

 放課後の教室。窓から差し込む西陽の眩しさが、机に突っ伏して眠っていた僕の意識を深淵から引きずり出す。


 ひと伸びをしてあたりを見渡すと、教室には誰一人としてクラスメイトの姿はなかった。掛け時計の示す時間は、午後四時。どうやら六時間目の授業を寝落ちしてそのままほったらかしにされてしまったらしい。


「ひどいなあ。声をかけてくれてもいいじゃないか、一人くらい」


 ちょっとした抗議が空っぽの教室によく響き渡る。


「ん、待てよ」


 僕はふと、自分の斜め後ろの席に振り向く。そこは、僕の一番の親友、晴人の席だ。晴人と僕は帰宅部仲間であり、帰り道が途中まで一緒なのもあって、ほとんど毎日一緒に下校する。


「晴人まで僕を置いていったのか?それか、僕がいくら起こしても起きなかったとか?いや、さすがにそれは……」


 そこまで深い眠りにつくほど疲れているわけでもない。授業が退屈すぎて、睡魔の誘惑に負けてしまっただけだ。


 そして僕はふと「屋上にいかなきゃ」と思った。別に用事があるわけでもないのに、妙な焦燥感が急に心を支配して、体が勝手に動いて席を立ち、僕は駆け出す。


 二階の教室から階を三つ上がって屋上の扉。普段は閉じているはずのその扉がなぜか開いている。屋上に出て、周りを見回すと、


 ――――晴人が、フェンスの向こう側にいた。


「おい、何やってんだよ晴人――えっ!?」


 晴人の元に駆け寄ろうとした足が動かない。まるでセメントで固められているみたいだ。


「なんでっ、動けないっ……晴人!おい、晴人!!」

「無駄だよ」


 背後から声がした。自分がとても良く知っているような気がする、聞き覚えのある声だ。


 振り向くと、そこには“僕”がいた。高校生時代の、ブレザー姿の僕だ。そして自分は、そっちの僕よりも背が高くなっていて、ぴっちりとした紺色のスーツを着込んでいる。


「今更どうにもならないって、一番良く知ってるのはお前自身だろ」

「どういうことだ!」

「自分の胸に手を当てて聞いてみろよ。お前がここにいる理由を」

「はぁ?何言って……」

「あの時、もし声をかけていれば」

「はっ――」


 “僕”の言葉が、僕のすべての記憶を呼び起こした。


 高校に入って最初の夏休みに入る少し前から、晴人は何だか暗くなった。元からそんなに喋ったり、積極的に他人と関わりにいくような性格ではなかったが、それにしてもあれほど物を言わず、休み時間にはずっと机に伏せている晴人の姿を、僕はそれまで見たことがなかった。


「親友だったのに、“どうした”の一言もかけなかった」

「違う、ただ授業で疲れてるだけだって思って」

「何日もずっと、か?」

「それは……」

「親友だから気づいてたんだろ。あいつは学校でいじめられてて、家でもうまく行ってなかった」


 晴人はアニメやライトノベル、その他にも色々、いわゆるサブカルチャーというものが好きで、僕もだいたい同じ趣味を持っていた。


 だけど、人によって話を合わせていた僕とは違い、晴人は自分の知識の深い事柄以外では他の生徒とうまくコミュニケーションが取れず、多数派ではない趣味であったことが災いして、またたく間にどのグループからも爪弾きにされてしまった。その上にクラスのヤンチャグループに目を付けられて「オタクきもいわー」と貶されるようになり、やがて物を隠されたり壊されたりといった典型的ないじめにエスカレートした。


そのせいで学校の成績もふるわなくなっていたのだろう。ある日晴人の家に行くと、晴人の母親に「良かったらうちの子に勉強を教えてやって」と冗談交じりに頼まれた。教育熱心な晴人の母親の事だから、きっと当時の晴人への当たりは強かったに違いない。


家にも学校にも、きっと晴人の味方は誰一人としていなかった。


「全部知っていたのに、お前は親友を見放した。手を差し伸べれば、自分も巻き込まれると思ったから」

「……やめろ」

「新しい環境で築いた自分の居場所と立場を失いたくなかった」

「やめろ」

「自分の学生生活が惜しかったから、見てみぬフリをした」


 僕は一番の親友を、


「お前は一番の親友を」


 ――見殺しにしたんだ。


「うわぁぁぁぁっ!!」


 狂ったように叫んで、僕は膝から崩れ落ち、そしてむせび泣く。


 ここは、僕が作り上げた妄想の世界。後悔の記憶から逃れるために作り上げた、偽物の風景だ。


「これから晴人は飛び降りる。お前はここで晴人を救って、自分の苦しみを紛らわそうとした。そんなことをしても、お前の背負う十字架は決して軽くはならないのに」

「じゃあどうしろってんだよ!あの日からずっと死ぬほど辛いんだ……もうこれ以外の逃げ方が分からないんだよ!」

「晴人もそうだった。だから晴人は死んだんだ。死ぬ以外の逃げ方がなかったから。お前が味方になってやれば、あいつは救われたかもしれないのに」

「っ……」

「その十字架を、死ぬまで一生背負い続けろ。それが償いだ」


 僕はひざまずいたまま嗚咽し続けた。そして気づくと、動けないはずの僕は何故か、フェンス越しに晴人の眼の前にいた。


「晴人……」

「お前は何も悪くないよ」

「……嘘だ、お前は俺を恨んでる」

「恨んでないって、助けてって言えなかった俺も悪い。だからさ、そんな辛そうな顔しないでくれ」

「でも……」

「……もし、それでも俺のことを後悔してるっていうんだったらさ、もしまた俺みたいなやつがいたら、そのときは今度こそ助けてやってくれよ」


 晴人はにかっと笑う。あいつのトレードマークだった太陽みたいな笑顔、西日と重なったその笑顔はひどく眩しくて、それを絶やしてしまった自責の念で淀んだ僕の心は焼き尽くされてしまいそうだ。


「忘れないでいてくれてありがとうな、親友。じゃあ、お別れだ」


 そういうと、晴人の体は空中に倒れ込んでいく。


「晴人っ!」


 かつて伸ばし損ねた手を、フェンスを突き破ろうという勢いで突き出す。するとその手はフェンスを突き抜けて、


「――女の、子?」


 景色が駅のホームに変わった。そうだ、僕はこの子が線路に飛び込もうとしたのを引き止めたんだ。


「……どうして、止めたんですか!?やっと勇気をだせたのに!」


 セーラー服姿の少女は、大きな瞳にいっぱいの涙を堪えて僕に問い詰める。


「……助けなきゃ、僕はまた後悔していた。あぁ、つまり、僕のエゴだ」

「なんですかそれ、勝手に人の人生に割り込むようなことしといて、私のことなんか何も知らないくせに!」

「知らないよ、そんなの知ったこっちゃない」


 少女は、まるで僕が親の仇でもあるかのように鋭く睨みつける。今ナイフでも渡したら、多分殺されるだろうな。


「君に何があったのかも、君が何を抱えているのかも、僕は知らない。考えたって分かりようがないし、君も赤の他人の僕に話す気はないだろ」

「何を当たり前のことを!」

「なら、知らなくていいや。ただ、手を伸ばせば助けられる命がそこにあったからそうした。本当に、それだけだ。ごめんね、恨みたければそうしてくれていい。僕は人に恨まれて当然の人間なんでね」


 感情むき出しの自分に比べて、自身でも恐ろしくなるほど淡々と話し続ける僕の様子に、少女は言葉を失うほどに戸惑っているみたいだ。僕たちに、電車から降りてきた乗客と乗り込む客の浴びるほどの視線が突き刺さる。しかし、時間に正確な日本の電車は、全ての乗客を乗せると間もなく次の駅へ出発する。


「あー、仕事に遅刻しちゃうな。君も、学校は遅刻かな……って、死のうとしてたのに端から行く気なんかないか」

「馬鹿にしてるんですか?自殺しようとするヤツなんて、どうせロクな人間じゃないって!」

「なんでさ、君はすごい人間だよ。死ねるほどの勇気をそのちっちゃい体に持ってるんだから。でもさ、それだけの勇気があるんなら、死ぬ前に死ぬ気で生きる努力をしたら案外うまくいくんじゃね?とも思うかな」 

「キレイ事はもう聞きたくないの!学校の先生も、カウンセラーさんも、親だって、みんな私が死んだら面倒なことになるから生きろって言うばかりで、ちっとも助けてなんてくれない!」

「そっか。じゃあ誰かの助けがあれば、君はまだ生きられるのかな?」

「はい……?」


 僕はスーツの裏ポケットから名刺を取り出し、少女に渡す。


「僕の会社の名刺。業務は色々やってるけど、君みたいに苦しんでる人の家とか学校とか職場に乗り込んでいろいろ指示したり、学校にいけなくなっちゃった人に仕事を紹介したりとか。あ、一応国に認められてる会社だから安心してね」

「えっ……」

「死にたくないけど、死ななきゃ逃げられない。なら、それ以外の道を作ってあげるのが僕らの仕事だ。僕、そこの社長だから、それに書いてる電話番号にかけてくれたらすぐに動ける。まぁ、ちょっと考えみてよ」


 きょとんとしたまま佇む彼女の肩を叩いて、僕は最後に言いたいことを伝える。


「味方が欲しかったんだよな。その時になったら、君が厚かましく思うくらいに助けてあげる。一人で耐える必要なんてないよ」


 あの時も、僕は同じことを言うべきだった。


 僕は足早にホームを去る。背後には膝をついて、こらえきれなくなった涙を溢れ出させている少女の姿がしばらく残っていた。


 たった一言で救える命がある。


 手を伸ばすだけでつながる命がある。


 晴人、君のおかげで痛いほどに知ったことを、僕は生涯の仕事にした。当分は色んな人にお節介を焼いていくことにするよ。


 これからも僕は人生をかけて網を広げつづけていく。君のように苦しむ人を一人でも減らせるように。そして、君のような人が再び生きる勇気を取り戻せるように。


 《prrrr……》


 ポケットの中で鳴動する業務用のスマートフォンを取り出して、着信元を確認する。


「やべっ、今日訪問予定だった会社だ。ちょっ、とりあえず事情を説明しないと……」


 スクリーンを操作して電話を取り、少し息を吸って胸を張り、大きめの声で言う。


「もしもし、株式会社セーフティネット社長、■■■■です」


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