P.S.

気球が空を行くのは

 そして私は渡良瀬遊水地を再び訪れていた。

 青田さんから「説明」を受けてから、もう一月になろうとしている。

 その証拠に、空には色とりどりの熱気球が浮かんでいた。一年前と同じように、今日は二月の第三日曜日だ。

 私はこの日、渡良瀬遊水地に隣接するオープンカフェを訪れている。

 変わらずにこの場所は、空も大地もひたすらに広い。

 ただそれだけに、やはりこちらも変わらずに、とにかく寒い。

 ばっさりと髪を切ってしまったことを少しだけ後悔する。けれど、それは必要な事だった。


 ――私は泣けないままだったのだから。


 泣かなければいけないことはわかっている。

 それでも私が泣けないでいたのは、現実を受け止めるだけの心構えが出来ていないからなのだろう。

 そう思って、私は「失恋」したかのように髪を切って、思い出のつまったこの場所を訪れたのだ。

 けれど――涙は浮かんでこない。

 私はそれでも、空を行く気球を見上げる。

 きっと私は、今年も和夫さんとこうやって空を見上げるつもりだったのだから。

 今度こそは“兆し”を捉えるために。

 もしかしたら、熱気球にのせてもらっていたかもしれない。

 和夫さんは、一緒に乗ってくれるだろうか?


 いや……


 わたしは思いだした。

 空を見上げていた和夫さんの表情を。

 そして気付いた。

 私の目から、涙が溢れていることを。

 気球を見上げた。だからこそ涙は重力に引かれて、私を濡らした。

 涙の流れに合わせて、私の感情も溢れ出す。


 勝手に“終わり”を決めて。勝手に死んでしまって。残される私のことなんか考えもしないで。私を護れることを勝手に喜んで。“藍より青し”なんて言葉を勝手に思い出して。そもそも私は和夫さんの弟子でもないし、和夫さんを弟子にしたつもりは無い。

 私は――ずっと和夫さんの側にいたかった。どっちが上とか下とかでは無く、一緒に歩いて行きたかった。

 たとえどんなあやまちを犯していたとしても。

 とんでもない人に影響を与えてしまっていても。

 私はそれでも和夫さんと一緒にいたかった。一緒にいて、色んなことを一緒に解決したかった。

 そうだ。

 私は怒っているのだ。怒って良いのだ。それなのに私は和夫さんに文句を言うことも出来ない。「失恋」したみたいに勘違いさせて、髪まで切らせて――

 

 私は泣いていた。

 この広い世界に、その声を響かせるように。

 それでも私は歩き出すだろう。時々は立ち止まりながら。

 立ち止まる時に和夫さんを思い出しながら。


 この日、私の恋は終わった。

 空を行く気球を見上げながら――


                                 fin

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

藍より青し 司弐紘 @gnoinori

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ