第56話 情報整理


 考えることは、色々あった。


 アジャが魔王という存在に該当するのならば、正直なところ話が早い。今まで『覚醒者』についてさりげなく聞き回っていたものを、『魔王』に切り替えるだけだ。それである程度の情報は集まるだろう。


 だから、直近で問題なのは、魔王というものがあらゆる人間から敵視されている可能性が高いこと、そして、『アジャが魔王である』という情報が人間側に知られている懸念があることだった。


 もしも知られている場合、今すぐにでも攻撃される恐れがある。それはまずい。


 俺とアジャは朝日の注ぐ部屋の中で顔を突き合わせた。


[このまま旅していいと思う? 人間に知られてる]

[俺はアジャ公の名前が割れていたことが気にかかってる。まじめに、お前の本名を人間側が知る術がないはずなんだ。もちろん俺と会う前に情報が漏れているなら話は別だが]

[……そういえば、あの女が俺の名前を呼んでいたね。……ハチが、教えたりは、]

[断じて違う]

[……だよね]


 アジャが申し訳なさそうに眉尻を下げる。違う、そんな顔をさせたいんじゃない。


 俺は咳払いをして仕切り直し、懸念していることを言葉にした。


[なんらかの方法で魔王の情報が割れている可能性がある。と、俺は踏んでいる。あの少女は神がご命じになったとか言っていたし、教会関係かな、怪しいのは。とりあえず、一つ確実なことは、この村ではまだあの少女以外はアジャが魔王だと知らないことだ。この村で、まだ多少は情報収集できる余地があると思っている。まあ主に俺が動くけど]

[……あの女が他の人間に伝えているかも]

[いや、おそらくそれはない。そうだったとしたら、おそらくこの宿ごとすでに焼き討ちされている気がするし、そうでなくともすでに襲撃があって然るべきだ。それなのに、ほら、外は穏やかなもんだぜ]


 耳をすまして見ても、外から不穏な音が聞こえるようなことはない。村の子供がはしゃぎ、洗濯物を叩く音などの人々が生活する音が聞こえてくる。のどかなものだ。


 少女自身も『派手に動くなと言われている』とか言っていたし、騒ぎになるようなことをいたずらに起こすとは思いにくい。

 おそらく、まだ猶予はあると見ていいだろう。


 また、俺にはもう一つ疑問があった。


[そういえば、アジャ公はなんであの馬車……この村に入る時にすれ違った馬車が気になってたんだ? おそらくあれ、あの少女が乗ってたやつだぞ。覚醒者はお互いに分かるとかそういう?]


 どうでもいいけどあの少女って言いにくいな。名前を聞いておけばよかった。


 アジャが当時を思い出すようにほんのりと目を細める。


[いや、なんか、遠い人がいるなーって。そのときは、覚醒者だとは分からなかった]

[遠い人?]

[遠い人は、遠い人だよ]


 俺は首を傾げた。その説明では分からない。「遠い」という言葉は通常距離の表現に使われる言葉だが、この文脈においては単純な距離を示すものではないだろう。


 うーんと難しい顔をするアジャ。


[オババは昔、人間にはない概念だって言ってたな]

[由来とか定義とかは説明できないか?]

[うーん、うまく言えない……]


 相当説明の難しい概念なのだろう。アジャはそれでもなんとか伝えようと頭を悩ませてくれた。

 俺もどうにか理解する糸口はないかと考えて、ふと思い浮かぶものがある。


[そういえばお前、前に[世界で一番遠い人に祝福を受けたみたいな]感じ、とか言ってなかった?]


 キャラメルを初めて食べた時の話だ。

 あの時のアジャは、キャラメルを食べて、一言とても不思議な声で咆えて、その意味を聞いたらその言葉が出てきたのだ。世界で一番遠い人というのは何なのか、その時の俺も疑問に思ったのを覚えている。


[ああ、うん、遠い人はそれの遠い人と同じだよ]

[それ、強いて他の表現にするとしたらどんな感じ?]

[……首を垂れて許しを乞う気持ち?]

[待ってぇ、あのときはキャラメル食べて美味しかったんじゃないのぉ?]

[うん。だから、あれは祝福なんだよ]

[ごめん、何も分からない]


 いや、言葉があるってことは、それがその言葉を使う人たちには一定以上の頻度で存在するし、共有できるからそれがあるんだ。


 言語というのは、世界観である。

 民族によって大事にしているものや共有したいもの、そういった世界観が少しずつ違うから、言葉も違ってくるのだ。


 例えば、とある言語にしか存在しない言葉というのは、結構ある。

 英語の「アイデンティティ」なんかは、日本語にはない言葉だと有名だ。あとは日本語だと「木漏れ日」とか他の言語にはないらしい。それは、英語圏の人々はアイデンティティという概念を大事だと思ったからだし、日本語圏の人々は木漏れ日という現象を共有したいと思ったからなのだ。


 また、その言語において重要視されている概念は、表現違いで同じものを意味する単語がたくさんあったりする。


 日本だと米とか。米、稲、ご飯、めし、シャリ、あとは穂とか。これらはどれも使い分けこそあるが概念としてはほぼ同じものだ。同様に、ある北国の言葉だと雪に関する言葉がたくさんあるらしい。モンゴルでは馬に関する言葉がたくさんあって、エジプトの方ではライオンに関する言葉がたくさんあるとか。


 だから何が言いたいかって言うと、[遠い人]っていうのは竜には共有できる大事な概念なのだ。

 分からないけどな!


[うーんと、言い伝えでは、遠い人は祝福をくれるんだ]

[祝福っていうのは?]

[うーん……。とても、いいこと? 素敵なこと? 憧れだよ]

[……なんかいいものだってことは分かったような気がする……。じゃあ遠い人っていうのは、覚醒者っていうよりも天使の子の方に反応してたのか……? 覚醒者が遠い人なら今のアジャも遠い人になるしな……。あ〜謎〜]


 手持ちの情報で分かることはこのくらいだろうか。


[じゃあ次はこの村の中で情報収集するか。ついでに朝食]

[……そういえば、まだだった]


 お腹、空いたな、とアジャが小さく笑った。

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陽だまり逃避行 京々 @kyokyo_3

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