そして二度目の一目惚れ。

不屈の匙

たとえ忘れてしまっても。


 王都の片隅。黒猫がたむろする路地裏に、魔女の構える小さな店がある。

 色褪せた店で、店主である魔女は窓辺で本を読みながら聞く閑古鳥の鳴き声を愛していた。

 しかし今日は来客があった。カロロン、と入口に吊り下げた木製のベルが鳴る。重い腰をあげて対応に出向くと、カウンターの前に見覚えのある栗毛のお嬢さんが所在なげに立っていた。

 魔女が姿を見せると、お嬢さんはホッとしたような残念そうな、なんとも言い難い顔をした。


「こんにちは、お嬢さん。初のご利用かな?」

「ええ、初めて利用するわ。もしかして、紹介状が必要だったのかしら」

「いやいやそんなことはないよ。常連さんにはちょっとしたサービスがあるだけさ。お嬢さん、今日は何をお望みだい」


 魔女はお決まりの対応をする。

 この店にやってくる人間はみんな訳あり。何かを求めてやってくる。

 お嬢さんもその例に漏れないようだ。身なりは比較的質素なものの、品のある所作。そして泣き腫らしたのか、目は充血し、頬には涙の跡が痛々しくある。

 魔女が願いを問うと、お嬢さんはしばし躊躇っていたものの、意を決してこう言った。


「記憶を消す魔法薬が欲しいの」

「おやおや、最近似たような願いを叶えたねえ。流行りなのかね」

「品切れですの?」

「なに、滅多に出ない願いだから、連続するのは珍しいのさ」


 魔女は手を振って否定する。そして枯れ木のような指をきっちり三本立てた。


「魔法薬は高いよ。安くても金貨三十枚。無ければ別のものをいただく」

「これで足りるかしら」

「十分だ」


 家事を知らない華奢な手が大ぶりの宝石を取り出した。宝石はランプの光を受けて複雑な色を机に落とす。

 魔女はそれを見て頷き、お嬢さんの要望を聞き取っていく。


「薬はお嬢さん自身に使うのかい? それとも別の誰かかい?」

「私の記憶を消したいの」

「消すのは全部かい? それとも一部分?」

「一部分よ」

「それなら記憶を抜く方法はどうだね。値段は変わらないが」

「魔法薬となにが違うの?」

「薬で消してしまった記憶はもう二度と戻らないが、抜く場合は『忘れずの水晶に』記憶を移すことになるから、必要になったらまた取り戻すことができる。欠けていると自覚できれば、だけれどね。そして逆に、忘れわすれたことがあったときも追加で忘れることができるよ」


 要求によって必要な素材が異なることもあれば、全く別のアプローチの方が適切な場合もある。

 今回の場合は別のアプローチの方が適切であろう、と魔女は笑いながら説明を付け加えた。


「お嬢さんは消したい記憶を覚えていたいようだから」

「……魔女様はなんでもお見通しなのね」

「伊達に長く生きてはいないよ」


 お嬢さんはギュッとローブの裾を掴んで、魔女を弱々しく睨んだ。

 使い魔の猫の方がよほど眼力がある。魔女はヒッヒッヒ、とひとしきり笑って、「どうするね?」と尋ねた。


「……。抜くことにするわ」

「はいよ。ではこの水晶に触って、忘れたい記憶を思い出しておくれ」


 項垂れるお嬢さんの前に、ガラスの水晶を差し出す。拳大より少々大きいそれは空気に溶けそうなほど透明だった。

 お嬢さんはごくりと唾を飲み込むと、そっと白い手を置き、目を瞑った。

 ガラスの水晶の中に記憶が充満していく。お嬢さんが記憶を取捨選択している様子を、魔女はつぶさに観察する。水晶の中で、覚えのある男の姿が像を結んだ。

 お忍びで街に下りたときに身分違いの男に一目惚れしたこと。質素なドレスに身をやつし、男を探したこと。お互いに一目惚れしていたことに笑いあったこと。次に会う約束をしたこと。下町の祭りで髪飾りを買ってもらったこと、手を繋いで踊ったこと。料理を分けあって食べたこと。家の都合で見ず知らずの男との縁談をまとめられていたこと。わかっていたことなのに、辛くて仕方がなかったこと。男の求婚を断れずに、されど頷けずに泣きながら逃げてしまったこと。それでもなお、男との思い出が胸に根を張っていること。

 お嬢さんの恋人にまつわる記憶が、水晶を鮮やかに色づけていく。見事なアメジスト色に染まりきると、お嬢さんがぱちぱちと目を瞬いた。


「あら? 私ったらなんでこんなところにいるのかしら」


 やってきたときとは打って変わって、さっぱりとした顔をしている。


「お嬢さんは徹底的に忘れたようだね。アンタは記憶を預けにきたのさ。抜いた記憶はこちらで管理するよ。必要になったらまたおいで。出口はあっちだよ」


 お嬢さんは要領を得ない様子で辞去の挨拶を述べ、魔女の指差した扉から出ていく。

 一歩踏み出せば、自身の邸の前に出ることだろう。


「さてさて、次にやってくるときは二人揃ってかねえ。それとも二度と来ないかしら……」


 魔女はお嬢さんの記憶の入った水晶を棚に収めた。その横には、よく似た色の水晶がもう一つ並んでいた。


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そして二度目の一目惚れ。 不屈の匙 @fukutu_saji

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