第40話
串カツ屋を出て、市内を歩いていると、夜空に浮かぶ大観覧車が見えた。ゆっくりと回るゴンドラは、色鮮やかなイルミネーションで飾られ、とても綺麗で思わず見とれてしまう。
亮介の隣にいる彼女も、静かに観覧車を見上げていた。
「乗ってみるか」
観覧車を指差して、美緒を誘ってみる。
二人きりで話すには、丁度いい空間だと思ったのだ。
「良いですね。私も乗りたいです」
彼女の承諾を得て、観覧車のゴンドラに乗り込んだ。二人は向かい合うように座ると、ゆっくりと動き出した観覧車の窓から街を見下ろしていく。
頂点に差し掛かろうとした所で、美緒はポシェットから、四つ折りにされた紙を取り出し、無言のまま亮介に手渡した。
「……これは、どういうことだ」
受け取った紙を広げると、亮介は驚きを隠せずに、彼女の顔を一瞥する。
中身は離婚届だった。彼女の名前と捺印が、すでに記され、後は夫側の欄だけが、空白のままにされていた。
「もう、終わりにしようと思います」
亮介の戸惑いを遮るように、美緒は口を開き静かに告げる。
「は?」
今まで散々、離婚するのを渋っておいて、一体どういう風の吹き回しなのか。
また、何かを企んでいるのか。
そう思い、美緒を訝しげに見る。
だが、彼女の表情は暗く影を落としたままだった。
「やっぱり駄目だって、分かったから」
「何が」
「……私が、嘘をつくのが耐えられなくなったんです」
「嘘?」
彼女の嘘と言っても、思い当たるのは偽りの妊娠報告のことしか記憶にない。そのせいで、俺は結婚を余儀なくされた。
もしかして、俺が知らないだけで、美緒は他にも嘘をついていたのか。
「私は利用したんです。亮介さんを」
「どういうことだ」
「亮介さんと結婚をする前に私は、お父様に見合いを持ち掛けられていました」
話を区切るように観覧車が一周し終わり、係員に従って、二人はゴンドラから降りると、辺りのイルミネーションを眺めながら歩く。
再び彼女は口を開き、ぽつりと語り出した。
「お父様はこう言いました。お前も二十代後半だ。だから、そろそろ身を固めるべきだ、と」
美緒の父親は、いつも、そうだった。彼女の気持ちなんて、一つも考えてはいない。
自分の娘が子供を産んで孫に会社を継がせる。それが岡田社長の考えであり、夢でもあった。そして、それを叶えられるのは娘の美緒しかいない、と。
美緒が産まれて間もない頃に、彼女の両親は離婚した。岡田社長が美緒を引き取り、男手一人で娘を育て上げた。だから、彼女は、その恩を父親に返さなければいけない。
そう刷り込まれて、今まで生きてきた。
就職も彼女が困ることのないようにと、最もらしい理由付けしながら、自分の会社に就職させた。全ては娘を自分の目の届く範囲に置くために。
端から見れば順風満帆のように思えた。けれど、美緒の心情は違っていた。
「お父様が敷いたレールの上でしか、私は生きられなかった。受付嬢になったのも、お父様が決めたこと。夢を持つことなんて、許されなかった」
抗うことも出来ず、人形のように父親に従い続けた人生。それでも美緒には一つだけ、どうしても譲れない出来事がことがあり、それは、結婚相手を勝手に決められたことだった。
私はまだ、結婚なんてしたくない。
それに、お父様の決めた相手なら、簡単に離婚も出来なくなる。
死ぬまで、お父様に縛り付けられるのは、もう嫌だった。
だから──。
「営業課で一番成績が良かった亮介さんに迫ったんです」
美緒の父親は、『仕事は自分の足で取ってこい』という、昔堅気な思想を抱いていた。
その信念があったからこそ、今の会社がある。何があっても自分だけは裏切らない。
父親の絶対的な自信が、彼女の心を窮地に追い詰めてしまったのだ。
自分が言うことは全て正しいのだと。
父親を納得させるには、相応の実力がなければ、誰を連れて来ても、きっと一蹴されて終わってしまう。
そして、美緒が目をつけたのは、営業課の亮介だった。
この岡田コーポレーションの営業課で、一番の営業成績を修めている彼。
この人なら、お父様も納得してくれるはず。許してくれるはず。
そう思い込み、美緒は行動に移した。
自分の見合いを破談させる為には、もう、なりふりなんか構ってはいられなかった。
夏の終わりと貴方に告げる、さよなら S【雑賀 禅】 @zen_s
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