吐しゃ噴く

ウワノソラ。

蛮勇

 部屋のドアがノックされた。亜子は取りあえず返事をしたが、それきりだった。病室の白いドアを眺めながら何だったんだろうと思っていると、えずくような呻きが聞こえだす。続いて、どばどばと廊下に液体がぶちまけられる音が響いた。

 亜子は慌てて、車イスに移乗して廊下へ向かった。ドアを開けるとおじいちゃんが、吐しゃ物にまみれて倒れていた。


「誰か……誰かいませんか! 誰か来てください!」亜子は声を張り上げる。

 遠くのほうで、急ぎ足で近づいてくる足音が聞こえていた。


 日が暮れようとする頃、また部屋のドアがノックされた。亜子はびくっと肩を揺らす。一呼吸おいて返事をしようとしたところで、ドアが勢いよく開け放たれた。


「お疲れさまーっ。暇してたでしょ」


 ずかずかと病室に入ってきたのは、同じ高校に通う麻友だった。ショルダーバッグを床に放り投げ、麻友はベッド縁に勢いよく腰を沈めた。


「そりゃ暇してるけど、今日はびっくりすることがあってさ……」


 亜子はおじいちゃんが廊下でゲロをぶちまけていたことを話した。


「どおりで、顔色悪いと思ったわけだよ。結構なトラウマ案件だったわけね」


 ケタケタと笑い飛ばしてから麻友は、これでも食べて元気出そうよ、と脇に置いていた紙袋を取りあげて揺らした。


「シュークリーム半分こしようよ。ここの、超大きいんだよ」

「マジで! 超太っ腹じゃん」

「ははっ。亜子様のためならなんてこたぁないって」


 麻友は紙袋から取り出したシュークリームを半分に割って手渡す。


「半分でもおっきいね、美味しそう。ありがとうね」

「ふふっ。じゃあ、食べよ。食べよー」


 シュークリームにかぶり付きながら、二人はたわいもない話に花を咲かせた。


 途中ふいに、麻友が体を強張らせた。見開いた目は、床を凝視する。

 突如、麻友が両手で口元をふさいだ。食べかけのシュークリームが転がり落ちていく。低い呻きが漏れるとともに、両手の隙間からぐちゃぐちゃの液体が飛び出して、床に広がっていった。

 亜子は震えながらも、ナースコールを引き寄せて押した。


 ――今日は何て日なんだろう。


 部屋を訪れる人が、立て続けに嘔吐するなんて。変なウイルスでも流行ってんのかな。そう思うと亜子は怖くなった。


 翌々日、亜子はおじいちゃんが倒れたときに対応してくれた看護師を見かけたので、おじいちゃんの体調はどうなのか訊いてみた。聞くと、その日はぐったりしていたものの、もう大丈夫らしい。


「食中毒とか流行ってるんですかね? わたしの友人も同じ日に吐いてたので」

「あのおじいちゃん、注意して見とかないと食べ物じゃない物でも口入れちゃうから……。いったい何食べちゃったんだか」


 看護師は呆れたような、困ったような顔をしていた。

 その夕暮れ、麻友がいつもと変わらない調子で病室に現れた。


「この前はほんっと、ごめんね。まさか亜子の前であんなゲロまみれになるなんて」

 麻友は申し訳なさそうにうなだれた。

「ちなみにおじいちゃんは、よくわからんもん食べたからああなったみたいだよ。麻友もよくわからんもんでも食べたんじゃない?」


 半分冗談で亜子は訊いた。


「あははっ、まさか」


 乾いた声で笑う顔が一瞬引きつる。


「もしかして、ほんとに変なもんでも食べた?」


 きょとんとした麻友が、どうしたんよと聞き返した。


「笑い方変だったし、顔に出てるよ」

「亜子って鋭いんだねぇ」


 肩をすくめた麻友が苦笑する。


「あの日、お腹が空き過ぎてここ来る前にクッキー爆食いしてたんだけどね。ころっと床に落ちたのが勿体なくて、つい三秒ルールで口に入れちゃったんだよね」

「バカじゃん」

「だから言いたくなかったのに……」

「もう拾い食いなんかしちゃ駄目だよ」

「はいはい。もう、こりごりでーす」


 目の前にはあまり反省してなさそうな緩み切った顔があった。しょうがない奴だなぁと思いながら、亜子は困ったように笑った。

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吐しゃ噴く ウワノソラ。 @uwa_

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