王女様は勇者の帰還をお待ちのようです

アホウドリ

第1話

「エリス様!」


 耳をつんざくような扉を開く大きな音、そして私の名を呼ぶ大きな声が部屋中に響き渡り、私は「うるさないなぁ」と寝ぼけながら言いました。

 まだお昼寝の時間なのに、こんなタイミングで騒ぐ人間がこの世にいるなんて信じられないです。一体誰の使いの者なのでしょう。


「なんです、アリアさん」


 私は寝ぼけまなこを擦りながら、侍女に向けて言いました。


「エリス様! 大変なんです!」


 アリアさんはそう言って、私が気持ちよく羽毛の感触を楽しむベッドへずかずかと近寄ってきました。


「アリア、いつも言っているでしょ? 部屋に入るときは、必ずノックくらいしなさいと」


「あれ、そうでしたか? 初耳なような。まあ良いじゃないですか。そんなことは些末なことです。それよりも、大変です。大変なんです!」


 なんたる無礼な物言いなんでしょうか、と彼女を叱って上げるのが主の務めなのかもしれませんが、私とアリアさんの仲もあるでしょう。

 彼女はそういう人なのだと承知しています。長年培ってきた信頼というものが侍女を甘やかせ、主は甘くなるものなのです。機は熟すものなのです。

 時間の流れは二人の絆をより深くしてゆき、切っても切り離せない赤い糸で繋がらせるのです。

 まあ、私には知ったことではありませんが。


「まったく、やれやれですね」


 私はため息を吐きながらも、口角を上げて言いました。


「エリス様、遂に来ましたよ!」


「なんですって?」


 なんと。まさか、あのお方が来たというのですか。私が待ち焦がれていた、伝説の勇者様が。


 およそ二週間前、数世代にも渡って争われていた魔王との戦いに終止符が打たれ、見事勇者様が魔王を討ち取ったとの吉報が王国へと届きました。

 それを聞いた国王である父は、「ええい! 勇者の勝利を国をあげて称え、凱旋パレードを行うのじゃあああい」などと城中に響き渡る声で、耳が痛くなるほどに騒ぎ出しました。

 しかし、一週間ほどが経っても一向に勇者様は帰ってきませんでした。


 それもそのはず、なんと彼らは国に帰る途中、長い長い寄り道をしていたようなのです。

 最近では電話という機械が庶民にも使えるようになったので、恐らく庶民であろう勇者様でも連絡を寄越すことはできたはず。

 ですが、凱旋パレードを行うというのはあくまでサプライズの予定。それを知らない勇者様からは何の音沙汰もなくても仕方ありません。

 勝手に物事を進めていた父が悪いのです。


 でも、私も父と同じようなものでした。何を隠そう、私は勇者様の帰りを誰よりも心待ちにしていたのです!


 そして、三日前のお昼ごろ。田舎町から飛んできた伝書鳩によって、「明々後日、帰還す」との連絡が届きました。

 父もこれでようやく落ち着きを取り戻し、かくいう私は遂に勇者様と会えると興奮を隠しきれませんでした。

 思えば長かったこの二週間。父やアリアと親交を深め、家族の愛を確かめ合いながらきゃっきゃうふふと仲睦まじく過ごしました。

 そして、あまりの興奮のため、薄暗い自室で「やっとだ!」と小さくガッツポーズを決めていたのですが、どこからともなく現れたアリアにその姿を見られてしまいました。


「どうしたのですか?」


 盗み聞きのようなことしたのに悪びれもせず訊いてくるアリアには、隠すことができませんでした。

 正直に「勇者様の帰りを待ちわびていたの」と話すと、彼女は満面の笑みを浮かべました。これは良くない笑みだと思いました。

 彼女はきっと、邪なことを考えているに違いない。そうに決まっている。


「へーほーふーん」


 という鳴き声を発したアリアは、何も言わずに立ち上がり、私に黙って部屋を出ていきました。そして、今に至るのです。


 とはいえ、頼んでないのに私に勇者様の帰還を知らせるため、いちいち癇に触れるような目覚まし時計を設定した覚えはありません。でも、このときばかりは仕方ないでしょう。

 なんせ、勇者様のお帰りですから!


「ずいぶんと遅いお帰りですことで」


「あ、勇者さんのことだってわかりましたか? 本当にそうですよねーお土産くらい買ってきてくれてますかね? あの勇者さん。手ぶらで帰ってきたら承知しないつもりですよ」


「それは聞かなかったことにしておきますけど、ところで勇者様はいつ頃大通りを通られるの?」


「あ、それがもうすぐ来るらしいんですよ」


 アリアはそう言って、ベランダの方に指をさしました。私自身まったく外に注意を払っていなかったのですが、どうやら既に凱旋パレードが始まっていたようです。

 そんなタイミングで昼寝をしていたなんて、なんたる不意打ちか。私は急いで窓辺へと近づいて、扉を開きました。

 すると、溢れんばかりの観衆の声援が、押し寄せるように聞こえてきました。


「わー! 勇者様ー」「勇者様バンザーイ」「ブラボー勇者!」「ナイスだ勇者」「うおー勇者」


 といった声が四方八方から鳴り響いています。これは凄い人の数です。今までこれほどの人間を見たのは初めてかもしれません。それくらい多くの人、人、人でした。


 中央には馬に騎乗する勇者様がいて、後ろに仲間を連れて歩いていました。とても勇ましい姿をしていて、晴れやかな表情をしながら周りに手を振っています。

 私も試しに手を振ってみると、それに気付いた勇者様は、とても良い顔をしながら振り返してくれました。


「どうですか、エリス様。手土産持ってますか?」


 アリアは私の横に立ち、手を双眼鏡の形にして勇者様を眺めました。「ちぇ、持ってないか」とぼそっと呟きましたが、私はそれを無視して手を振り続けました。


 勇者様が過ぎ去ってから一時間ほどが経ち、父から電話が入りました。


「これから勲章の授与式をやるつもりだ。お前も来なさい」


 そうして、私はアリアを引き連れて、玉座の間へと向かいました。


「勇者くん、ここまで来ておいて君の名前は存じ上げないのだが、勇者くん。君のお陰でこの国は救われた。

 百年もの間、数世代を掛けての長い激闘を続け、君の父や祖父といった歴戦の猛者たちが次々と倒されていく中、君だけは最後の最後までその足で立ち続け、その腕で剣を振り続けた。

 相手は魔法を使ってきただろう。しかし、君はその身を使って、全力で相手にぶつかって戦った。

 そして、見事勝利を掴み取った。これは非常に素晴らしいことであり、名誉あることだ。それを称えるため、これを授けよう。受け取ってくれ」


 父はそう言って、勇者様に勲章を渡しました。それは今までに見たこともないほどの金色に輝いたメダルでした。

 恐らく、いずれ来るであろうこの日のために作られた、世界に一つだけの黄金なのでしょう。勇者様は片膝を付いて、「ありがとうございます」と言ってそれを受け取りました。


「ぜひとも、魔王との戦いについて教えてくれないか」


 父はそう言って、勇者様の顔を上げさせました。


「は。しかし、魔王は到底私の口からは語れないような意地汚い戦い方をしてきたため、ご容赦いただきたく存じます」


「何、どうしたんだ。抽象的にでも話してくれ」


「は。私は魔王の戦闘方法を見極めようと思い様子を窺っていたのですが、彼奴は突然体を歪め始め、筆舌に尽くしがたい異形へと姿を変身していきました。

 なんだ、何か攻撃してくるのかと思い防御の態勢を取っていると、あまりにも恐ろしいことに私の亡き母へと姿かたちを変えたのです」


「なんだと!」


「そして、彼奴はまるで私の母の生き写しかのように表情から話し方の細部に至るまで、忠実に再現し始めて私を惑わせました。そこから先はもう、くっ、辛くて話せません!」


 勇者様は口を噛みしめながらそう言って、項垂れました。父は勇者様の壮絶な体験を感じ取り、何も言うことができなかったようです。「ありがとう」それだけを言って、彼を下がらせました。


 ふと隣が気になりアリアの方に顔を向けると、彼女の頬には一筋の涙が垂れていました。私の目線に気付いた彼女は今の感情を言葉に表すこともなく、黙って頷きました。

 私はポケットからハンカチを取り出し、彼女の頬を撫でてあげました。


 それから数時間が経ち、私は窓辺に寄って夜空を見上げていました。隣ではまたアリアを立たせ、今日のことについて話していました。


「勇者様は魔王のとてもとても醜い戦い方にも屈せず、諦めず、お母さんに似た姿を自分の剣で斬ったんですね。なんて可哀そうに。許せないです。本当に死んでくれて良かった」


 アリアは月を眺めながら一息にそう言いました。私はそれにあいまいな返事をして、アリアの手にそっと手を添えました。


 勇者様は大変心苦しい思いをしたのでしょう。自分の知った姿に変わるだけでも恐ろしいのに、それが母親の姿ならその何倍もの苦痛となることがわかります。ですが……


 私たちはそれから長い時間夜風を浴び続け、一日が終わろうとしている頃になるとアリアが「私室に帰る」と言い出したため、ようやく一人になりました。


 それからしばらくベランダに立って夜風を浴びていると、ふと大通りに見知った顔が見えました。なんと、勇者様でした。どうやら剣を身につけておらず、また私服のため手ぶらなようです。

 私はそのとき、まさに好機だ! と思いました。これは、チャンスなのではないでしょうか! 絶好の機会、これを逃したら次はない。そう思い、一つの決心に至りました。


 一度部屋の中に入ると前もって準備していたハンカチ等々の道具を手に取り、急いでベランダに出ました。左手に持ったハンカチは、アリアの涙を拭いた物でしたが致し方ありません。


 私は自分でもかなりわざとらしいと思いますがベランダからハンカチを勇者様の方へと放り投げ、「あ! 私のハンカチ待って!」と彼に聞こえるように叫びました。

 そして、ハンカチを追いかけるようにしてベランダの手すりを飛び越え、階数にすると二階から飛び降りました。これぞ二階からハンカチ! などと空中で考えながらも数瞬の間に下を見て、勇者様が腕を天に伸ばしているのが見えました。


 よし、彼は私を受け止めてくれる。


 ドスンと大きな音が鳴り、私の自由落下を受け止めた勇者様はその衝撃に耐えきれず、後ろに向けてゆっくりと倒れました。

 そうです、彼の力は並大抵の者ではないので、ゆっくり程度の衝撃しか感じていませんでした。しかし、どうやら流石に痛みは感じているようで、「いたた」と顔をしかめていました。


「大丈夫ですか?」


「ええ、大丈夫ですよ。勇者様」


 彼は私のことをお姫様抱っこの形で受け止めていたので、顔がかなり近い距離まで近付いていたのを遅れて気付き、慌てて目を反らしました。

「ご、ごめんなさい」彼は恥ずかしさのあまり声を上ずらせました。私はそれに反応せず、彼を立たせる風で腕を伸ばしました。


 彼は私の手を取って立ち上がろうとしたので、彼の耳元に近づきながらもポケットから折り畳みナイフを瞬時に取り出して、ナイフを広げて彼の心臓に向けて一刺し、二刺し、躊躇せずもう一回刺し、飽き足らずに何度も何度も突き刺しました。

 正確に心臓を貫けたかはわかりませんが、どろどろとした血液が溢れ出てくるのを見て、もう長くはもたないと思いました。そろそろ勇者様も虫の息になってきたころ、彼の耳に口を寄せてこう言いました。


「姿かたちを変えられるのは、お父様だけじゃないんです」

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