有馬くんは名探偵なのに私の気持ちには気づいてくれない

そらどり

気づいてくれない有馬くん

「白状しなさいよ! どうせ男テニの奴が盗んだんでしょ!?」

「はぁ!? 勝手に俺達の備品奪っといて何で女テニ側が被害者面してんだよ!?」


 部室棟に響き渡る罵声。男子テニス部と女子テニス部との間には見るからに軋轢が生じていた。


 その争いの中心にあったのは“靴”。

 最近、女子テニス部の部室からテニスシューズが消失するという事件が数件あったのだが、本日そのテニスシューズの一足が男子テニス部の部室で発見されたという。

 この時点で鑑みれば犯人は一目瞭然だが、どうやら男子テニス部サイドでもテニスシューズが消失するという事例が見受けられたというのだ。


「女子の靴盗んで何が楽しいのよ!? 次の大会こそ絶対勝ちたいのに、こっちは変態に構ってる余裕なんてないの!」

「何が余裕ないだよ? どうせ俺達が県大会予選で勝ったのが気に食わなくて邪魔してんだろ?」

「はぁ!? 勝ったからって調子乗らないでよ!」

「そっちこそ、変態とか言いやがって!」


 次第にいざこざはヒートアップ。両者互いに譲らずといった様子で、この議論は平行線をたどりそうだと周囲の誰もが思った。

 このまま軋轢が増す一方かと思うところ、しかしある男が「あの~」と言って水を刺すと、睨み合っていた視線がその男へと集中する。


「あ? 部外者は黙ってろよ」

「そうよ、外野は引っ込んでて」

「まあまあ、お二人とも落ち着いて」


 威圧的な態度に臆さず、それでも男がひとり前に出て行く。

 自信に満ち溢れた表情で不敵な笑みを浮かべると、彼はひとつ提言した。


「もしかすれば、お二人の主張は双方ともに正しいかもしれませんよ?」


 その発言を受け、テニス部の二人は目をパチクリさせる。そのうちの男子が「どういうことだよ?」と疑問を投げかけると、待ってましたとばかりに彼はニヤリと笑う。


「まずは共通点です。今回互いに消失したものは“靴”、これは間違いありませんね?」

「え、ええ、そうだけど」

「次は時期です。学年も上がり春本番ということで、部室の窓を開ける機会は増えたと思われます」

「まあ、部室内は混み合うし、暑さ対策で開けるが……」

「最後は立地です。この部室棟の裏には小さな山が存在します。となれば“こいつ”の存在をご存じでしょうか?」


 そう言って彼は、隣にいる助手から一枚のポスターを受け取り、それを差し出す。そこには―――


「……キツネ?」

「はい、キツネです」


 ポスターにはキツネの写真と“出没注意!”という見出し、そして下段に書かれている文字を読むと、


「『人間の履いた靴はキツネが好むエサの匂いに酷似しているため、目を離す際は盗まれないよう注意してください』……と書かれていますね」

「マジか……じゃあ犯人はこいつってことか?」

「え、でも私、キツネなんて部室棟で一度も見たことないわよ……?」

「なら確認してみましょうか。こちらに付いて来てください」


 彼の言葉に疑い半分な様子で頷くと、何も言わずに二人は後ろを付いていく。部室棟の裏にある山の入り口に着くと、彼は二人に見えるように指を差す。

 その先には獣道。茂みに足を踏み入れないよう注意して進んでいくと―――


「よし、ビンゴだ」


 道端には無造作に捨てられたテニスシューズ。そしてその奥には、巣穴と思しき数十センチほどの大きさの穴を見つけたのだった。







「―――てことで事件は一件落着、男女テニス部も仲直りという訳さ」


 事件解決後、二人で部室に戻るや否や始まったのは、自信満々に成果を披露する彼の自慢話だった。


「お疲れ様。流石は名探偵さんね」

「ふっ、この程度で褒めるなよ。俺にとっては造作もないことだ……」


 私が褒めてあげると、彼は満更でもなさそうに調子良くしている。隣からでもニマニマしているのが垣間見えた。


「でもまさか本当にキツネが犯人だったなんて、今でもちょっと驚き」

「最後まで確信はなかったけどな。けど他に可能性はなかったから上手く事が運んで良かったよ」

「助手に感謝ね。校内掲示板のポスター拝借したの、私なんだから」

「あれは良い機転だったよな~。流石は俺の助手」


 彼から素直に褒められる。まあ、仕方なく頂戴しよう。


「何だよニマニマして。変な奴だな」

「……気のせいじゃない?」


 そう告げると、彼は訝しげに首をかしげる。「気のせいか?」とイマイチ納得していない様子だ。

 なので私は、手に持つ赤いボールペンの先で二回、ノートを軽く叩きながらこう警告する。


「雑談してる暇あるの? 補習の課題がまだ終わってないんでしょ?」

「うぐっ……」


 意外なことに彼は全く勉強が出来ない。曰く「勉強なんてしたら余計な知識が増えちゃうだろ?」とのことだが、地頭の良さでカバー出来ない程の勉強音痴だった。


「ちょっと休憩するのは……駄目?」

「駄目。折角私が教えてあげてるんだから真剣にやりなさい」

「……はい」


 観念したのか再びテーブルに向かう彼。ソファに浅く座り、前傾姿勢になって課題を再開する。この部を創立させて数か月、今では当たり前になりつつある光景だ。


 ―――探偵部。それは、部長である彼、有馬真ありままことと副部長の私、天童鞠てんどうまりで構成されるボランティア団体のことを指す。

 校内で発生した生徒間の争いの火消しや落とし物の捜索等を活動内容とし、それに伴う教職員の負担削減を目的とした部である。

 そのため別名は“雑用同好会”。蔑称だ。


 では何故こんなメリットのない活動をしているのかというと、それは有馬くんの成績に発端する。

 御覧の通り、彼は進級が危ぶい。全教科で赤点を取るのだからそれも仕方なしと思うが、どうやら彼はまだ諦めていないようで。教職員補佐という名の雑用係を受け持つ対価として、進級への救済措置を校長と結んだらしい。

 とはいっても補習課題の提出が前提にあるため、生徒からの依頼がない時間帯はいつもこうして勉強に明け暮れているという訳だ。


「ほら、また間違えてる。不定詞と前置詞がごっちゃになってるわよ」

「フテイ氏? ゼンチ氏? ……だ、誰?」

「人の名前じゃないわよ。それくらいなら小学生でも気づくのに」

「天童さん辛辣……」


 そりゃ呆れたくもなるわよ。だって学力が壊滅的なんだもの。

 だというのに彼の地頭の良さは本物で、ヒラメキと観察眼を駆使した推理力で幾度となく依頼を解決していった結果、今では名探偵ともてはやされているらしい。

 天は二物を与えずとはよく言ったものだ。


 はぁ、全く……とんだ名探偵さんね。


「……天童、ちょっと質問いい?」

「ん? 次はどこが分からないの?」

「あ、いや、勉強には関係ないんだけどさ」

「?」


 何だろうか、有馬くんがこちらをチラチラと見てくる。いや正確にはその手前、私と自分との間に視線を行ったり来たりさせていた。


「……なあ、やっぱり近過ぎない?」


 そして彼は若干の躊躇いを含みながらそう言った。三人用のソファなのに肩と肩が触れ合う距離感……確かに彼の言うことは正しい。

 事実、私の左には一人分のスペースが空いている。彼以外でなくとも、傍から見れば誰もが不自然だと思うだろう。


 でもこの時、私が心の内で呟いた言葉もきっと不自然な台詞かもしれない。


(……気づくのが遅いわよ)


 皆からよく質問される、どうして一緒になって探偵部を立ち上げたのかと。

 学年一位の秀才で教職員からの評価も高い。なのに率先して雑用を行うなんてデメリットしかないと。

 彼も皆と同じ意見。「十分過ぎるくらい優等生なんだし、これ以上評価上げなくてもいいんじゃねえの?」と言われたのを覚えている。


 ほんとにデリカシーのない男だ。私が理由もなく所属している訳ないのに。


「ねえ、どうしてか気になる?」

「そりゃ気になるだろ」

「ふーん、そっか」 


 含みを持たせた声で相槌すると、有馬くんは眉をひそめる。早く答えを教えてほしくてウズウズしているようにすら見えた。

 だけど私は明かさない。意地悪そうにちょっとだけ首を傾けながら、こう投げかける。


「―――なら、お得意の推理で当てて見なさいよ」

「……え?」


 すると彼は目をパチクリさせる。面食らった顔とはまさにこのことだ。


「いや、勿体ぶらずに教えろって……」

「あれ? 有馬くん逃げるんだ? 答えが分からないからって逃げるんだ? え、ダサくない?」

「……は? 別に余裕だが? なんなら一秒で分かるが? あ、あまり俺を下に見るなよ……?」

「ふ~ん? なら当てて見てよ。名探偵の名は伊達ではないでしょう?」


 「上等じゃあッ!!」と有馬くんは叫ぶ。私の挑発に見事に煽られた形だ。

 血眼になって推理を始めると、先程までの怠惰な様相は一変。真っ白だったノートにはいつの間にかびっしりと黒文字が敷き詰められていた。

 それから数分後、ペンを走らせていた彼の手が急に止まり、


「……成程な」


 ようやく答えが出たらしい。ペンを置くと、彼は身体をこちらへと向けてきた。


「天童、お前本気で俺のことを……」

「……っ!」


 その一言で分かった。ついにのだと。

 

「……遅い。もっと早く気づいてよ」

「ごめん」

「うん、でも許してあげる」

 

 ドキドキが止まらない。次の言葉はきっと私の望んでいた言葉、そう思うと次第に緊張してしまう。

 けど決して目を逸らさない。数か月間、ずっとこの時を待っていたのだから。


「答え、教えてよ。有馬くんの口から直接聞きたい」


 勇気を振り絞って告げると、彼は「分かった」と頷く。すると彼は自身の右手をこちらへと伸ばし、私の左肩へと乗せた。

 俺だけを見てほしい、まるでそんな意を示されたような気がして身体が熱くなってしまう。


「天童、俺―――!」


 そして、意を決した彼が告げようとする。自信に満ち溢れた表情で、私の目を見て答えようとしてくる。

 告白される、そう思った瞬間自ずと身構えた。


(あ、有馬くん―――!)


 この数か月間に渡る苦渋の日々が走馬灯のように浮かんでは消えていく。

 でもそれも今日で終わり。悶々とする日常にお別れをする日がついにやって来たのだ―――




「俺、頑張るよ! この補習地獄を乗り越えて、絶対進級してやるから!」

「…………は?」


 その瞬間、時間が止まった。


「いや~ビックリしたよ。まさかあの天童が前のめりになるくらい真剣に俺のことを心配してくれてたなんて」


 その間もひとり納得する様子の彼。腕を組んで何度も頷いていた。

 けどもう一方の私は困惑するばかりで、訳が分からぬまま、予想外の展開についていけなかった。


「どうだ天童、完璧な答えだったろ」

「え、ええ。でも一応どんな推理になったのか聞いても?」


 辛うじてそう問うと、彼は自信満々に答えた。


「他にも色々とあるが、一番の根拠は時期だ。補習課題の提出期限は三日後。なのに俺の進捗状況は……半分以下。一週間かけてようやく半分以下だ。これなら天童が熱心になるのも頷ける」

「…………」

「優等生のお前なら、こんな状況で焦らない訳ないよな?」


 不敵な笑みを溢して決め顔を送ってくる彼。完璧な推理だったと言わんばかりの表情で、こちらの反応を伺っていたのだった。


「……成程。流石は名探偵ね」

「だからそう褒めるなって。このくらい造作もねえんだからよ~」


 私の返事を受けて上機嫌になると、彼は再び机に向かって課題に取り組み始める。それ以後はこちらを見ることもなく、あたかもこの話題がもう終了したかのように印象づけてきた。


 だけど、一方の私は腸が煮えくり返る思いで―――


(こ、この野郎ッ……!! 何が名探偵よ! 全ッ然違うじゃない!)


 有馬真は名探偵、皆からすればそれに間違いはないのだろう。

 けど私にとっては違う。この数か月もの間に幾度となくアプローチしてきたのに、それに気づかない男。それこそが私の知る有馬真なのだ。

 かといって彼が鈍感男なのかといえばそうではなく、昨晩に前髪をちょっとだけ整えただけでも「あれ、髪切った?」と気づいたり、コンシーラーでクマを隠して登校しても「寝不足だからって化粧すんのは良くねーぞ?」とかでデリカシーのない発言をしてくる。

 

 なのにどうして私の想いには全く気づいてくれないのよ。一緒に探偵部を立ち上げたのも、今の今までずっと活動を続けているのも、全部有馬くんと一緒にいるために決まってるじゃない。

 

 ほんとにムカつく。いい加減私の“好き”に気づいてよ……


(……でも今日こそは気づいてもらう。そのための覚悟を決めて今日に望んでるんだから)


 そう、今日の私は今までとはひと味違う。彼が意識せざるを得ない状況を作り上げるため、私は勇気を振り絞ってわざとらしい声で言った。


「な、なんだか今日は暑いわね~」


 そう言いながら私は上着を脱ぎ、胸元に装飾したリボンを取り外す。次いで第一ボタンと第二ボタンを外し、ワザとらしくワイシャツをパタパタとさせて「の、喉が渇いちゃったな~」と呟いた。


(有馬くんの前でこんなはしたない恰好っ……! は、恥ずかし過ぎるっ……!)


 思わず目を瞑ってしまいそうになる。でもなんとか耐えて、強張った表情で彼をチラッと覗く。

 これなら彼も意識せざるを得ない、そう期待していた、のだが、


「ベドウシ……って何だ?」

(か、完全スルー!?)


 依然として課題に励む彼。あられもない姿の私よりも、目の前のbe動詞に意識を向けていたのだった。


(be動詞に負けたの、私……?)


 確かに課題は大事だ。それは分かっている。だけどこれは……ちょっと堪える。

 いや別に見てもらいたかった訳じゃないし? 本当に暑かったから露出しただけだし? だから必要以上に気に病む必要はないし……別に怒ってなんかないし。

 ……はぁ、折角可愛いの選んできたのに、なんだか肩透かしな気分。


(気が抜けたら本当に喉が渇いてきちゃった)


 そう思い私はペットボトルに手を伸ばす。勉強に勤しむ彼の邪魔にならないよう、そっと手を伸ばしてテーブル上の二つあるうちの一つを―――


「あれ? 私のどっちだっけ?」

「ん? 俺のはこっちだから、そっちが天童のじゃないか?」


 そう言って彼は、自らのペットボトルを指差す。二つとも同じタイプのミネラルウォーター、そのうちの手前側のペットボトルが彼の購入したものらしい。


「流石は名探偵、記憶力も抜群ね」 


 そう褒めつつ奥側のペットボトルを手に取ろうとする。もし間違えでもしたら間接キスになってしまうので、彼が覚えていなかったら大変なことになっていた。

 そうだ、大変なことに……


「……!」


 私は直感する。この状況はチャンスなのではないかと。

 そう気づくや否や直前で動きを止め、代わりに彼の側に置かれているペットボトルを手に取る。

 

「おい、だからそれ俺のペットボトルだって―――」


 もう引き返せない。彼の静止を振り切り、私は意を決して間接キスを実行した。


(ああ、やっちゃったっ……)

 

 こんなの恥ずかしいなんてレベルじゃない。彼が飲んでいた飲料水にワザと手をつけるだなんて、公開処刑に等しい行為だ。

 でもこれも全ては彼に気づいてもらうため、そう言い聞かせて私は懸命に表情を取り繕った。

 さあ、私はこんな恥ずかしいことをしたのよ? ここまで踏み込めば流石の有馬くんでも意識せざるを得ないはず―――


「まあ、別にいいけど」

(別にいいの!?)


 間接キスしたにも関わらず、それが気にならないというの!?

 いや、でも間接キスを気にしない人だっているにはいる。もしや有馬くんも彼等と同種だということなのだろうか。


(い、いやまだ勝負は終わってないっ!)


 そうだ、今日は覚悟を決めてやってきたのだ。この程度で諦めていいはずがない。

 間接キスに意味がないというのなら、私が意味を持たせてやる―――


「……有馬くん、学年一位の秀才たるこの私が、何も考えずに間接キスすると思う?」

「え?」

「鈍いわね。あ、貴方を試してるのよ!」

「! そうだったのか!」


 最初は困惑していたものの、私の挑発を契機に目を輝かせる彼。私の虚言を疑いなく信じていた。

 とはいっても答えなんて明白。勇気を出して間接キスしてしまったのだから、最早完全に答えを言っているようなものだった。


「…………」

 

 彼が推理をしている間、待つ私はただ沈黙と羞恥に耐え忍ぶのみであった。

 激しさを増す鼓動に耐え忍ぶ余裕もないし、彼の一挙手一投足に身体が勝手に動いちゃうし、なにより心の準備が出来ていない。

 こみ上げる羞恥に耐えるように自然と手に力が入るがそれでも耐えきれず、今すぐにでもこの場から逃げ出してしまいたいとさえ願ってしまう。

 

「成程……そういうことか!」

「……!」


 もう耐えられない、そう思った時ようやく有馬くんが沈黙を破る。

 次いで彼は真面目な表情でこちらを向く。「天童、お前……!」と言いながら、驚きの声を出していた。


(ヤバいヤバいヤバいっ……!?!?)


 確信した。完全に気づかれてしまった。

 こんなに驚いた声を上げる彼を私は知らない。ってことはもう……


(っくぅ! だ、誰か助けてぇ……)


 絶対告白される! 「え、もしかして俺のこと好きなん!?」って言われてそのまま告白のムードになっちゃう!

 ……あれ、でもそしたらこの後放課後デートとかするのかな? 駅前に出来たばかりの喫茶店で一緒にお茶して楽しいひと時を過ごしたり? いや放課後だけじゃない。寝る前にちょっとだけ電話とかして、もうすぐ終わりにしようかというタイミングで「まだ寝たくない」とか囁いてそのまま翌朝まで?

 え、それって最高なのでは……って何想像してるのよ私!?


「天童、ニヤニヤしてるとこ悪いが、俺から一言言わせてほしい」

「ふぇ!? べ、別にニヤけてなんか……」

「大事な話だから、お前には真剣に聞いてほしいんだ」

「…………」


 思わず息を呑んでしまう。いつも高慢な態度を取ってくる彼が、今だけは真っ直ぐにこちらを見てくる。カッコいいと思って、堪らず視線を逸らしてしまった。

 それでも彼は言葉を贈ろうとする。真摯な瞳で、俯く私に告白しようとしてくる。


(お願い、好きって言ってよ……)


 私の望む結果にならないかもしれない。フラれてしまうかもしれない。

 けど好きだから、好きって想いには逆らえないから、今一度顔を上げて彼を見る。

 どんなことがあっても彼を受け入れるんだと、そう決意して―――



 

「俺を助けてくれたんだろ! ありがとう天童!」

「…………は?」

 

 前言撤回。何だとこの野郎。

 

「た、助け? ちょっとどういうこと有馬くん?」

「いいか? 飲みかけのペットボトル内には二酸化炭素が多く含まれる。そのため、時間が経てば経つほど内部の圧力が膨張し、最後はポンっと破裂するって訳だ」

「…………」

「それに気がつき未然に事故を防ぐとは……流石は俺の助手! 機転が利くな!」


 そう言い終えると、彼は自信満々に笑う。完璧な推理だと言わんばかりの笑みだった。

 でも、それが私の逆鱗に触れた。


(ば、馬っ鹿じゃないのこいつッ……!)


 ここまで罵倒したくなったのは人生で初なんじゃないかと思う。

 だってそうでしょう!? ゴールまであと数ミリの距離だというのに、何をどう考えたら逆走するに至るのよ!

 第一、購入して三十分も経ってない飲料水がどうして爆発するのよ! 貴方の頭の方が破裂してんじゃないの!?


(あ―――……何かドキドキして損した……)


 ここまで迫っても気づかないとは。

 はぁ、もう疲れた。これじゃ一生気づかれないわ。


 結局その後も依頼はなく、私たちはいつも通り課題に取り組んで放課後を終えたのであった。







「何なのよあいつはッ!」


 その日の夜。自室のベッドの上で包まりながら、今日の鬱憤を枕にぶつける女子がいた。まあ、私ですけど。


「こっちの気の知らずにヘラヘラして……ほんとムカつくッ!」


 苛立ちが募るのも無理はない。ここ数カ月で一番勇気を振り絞った結果がこのざまなのだから。

 今までも散々アプローチはしてきた。さり気なく手に触れたり、寝てるふりして身体を寄せたり、シャーペンの取り換えっこをしたり、他にも色々。

 その度に「何でだと思う?」と問いかけて、その度にドキドキしてを繰り返して……こっちの身にもなってほしいのに。


(……私って可愛くないのかな)


 容姿には自信がある方だと思っていた。道行く人からの視線をよく感じるし、実際に「あの子可愛い」と呟かれたことだってある。学校でもそう、突然呼び出されて告白を受けたことだってある。

 けど、彼には振り向いてもらえない。肝心な人には気づいてもらえない。


(私は有馬くんの良いところたくさん気づいてるのに……)


 ふと思い出すのはあの時。探偵部どころか彼との接点すらなかった頃、数か月前の出来事だ。

 路中で怪我をしているキツネを見つけ、どうしたらいいか分からずに周囲の大人に助けを求めたことがあった。

 けれでも往来する人たちは気づかないふり、誰もこちらに目もくれなかった。

 傍らでは今も苦しんでいる命がひとつ。なのに何も出来ない自分の無力さに打ちひしがれていた。

 でもそんな時だ、初めて有馬くんと出会ったのは。


 ―――どうした? 何かあったのか?


 下校途中だった彼は、うずくまるキツネと途方に暮れる私を見てすぐに状況を把握。急いで踵を返し、保健室から応急処置道具を借りて戻って来た。

 手際よく処置を施す彼。その様子を後ろから眺めるだけの私は、何も出来なかった自分を嫌悪するばかりで、情けなくて、あの時少しだけ泣いた気がする。

 だけど彼は優しくて、「傍らに居てくれるだけでも案外安心するんだよ」と肯定してくれた。


 嬉しかった。目の前の命を救ってくれて、助けを求める私に気づいてくれて、そして……一番欲しかった言葉をくれて。

 本当に、本当に嬉しかったんだよ、私。


 いっつも自信過剰な彼。ちょっと褒めただけで調子に乗る彼。だけど時折優しさを覗かせる彼。

 他にもたくさんある。勉強を教えたら必ず毎回感謝してくる彼も、時たま真剣な表情で推理をする彼も、それに……嬉しそうに笑う彼も。有馬くんは、たくさんの良いところを私に気づかせてくれる。


「だから、私にも気づいてよ。こっち向いてよ有馬くん……」


 枕に埋めていた顔を少し上げ、スマホのLINE画面に目を向ける。

 映るのは彼のアカウント。交換して以来業務連絡程度にしか使っていないので、殆ど真っ白なトーク画面だった。


「ムカつく」


 不機嫌な想いをぶつけるが依然として画面は変わらず。まるで今の私たちを映しているようで、それを自覚すると余計に虚しくなる。


(……もう寝よう)

 

 まぶたが重くなってきたので時刻を確認すると既に午後の十一時。少し早いが寝るには十分な時間だった。

 なので私は「気にするだけ無駄ね」と独り言ち、スマホを横に置いて就寝しよう―――と、そこでふと思いついてしまう。


(好きって送ったら有馬くん気づいてくれるかな……?)


 普段ならそんなことはしない。だって恥ずかしいし、それにもし今の関係が壊れたらと思うと怖くて竦んでしまうから。

 第一、私が有馬くんにどう思われてるのかすら分からないのに、そんな無謀な真似出来る訳がない。

 傷つきたくない。自分から告白してフラれたくない。だから私は回りくどいやり方でしか自分を明かせない。


 だけど半ばウトウトしていた私はそんな前提を忘れ、夢遊の如く指が動いていた。

 うたた寝しつつ、私の指は『好きです』と文字を打っていた。


「……よし」


 その台詞と共に送信ボタンを押す。さて、後は返事が来るのを待つだけだ。


 そう、返事を待つだけ―――


(…………あれ?)


 待って。この台詞って……告白なのでは?


「…………」


 ゆっくりと明瞭になる思考。

 ウトウトしていた私は次第に事の重大さに気がつき、


「あ、あああ……」




「あぁあああああああああああッ~~~~~~!?!?」


 ヤバいヤバいヤバい! これ完全に告白しちゃってる! 気づく気づかないの問題じゃなくてもう完全に言っちゃってるって!

 ベッドの上で慌てて跳ね上がり、急いでメッセージを削除しようとする。

 しかし、


「はぅわッ!?」


 残酷なことに“既読”という二文字が付いていた。

 何度も目を擦って確認しても結果は変わらず、ついに全てを理解した私はその場にへたりこんでしまった。

 そしてトドメを刺すかのように鳴り響く着信音。意気消沈していた私は、悟りを開いた表情で電話に出た。


「どうも有馬くん……」

『あのさ、“好きです”ってどういうことだよ? 急過ぎてビックリしたわ』

「で、ですよね……」


 やはり彼は驚きの声を上げる。時折環境音が聞こえてくるのでおそらく外にいるらしいが、この時の私は一切気にならなかった。

 何と返答されるか、それを思うだけで怖くて仕方なかった。


『……天童、これも推理してみろってことか?』

「え?」


 しかし返ってきたのは意外な台詞。てっきりフラれるかと思ってたのに。


『違うのか? てっきりいつも通り俺を試してるのかと』

「ああ、えっと……そ、そうなの!」

『だよなぁ。一瞬ビックリしたけど、あの天童なんだから有り得ないよな~』

「う、うん、そうよ」


 あまりにも私に都合の良い解釈。いや確かに、この数か月間ずっと同じやり取りをして来たのだから、今回だって同様に考えるのも不自然ではなかった。


(なんだ、結局これでも気づかないんだ……)


 ホッと一息ついて安堵する。こんな結果になると分かっていたら慌てる必要もなかったのに。

 でもそっか。これでも気づかないのか。そっかそっか……




「……有馬くんごめん。やっぱ嘘」

『え?』


 ズキズキと痛む胸を抑えて、堪えて、それでも耐えきれずに、気づけば私はそう否定していた。


「ほんとだから、ちゃんと本心だから」

『え、と、どういう?』

「だから! ……ちゃんと好きってこと、です……」


 どうしようもないほどに恥ずかしくて、今すぐに通話を切ってしまいたくて、それでも踏みとどまって、私は震える声でそう告げた。


 それから先の記憶はあまり覚えていない。告げた後の出来事なんて私には関係ないと、そう思っていたから。

 いや違うかな。途方にも思える彼の無言が耐え難くて、必死に現実逃避していた結果かもしれない。

 何も聞こえない。時計の針の音も、うるさかった心臓の騒めきも、そして彼の吐息も、何もかも。

 そんな永遠にも思える時間を耐え忍んで、ようやく有馬くんがふと息を吐く。


『……ちょっと時間くれ』

「え?」

『五分、いや三分。そしたら玄関前で待っててくれ』

「どういう意味……って、あ! ちょっと―――」


 制止する暇もなく、彼との通話が途切れてしまった。

 思わず放心してしまうが数分後、取り敢えず部屋着から外出用の服装に着替え、彼の言う通り外に出ることに。

 すると、


「―――いた、天童!」


 外灯に中てられながらも向かってくる有馬くん。手を振りながら、こちらへと走ってくる。

 そして私の立つ場所へと着くと、膝に手をついて息を切らしていた。


「ね、ねえどうして私の家知ってるの? 今まで一度も教えたことないのに……」

「はぁ、そんなの簡単だろ……? お前の友達からのタレコミとか帰宅ルートのパターンから予測すれば自ずと答えは導き出せるからな」

「あ、有馬くん……」


 それ、ストーカーって言うのよ……

 でもそんなこと言える雰囲気ではないし、何よりも私のために時間を作ってくれた嬉しさの方が勝っていたので、そもそも指摘しようとすらしなかった。


(ちょっとヤバいかも。好きって言っちゃったせいで有馬くんが余計カッコよく見える……)


 切実にそう思う。だけど同時に膨れ上がるのは、彼に拒絶されたくないという気持ち。

 真摯な彼だからこそ、今後の部活動に関わるからこそ、敢えて私に会いに来てくれたのかもしれない。そう思うと怖くて顔が引き攣ってしまう。


「天童」

「……っ!」


 だから息を整え終えた彼に名前を呼ばれた時、私は思わず身構えてしまった。

 けど返答は意外な一言。


「推理してみないか?」

「……え?」


 予想外の台詞に呆気に取られる。


「だから推理だよ推理。俺が何て答えるか予想してみろってこと」


 それは分かってる。理解出来なかったから呆気に取られた訳ではない。

 ただ、その質問はまるで……


「決してお前の気持ちを弄んでるつもりはないよ」

「! じゃあ何で……!」

「けどさ、いつも俺が推理を披露してるんだ。なら今度は助手が披露してもいいんじゃないかなって」


 「この方が俺たちらしいだろ?」と続け、普段は見せない照れ隠しをする彼。対する私は思わず面食らってしまう。

 だってそうでしょ? 結局私の気持ちを弄んでいる事実には変わりないのに、全てに気づいているのに、どこまでも貴方は自分勝手で。

 

 ほんとにムカつく……




「……ここまで晒さないと気づかないなんて、やっぱり有馬くんは鈍感じゃないの?」


 だけど私の声は意に反して高らかで、まるでこの状況を楽しんでいるようで。

 私たちは探偵部。助手と名探偵。確かに、私たちにはこのやり方がお似合いなのかもしれない。


 有馬くんが私に何て答えるかって? そんなの、推理しなくても既に決まってる―――


「―――、でしょ?」


 自信満々に答える私。恥ずかしさを押し殺し、声を震わせて、それでも彼の目を見て、そうあってほしいという自らの願いを伝えた。


「……違うな」

「え? ち、違うの……?」

「ああ、全然違うね」

「全然!?」


 全然違ったらしい。迷いなく首を横に振る彼を見て、私は耐えられず赤面してしまう。

 けど、その間に彼は歩み寄って来て、そして、


「……っ!?」


 抱擁をされてしまう。でもそれだけに留まらず、


「めっちゃ好きだ。ずっと前から天童が滅茶苦茶好きだった」

「……っ!?!?」


 告白までされてしまう。もう頭の中がぐちゃぐちゃだ。

 

「で、でも今、全然違うって」

「違うさ、全然違う。そんな一言じゃ足りないんだよ」


 そう言うと彼は、赤面した顔で、意を決して言葉を続ける。


「何度勘違いしそうになったと思ってんだ! 好きなんて言葉じゃ足りないくらい滅茶苦茶好きなんだよっ!」

「あ、有馬くん……」


 "好き"という言葉が胸の奥に広がっていく。

 だってこんなのありえない。ずっと私のことが好きだったなんて、それはつまり両想いってことだから。

 わ、私と有馬くんが好き同士だなんて、そんなの嬉し過ぎて……


(……って、あれ?)


 勘違いしそうになったって、つまり最初から私の気持ちに気づいていたということなんじゃ―――


「……有馬くん、さっき勘違いがどうのこうのって言ってた気がするんだけど」

「ああ、えっと」


 気まずそうに彼は視線を逸らし、そして申し訳なさそうに告げた。


「ごめん、多分そうなんだろうなって思ってた」

「へ?」

「だからその、俺のこと好きなのかなってずっと思ってました……」

「…………」


 ゆっくりと彼の言葉を咀嚼する。理解出来るまで何度も繰り返して、ようやく気づいた瞬間、


「……き」

「き?」

「気づいてたなら早く言えぇえええッ――――――!!」


 人生で一番感情を爆発させた。


「なっ!? 何で俺のせいなんだよ!? 勘違いだったら恥ずいだろうが!?」

「いっつも自信満々なくせに何でそういうとこはシャイなのよ!?」

「はぁ!? お前の遠回し過ぎるやり方の方が悪いだろ!」

「あぁあああうるさいうるさいうるさああいッ!!」


 もう日付が変わろうかという時刻。その日、とある住宅街でカップルのいさかう声が響き渡ったのだった。

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