鳥女三十六景

川谷パルテノン

鳥女

 頭の中にはいつも鳥女がいた。それは時に羽の生えた女性であり、またある時は鳥頭の裸婦であった。私はそれをずっと絵にしてきた。今までに描いた鳥女は全部で三六羽。三六人と言うべきか。ともあれ奇妙な絵である。そのどれもが鳥であり、女でもありながらそのどちらでもないのだ。描き終えるまでは無心で筆を走らせ、描き終われば虚無的な脱力感に襲われる。私にとって鳥女の絵を描くことはセックスに似ていた。

 そのことを友人に話してみると「闇だね」とだけ。何が闇なのだ。さっぱりわからない。私は幼少期からただ頭の中にいた奇妙な生物を描いてきただけにすぎない。理由など自分でもわからないものを他人は闇と評するが、それがどう変なのかもわからない。他の人の頭の中にはどうやら鳥女がいないということを二〇年以上生きてきて近頃やっと気づいた次第である。

 私は家に帰って絵に問うた。あなたたちはどこからやって来たの。問いは部屋の空気になって答える言葉は無論なし。布団を被る。目を閉じる。眠りに落ちる境はいつも記憶が曖昧で気づくと朝がもっぱらながらたまに夢を見たりする。それも覚えていることのほうが少なく、覚えていても鳥女が出てきたことは一度もない。あんなにいつも頭の中にいるのに、深層心理に近しい夢なるものにはまるで投影されない鳥女。私は自分が他人と違うことを自覚しだした頃からこの鳥女が少し恐怖に感じられた。いつぞや闇と言われたそれは確かにそうなのかもしれないと。

 とはいえ彼女たちが大きな害を与えたことはない。ただ頭の中にいるだけで、私の生活が破綻するほどの邪魔をするなんてことはなかった。それはお互いうまくやっているとも言えたが、なにぶん相手との対話がないので実際のところはわからない。たまに絵に描いてみるのも私なりの機嫌取りのような感じもした。


 一人で新幹線に乗って訪れたことのない町に向かう。日帰り出張だった。冗談はスムーズに進んで、進みすぎたゆえ時間を持て余した。私はホームセンターに寄って絵の具と画用紙と筆を買った。こんなもの荷物にしかならないのにと思いつつも今しかないと衝動的な買い物をした。帰りの新幹線までまだ二時間と余裕がある。私は静かな場所を探して公園にやってきた。たまたまかもしれないが誰もいない。水道の蛇口を捻って空にしたペットボトルに水を入れた。筆を浸して絵の具をその先で舐める。ひと思いに画用紙を汚していく。汚れは次第に秩序を持ち始め形を帯びていく。反射によって動く手を私は眺めると言うのが正しく目的地は自分にもわからない。少しずつ意味が浮かぶ。違和感があった。出来上がった絵を眺めて思わずひと言ふた言。

「犬だ なんで」

 なんでということもないのだけれどなんでと思った。だいたいこういう時は鳥女を描いてきたからである。でも犬だった。たぶん犬だったのだ。鳥女ばかり描いてきた女が犬を描いたらそれはなんでなのである。なぜこの時は犬だったのだろう。なぜということもないのだけれどやっぱりなぜしか見当たらない。別に鳥女を描きたかったわけでもないし、なんなら犬もそうだ。そもそも私はなぜ絵なんか描いているのだろう。わからん、わからんわからんわからんわからん



 宇宙。


 は?


 突然口にした言葉に自分で疑問を呈した。宇宙って何。というか今私はどうなっているの。犬を描いて宇宙。なんで。途端怖くなってきた。体が震えてきた。怖い、怖い怖い。寂しい。

「イヌのえ」

「え」

「イヌでしょ」

「そう だけど」

 子供だった。知らないどこかの町の公園のたぶん近所に住んでる子供だった。ひとりだった。

「イヌ」

「犬だね」

「なに犬」

「わかんない」

「そうなんだ」

「そうだね」

「じゃあね」

「あ うん バイバイ」

 子供は手を振って走り去っていった。私も道具を片付けて駅に向かった。鞄の中には絵の具と筆が入っている。ただ絵を描いた画用紙がないことに気づいた。犬の絵。しまった。忘れてきた。まあ、別にいいか。新幹線が到着する。


 自宅に着いてヨーグルトとサラダを食べた。お風呂に入って寝間着に着替えて布団に入り、電気を消した。そして新しい朝が来る。歯を磨き、顔を洗ってスーツに着替えた。支度を終えて玄関に鍵をかけ、いつもの道を歩いていく。

「あ 」

 ふと気がついた。鳥女がいない。いなくなっていた。姿形を思い出そうにもぼんやりしていた。部屋に戻れば絵はあるけれど。

「でも まあ」

 私は柄にもなくスキップなんかをしたりした。

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鳥女三十六景 川谷パルテノン @pefnk

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