この作品の主人公である椿さんはとても難しい。
彼は『「である」ことと「する」ことのあいだで苦悩する人』なのだ。
彼は格式とか血筋とか跡継ぎとか……生まれ持って与えられた「である」ことがたくさんある世界から、静岡にやってきた青年で、幼少のころから身に染みついた「である」こと、それにふさわしく自分を型に嵌めることを維持するのに疲れ果てている。
けれども、それを維持してきた自分に対する矜恃もあれば、努力してきた自負もあって、なかなかその思考から踏み出せない。 静岡における彼は、「法制度的に向日葵さんのパートナー」という立場でしかなく、名実ともに彼女のパートナーとなるにはどう「する」べきか、に密かに悩んでいる……たぶん、「悩んでいる」なんて断言してしまうと、誇り高い椿さんは気分を害してしまいそうなのだが、傍から見れば明らかに悩んでいる。
この作品は、その一進一退する彼の苦悩を辿ってゆく。答えはまだ見えない。そもそも簡単な答えがあるとも思えない。
自分の身についたものを捨て去ることは、自分を失うことにもなりうる。
とすれば、捨て去る選択が正しいのかもわからない。
けれども、たぶんそういうものなのだ。
家族と一緒に悩む。
向日葵さんと、ともにそう「する」ことが、きっと、彼の「名実ともに彼女のパートナーとなる」第一歩なのだと思う。
この物語は、そんなゆるゆるもたもた道を歩いていく、椿さんと彼の手を牽く向日葵さんとともに読者も小さく声援を送りながら歩んでいく、そういうラブストーリーである。