第4話 殺戮神、その正体
ラストゥは言葉を知っていた。そして人を助けることもまた、知っていた。
不可解極まりないことだった。シーラの頭の中に嵐が巻き起こる間にも、彼はどこからか草の葉を千切ってきて、滲み出す液体を彼女の足に塗っている。治ル、と言いながら。
「……どうして、喋れるの」
「思イ、出シタ。シーラノ心、読ンダ」
「心が読めるの?」
「読メ……ル。声ガ、聞コエル」
ならば、彼が今までに聞いてきた言葉は、如何様なものだったのだろう。運悪く彼に出くわし、逃げ惑った人間たちの声は。
きっとどす黒い叫び、荒れ狂う負の奔流だったのだろう。故に彼は長らく人間の言葉を忘れていた、ということなのだろうか。
「それじゃあ、毎年あなたに捧げられてる女の子たちは、どうしたの」
誰も知り得なかった生贄の末路、それは果たして訊ねてよいものだったのだろうか。
徐々にはっきりしてきた声音でラストゥが答える。
「ミンナ、狂ッタ。弱ッテ、死ンダ。助ケ方、分カラナカッタ……声、聞コエナイ。誰モ喋ラナイ、ダカラ」
恐怖に囚われた贄たちの心の声は、到底聞き取れるものでなどなかっただろう。彼は彼なりに贄を生かそうとして死肉を運んだ。それを拒み、対話すら撥ね付けた少女たちは飢えて死に――。
「死んじゃったその子たちを、どうしたの。食べたの?」
「食ベタ」
「……どうして?」
「食ベタラ、人間ニナレル。誰カガ言ッタ。沢山食ベタラ、イツカ」
「どうして人間になりたいの」
「人間ニナラナイト、友達、ツクレナイ。ミンナ逃ゲル」
脳天を殴られた。
ああ、この殺人鬼は――人間になりたくて、人間と友達になりたくて、人を喰っていたのだ。そんなことをしても、なれるはずがないのに。
鬱々たる哀感が旨を掠め、奥底にわだかまった。
一体、如何なる呪いがこの怪物を生み出したのだろう。彼は嘗て人間だったのだろうか、だとすれば一体何が彼を斯様な姿に変え、理性を奪い去ったのか。
殺戮神と畏れ崇められた異形は、殺戮など欲してはいなかった。ただひたすらに彼が求めたのは、友愛。人間との絆。
「それなら、村の人たちを襲ったのは何故?」
「友達……ナレナカッタ。ダカラ食ベタ」
対話の成立しなかった人間はもう用済み、殺して喰らい、自身を人間に近付けようとした、ということだろうか。
何という短絡さ。何という矛盾。
何と愚かで、無垢で、哀しい生き物なのだろう。
こんなにも残酷な、悪意に満ちた呪いが、数十年、数百年、彼とイレネの民とを引き裂き、苦しめたのだ。もし彼の姿が、こんなにも奇怪でなかったなら。彼がもう少し人間というものを知っていたなら、おぞましい嘘に盲目でなかったなら。そしてイレネの民が、少しでも彼に歩み寄ろうとしていたならば。
「ラストゥ。どれだけ食べても、あなたは人間にはなれない。……人間になんて、ならなくていいよ」
知らぬ間に頬を伝い始めた涙は冷たかった。一滴、また一滴と、溢れ出しては落ちた。
「もう食べないで。殺さないで。あなたは私の友達。私が、あなたの友達だから」
錆びた鎖を握り、体温のない身体を抱き締めた。
生贄は私で最後だ、と決めた。一度捧げられた身であるからには、このまま生涯を彼に。神の孤独を癒すために。
逃げようなどとは、もう微塵も思わなかった。
「シーラ、友達……コノママデモ、友達」
「そうだよ。あなたが寂しくないように、ずっとここにいるよ」
友達、友達……とうわ言のように繰り返し、ラストゥはキャラキャラと鉄の擦れるような音を立てた。どうやら笑声らしい。
顔を押し当てた胸からは、鼓動が聞こえなかった。呪いに生み出されたこの亡霊の、罪深いほど無垢な望みに縛り付けられた魂がいつか解き放たれ、生まれ変わるときには人間になれるよう。そう願った。
ルゥ イラァ── イアー エ トゥーハ──
ラストゥは嗄れた声で歌っていた。長年の深き悲しみを、錆びついたその声に載せ。
シーラがはっと顔を上げたからか、歌声が途切れる。
「……昔、友達ガ……教エテクレタ、歌」
そう言ってまた歌い出す。
ルゥ イラァ── イアー エ トゥーハ──
シーラはその歌を知っていた。忘れはしない。イレネの民が古くから歌い継いできた歌だ。
ルゥ イラァ── イアー エ トゥーハ──
そっと声を重ねた。
失われた絆の証が今蘇り、川の流れに、吹き抜ける風に乗り、エトゥハの山へ響いていった。
エトゥハの殺戮神 戦ノ白夜 @Ikusano-Byakuya
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