僕には彼女がいる。

 でも、本気で愛しているわけではない。

 ただ、度を越えたブラコンである姉を少しでも更正させるために、恋人を演じているだけだ。


 僕は姉のことが好きだ。

 しかし、それは所謂姉弟愛であって、恋愛感情では決してない。姉がいくら僕を誘惑しようとしても、僕が道を踏み外すことは絶対に無いだろう。


「姉ちゃん出掛けんの? もしかしてデート」


 おめかしした姉に話し掛ける。

 わざと知らない振りをしているが、勿論待ち合わせ場所から時間まで把握している。


「うん」


 気だるげな表情が急にぱぁっと明るくなった。


 これだ。

 この笑顔だ。


 今のはデートに向かうのが嬉しいのではなく、弟の僕に話し掛けられたのが嬉しいという笑顔だ。何度も目にしているが重症だ。


「そう。気を付けてね」

「ありがとう。行ってきます」


 スキップでもしそうなほど陽気な姉が出ていったのを確認し、急いでこちらも準備する。髪のセットと化粧に費やす時間を考えれば、走ったとしてもかなりギリギリだ。


「……うん!」


 全力で僕ではない僕にチェンジすると慌てて家から飛び出した。それも整えた髪が乱れないぎりぎりの速度で。

 この時ばかりは姉が時間に余裕をもって出かける人間であることを嬉しく思う。


 集合時間2分前。遠目で駅の前で自分を待つ姉の姿を確認すると、僕はスマホのカメラを利用して身だしなみのチェックを行った。


 ──良し!


「ごめんなさい。待たせました」


 急いできたことを悟られないように姉の前に現れる。

 僕を前にした姉の態度は至って普通で、これから彼氏とデートする女子には到底思えなかった。


「うんん、アタシも今来たとこだから。行こっか」

「そうですね」


 出来るだけ気を遣いながら予定通りの電車へと乗り込む。

 姉が退屈しないように話を振り続けるものの、それでも彼女の表情が明るくなることはない。


 何時もの素の自分と話す姉と違い過ぎて心が折れそうだよ……。

 いや、でもこれも全て姉の為。僕が頑張らなければ姉ちゃんに未来はないんだ!


 目的の駅を降りるなり隣を歩く姉をちらりと見る。

 ぱっと見は凛とした表情をしているが、弟だからこそ分かる顔もある。あれは退屈しきっている顔だ。


 過度なスキンシップはやらないつもりだったけどしょうがない。目的を果たす前に振られては何の意味も無いんだ。


 自然さをどうにか保ちながら、空っぽの姉の左手に自分の指を絡ませようとする。

 姉の細指は男のそれとは違って儚げ。しかしそれでいて温かい。

 彼女をドキドキさせるつもりが、未知の経験に自分の方がどぎまぎしてしまっている。姉弟なのに、だ。


 だがそう思った時――、

 僕の安易な行動は、より良い未来を掴むことなく弾かれてしまった。


 しまった、早かったか!?


「ごめんなさい! 驚かせましたか」


 何が起きたか分からないといった顔つきをしている姉に間髪入れずに謝る。


「あー、うん。アタシこそごめんね。全然頭になくて。そっかアタシ達恋人だもんね。繋ぐよね手くらい」


 しかしすぐに僕がやりたかったことを理解してくれたらしい。戸惑いも束の間、穏やかな雰囲気に戻っていた。


「いえ、じゃあ良いですか」

「……うん」


 今度はしっかりと同意を貰ってから手を繋ぐ。

 しっかりと指を絡めると、もしかしていけないことをしているのではないかという背徳感と罪悪感が襲ってきた。


 いやいやいや、僕は姉ちゃんのためにやってるんだ。正しいことをしている。

 恐れるな!


 心の焦りが手汗に出ないことを祈って進む。ちらりと姉の方を見ると、困惑しているような顔をしていた。

 もしかして、ステップアップするのは少し早かっただろうか。


 服屋に辿り着くと繋いだ手はいともたやすく解かれてしまった。嬉しいような寂しいような不思議な思いが少しばかり僕を支配した。


「君は意外と筋肉あるね」

「最近鍛えてるんですよ。華奢なのが嫌で」

「アタシは細くても良いと思うけどなー」


 服を見て貰いながら会話を楽しむ。

 細身が嫌なのは本当だ。と、言うよりも今の自分から脱却したいというのが本音だ。

 姉は可愛いものが好きだ。姉の好みから外れるために日夜筋トレは欠かしてない。


「そういえば前から思ってたんだけど」


 姉が急に僕の方に顔を近付けてくる。宝石のように煌めく瞳に圧倒されてしまう。


「キミ化粧してるよね? 男の人でもするのが流行ってるの?」


 不味い、バレたか!?


 僕の正体に気付いてカマをかけてきているのか。いや、姉ちゃんはそんな駆け引きはしない。分かったなら直接聞いてくるはずだ。


「え? あー、まあ、はい」


 答えるが、自分でもたどたどしさが分かる。これでは顔でバレなくても、態度で裏があると悟られる危険性が出てきた。


 ここは一旦。


「すみません、ちょっとトイレへ行ってきます」

「え、あ、うん」


 戸惑う姉を無視して店の外へ出る。

 僕の計画は、弟より興味がある男性がこの世界には居るというのを姉に知覚させること。そして、その後円満に別れることだ。この目的が達成されるまで正体がバレるわけにはいかない。


 トイレの洗面台の前で鏡に映った己を見る。

 自然を意識して作った化粧の奥には強張る自分が存在する。こんな表情をしていては楽しんで貰えるわけがない。正体がバレる以前の問題だ。


 化粧が崩れない程度に両頬をこねくり回し笑顔を作る。


「よし、大丈夫──大丈夫だ」


 自身に言い聞かせるように呪文を唱えると、僕はトイレを後にした。そして再び姉が待つアパレルショップに近付いた時だ。


「!?」


 ガラの悪そうな男が姉に絡んでいる光景が視界に入った。目付きが非常に悪く、全体からだらしなさと悪さが目立つ。人は見た目で判断してはならないというが、何処からどう見てもロクな奴では無さそうだ。


 こっちが必死に姉ちゃんを更正させようと頑張ってるのに、何してくれてんだあいつは!

 姉ちゃんが他の男を怖がるようになったら、どう責任取ってくれんだよ!

 それともなんだ!? 僕達の事情を知る敵か!!


 自分でも説明出来ない怒りが沸いてきて二人に向かって歩み続ける。そして、気圧されている姉を乱暴に此方に引き寄せると、きっぱりと言い放った。


「おい。人の女に何してくれてんの?」


 全力で敵を睨む。

 憎しみと怒りを込めれるだけ込めて。


「ちっ。マジで彼氏いたのかよ」


 幸いにもどうやら負の感情が効いたようで、男は捨て台詞を残して逃げていった。


 二度と近付くなバーカ。


 心の中で毒を吐き、姉を見る。

 僕の熱にあてられたのかぼんやりとしていた。


「大丈夫ですか?」


 言いながら、まだ密着していたことに気付き急いで離れる。


「う、うん。ありがとう」


 何かやけにしおらしいな。

 やたらと可愛く感じるというか小さく見えるっていうか。

 こんな姉ちゃん初めて見た。


「本当に大丈夫ですか? 少しそこのベンチで休みましょうか」


 姉は何も言わずにただただ頷いた。


 おかしい。

 やはりおかしい。


 彼氏でも弟の立場でもこんな姉は見たことがない。


 不味い。

 いや良いのか? いや、やっぱり不味いだろ。


 確かに僕は姉に他の男も興味を持つように仕向けるつもりだった。でも、それは本気で恋をして欲しい訳じゃなかった。


 え、マジか!?

 だってこの後振るんだよ。こんな乙女の表情をした姉ちゃんを。


 僕は頬をひくつかせながら、脳内で頭を抱えた。

 どうやら姉を更生させる僕の計画は、まだまだ前途多難なようだった。

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嘘×嘘 エプソン @AiLice

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