嘘×嘘
エプソン
姉
アタシには彼氏が居る。
でも、本気で愛してるわけでは無い。
『弟と似てるから』という、他人からすれば酷く阿呆な理由だけで付き合っているだけだ。
アタシは弟が好きだ。
これが恋心なのかと問われれば怪しいところだが、少なくとも家族愛は越えていると思う。だって、普通の姉は弟とデートする妄想も、弟を想像してえっちなこともしないだろうから。
「姉ちゃん出掛けんの? もしかしてデート」
玄関で靴を履いていたところで最愛の弟に話し掛けられる。同年代の男子に比べれて発育が遅く、声変わりしているというのに声が高い。おまけに童顔で低身長。愛くるしい大好きな弟だ。
「うん」
しっかりと答える。
嬉しそうに聞こえてしまっただろうか。でも安心して欲しい。アタシが嬉しかったのは彼氏とデートに行くことじゃなくて、貴方と話せたことだから。
「そう。気を付けてね」
「ありがとう。行ってきます」
たった数秒の至福な時間を打ち切り、アタシは弟がいない外の世界へと出ていく。
本当は姉を気遣ってくれる最高の弟の頭を撫でたり、満足するまで抱き付きたかったが、重度のシスコンと思われても困る。アタシは弟にとって憧れの姉。アタシがアタシであるために、アタシという偶像を保たなければならない。
そんなことを考えていると、あっという間に彼との待ち合わせ場所である駅に着いた。
「まだ来てないか」
スマホを確認すると時間まではまだ15分ある。流石に早く出過ぎたようだ。
「ごめんなさい。待たせました」
彼は時間ちょうどに現れた。
髪をワイルドに纏めているものの、服は白と黒でシンプルながら大人びた格好。弟なら絶体にしない見た目だが、普通に格好良かった。
「うんん、アタシも今来たとこだから。行こっか」
「そうですね」
隣に立った彼と乗る予定の電車へと向かう。
彼とデートするのはこれで3回目だ。弟大好きの自分にしてはよく続いていると思う。
そもそも初めて告白された日もそうだった。断ろうと思って頭では拒否の言葉を作り出していても、実際に口から出たのは承諾。有り得ない選択に自分でも驚いたのを覚えている。
「誰かに服を選んで貰うなんて親を除けば初めてですよ」
「そうなんだ。男同士だとあんまりないか」
「女の子のように一緒に服を買いに行くこと自体無いですからね」
他愛の無い話を繰り広げながら、到着したホームへと降りる。
今のところわくわくすることもドキドキすることもない。毎日のルーティンをこなすように彼の横を歩いていく。
アタシの本能が望んだ恋はこういう平坦なものなのだろうか。もしそうなら、なんて詰まらないんだろう。
アタシは駅から出るや否や、彼にバレないようにだけ気を付けて小さく溜め息を吐いた。そんな時だ。
「っ!?」
アタシの空いた手に何かが入ってきた。
ドキリとして思わず手を引いてしまう。
な、な、な、何!?
「ごめんなさい! 驚かせましたか」
驚いていると間髪入れずに彼が謝ってきた。
中途半端に曲げられた手の形から察するに、どうやら手を繋ごうとしたようだった。
「あー、うん。アタシこそごめんね。全然頭になくて。そっか、アタシ達恋人だもんね。繋ぐよね手くらい」
想像もしてなかったのは本当だ。
「いえ、じゃあ良いですか」
「うん」と答えると、彼は右手をアタシの左手に絡ませてきた。
同じくらいと思っていた彼の手は明らかに自分よりも大きく、これが性別の違いなんだと分からされた気がした。
あれ? アタシ今、ドキリとした?
彼と手を繋いだ瞬間、胸が重くなるような苦しくなるような錯覚がした。
なんだろう、今の感覚?
何だか胸が変だな。
妙な感覚について思いを巡らせていると目的地のアパレルショップにはあっという間に着いた。もっと不思議な感覚を味わっていたが、どうにか彼の手を離す。徐々に消えていく温もりに名残惜しさが残った。
「君は意外と筋肉あるね」
「最近鍛えてるんですよ。華奢なのが嫌で」
「アタシは細くても良いと思うけどなー」
彼に合いそうな服を何着か選び、彼の前へと持っていく。
やはり彼にはごてごてしたデザインのものよりも、シンプルな服が似合う。髪も大人しめにした方がアタシの好みなのだが。
「そういえば前から思ってたんだけど」
「はい?」
「キミ化粧してるよね? 男の人でもするのが流行ってるの?」
「え? あー、まあ、はい」
純粋な疑問だったのだが、彼は酷く狼狽えていた。踏んではいけない地雷を踏んでしまったのだろうか。
「すみません、ちょっとトイレへ行ってきます」
「え、あ、うん」
数着候補を見つけて次の店へ行こうとしたところで彼が言う。
一人になったアタシはフロアの壁に寄りかかると、彼の背中を目で追いかけながら思いを巡らせた。
彼と居て楽しくない訳じゃない。
でも、どうしても心の中で大好きな弟と比べてしまう自分がいる。何かにつけては「弟なら」という枕詞が付く。
彼と弟は少し似ているところがあるが、そこがアタシが唯一彼に惹かれているところなのだとしたら、彼に対して失礼ではないだろうか。
「はぁ」と、一度嘆息して現実に意識を戻すと、正面から軽薄そうな男がこちらを見ていた。
「お姉さん可愛いね? 今暇?」
「いえデート中です」
頭悪そう。
でも、これで何処かに行ってくれるかな。
「そうなんだ。ま、いいんじゃね」
言うなり、急に腕をアタシの首に回してきた。まるで捕食者のように獲物を見定めようとする目に全身に悪寒が走る。
気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い!
「ちょ──止めてください!」
「いいじゃん、いいじゃん。ねぇ俺と遊ぼうよ」
「冗談止めて。人を、人を呼びますよ」
「別に呼べば──」
恐怖で震えるアタシに粘着性のある言葉を男が吐こうとした時、突如アタシの世界は横にスライドした。
そしてそれは、彼氏によってもたらせられたのだと分かった。何故ならアタシの体は彼によって支えられていたのだから。
「おい。人の女に何してくれてんの?」
──っ!?
怒りと野性を込めた声が放たれる。普段丁寧な言葉遣いをしているせいか、新鮮を通り越して別人のように思えた。
しかしアタシの心は別の意味でドキドキしていた。
「ちっ。マジで彼氏いたのかよ」
露骨に面倒な顔をした後、捨て台詞を吐くと男はあっさりと去っていった。
アタシはというと、悪態の1つでもつくどころか、守ってくれた彼の行為に対して気が動転しており、それどころじゃなかった。。
「大丈夫ですか?」
「う、うん。ありがとう」
気遣いと共にアタシから離れた彼にお礼を言う。
でも熱くなった感情のせいで、言葉は紡げてもまともに彼の顔を見ることは出来なかった。
熱い。
頬や耳が火照ってるのが分かる。
そして心臓がうるさい。
「本当に大丈夫ですか? 少しそこのベンチで休みましょうか」
何も言えずにただ頷く。
彼の声の一言一言が愛おしく感じる。
こんな風な感覚は今まで無かったのに。
もしかしてこれが。
この胸が爆発しそうなほどのときめきが。
これが恋をするということなのだろうか。
彼と一緒にベンチに座りながら思う。
これが恋というのならアタシは――、
アタシは弟から卒業出来るかもしれない。
アタシは未知の感情に身を任せることに決めた。ひょっとしたら彼ならば、アタシの歪んだ想いを断ってくれるかもしれないと思って。
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