S・a・2・S 〜ストロング・アンド・セクシーサラサラ〜

和田島イサキ

酒乱男子大学生、占い師のお兄さんをナンパし、自宅に連れ込んで即押し倒す

 占い師ってのはやっぱ髪がサラサラなんだなあ、と思った。

 そんなことはなかった。いや全然そんなことなくはなく、現に彼の髪はサラサラのツヤツヤなのだけれど、でも「別に占い師が全員長髪ってことはない」というのが当のサラサラの言だ。信用はできない。する気もない。事実として俺の知る限り、占い師の黒髪ロング率は現状百パーセントで、つまり俺はこの彼の他に占い師というのを知らない。興味がなかった。オカルトやスピリチュアルはどうにも性に合わない。二十歳はたちの健康な男子の趣味としてはいまいちというか、だって占いなんて老いてからでもできる。体力的な面はもとより、思考が硬直化し感性が衰えてもやれる程度のことに、貴重な大学生活の時間を割く理由はなにひとつなかった。

「よく言うねお前。本職を前にして」

 そう笑う髪サラサラの彼、ごとさん。いや口調は確かに笑うような調子なのだけれど、でも目つきだけが明らかに人殺しのそれだ。怖い。それにしても一体いくつなんだろうこの人。まるで年齢不詳が服着て歩いてるみたいな人で、でも俺より上なのは間違いない。大人だ。大人は大人だけれどでも俺の考える「大人」像、そのどれにも当てはまらないタイプの大人だった。サラサラだからだ。

「しかもいい匂いする。お母さんみたい……」

「どうも。本当にカスの酔い方すんのなお前」

 歯に衣着せぬ直球のぼう、その間もじっとこちらを見据えたままのその人殺しの目。別に怒っているわけでもなければ不機嫌なわけでもなくて、どうやらもともとこういうの形の目らしい、と、そう気づくまでこんなにかかったのはどうかしていた。ひと目見ればわかるはずのことを曖昧にする、それもまたきっと商売柄だ。人に取り入り、気に入られるのがうまい。でなければやっていけない生業なのだと思う。勝手な想像ながら面倒な客が多そうというか、ただの興味関心や好き好きで相談に来る客ばかりとは思えない。多かれ少なかれ、占いの結果に縋ろうだなんて人間の心境は、およそ切羽詰まった状態だろうと思われるから。

「それが意外とそうでもないというか、お前以上に面倒な客は見たことないな」

 どうも冗談や軽口の類でもないのか、真顔のまま切々とその根拠を——というか、苦情を並べ立てる雄琴さん。曰く、まず初見の印象からして最悪だったとのこと。ぱっと見「ついさっきそこで二、三人刺し殺してきました。これから俺も死にます」みたいな青白い顔で店に現れたかと思えば、占い結果を聞くうちに態度が一変、肌がふっくらし出したその勢いのままに眼前の占い師をナンパ、ここまで客としての立場を弁えないバカは初めて見る——だなんて。

 何もそんな言い方しなくたって、と、俺のその言葉にでも彼は、

「いや、言い方もなにも……現にこうしておれを自分ちに連れ込んでる時点で……」

 と、急にっぽい表情で愕然とするのだからもう何も言えない。まあわかる。これ以上の厄介客はいないだろうな、と、他の客がどんなか知らないながらにそう思う。自覚がある。一体何してんの俺、と。占いに興味がないというのは本当で、つまりはハナから微塵も信じちゃいない与太にそれでも縋るしかなかった、その時点で相当参っていたのだと思う。まともな精神状態ではなかった。この世の終わりだ、率直に言って。

「そう。たかが留年程度でねえ」

 人の悩み事を「たかが」などと、とても占い師の吐いていい言葉じゃない。実際、俺がまだ〝客〟だった間は吐かなかった。ただフワッとした言葉で俺の荒んだ心を包んで、思わず「お母さんみたい……」と感じてしまったのは事実だけれど、でもそれだけのことでまさか無理矢理自宅アパートまで誘うとか、我がことながら未だ実感がない。何したんだ俺? いや何したもなにもこんなのどう考えたってナンパで、そしてそんな真似をしたのは今日が初めてのこと。本当、彼もよくこんなのについてきたなって思う。

「まあ、別に珍しくもないしね。ほらおれ、顔いいでしょ」

 二回に一回は誘われてさあ、こっちは仕事で嫌々やってんのに——なんて。しれっとそう答えてみせるその顔は、確かに初見で「うわあこの美形を自覚してる顔ほんと腹立つ」と思ったほどだ。こんな綺麗な顔の男がいるからこの地上から戦争がなくならないのだと、そんな思いが留年確定で荒んだ俺の心に追い打ちをかけて、だから半分くらいは彼が悪い。さっき彼の言った「そこらで二、三人刺してきた顔」、その原因は他でもない彼の美形にもあるのだ。

 だから、その責任を取って——なんて話じゃ、もちろんない。

 そんな無茶な理屈で罪悪感につけ込むような、そこまで下品な誘い方はさすがにしていなくて、でもだからこそわからない。どうしてこんな簡単に、しかもまだ営業中だった占いの仕事を切り上げてまで、俺なんかについてきたんだろう、この人は。

 と、それを「一体何が目的で」と、そう聞いちゃったのは正直アホだったと思う。

「は? なに、そういうアレ? やまくん、相手にそういうことを言わせて喜ぶタイプ?」

 決まってんでしょ、ナンパしてきた男の部屋に上がり込んですることなんて——と彼。山賀というのは俺の名前で、そしてそんなことはどうでもいい。それどころじゃない。彼の言う「そういうこと」ってのはつまりで、どうやら思った以上にやる気満々だった。正気か。いや自分で誘っといてなんだけど本当に「なんで?」っていうか、だってこんなに顔のいい、つまり〝そういう相手〟ならいくらでも選べるであろう男が、こんな唐突に降って湧いた普通の大学生を相手に。

「だって、面白いし。剥き出しの性欲で頭バカになってる奴イジるの」

 例の人殺しの目を細めて笑う彼。続けて曰く、なんでも「まあここまでの面白物件とは思わなかったけど」とのこと。なにしろ自分から猛烈な勢いでナンパしておいて、いざ部屋まで連れ込んだ途端にどうしていいかわからなくなり、ガチガチに緊張してあれこれ失敗したあげく酒に逃げるだとか、そんな奴は聞いたことがない——なんて、おおむね事実とはいえ何もそこまでっていうか、もう少し言い方ってものがあるだろって思う。

「そうか? これでも結構ぼかした方というか、実際一度は押し倒したのにねえ」

「待って、やめ」

「まだ若いのに——いや、若いからか? まさか、いくらなんでもこれがってこたないよな、あんな滅茶苦茶なナンパするような奴が」

 ——やめてって言ったのに。

 どうやら、というか案の定というか、やっぱりバレていたらしい。まあ当然か、だってあまりにも不自然だ。確かに一度は押し倒して、でもそこで急におろおろ狼狽え出したかと思えば、突然冷静になって「焦りすぎでした。まずは飲みませんか」とか言い出す。その理由はおそらく彼の方からも——つまり直接見るか触るかするまでもなく、同じ男であればまず見当がつく。

「まあ、そういうこともあるんじゃない? おれはないけど、でもだいぶ参っていたみたいだし——あ、それともあれか。もう暴発し」

「違います! 立た——その、前者です。元気が足りなかった方」

 いくらなんでもそれは惨めすぎる。どうしてこんなことになったやら、正直俺も自分で「嘘だろあんな無茶なナンパをした人間が」と思うのだけれど、でも仕方ない。実際、何をどう頑張ってもまったく起動しなかった以上は。

 実を言うと、本当は過去に一度だけ同じことがあった。高校の頃、人生で初めて「そういうところ」まで行った彼女と——つまり雄琴さんの言う〝初めて〟のときに。意味がわからなかった。自分の体が自分のものでなくなったような気がして、でも実はそう珍しい話でもないらしい。後で知った。期待と緊張が限界を越えると、男の体は用を為さなくなることがあるらしい、と。

 ——すなわち。

「一応、聞かれたことなんで答えますけど、これが初めてではないですからね」

「死ぬほどどうでもいい情報だな……どうでもいいついでに言うなら、どうせ『行為そのもののは』の話だろ、それ」

 ——これが人生初だよな。お前が、男をそういう目で見たのって。

 彼の言葉。思いもしないその追撃に、俺は答えるべき言葉をあっさり見失う。だって完全にその通り、俺は今日この雄琴さんに会うまで、同性に対して性的な関心を抱いたことがなかった。どれだけ顔や体や性格が魅力的であろうと、でも自分が男に対して発情しうるなどと、その可能性を考えるだけで気分が悪くなったほどだ。というか、たぶん、いまもそうだ。いまは目の前に雄琴さんが、この顔のいい男が現にいるからいいけれど。でも一旦離れて冷静になったとき、俺はいまの自分を「これが俺だ」と、そう認められるかどうか自信がない。

 良い傾向ではなかった。人を誘うのに、つまりはナンパするのに、自分に自信がないというのは褒められたことじゃない。

 だからそう思われないよう、つまり俺はもともと顔のいい男に目のない変態ナンパ大学生であると、そう見えるように振る舞ったつもりだ。それがこうもあっさり見透かされて、なるほど占い師って本当にすごいな——と、その俺の感想にでも雄琴さんは笑う。

 こんなんでいいなら、この世のお前以外の全員が占い師だよ、と。

「お前さあ、わかりやすすぎるんだよねえ。まあおれはいいよ。正直やるかやんないかはどっちでもっつうか、お前が面白すぎるからなんでも」

 ただ酒癖と酒の趣味は本当にクソだけどなお前、とひとこと、そのまま俺の額をふわりと撫でる。でかい。手が。もちろん指も。分厚くて骨張った男の手の、その不思議なまでの優しさに俺は震える。やばい。なんだこれ。とても言いようがないけどあえて言ううなら、まるで自分が小型犬にでもなったような気がした。マルチーズ——いや、ポメラニアンか?

 誰かに頭を撫でられた経験、それ自体が初めてってことはない。彼女だって過去に何人かいて、でも俺の頬をなぞるその優しい指の、その感触がまったく柔らかくも小さくもないのは、本当に子供の頃以来のことだ。

 ——なんだこれ。わからない。頭の中を血がぐるぐる回って、つまり俺は飲みすぎたのだと思う。

 バカだ。どうしてなったことのない小型犬の気持ちがわかる、と、そう自分で自分を責めると同時に、なんかボロボロ泣いてしまったのだからもうどうしようもない。

 なんの涙だ。それすらわからないがとにかく占い師はずるい。俺がこんなぐちゃぐちゃになるまで飲んでいるのに、でも彼はまだ一滴も口にしていない。彼の眼前、俺が冷蔵庫から差し出したストロング系酎ハイは、でも一切手をつけられることもなく、ただ静かにその表面に雫をたたえるのみだ。飲め。手前ひとり安全地帯にいるんじゃない、と、その非難にさえ「ドブ水を啜る気はないと言ったろ」と彼。どうやら、よほど嫌いらしい。酒を覚えたての子供の下品な飲み方と、それにはうってつけの安酒——というか、酒ではなく「そういう粗悪な酒をわざわざ好んで飲む自分」に酔うような姿勢が。

「むしろお前、よく平気でひとりだけやれるよな。おれだって普通に飲みたいんだけど? なあ、ここにくる途中にコンビニあったっけ。ちょっと行ってくる。待ってろ。ステイ」

 言うが早いかスタスタと、あっという間に玄関まで。速い。やはり足の長い男は違う。オイこいついま玄関まで三歩で行ったぞと、そう言ったつもりがでも声にならない。いつもそうだ。肝心なときは決まって思い通りにならないのがこのポンコツの体で、だからひと声も発することができないまま、俺はほとんど体当たり同然に突撃していた。

 背中に。

 玄関に座り込み、靴紐を結び直そうとする、彼の後ろ姿にかかったそのサラサラの髪に。

「駄目です。雄琴さん、どうせ逃げようってんでしょう」

「アホか。なんで逃げ——いや、逃げるな。逃げるわ。普通に」

 実際フニャフニャでどうにもならなかったわけだし——平然とそう囁く彼の、その長い髪からふわりと香る匂い。なんだろう、たぶんシャンプーや整髪料ではないと思う。お香っぽい。これまで嗅いだことのない、どこか不思議な占い師の匂い。サラサラの黒髪が俺の頬をくすぐって、つい「お母さ……お父さん?」とこぼしてしまった俺に(本当に酔ってた)、でも真っ直ぐ突き刺さる当のお父さん兼お母さんの言葉。

「すげえな。だいぶキモいことになってるぞこれ」

 びくり、と震える俺の体。だって、そうだ。雄琴さんの言葉はあまりに容赦がなくて、なのにその声だけが不思議と優しく、これまでにない暖かさを伴っていたから。言葉の上では「うわくっさ、酒臭すぎるだろお前」と冷たく突き放しながら、でもその手で俺の腕を優しくポンポン叩いて、しかもそれは全部この顔のいい占い師のやること、こんな真似をされておかしくならない男はいな——くもないっていうか今日の今日まで俺も「男が男におかしくなるわけないだろ」くらい思っていたのだけれど、でも俺は一体どうしてしまったのか?

 ままならない。いつもそうだ。心と体というのは必ずしも同じ方を向いてはくれないもので、だからこう、なんというか——。

 結果オーライ、というのは、確かこういうときにも使える言葉だったろうか。

「——は? おい嘘だろ、いまの何か要素あったか、おい」

 本当に、心底したかのようなその声音。玄関ドアの手前、逃すまいと力ずくで組み伏せた雄琴さんの、まるで汚物か何かでも見るかのよう——なのに、しかし相変わらず楽しそうな、余裕含みのその表情。

 ——何が「やるかやんないかはどっちでも」だ、まるで抵抗するそぶりも見せないくせに。

「意地悪だねえ、山賀くんは。おれだけ素面ですんの? こんなとこで」

 だめだよぉ歳上は労らなきゃあ、と、粘っこい笑みを浮かべる占い師。こちらを嘲るようなその態度に、しかしどうしてかより一層全身の血が滾る。いや本当、一体、どうしてだろう。自分でもわからないけど、もうどうでもいい。酒が悪い。ストロングなのが悪いんだと思い込んで、俺は彼の黒髪に顔を埋める。

 苦しい。吸い込む。思い切り、肺の奥の奥まで、全部彼で染まるように。

 不思議な香の匂いがして、俺は腹の底、ようやく俺の物語を取り戻す。


〈S・a・2・S 〜ストロング・アンド・セクシーサラサラ〜 了〉

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