主従

王生らてぃ

本文

「お初にお目にかかります。セイラと申します」



 豪奢な天蓋のついたベッドと、壁一面の本棚に囲まれた部屋の中で、質素な寝間着を着て眼鏡をかけた女性は、とてもこの一帯を治める領主の娘とは思えない。そばかすの浮いた顔と、整えられていないぼさぼさの黒髪、くまの浮いた瞳は黒く闇をたたえている。

 彼女ははあ、とため息をついた。



「あなたが新しい召使い? じゃあ、最初の仕事」

「はい。なんなりと」

「あなたは何も仕事をしないで。掃除とか、料理とか、そういうことをわたしの指示なく勝手にしないで。自分の部屋にいてもいいし、城の中を歩き回ったり、庭を散歩してもいいわ。厨房を使ってもいい、でもわたしは自分のご飯は自分で作るから、勝手にわたしの食器を使ったりしないこと。いいわね」






 だだっ広いお城は、よく見ればあちこち古びていて、手入れが行き届いていないことは目にも明らかだった。庭の雑草は伸び放題で、ため池の水は澱んでいる。あちこちから、ギャアギャアという得体のしれない獣の鳴き声がする。夏の日差しの下で妙にむっとする熱気。

 すぐにでも掃除してしまいたい。

 でも、そうしてはいけないと言われたのだ。



「おはようございます。お嬢様」

「ん……」



 領主の娘は、寝起きのときは少しだけ大人しく、機嫌がいい。

 毎晩毎晩、ろうそくの火を頼りに本を読みふけっていて、数時間と眠ることもない。朝起きると、彼女は厨房に向かい、すえた匂いのするコーヒーを淹れて飲み干し、また、部屋にこもって読書にふける。

 ときどき、廊下を歩き回っては、窓を拭いたり、ほこりを払ったりしている。気が向いた時に掃除をするだけして、それから何週間も掃除をしない。でも、思い出したように数日間、ろくにご飯も食べずに掃除を続けていることもある。その繰り返し。

 だけど、この城はひとりで暮らすには広すぎる。ふたりでもそうなのだ。当然、彼女だけでは手が回りきらない。



「いい? ここはわたしがお父様から貰った城なのだから、勝手なことをしないで」



 そう、この城にはほかの召使いがいない。

 領主の娘は、ほんとうに、ずっとひとりでこの城で暮らしてきたのだ。






 毎日毎日やることがなくて暇を持て余している。最初の内は、あまりにやることがなさ過ぎて緊張感のある毎日を過ごしていたが、だんだんそれもなくなってきた。毎日気ままに過ごしていられる。



「セイラ」



 ある夜、領主の娘から初めて、仕事らしい仕事が与えられた。



「いかがなさいましたか」

「来て」



 部屋に引っ張り込むなり、彼女の細い腕でベッドに押し倒される。布団は洗い立てのように甘い香りがした。娘は身を小さく縮めて、ぶるぶる震えている。



「一緒に寝て。わたしを抱きしめて」



 言われたとおりにする。

 領主の娘は、まだ幼い。体も小さいし、明らかに痩せすぎている。

 少し力を入れただけで、壊れてしまいそうな、古い人形みたいだ。



「ねえ、セイラ。どうしてこの城に来たの」



 抱きしめられたままなので、領主の娘の声は小さい。



「両親がここに行けと言ったので」

「そうなんだ。わたしと一緒だね。わたしもお父さまに、明日からここに行ってここに暮らせって言われて、ここに来たの。もう何年も前の話、まだ子どもなのに」



 領主の娘は服のすそをぎゅっと握りしめた。



「……子どもだから、分からないと思ってたんでしょうね。でも、わたしはちゃんとわかってたわ、女の跡継ぎはいらないのよ。妾の子どもでも、男なら跡継ぎになれるの。わたしのお母さまが亡くなったら、ここぞとばかりにね」



 どこで、そんなに難しい言葉を覚えるのだろう。

 壁一面に並ぶ本棚は、この城の中で一番きれいで、整然としていた。



「このお城だけじゃない、領地にいる人間も動物も、なんでも好きなようにしていいって言われたわ。みんな食べ物を持ってきてくれるし、馬車だって貸してくれる。みんなわたしのものなんだもの、好き勝手にできる。わたしが剣を持って、村の子どもや人間を殺したって、誰も何も言わない。わたしに何かしたら、お父さまが軍隊を差し向けると思っているんでしょうね。そんなこと、あの人がするはずないのに」



 だからね、と領主の娘は不敵にほほ笑む。



「あなたを殺したって、わたしは、誰にも文句は言われないのよ」



 枕の下からするりと現れたのは、きらりと光るペーパーナイフだ。

 少し錆が浮いているけれど、先はとがっている。人間の心臓くらいならひと突きにしてしまえるだろう。



「あなたも親に売られてここに来たんでしょう? かわいそうに、あなたが死んだって誰も悲しまないのよ、そうでしょう?」



 そんなに大きな声で言わなくてもちゃんと聞こえる。



「どうして、この城に誰もいないかわかる? あんたみたいに、小銭目当てに売られてくる人間はたくさんいるの。でも、みんな邪魔だから、わたしが殺しちゃうのよ。ほら、見て、このナイフの刃! 今は夜だから暗くて分かりにくいかもしれないけど、ここに浮いているのは錆じゃないの、血なのよ。何人も何人も、このナイフで刺し殺してきたの。だってわたしが何をしたって、みんな誰も何も言わないんだもの、だったら何をしたっていいでしょう?」



 不意に領主の娘は黙り込むと、ナイフを放り投げてベッドをぼんぼんと小さな拳で叩いた。



「なんで……あんた、何も言わないのよ。殺されるのよ、これから! 何とか言いなさいよ!」



 そう言われても、特に言うことはない。



「お嬢さまがそうされたいのなら、そうすればいいのです」

「は……? あんた、それでいいの……?」

「ええ」



 どうでもいい。

 ここに来てすることは、この領主の娘の召使いとして、彼女の言うことに従うことだけだ。何もするなと言われたから何もしないし、来いと言われたから寝室まで来た。抱きしめてと言われたから抱きしめた。殺したいというのであればそうすればいい。



 領主の娘は急に泣き出し、抱きしめて、と言ったのでそうした。しばらくしないうちに彼女は眠ってしまった。






「おはよう。セイラ」



 次の日の朝。領主の娘はにっこりと笑って、挨拶をした。



「おはようございます。お嬢さま」

「一緒に朝食を摂りましょう」

「かしこまりました」



 領主の娘は、なんだかうきうきとしていて、嬉しそうだ。年相応の子どものような表情をしている。

 どうでもいいことだ。

 朝食を一緒に、と言われたら、そうするのが仕事だ。

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