冬
賭けの期限である20年はとっくに過ぎた。私たちは相変わらず二人っきりで暮らしていたが、時々、来客が訪れるようになっていた。人間とアンドロイドはここで交流を交わし、互いを知ろうとしている。噂では戦いが激化している地域もあるらしいけど、少なくともこの辺りでは減っていた。私たちがやってきたことが実を結んだのかはわからないが悪い方向には向かっていない。
だけど、そんな穏やかな日々は終わろうとしていた。夫は一日のほとんどをベッドで過ごし、私の居場所は隣の椅子。彼が眠っている間はスリープ状態にしていた。年老いた夫と同じように私も劣化していたからだ。未だに稼働できているのは集落に足を運ぶアンドロイドたちのおかげ。
大きな月が雪で白くなった山を照らしている夜、夫が目を覚ました。身じろぎした時の音を検知してスリープを解除する。目を開けると、皺だらけの顔で私を見ていた。何も言ってくれないので先に口を開く。
「おはよう。気分はどう?」
耳が遠くなった夫でも聞き取りやすいようにゆっくりと、はっきりと話したつもりだった。だけどノイズが混じっていてひどい声になる。それでも夫には伝わったようだ。
「悪くないけど仕事が溜まっているんだ。調子の悪い風車をメンテしないといけないし、畑の準備もある」
「大丈夫。みんながやってくれたわ」
「良かった。実は動けそうもないんだ。ここまでかもな」
力なくため息をついているけど、その顔に悲壮感はない。やりきって満足しているように見えた。
「長生きしたわね。やり残した事はない?」
「ある。賭けの勝者に何もしてやれなかった事かな。何がいい? 今の俺にできる事は少ないけど」
そっと夫の手を握る。キーボードの上で踊っていたしなやかな指は姿を変え、たくさんの傷跡があり固くなっていた。
「仕方がないから質問に答えてもらうだけでいいわ」
「お手柔らかに頼む」
この手が行ってきた仕事は全て覚えている。油まみれになりながら風車を直し、爪を真っ黒にして畑を耕していた。ただ、私に触れた事は一度もない。ボディに不調がある時は内部に手を入れてくれたけど、亡き妻にしたように、腰に手を回したり、髪をなでたりしてくれた事はなかった。
「私は、桜さんの代わりになれた?」
「何を言っているんだ? ああ、俺がいなくなるから不安なんだな」
見当違いの事を言い始めたけど、夫の手はゆっくりと持ち上がり、私のヒビが入った頬に触れる。
「亡き妻とか、今のお前とか関係ない。桜は桜だよ。お前の存在全てが俺の自慢だ」
「答えになっていないわよ」
自分で聞いた問いだけど、もう答えは重要じゃない。初めて夫から触れてくれた。それが何ものにも代え難い。そして私は桜さんの代わりになろうとしてただけで、向き合っていなかったとわかった。それなのに彼は優しい言葉をくれる。
「桜が隣にいてくれて幸せだった」
隣にいられなかった桜さんが聞いたら喜ぶだろう言葉を私が代わりに受けとる。返事を待つ彼になんて返せばいい? きっとこれしかない。彼女も同じ言葉で返すだろう。
「私も、
光を失ないつつある人類の目が細まる。
「はじめて名前で呼んでくれたね。やっと桜に認めてもらえた気がするよ」
そうか。触れてくれなかったのを気にしていた私と同じで、人類も名前で呼ばれなかったのを気にしていたのね。私たちは本当に似た者同士だ。お互いがそれを自覚していなかった事を含めて。
「そうだった? メモリが破損しているからわからないけど」
私が笑いかけ、人類は弱々しいながらも微笑む。
「都合よく劣化したふりをしなくてもいいだろ。なあ、もう一度、呼んでくれよ」
「いやよ。恥ずかしい」
それから思い出を振り返り、たくさん笑って、短く別れの言葉を交わした。手を握りあったままで。
そうして
終
【短編】アンドロイドの私と、人間の夫は、終末の世界を生きる。 Edy @wizmina
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