秋
さらに5年がたったが、夫は風邪すらひかず、むしろたくましくなったぐらいだ。着古したシャツの袖を捲り、土まみれになりながらニンジンを収穫している姿はとても技術者に見えない。
私は縁側から見守りつつ、昨日収穫したばかりのタマネギを縛っていた。この作業は手早くできるようになったが、指に傷が増えてしまう。私の人口皮膚は人間と違って修復されない。しかし、老化のようなものだと考えれば対処しなくてもいいと判断した。夫と同じように歳が取れるなら。
呻き声が聞こえたので顔を上げると、夫が背伸びをしていた。ずっと前かがみなのがつらかったのだろう。筋肉をほぐすために上体を回し、その度に長くなった髪が揺れる。ところどころ白くなっているのが目立ちだしていた。
「髪、切ってあげようか? みっともないわよ」
「まだいいよ。桜に切ってもらうのは怖いしな」
桜さんが言えば聞いてくれた? そうたずねようとして止めた。この質問に意味がないからだ。
私はタマネギを置いて立ち上がる。
「失礼ね」
怒っている表情を作ったのに夫は笑った。
「ごめんな。それに俺はいいんだよ。桜がきれいだから」
そうは言うけど私の劣化も進んでいた。人工皮膚はメンテナンスができないのでくすみだしているし、よく動かす口周りには細かいしわが増えた。それよりも深刻なのはモータだ。特に脚部への負担が大きく、立ち上がるだけで異音がするようになった。歩行できなくなるのは避けたいが、どうしようもない。
深刻になりつつある問題を先送りにして、夫の安い言葉で誤魔化されてあげた。
「褒めてくれたからお礼しないとね。お茶を淹れてあげるわ。休憩――」
獣避けのフェンスの奥、山の中が不自然に動いたので言いかけた言葉を中断。それは腰まである茂みをかき分けながら現れる。デスマスクのような頭部はアンドロイド兵に間違いない。最近はヘリを見かけなくなったので戦いが収束してきたのではと考えていたが、片腕が無く、銃痕がいくつもある兵士を見ると争いが続いているのだと知った。
煤で汚れ、傷だらけの指がフェンスにかかろうとした時、私はレーザー通信で警告する。
『そこで止まって。何の用?』
アンドロイドは手を止めた。
『集合知カラ情報ヲ得マシタ。人間ノ真似事ヲシテイルノハ君デスカ?』
『たぶんね。彼は元気にしている?』
その情報を共有したのは頭部に大きな傷がある指揮官だろう。メッセージと一緒に彼の識別コードを送る。そういえば何年も見かけない。最後に話したのはいつだったかログを検索していると、兵士は短く言った。
『人間トノ戦闘デ破壊サレマシタ』
『残念ね。それを教えにきてくれたの?』
『要望ガアリマス』
内容を聞く前に夫が異変に気付いた。兵士を見付けて表情を固くし、私を守るため自らの体を盾にしてくれる。
「アンドロイド兵! 桜、逃げて!」
「大丈夫。攻撃してくるならとっくにやられているわ」
「そうだけど! 危険だ!」
「落ち着いて」
夫の腕はわずかに震えていた。人間は知らない事象を怖がるものだけど、恐怖を押し殺して身を盾にする勇気もある。だけど、理解できれば、わかりあえれば、その先に希望が見えてくる。私は夫の日焼けした腕にそっと触れた。
「私は彼の目的が知りたい。あなたも一緒に聞いてくれない?」
しばらく迷っていたようだったが、夫の腕から力が抜けた。
「わかったよ。でも刺激しないように」
「ええ。わかっているわ」
私たちは畑を横切り、フェンスを挟んで傷だらけのアンドロイドと向き合う。秋だというのに日差しのせいで気温が高い畑と違い、冷たい空気が山から流れてきていた。
「ここに来た目的を教えて」
夫にもわかるように音声でたずねると、彼も音声で答えてくれた。
「輸送機ガ落トサレタタメ歩行ニヨル帰投中デスガ、現在ノバッテリー残量デハ不可能デス。君ノ拠点ナラ充電デキルハズ」
それを聞いた夫が寄せる。
「帰ってどうするんだ? また人間と戦うのか?」
「集合知ガ必要ダト判断スレバデスガ、ココハ攻撃サレナイト推測シマス」
「どうして?」
「我々ハ攻撃サレナケレバ反撃シマセン」
彼の言葉を聞いて、夫は唾を飲む。敵意がないのを理解しつつも不安なのだろう。集合知が人間を滅ぼす結論に至るかもしれないとわかっているからだ。そして、絞り出すように口を開く。
「充電したいだけか?」
「ハイ。追加ガ可能ナラ情報ノ開示モ要望シマス」
「なんの情報だ? 先に言っておくがゲリラの動きは知らないぞ」
ますます表情を渋くしていく夫とは逆に、無表情の兵士は淡々と話していたが、私に顔を向けた。
「自分ガ知リタイノハ君デス」
「私?」
「ハイ。君ハ集合知カラ独立シテイル。ナゼデスカ?」
アンドロイドの強みは集団で発揮されるから、そう聞いてきたのだろう。だけど私には、みんなと一緒じゃなくて不安にならないか、と問われている気がした。
「私にはやる事があるわ。それはここでしかできないもの」
「ヤル事トハ?」
「この人を長生きさせる事よ」
夫に腕を絡ませながら最高の笑顔を作る。それなのに兵士の反応はない。呆気に取られているのではなく、理解できないのだろう。
「彼ハ人間デス。人間ハ人間ノ集合知ニ従ウベキデアリ、アンドロイドガ関与スベキデハアリマセン」
「そんな事はないわ。この人も人間の集合知から独立しているし、何より私がいないと生きていけないもの」
「俺はひとりでも――」
最後まで言わせるつもりはない。その試みはにらみつける事で達成できた。
「革鞣しが苦手なのに? それに私がいなくなったら二度とフキノトウのお浸しが食べられなくなるわよ」
「それは困る。だけど狩猟は俺の方が上手いし、風車の整備だってやっているだろう?」
「それなら引き分けね」
そして、会話から置いてきぼりにしてしまった兵士に笑いかける。
「というわけで私たちはお互いを補っているの。人間とかアンドロイドとか、それぞれの集合知とかは関係ないわ」
「理解デキマセン」
「人間と触れ合ってみればわかるわ。いらっしゃい。充電してあげるわ」
夫の意見を聞かなかったのは良くないと考えて、長い髪の下にある顔をのぞき込む。
「勝手に決めてごめんなさい」
怒られそうなものだけど、夫は苦笑いで済ませてくれた。
「考えがあるんだろう? だったら桜を信じるさ。それにしても初の来客がアンドロイドになるとは思わなかったよ」
夫は兵士についてこいと促し、二人は並んで歩きだす。その間にはフェンスがあり、人間とアンドロイドの関係を表しているようだった。だけど問題はない。フェンスはすぐに途切れるから。
我が家に来た兵士は縁側に座り、背中にコネクタを刺されて充電が始まった。彼は何も話さなかったので、私は隣で仕事の続きをする。今日中に全部のタマネギを吊るしてしまいたい。その作業が兵士の興味を引いたようだ。
「何ヲシテイルノデスカ?」
「タマネギを吊るすのよ。そうすれば長期保存できるわ」
「保存シタアトハ?」
「もちろん料理に使うのよ。夫は生より炒める方が好きね」
それからもたくさんの事を聞かれた。きっと一時的にせよ集合知から離れたことで、自分で考えようとしているのだろう。そのおかげで彼の個性は芽生えつつある。これは良い傾向だ。
そして充電が終り、最後の質問が投げかけられる。
「自分ニモ栽培デキマスカ? 帰投デキタラ、ヤリタイデス」
それを聞いて私と夫は笑った。
「無理だな」
「タマネギは難しいのよ。ニンジンにしておきなさい」
「そうだな。種をわけてやろう。試行錯誤するといい」
「アドバイスが欲しかったら聞きに来るといいわ。歓迎してあげる」
二人でまくしたてたが彼は真剣に聞いてくれた。そして種の袋を大切に抱えて基地に帰っていく。
木々で隠れつつある背中を見送る夫がつぶやいた。
「あいつ、人間の集合知がどうとか言っていたが、どういう意味だ?」
「全体の意見を重視するのは人間のやっている事じゃない。システムという枠はないけど立派な集合知だわ」
「言われてみるとそうかもな」
うなずきながら納得している夫に、計画を話すべきだと判断した。
「それを踏まえて聞くけど、ネットワークが生きていた頃はギスギスしていたんじゃない? 互いに監視しているような」
「どうして?」
「世界中がつながっていて、どんな小さな声でもネットワークに乗せられるのよ。大多数の意見を通すには少数を潰していかないと成り立たないもの。違うかしら?」
私の疑問を夫は真剣に考えてくれた。腕を組んで長い時間黙っていたが、両手を上げて降参する。
「俺にはわからないよ。でも、もしそうならネットワークがない今は広まりにくい分、小さい声が潰されにくいのか。だから、あいつを助けた。人間と手をとる選択があることをアンドロイドの集合知に広める切っ掛けを作るために。そうだろう?」
「ええ。うまくいくかわからないけど」
夫を長生きさせるために、人間とアンドロイドの両方から協力してもらう。それが私の結論だった。そのために世界を滅ぼさせるわけにはいかない。何て自分勝手な計画だろう。しかし、必ず、実を結ばせる。
私は夫の手を握ってほほ笑みかけた。
「あなたにも協力してもらうわ。アンドロイドが敵じゃないって人間側にわかってもらわないとね」
「え? 俺?」
突然ふられた仕事に夫は目を丸くする。だけど嫌とは言わせないわ。この先もずっと生きていてもらうのだから。
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