破り屋

結騎 了

#365日ショートショート 156

「待ってください、乃木さん。ぜひあなたの力を借りたいんです!」

「もう、よせ。世間がそれを求めちゃあいねぇよ」

 株式会社西宝映画制作。老舗の映画会社の正門で、初老の男を若い女性が追いかけていた。

「こんな時ですが、白状します。私、あなたの仕事に憧れてこの業界に入ったんです。破り屋、乃木正紀。私が最も尊敬する映画人です」

「やめろ。俺は監督でも演出家でもない。あれは本来、尊敬されるような仕事じゃあないんだ」

 そう吐き捨てながら、乃木は吸っていた煙草を携帯灰皿に押しつけた。

「……あんた、名前は」

 女性は名乗った。

「私は、道中宮子といいます。インターンを経て、三年前にこの西宝に入社しました」

「その年でプロデューサー補を務めるなんて、将来有望じゃあないか。なにも俺を頼ることはない」

「それじゃだめなんです!私の作りたい映画には、あなたが必要だから……」

 はぁっと溜息をつき、乃木は口を開いた。「どうして、そこまで俺を」

 ゆっくりと、想いを確かめるように。道中は心情を語り始めた。

「破り屋。脚本家が書いたシナリオを崩すお仕事。登場人物が急に支離滅裂なことを言ったり、唐突な行動をしたりするのは、みんなこの破り屋のおかげ。だって、脚本家だって専門職だもの。登場人物に変な行動を取らせるなんて、普通はあり得ないわ」

「そうだ、俺たちが出来上がった脚本に手を入れることで、ああいう素っ頓狂な映画が出来上がる」

痘痕あばたえくぼ、という言葉があるわ。あなたたち破り屋は、まさに痘痕を作るお仕事ね」

「ふん、上手いこと言うじゃあねぇか」

 西陽は勢いを落とし、夕陽に溶け始めていた。構内の遠く、大道具を作る作業音が微かに聞こえてくる。立ちすくむ乃木と道中の距離は縮まらなかった。

「脚本家も馬鹿じゃあねぇ。変な行動をする登場人物なんざ、執筆の段階でいくらでも修正できるんだ。それを俺たちがわざわざ壊す。昔は台本のページを適当に破っていたんだそうな。だから、破り屋と呼ばれるんだ」

「ええ。でも、その破り屋のおかげで、観客は余計にその映画を好きになるのよ」

「男だってな、どこか欠点のある女が可愛いんだ。完璧な美人なんざすぐに飽きちまう。ほどよく許せる欠点がある映画には、愛着がわくんだよ」

「だからこそ、私が今度作る映画、あなたにも参加してほしいんです」。道中は歩を進め、近寄った。「あなたの破りは他の人とは違う。あれは芸術よ。登場人物の心情や考え方が、ただ破綻するだけじゃない。それによって、新しい発見があったり、深い解釈を示唆したりする。あなたの破り方は天才的よ。だから、ぜひ……」

「さっきも言っただろ。もう、求められちゃあいないんだよ」。乃木は、道中が進んだ分だけ距離を取った。「今の観客は昔とは違う。インターネットのおかげで、誰もが批評家気取りだ。やれブログだ、やれSNSだ、欠点を挙げ連ねる行為を楽しんでやがる。奴らは痘痕を愛せないんだ。映画それ自体を好きになろうとする奴はほとんどいなくなったのさ。今時、まともに売れるのは完璧な美人だ。それも、差別も偏見もない博愛主義の美人だけ。こうなっちゃあ、破り屋は廃業だよ」

 革靴の音が鳴る。乃木は、西宝の正門を過ぎた。

「頑張れよ。嬉しかったぜ」

「乃木さん!」

 道中の声が彼の歩みを止めることはなかった。作業音も、いつの間にか聞こえなくなっていた。

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