第9話 暗雲を晴らせ!
【第8話】
https://kakuyomu.jp/works/16817139557243611886/episodes/16817330648631665121
「大黒社長、いよいよですね」
俺の腕時計が定時十分前を刻む。
ホワイト企業のはずの職場は、誰一人として退勤準備をしていなかった。みんなが食い入るように見つめるのは、ローカル局の情報番組。以前、うちのカーテン「SORA-MOYOU」を取り上げてくれた番組だ。リアタイで見なければいけない理由は、うちのインタビューが再び流れるからではない。
大黒社長は歯を噛み締めた。力の強さのあまり、奥歯がかけないか心配になる。
「品評会でクラウドワークスに勝たなければ、東雲製作所は敵対的買収を受け入れる。わしが不甲斐ないばかりに、あんな要求を飲んでしまった。迷惑をかけてすまない」
「そうじゃな。迷惑極まりない」
間髪を入れずに、俺の隣で祖父が頷く。大黒社長は目をぐるぐるさせた。
「堅志前会長ぉ。今のは、そんなことないと否定してくれるタイミングでしたよねぇ」
「やかましい。狸のようにまん丸と肥えおって。ストレスが溜まれば暴飲暴食する悪癖は、営業のころと変わっておらんのぅ」
祖父は大黒社長の頭から爪先まで見下ろした。
「すみません。堅志前会長が築いてくださった道を、私の代で閉ざしてしまうかもしれません……」
「東雲の名を消してたまるか。うちが消えてしまえば、雲海組が永久に忘れ去られてしまう。あいつの生きた証を残せぬのなら、お前が社長をやめた後も化けて出るぞ」
枯れ木のような祖父の肘が、大黒社長の脇腹にめり込んだ。
「やめてください。厄介なじいさんを二人も相手すると、毛根が撲滅してしまいます」
「安心せい。そのときは、忍がいいカツラを贈ってくれるはずじゃ。のう、忍よ」
やめろ、俺を巻き込まないでくれ。夏は終わったのに、嫌な汗がしたたりそうだ。
場を和ませたのは荒川主任だった。
「CMが明ければお天気コーナーになります。心の準備はできていますか?」
「おぉーっ!」
社員全員が拳を突き上げる。お天気コーナーに映し出される雲が、品評会の最優秀賞と聞かされていた。
見ていろ、クラウドワークス。作品提出の二週間前に勝負を持ちかけやがって。こちとら腕のいい職人が集っているんだ。貴様らの思い通りにはさせてたまるかよ。
この場にいない梨李さんも、同じ空を見ていてほしい。東雲製作所はまだ梨李さんの帰りを待っているんだからな。
俺は、勝負を持ちかけられたときに会った梨李さんの顔を思い浮かべる。泣きながら出て行った日と比べ、感情の抜け落ちた顔をしていた。AIが原稿を読み上げるように、元職場への挑戦状を淡々と告げた。
「東雲株式会社が品評会で最優秀賞を獲ることができなければ、買収の拒否権はありません。品評会への参加を拒否する場合は、弊社クラウドワークスの力を駆使し、営業を妨害するつもりです」
「大黒社長。口先だけの脅しではありませんので、慎重にお考えください」
西京社長はほくそ笑んでいた。傍らにいるはずの佐々江はおらず、梨李を秘書のようにこき使っていることも大黒社長の怒りを買った。
「裏のありそうな取引ですが、何もしないまま御社の傘下に入るのはまっぴらごめんです。弊社を侮ったことを後悔させて見せましょう」
「楽しみにしております。二週間後を」
社員全員がはめられたと叫ぶのは、二人が帰った後だった。
怪しいと思っていたんだ。クラウドワークスが怖いくらいに動きを見せなかったから。本当に敵対的買収を狙っているのなら、何らかのアクションくらいあるはずだった。なりを潜めていたのは、品評会に出す雲を作っていたせいか。
俺を含め、社員全員が力を落としていた。こんなときに暗い気分を晴らしてくれる人はもういない。
工場長がきびきびとした口調で話し出した。
「受けてしまった勝負をなかったものにするというのは、いかがなものでしょうか。雲海組の雲が出品されなくなった年から、品評会に出さなくなりましたけど。前会長が現役のときは何度も最優秀賞を飾りました。まだ私の腕は前会長に及びませんが、あのころの東雲製作所に負けないアイデアマンはいます」
工場長の目が、一瞬だけ俺に視線を送った。
「たかが二週間で何ができると思われているのですよ。資金不足の弱小企業が作る雲は、最優秀賞に選ばれるわけがないと。とんだ誤解ですよね。製作部の力を見くびらないでいただきたい」
「そ、そうだよねっ! 商品企画部だって! 製作部に負けていないもんね!」
うわずった声で荒川主任が叫ぶ。胸ポケットには、うさぎのアクションボールペンが入っていた。
商品企画部の士気も高めようとしてくれているのは心強いが、ほっこりして顔がにやけてしまう。かわゆい主任だから仕方がないのか。工場長に靴を踏まれていて不憫すぎる。製作部の靴と違って、こっちのは普通の靴なんだぞ。
「工場長、結城がいないから頑張って盛り上げようとしてくれているんだな」
直津くんの呟きに俺は頷いた。
「なぁ田江さん。今回は商品じゃないけどさ。『絶対に勝てる! これはいいものだ!』って信じてないと勝てる勝負も勝てないのかな」
「当たり前だろ」
俺は至極当然のように言った。
「侘びの東雲製作所と言われたときより、もっといい雲を作ろうぜ!」
納得のいく雲ができたのは、締め切りの前日だった。手配したトラックが来られなくなるトラブルに見舞われたものの、どうにか指定された納品先に届けられた。
夕空に漂う雲が、東雲製作所の雲でありますように。テレビに熱い視線が向けられた。
「今日は変わった形の雲とともに、お天気情報をお届けできました。テレビの前の皆さんも、あひるの形の雲に癒されたかもしれませんね! 明日は多少雲が広がりますが、穏やかに晴れてくれるでしょう。一日の寒暖差が大きくなりますので、お出かけの際は上着と手袋を忘れずに持っていってください。
朗らかな声の後で、画面が相撲に切り替わる。みんな、息をするのを忘れたように固まっていた。
動きを止めた空間に、招かれざる客が訪れた。
「最優秀賞を獲ることはできなかったようですね。いやぁ、残念です。残念、残念」
梨李さんを伴って、再び西京社長が姿を見せた。この場で買収の話を進めるつもりなのか。確かにテレビに映し出された雲は、うちの出品したものより格段に上だった。
うろこ雲で表現したアヒルの群れの中に、一羽だけ毛並みの違う鳥がいた。言わずと知れた「みにくいアヒルの子」を下敷きにしていた。
みにくいアヒルの子は成長し、大空へと羽を広げる。白鳥の姿はやがて天女に変貌を遂げ、天衣をはためかせた。
表現力、アイデア、ストーリー性、遠くからでも分かる天女のたおやかな顔。東雲製作所が破れた悔しさより、圧倒的な美しさに呑み込まれていた。
悔しいが、完敗だ。いやみったらしい西京社長の笑みに、苛立つ気力も残っていない。
「いかがです? 弊社の誇る最先端技術もここまで飛躍を遂げました。傘下に加えてもらえることを、誇りに思っていただけますね」
大黒社長は沈み込んだ。狸寝入りで乗り切るつもりだろうか。反論できない大黒社長に、祖父がふんっと鼻を鳴らす。
「西京さん、あんたは見る目がない。筒抜の技をちゃちな量産型と一緒にしおって」
西京社長の余裕だった顔が崩れた。
「筒抜、どういうつもりだ?」
「ご心配なさらず。クラウドワークスからも出品しております。ただし、私自身も個人で出品させていただきました。最優秀賞の出品者は私です」
「素晴らしい。さすがうちの社員だ」
「いいえ。私はもう、クラウドワークスの社員ではありません。御社は認定証を剥奪されますから」
認定証?
俺の脳内ではてなマークが生産されていると、じいちゃんが囁いた。政府が雲の製作を許した会社に贈られるものだよ。
梨李さんはにやりと笑った。
「政府の改善命令を聞かずに強行したツケです。もともとIT一本で勝負されてきたのですから、すぐに経営が傾く屋台骨ではないでしょう」
「筒抜がいてくれないと困る。自分の祖父が築いた会社を潰すつもりか?」
下手に出る西京社長を、梨李さんは冷ややかに見下ろした。
「祖父が守ろうとした会社は消えました。社名だけでなく理念も矜恃も。クラウドワークスに未練はありません。急いで会社に戻られた方がいいですよ。佐々江さんだけでは電話対応に限界がありますから」
西京社長は真っ青な顔をして出て行った。これで一件落着……なのか?
一人残った梨李さんは、社員全員に対して頭を下げた。
「ごめんなさい! みんなを騙してしまって。親しく呼んでもらった結城梨李の名前は偽名だし、家族構成も嘘をついていました。本当の私は、雲海組初代社長の孫娘。筒抜琉空と言います。産業スパイなんて姑息な手を使っていた自分に、どーんと制裁を与えてください!」
「結城さん待って。早口言葉よりも早口だし、すごく大事な情報ばかり羅列しているから思考回路が追い付かないよ」
そういう大黒社長も早口すぎて、梨李さんがわたわたしていますよ。まぁ、俺もじいちゃんに教えてもらわなかったら、情報過多で死んでいたかもしれないな。
俺は待ち焦がれていた同僚の帰還に目を細めた。
「おかえりなさい。梨李さん」
「琉空でいいよ」
「オーケー。リリック」
「え? まさかのデジャブ!?」
あぁ、懐かしいぜ。この感じ。
梨李さん改め琉空さんは、にかっと太陽のように笑った。
「大好きな空が入った名前を、のぶっちに呼んでもらいたいの」
【第10話】
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