第5話 きょうてきが、あらわれた!

【第4話】

 https://kakuyomu.jp/works/16817139557243611886/episodes/16817139558061910536



 直津くんが一番の下っ端であれば、工場長は神の腕なのだろう。「俺レベルではここまでが限界でした」と渡されたサンプルは、想像以上の出来映えだった。ハンカチほどの大きさの生地を窓辺にかざせば、曇り雲から光が差し込む模様に変化した。直津くんには悪いが、ここまで外の様子が分かるようになるとは思わなかった。

 あのカーテンは、実現不可能ではない。課題があるとすれば、工場長の説得だけだ。


 工場長は悪い人ではない。ただ、考えが読みにくい人だった。




 直津くんにアポを取ってもらい、梨李さんと二人で製作部へ赴いた。


「工場長! どこにおられますか?」


 通路を塞ぐワゴンをどかし、直津くんは機械エリアを進む。俺はワゴンから落ちたラジオペンチを拾い、元あったであろう場所へ収めた。


「あ。いたいた。工場長、こちら開発部の……」


 呼びかけていた直津くんが、床にしゃがみ込む。脚立から落下した上司でも、目の当たりにしたのだろうか。


「俺のことはしばらく放置してください。のっぴきならない事情ができまして。それより、あれをどうにかしてもらえると助かります……」


 直津くんは、苦悶の表情を浮かべながら指差す。目の前の光景に、梨李さんと俺は言葉を失った。


 この世には、胸開きタートルネックなるものがある。防寒具としての役割より、可愛さを優先したセーターだ。元カノもデートのときに着て、谷間に視線を逸らす俺を見ては嬉しそうに笑っていた。あれもけしからん服だったが、工場長の格好の方が破壊力は上だった。


 見慣れたマスクと作業服。はだけた上着から、黒いチューブトップが覗いている。汗を拭くためにチューブトップはたくしあげられ、慎ましい形の下乳が露出する。


「それ以上はだめえええええ!」


 梨李さんは俺の目をふさいだ。至福の光景なのに、なんて無情な。チャックの上がる音が空しい。汗拭きシートに生まれ変わりたい人生だったぜ。

 視界が開けると、工場長にえしゃくをする梨李さんがいた。俺も梨李さんに倣って頭を下げるが、目線を合わせてもらえない。


 えーっと。俺の第一印象が悪いのは、自分のせいなのか? 鼻の下を伸ばしていないとは言い切れないが、いささか不用心すぎではなかろうか。


 味方だと思っていた直津くんは、しゃがみ込んだまま動かない。どこがのっぴきならない事情なんだ。頼むよ、直津くん。工場長の好感度をマイナスから引き上げてくれないか。


 俺と直津くんが冷や汗をかいている中、女性二人の周りには和やかな雰囲気が漂っていた。


「結城さん。この間の飾り付けセット、使用した感想はいかがでしたか? 時間のあるときに意見を聞かせていただけましたら、後日修正したサンプルを直津に運ばせます」

「うーんとね。メッセージを書くときに、雲がちょっとだけ萎んじゃったんだよね。まだ改良できそう? あと、虹が出るタイミングを調節したいな。本当は『入社おめでとう!』の掛け声のときに、虹を出したかったの。のぶっちは喜んでくれたから大成功なんだけど、やっぱり納得のいくものを作りたくて!」

「えぇ。私も同感ですよ」 


 工場長は梨李さんのタメ口に気分を害することなく、熱心にメモを取っていた。

 さっきの非常識さはどこに消えたよ。職場で肌を晒せる大胆さは。


「……結城さん、一つ質問してもよろしいですか?」

「うんうん。何でも訊いて!」


 工場長は眉間にしわを寄せた。


「直津のそばにいる可燃ゴミについて、結城さんはご存じでしょうか?」

「のぶっちのこと? ずっと突っ立っているけど、怪しい人じゃないから安心して。今日は、うちの新入社員を紹介しに来たのだ!」


 梨李さん! 俺は心の中で涙を流した。

 せめて可燃ゴミではないと訂正してほしかった!


「田江忍と申します。至らない点が多々あるかもしれませんが、ご指導ご……」

「ひょっとして、田江堅志つよしさんのお孫さんですか?」


 工場長は身を乗り出しながら、俺の自己紹介を遮った。荒川主任から祖父のすごさについて聞いていたが、工場長にとっても憧れの人なんだろうな。

 何にせよ、祖父のおかげで可燃ゴミから人に昇格できた。美人に睨まれるのは嫌いじゃないが、仕事仲間とは友好的な関係を築きたい。


「はい。祖父から勧められたことがきっかけで、採用面接を受けさせていただきました。まだ入社して間もないですが、空を見上げるのが楽しいと思えるようになりました」

「そう」


 工場長は満足そうに俺の話を聞いていた。第一印象は、綺麗さっぱり忘れてもらえたようだ。感触はいい。本題に移っても差し支えないだろう。


「実は、製作部に本日伺ったのは、カーテンのリニューアルについて相談させていただきたく」

「荒川から詳細を聞いています。可愛い子が来るからよろしく頼むと」


 荒川主任、根回しありがとうございます。

 俺は工場長の目を見つめた。


「工場長。カーテンを開けたくても開けられない人のために、天気や空の変化を楽しめる商品を作っていただけませんか? こちらが資料です」

「のぶっちのアイデア、すごいと思わない? 一緒に作ったら楽しいよ」


 梨李さんが加勢した。ふらふらと立ち上がった直津くんも、説得に動いてくれる。


「田江さんが企画した商品は売れますよ。お買い上げいただいた病院での口コミをきっかけに、個人客の需要も伸びるはずです。何より、今まで誰も思いつかなかった製品が作れる。会社の利益だけでなく、製作部にとっても大きなメリットになると思うのですが」

「なるほど」


 工場長は受け取った企画書をめくる。何度も書き直した企画書は、最後のページまで読まれなかった。


「素晴らしいアイデアですね。荒川がべた褒めするだけのことはあります」

「じゃあ……!」


 期待のこもった視線を向ける梨李に、工場長は首を振った。


「入院患者や寝たきりの要介護者にとっては、ありがたい商品になるかもしれませんね。ですが、一般向けで販売した場合、空を見上げる楽しさが損なわれるのではないでしょうか? 東雲製作所は、本物の雲を作ることに存在意義があります。空を楽しんでもらえるために、カーテンを開けたくなる商品を企画するべきです」


 強い語気に、元気いっぱいの梨李さんですら沈黙した。




「のぶっち、定時から十五分も過ぎているよ。今日はもう店じまいしようよ。あれから定時退勤記録が止まっているしさ」

「あぁ。企画書を作り直したら帰る」


 俺はパソコン画面を見つめたまま答えた。


 工場長の説得を試みて、早一週間。試作が進まなければ価格設定も原価計算もできない。俺は焦っていた。足踏みしているうちに、似たような商品が市場に出回るかもしれない。安くて質が良いライバルと、東雲製作所が渡り合えるとは思えなかった。


「手伝うよ! のぶっちだけに残業させられないもん」


 梨李さんの申し出はありがたいが、もう少しだけ任せてほしい。無理はしていないから、先に帰ってくれ。


「う、うにゃあ」


 ちらちらと俺を見ながら、梨李さんは退社した。


 俺は息をつく。あのカーテンは、そんなに魅力がないのだろうか。

 直津くんの言葉が脳裏を反芻する。


 ――工場長、こういうの好きなんですよ。それに『本当にこの商品は売れるかも』ってなれば、気合いも入ると思いますよ。


 企画書を幾度修正しても、工場長の承認は得られなかった。本当に好きな商品なら、前向きに検討してくれるものを。


 窓を見やると、ちぎれ雲が漆黒の空に塗りつぶされていた。

 俺には、これくらいの暗さが落ち着く。前の職場では、まだまだ仕事の時間だ。


「田江くん、一杯付き合ってくれないか?」


 荒川主任の誘いに、キーボードを打つ手が止まる。

 ビールの気分じゃないんですけど。


「息抜きは大事だよ。ライムが苦手でなければ、どうかな?」




 バーに行くのは初めてだ。荒川主任の背中にくっつくように入る。


「フローズンマルガリータを」


 注文したものは、シロップに浸かる白いシャーベットだった。グラスの淵には塩が付けられている。荒川主任がグラスを持ち上げると、細い煙が渦巻いた。


「うわあっ!」


 誰だよ、大人の隠れ家に似つかわしくない叫び声を上げたのは。きょろきょろと辺りを見回したが、声の主は見つからなかった。

 

「主任、もしかしてこれ」


 シャーベットの周りを囲む、煙の正体に気付いた。雲だ。巻雲だった。


「うちの商品だよ。僕が開発したんだ」


 荒川主任が小声で教えてくれた。


「実は思いつきなんだ。入社して三ヶ月ぐらい経った後だった。企画書はすぐに通ったが、試作から契約までが遠かった。今のきみみたいな、疲れきった顔をしていたよ。私は会社の戦力になれているのか、焦りもあった」


 荒川主任の上司は、どんな言葉をかけてくれたんですか。

 フローズンマルガリータを味わい、俺は素朴な疑問を口にする。


「『とりあえず、やってみよう。うまくいかなくても、確実に成功へ進んでいるはず。責任なんて考えなくていいから、挑戦あるのみだよ』って。納期が遅れそうになっても、その上司は怒らなかった。むしろ、僕に回ってくるはずだった業務の負担を減らしてくれていたよ」

「素敵な上司ですね」

「そうだろう? 出会いに感謝しているよ。今年で珊瑚さんご婚式なんて、信じられないからね」


 漫画みたいな話だな。俺はグラスを一気にあおる。テキーラベースのカクテルは、ライムの爽やかさのおかげで飲みやすかった。


「あっ! 田江くん。そのカクテルは一気に飲むと酔いが回りやすいから、気をつけ……て」

 

 荒川主任の声が遠ざかる。うたた寝した俺を起こしたのは、荒川主任でもバーの店主でもなかった。


「田江忍くん。うちの荒川を困らせないでください」


 マスクでくぐもった声は、工場長のものだった。


「こう、ば、ちょう~。お疲れ様れす」


 自分では澱みなく話せているつもりだが、上司二人は顔を見合わせた。


「新入社員のときのあなたそっくりですね。荒川」

「そんなことないよ。きみに迷惑かけた覚えは……あるかも」

「私に言わせれば、炭酸ジュースと何ら変わりないアルコール度数です。マスター、ギムレットをいただけますか?」


 工場長はマスクを外した。積み重ねた年月がしわとして刻み込まれている。


「こうばちょーと、あらかわしゅにんって……長い付き合いなんしゅか?」

「違う部署になっても、交流は続いていますよ。熟年離婚しない限りは」

「それじゃ、しゃきほどのじょーしって」


 荒川主任が真っ赤な顔でグラスを渡した。


「田江くん。お水飲もうね」

「よく言うわ。厳しく対応してくれとお願いしておいて。酔いが回りやすくなるまで、疲れさせないの。そりゃあ、コネ入社だと敵視する社員もいるでしょうけど。この子の目を見ていれば不安はないわ。いい目をしているもの」


 手厳しいね、うちの奥さんは。

 その意味が分かったのは、工場長を説得できた後だった。


「うちの旦那をよろしくお願いします。お人好しで、新人育成がうまくない上司だけど。いい相談箱だと思って使ってやってください」


 工場長が一日で仕上げたサンプルは、商品企画部の思い描いたイメージそのものだった。

 いい流れは連鎖する。


「田江くん。例のカーテンだけどね」


 長電話の後で、荒川主任はウインクをした。


「決まったって。取引先。しかも中央病院だ。これから忙しくなるぞ」

「すごいよ、しのぶっち! 新人最速記録だよ!」


 梨李さんは俺の頭をわしゃわしゃと撫でた。


「今日のランチはお祝いだよ。ちょっと背伸びしたランチとしゃれこもう!」


 手を引かれるままに、緑のアヒルがトレードマークのコーヒーチェーン店へ連れていかれる。ドアを開けた瞬間、白スーツの男とぶつかりそうになる。とっさに避けた梨李さんを睨み、何食わぬ顔で電話を続けた。


 態度悪いな。掴みかかろうとした俺の袖を、梨李さんは軽く引っ張った。


「のぶっちは何食べる? 私のおすすめはね、たくさんあるよ!」


 長ったらしいカタカナを全て記憶することはできなかった。石窯カンパーニュとエスプレッソにしようと固く誓う。


 白スーツの男のことは、忘却の彼方へ追いやっていた。どれほど危険な男か、後で思い知ることになるとも知らずに。




「そうですか。弊社の商品ではなく、東雲製作所のものを選ばれたのですね。いえ。今後お困りになった際には、クラウドワークスまでご連絡ください。微力ながら、お役に立てるよう尽力してまいります」


 電話を切ると、柔らかな口元がゆがんだ。


「メイン事業はうちが勝っているものの、寝具と空調は手強いか。だが、その天下もいつまで続くか見物だな」



【第6話】

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