第3話 目指せ、好スタート!
【第2話】
https://kakuyomu.jp/works/16817139557243611886/episodes/16817139557243633153
今日が初出勤の日だ。事務室で社員証をもらった俺は、商品開発部に案内された。
ドアを開けた途端、梨李さんが駆け寄ってくる。サーモンピンクのTシャツには「新人よ、定時で帰れ!」と英語で書かれていた。定時退勤の執念がすごいな。
「のぶっち、出勤するの早いって! 何時だと思っているの? しかも私服オッケーなのに、スーツで来ちゃって! もう少し肩の力抜こ?」
「出勤初日だから、時間に余裕を持って来ただけだ。さすがに、初日からポロシャツチノパンで来る勇気はないし」
梨李さんはえいやっと言って、俺の目を塞いだ。
「まだ飾りつけが済んでいないんだ。このまま待機してもらうよ」
「梨李の阿呆。せっかくバレてなかったのに、サプライズ失敗じゃない。ごめんね、田江さん。もう目を開けていいわよ」
俺が梨李さんの手を外すと、天井には小さな雲が浮かんでいた。もこもこの窪みには、社員のメッセージが手書きで綴られている。
地元を明るくしよう。一緒に働けて嬉しい。困ったことがなくても質問ウエルカムだよ。
聞き飽きたはずの社交辞令が、ちっとも嫌ではなかった。
「せーのっ」
「入社おめでとう! これからよろしくお願いします!」
数十人もの社員が、俺の目を見て拍手をしてくれる。しかも、誰一人くまがない。ブラック企業に来てしまったことへの哀れみの視線なんて、どこにもなかった。
そんなに歓迎しないでくれ。涙腺が崩壊しちまう。入社早々こき使われるのではないかと、最悪の事態を想定して来たっていうのに。自分の汚れきった心が恥ずかしくなる。
「あ、ありがとうございます」
「すごいでしょ。ちみっちゃい雲。また開発途中だから、虹の演出が遅れているんだけどね。ほら、のぶっち。主役からの一言をお願い」
大人になっても自己紹介は苦手だ。挨拶という名の腹の探り合いを楽しむほど、俺は策士ではない。だが、ここまで歓迎されたんだ。なけなしの爽やかさを注ぎ込まないとな。俺は大きく息を吸った。
「今日から商品開発部に配属となりました、田江忍と申します。前職で得たスキルを役立てながら、日々精進してまいります。精一杯頑張りますので、ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いします!」
フレッシュさを前面に出した無難な挨拶。ほかの社員には好印象だった俺の自己紹介に、梨李さんはなぜか不機嫌そうだった。
「も~。のぶっち、カタいカタい。バリカタかなって思うくらい真面目すぎるよ。バリカタと言えば、何だか長浜ラーメンの口になっちゃった。今日のお昼はラーメンにしようっと。チャーハンとギョーザ、どっちを頼むべきか悩むなぁ」
「カタいって……梨李ちゃんがフレンドリーすぎるだけだよ。田江くんの社会人らしさを見習ったら?」
梨李さんをイケおじがたしなめた。シルバーグレーの長髪を、ヘアゴムで束ねている。
「余計なお世話ですぅー」
イケおじは、口元をふわりと緩める。大人の余裕に、梨李さんはそれ以上言い返せない。
なるほど、こういう風に梨李さんをあしらえばいいのか。勉強になります、師匠!
俺が羨望の眼差しで見つめていると、師匠は一歩前に出た。
「商品開発部へようこそ。主任の
俺が女子だったら、荒川主任のウインクを見て気絶しただろう。あまりの眩しさに、サングラスがほしくなる。直視が危険なおじさまだ。
「うちの祖父が? 学童保育でお世話になったということは、荒川主任は祖父と違う部署だったんですか?」
「そうだよ。田江くんのおじいさんは、重役だったからね。まさに雲の上の存在だ」
嘘だろ。平社員だって聞いていたのに。思わぬ情報に思考が追いつかない。
「田江くんに、一つ質問してもいいかい?」
荒川主任の疑問に、俺は身構える。クソ上司も、質問は一つだけと前置きして、自慢話を三十分以上も披露した。所詮、上司は立場を悪用する生き物なのだ。俺も、決まりきった言葉を吐き出す。
「もちろんです。私でよろしければ、何でもおっしゃってください」
学歴マウントをするなら、かかってこいや。こちとら臨戦態勢は整えているんじゃ。
荒川主任は横を向いた。結髪のサイドが編み込みになっている。
手先が器用だと、舌を巻いたときだった。視界の端で、キラリと光るものがあった。
「このヘアゴム、似合っているのだろうか。五十過ぎたおっさんが、今さらオシャレなんて変ではないかな。梨李ちゃんは最高って言ってくれるけど、男性の目線から見てどうだい?」
編み込みの結び目を隠しているのは、女性もののヘアゴムだった。三日月に寄り添うユニコーンの飾りを見て、不覚にもきゅんとしてしまった。
主任が乙女だ。銀髪ロングの美少女が、口元を隠してはにかんでいるように見える。過労死寸前で、脳にバグが生じてしまったのだろうか。こんなに可愛いおっさんが存在する訳がない。
俺の考えを読んだかのように、梨李さんは大きく頷いた。
「かわゆい主任、癒されるっしょ。この間、奥さんからクマちゃんのヘアピンをもらったんだって。なのに、袋から開けるのがもったいなくて、鞄の内ポケットにしまっているらしいよ」
「あぁ。確かに癒されるな。似合っているし」
荒川主任、心の声とはいえ先程の言葉を撤回させてください。誠に申し訳ありませんでした。マウントなんてするはずないですよねぇ。子ども以上にピュアホワイトな人だったら。
「のぶっちの席は私の隣だよ。入社して間もないけど、九時十分から会議に参加してもらうよん。これが資料ね」
商品のリニューアルに関する会議らしい。梨李さんは会議の雰囲気を掴めばいいと言ってくれたが、お客さんとして高みの見物をするつもりはない。真剣に資料を読み込んだ。
「巻層雲を配合した遮光カーテンは人気だけど、羊柄と雲柄の二種類の売り上げは六年連続で減少しているの。別の柄に変更するか、より軽くするべきか対策が求められるのよね」
「確かに五千円は高いな。他社の通販サイトを見比べると、半分以下で購入できる。そうすると、浮いたお金はコンビニ弁当何食分だ……?」
脳内のそろばんが動き出す。
梨李さんは、うへぇと顔をしかめた。
「いくら値段が高くても、私なら可愛いものに妥協しないよ。ペラッペラのやっすいカーテンは、引っかかってボロボロになるのが早いもん」
梨李さんのような消費者も、一定数はいるだろう。それにしても、東雲製作所の製品は質を追求しすぎている気がする。転勤族にとって、家具を安く済ませたいと思うのは当然だ。
そもそも雲柄のカーテンなんて子どもっぽくないか? いい年した大人は買わないだろう。
俺は、喉元まで出かかった言葉を飲み込んだ。
主任のヘアゴムを見た後では、子どもぽいと発言しにくい。俺だって、モビルスーツが子どもっぽいなんて言われたら悲しいからな。好きでいて何が悪いとブチ切れてやる。
梨李さんは、黙り込んだ俺の肩をつつく。
「のぶっちの意見を聞かせてよ。もっといい商品を作りたいからさ」
やだ。ほかの社員に聞こえる場所で、気軽に意見を言いたくない。プロジェクトの責任者が俺に変更されるのは、こりごりだ。悪目立ちしたくない。
俺は、気になっていた疑問をぶつける。
「このカーテンのターゲットは誰なんだ?」
「ほへ?」
「想定されていないのか? 一人暮らしを始める学生または社会人を狙っているんだったら、いささか手にとりにくい商品だと思うぞ。カーテンにしては値段が張るからな。他社製品の方が購入したくなる気持ちも分かる」
「分かられたら困るよぉ。どーすればいいの?」
頭を抱える梨李さんの表情は、遅刻した会社員の絶望と類似していた。遅刻、寝坊、目覚まし……か。
連想がアイデアを引き寄せる。
「目覚ましいらずのカーテン、なんてどうだ? 朝は白色、昼になれば青色、夕方はオレンジ。時間帯によって色が変われば、寝過ごすことは減るんじゃないのか? 青空を見ても、何時か分かりにくいしな」
突拍子のない提案だ。実現できる見込みなんてない。仮にそんなカーテンが作れたとしても、販売価格を抑えられる気がしない。
「面白そうじゃないか! 田江くん、そのアイデアを形にしてみようよ」
「荒川主任? ただの思いつきですよ?」
俺の出したアイデアは、その後の会議で賛成票を多数得た。責任者主任の名のもとに、新プロジェクトが始動する。
俺にもようやく運が向いてきたのかもしれない。天井に浮いていた雲から、七色の光のリボンが溢れ出した。
【第4話】
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