雲を作る工場
薮坂
第2話「居酒屋でのお話」
第1話
https://kakuyomu.jp/works/16817139555333962225/episodes/16817139555334302365
「ふうん、なるほどねー。それで、のぶっちは
俺の目の前に座っていた
結城梨李は、俺が働くことになった
そして。定時になった途端に彼女は、「時間です! お疲れ様でしたぁ!」と芝居がかった口調で言うと、そのまま俺の肩を掴んで会社近くの居酒屋に連行したのだった。
噂に聞く「定時ピンポンダッシュ」である。他の社員たちも「はいお疲れさまー」なんて言ってたから、この会社は定時で帰っても問題ない会社なのだろう。そこには少し好感が持てる。
さて、そういう理由で。つまり俺は結城梨李と居酒屋にいるという訳だ。初対面の人と酒を酌み交わすなんて、なんだか随分久しぶりのことだった。
「で、のぶっちさー、ウチの会社でやってけそう?」
「いや、一日目というかまだ働いてもないんですが」
「いやいや、雰囲気とかで多少はわかるじゃん? そういう勘みたいなもの、のぶっちにはないの?」
「ちょっと待って下さい、その『のぶっち』ってもう決定事項ですか?」
「うん。そっちのが早く仲良くなれそうだし。あ、だから私のことも『
彼女はグラスを掲げてエヘヘと笑った。汗をかいたグラスから雫が落ちて、ぱたぱたとテーブルを軽く濡らす。俺はその笑顔をぼけっと見ながら、ふと我に返って首を横に振った。
「いやいや結城さん、俺たち初対面ですよ初対面。まだ出会って一日目ですから、俺はそんな呼び方なんて出来ませんよ」
「えー、見た目通りのカタい人だなぁ。じゃあ『りっちゃん』でもいいからさぁ」
「どう考えてもそっちのがレベル高いですから」
「えー。じゃあこの際『リリック』でもいいけど」
「なぜ急にヒップホップに?」
「え、まさかのぶっち、ラップする人?」
「いやしませんよ」
「私もしないー」
彼女はまたエヘヘと笑った。まるで雲のような掴みどころのない女性である。単に酔ってるだけかも知れないけど。
「ま、冗談は置いといて。ところでのぶっち、歳はいくつなの?」
「のぶっち呼びは冗談じゃないんですか。俺は今年で27ですけど、それが?」
「え、27なの!? 2つ歳上なだけじゃん! ほぼ同世代じゃん! やっぱ敬語なんてやめて普通に話してよぅ」
彼女は嬉しそうにして、割と強めにジョッキをぶつけてきた。自分のジョッキの水面が波打ち、溢れそうになるのを啜って抑える。
なんなんだこの子は。意味がわからない。ずっと日陰で、いや闇に塗れてきた俺にとって彼女は眩しすぎる存在に見える。それともやっぱ酔ってるだけか? 二口、三口くらいしか飲んでないように見えるのだが。
「私、今年で25だよ。2歳差、2歳差。うーん、ちょうどいいよね」
「いいって何がですか」
「えへへ、こっちの話ー。気にしないでいいからね」
「いや気になりますよ」
「じゃあそのカタい敬語やめたら話してあげる」
表情をとろりと蕩かせて彼女は言った。しかも頬は薄らとピンク色に紅潮している。
なるほど途端に理解した。彼女は下戸だ、間違いない。このまま飲ませ続けるとさらに面倒なことになりそうだ。
僕は強引に話題を変えることにする。仕事の話なら、多少は真面目さを保ってくれそうだったから。
「ところで結城さん、質問があるんですがいいですか」
「ダメでーす。敬語で話す人にはお答えできませーん」
「いやいや、こっちは真面目に訊いてんですって!」
「私も真面目だよ? のぶっちさは、東雲製作所に入ってきてくれた、珍しく年の近い人だから。だから仲良くなりたいんだ。ダメかな?」
上目遣いでそう言われると、俺もそれを無下にはできない。結局、甘いんだよなぁ。だからいつも貧乏くじを引いてきた気がする。でもこれは性分だ。簡単には変えられないし、それが自分だとも言えることかもしれない。結局俺は折れて、彼女の言い分を受け入れることにした。
「……わかったよ、リリック」
「え? まさかのそっち呼び!?」
「いや冗談だって。でもさすがに『梨李』って呼び捨てにはできないから、梨李さんって呼ぶことにするよ」
そう言うと、彼女は笑った。よく考えれば、職場の同僚にこんな笑顔を向けられることなんて久しぶり……いや初めてな気がする。
前職は、普通の人間なら裸足で逃げ出してしまうブラック中のブラック企業だ。同僚の笑顔なんて、嘲笑か侮蔑の色合いしかなかった。だから梨李さんの笑顔は新鮮に映る。そのままの笑顔で、彼女は続けた。
「で、のぶっち。質問だったよね? 私に答えられることなら何でも答えるよ! ちなみに私、彼氏はいません!」
「いやそう言うことじゃなくて! 東雲製作所のこと、もっと知りたいんだ。あの雲ってさ、結局どういうことなの?」
「どういうことって、どういうこと?」
「空に浮かんでる雲、あれを作ってるのが東雲製作所ってことだよな? で、その切れ端っていうか余った雲を、布団や枕に使ってる……ってこと?」
彼女はまた一口、ビールを飲むと、少しだけ表情を翳らせて言った。
「のぶっち、少し声を落として。実はね、雲を作ってるっていうのは、言っちゃダメなことなんだよ」
「企業秘密ってこと?」
「うん、作り方もそうなんだけど、雲を作っていること自体が秘密ってこと。実はね、今の地球ってちょっとヤバいんだ。今から結構前、多分五十年くらい前の話だけど、何故か日本周辺では雲が作られない環境になっちゃったわけ」
梨李は手で口元を隠しながら、俺に聞こえるギリギリの声で続ける。ていうかコレ、居酒屋なんかで話してたらヤバい話なのでは?
「雲がないと雨が降らない。雨が降らないと緑が育たない。これはヤバいってことになって、当時の東雲製作所は雲を作る事業を始めたの。どういう理屈なのかはわかんないし、雲の製法はウチの会社でも重役しか知らない企業秘密なんだけど、とにかく東雲製作所は本物の雲を作ることに成功した。そしてそれを、密かに政府に卸してるの」
「政府に……?」
「天候を制御できれば、それはもう軍事転用できるからね。だから政府は適正価格で買い取って、それを管理してるの。気象庁はその部門。たまに台風とかあるじゃん? あれは、そうでもしないとみんなが気づいちゃうからなんだよ。なんか最近の天気、安定しすぎじゃない? ってさ」
いやこれ、聞いたらヤバい話なんじゃね? その気になれば国家転覆をも狙える企業。そこに再就職してしまったとは……。
「でも安心してよ。東雲製作所はさ、欲のない会社なの。職人さんたちは『いい雲』を作ることが矜持みたいな人たちだし、私たち商品開発部もさ、雲の切れ端でいい商品が作れたら嬉しいって思ってるだけだし。難しいことは上の人たちに任せて、私たちは目の前の仕事に集中してたらいいんだよ」
「それ、上に丸投げしてていいことなのか?」
「深く知った方がヤバいかもね!」
梨李さんはそう言って、また笑った。まるで夏の空を思わせるような、それは爽やかな笑顔だった。
「ま、そういう訳でさ。のぶっちは私と同じ商品開発部に配属されるから、そのつもりで」
「布団とか枕とか作る部署?」
「それだけじゃないけどね。結構人気あるんだよ? ウチの製品。なんたって本物の雲で作ってるからさ、夏はひんやり、冬はあったか。知る人ぞ知る老舗企業なんだから。寝具に関しては、宮内庁御用達だよ?」
「たとえばさ、誰かがその商品の中身を出そうとしたらどうすんの? 雲だってバレるんじゃないの?」
梨李さんは目を閉じて、「ちっちっち」と指を振った。なにその謎の仕草。不思議と似合っているけれど。
「ウチの商品の凄いところはさ。雲に普通の
なるほどな。だから世間で騒がれてない訳か。東雲製作所のメインは寝具などだと思っていたけど、隠れた主力商品が空に浮かぶ雲だとは。じいちゃんが言ってた「空を見上げるのが楽しくなる」ってのは、このことだったのか。
しかも雲は日本政府にのみ卸している。将来も安泰な優良企業。じいちゃんには足を向けて寝られないな。
作り方が企業秘密で重役しか知らないってのは、少し不気味ではあるけれど。
「なるほどね。政府が買い取ってくれるってことは、将来はかなり安泰ってことだな。どこぞのブラック企業とは大違いだ」
「そりゃそうでしょー。ウチは雲を作る会社だよ。さて、雲は何色でしょう?」
「……主に白?」
「そう、白! そんな会社は、ホワイトに決まってるじゃん?」
クスリと彼女は笑う。でも次の瞬間、その表情は翳りを見せた。まるで陽射しが、雲に遮られてしまったように。
「……でもさ、最近はちょっとだけヤバいんだよね。クラウドワークスって、のぶっち知ってる?」
「クラウドワークス? あの大手IT会社の?」
「そう、そのクラウドワークス。実はさ、あの会社も同業なんだよ。IT関係は世間に対する目眩し。クラウドだけに、あそこも雲を作ってる」
「同業他社か……、他にもあるのか?」
「いくつかね。でも問題はクラウドワークスだけ。ここはさ、IT技術を投入しまくって、質よりも量って感じの雲をたくさん作ってる。それが恐ろしく安いの」
なるほど。世の中は競争社会だ。安くていい商品があれば、人気はそっちに流れていく。それは抗い難い現実だ。
「このままだと、ウチはクラウドワークスに価格競争で負ける。会社が買収されるって話も噂レベルであるくらいだよ。だからさ、」
梨李さんはジョッキに残ったビールを勢いよく飲み干す。そして音が鳴るほど強く、机に置いた。
「メイン事業じゃなく、私たちの『雲を使って作る商品』で、会社をもっと強くするの。そのために、のぶっちは採用されたんだよ。だからさ、一緒にいい商品作ってこうね! 明日から基礎を叩き込むから、そのつもりで!」
……責任重大だ。でも不思議と嫌な気はしない。前の会社では起こりもしなかった「やる気」が少しだけ、自分の中にあることに気がつく。
だけどそれを前面に出せるほど、俺は人間が出来てない。だから彼女には「お手柔らかに」とだけ伝えて、照れ隠しのためにビールに口をつける。
ぬるいビールは苦いけれど、前の会社に勤めていた時ほどではない。それだけは、確かだった。
【第3話に続く】
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