知らない女の殺し方

@tonton4747

第1話 知らない女を殺してください

 気管支が首から飛び出てたその死体は、日傘を片手に構えつつかつて自分の頭についていたであろう生首を器用に蹴ってドリブルをしながら、その豊満な胸を揺らしてオータの背中を追っていた。オータは必死の形相で商店街、クフ王のピラミッド、パチンコ屋、アガヴェ畑を走りぬく。そしてアップルストアの前で右手に広がる湖面を走りぬけ、この2-1の大事な後半戦をどう乗り切るかを考えているときに、ふとこれは夢ではないかと思った。するとたちまちこれまでの逃走劇は瞬時に立ち消え、明るく暖かい感覚に包み込まれる。それはオータの覚醒中の身体が捉えた現実世界の情報であり、オータのこの世界への疑念は一気に確信へと変わる。


 真白なまぶしさが視覚を、布団の手触りと重み、その暖かさが肉体を持っていたことを思い出させる。約6時間ぶりの身体感覚をしばし堪能したのちオータはゆっくりと瞼を開いた。


「……。」


 ぼんやりと天井を眺めながら、もう内容はこれっぽっちも覚えていないものの、いい夢の終わり方をしたと、オータは思った。


 オータは自身を非常に合理的な人間であると思っていた。仕事でもロジックが甘い人間にはすかさず指摘をするし、所持している株が下落したときも持っていればいつか値上がりするだろうという甘い考えを抱かずに、すぐに損切りを行っていた。そんな自分が夢という摩訶不思議な経験を毎晩のようにしていて、その茶番劇の中で一喜一憂しているということは、オータにとって自身の合理性を自身の脳が否定しているようで、例え夢が人間に一般的な現象であると分かっていても非常に癪に思っていた。例え有名女優との逢瀬が夢の中で果たせたとしても、それが夢だとわかった瞬間オータは覚醒することを選ぶだろう。


 しばらく瞳をパチクリさせて天井を眺めていると、だんだんと思考のスイッチが入ってきた。コンピュータを立ち上げたときに1つ1つのアプリケーションが自動で起動していくように、オータも自身とそれを取り巻く環境について1つ1つ認識をしていく。


 オータ・ケイジ、25歳。身長は172㎝、趣味はしいて言えば読書で、水泳とピアノを昔習っていた。目立った業績もこれといってない無個性なしがないコンサル会社に勤めるビジネスマンで、同僚に「お前生きてて楽しいか?」と言われ、コカインを勧められたこともあった。別に人とは違った趣味がないことはないが、それを言ったところで話が広がるとも思ってもいないし、馬鹿正直に「人を殺したことがあります」と言えば、誰だって無個性だとは言わないだろう。しかし、それを言うほどの義理が会社の同僚にも上司にあるとも思えないし、今後それについて話すこともないと思っていた。


 まどろみに浸り、ぼんやりと宙を眺めていると、次第に違和感を感じてくる。ど派手な赤いじゅうたんに、紫の壁紙、古びたシャンデリア、壁に付いた調度品のランプ。部屋の内装が自室と異なっている。ぱっとベットから降りて立ち上がる。ぱっと振り返ると、寝ているときは視覚で見えなかったガラス張りの浴室があった。ジャグジーバスの脇にはカラフルなシャンプーボトルが3つ置かれている。


「ラブホ……?」


 久々に思い出した単語で、自分でもスッと言葉が出てきたことが不思議に思えた。オータが自分の記憶をたどりはじめる。記憶が正しければオータはメキシコシティの自室に昨晩までいたはずだった。効かないクーラーの温度を18度まで下げ、他所で売っているどんなコーラよりも美味しいと思っているメキシコのコカ・コーラを氷の入ったグラスに注いでくいっと飲み干し、虫歯を気にしながらシャツのままベッドにもぐりこんだ、そのはずだった。しかし、この悪趣味なゴシックモチーフの内装は間違いなく日本のラブホ、しかもかなりレトロなそれであり、メキシコシティにあるはずがないものだった。呆然とする中、空調の微風に体中の体毛がなびいていることに気づく。やたらと通気性がいい。


「……着てない、何も。」


 汗ばんで皮膚に張り付くシャツも蒸れる下着もズボンも何もなかった。

 オータは部屋の中をゆっくりと歩き始めた。あまりに不可解なことに脳の処理が追い付かず、焦りようもなかった。ふと、窓際に置かれたガラス張りのテーブルの上に、A4用紙大の一枚の紙が置かれているのに気づく。すっとオータは顔を近づけ、そこに書かれているものを読もうとする。


紙には、黒髪の鼻のやや高い色白の少女の横顔の写真1つとその上に細々と一文が添えられていた。



 その一文を見た途端、オータの頭は少女の写真と一文のリフレインで埋め尽くされていく。



「うっ……」


オータは強烈な立ち眩みに襲われる。まるでその一文と写真が増える度にどんどん頭は重くなっていくようで、ついには立っていられずにその場にうつぶせに倒れ込んだ。呼吸は荒くなり、全身から汗が吹き出す。


(何だこれ何だこれ何だこれ何だこれ……)


パニック状態で何も考えられなくなっているそのとき、ぎぃどたん、と扉が開く振動音が床伝いにオータの耳元に届いた。



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