引っ越しは二番目のストレス
高黄森哉
ストレス
人が感じるストレスのなかで最大なのは死。では二番目はなんなのだ。二番目は、引っ越しと言われているな。自分は、まさかあ、と思った。なぜなら引っ越しに、そこまでのストレスを、感じたことがないからだ。
こう書くと、引っ越しのストレスを感じにくい鈍感人間と、勘違いされそうだが、決してそうではない。ただ、死に次ぐほどの強烈さを持ち合わせているのかが、疑問なのだ。
自分が学生の頃、四回引っ越している。綺麗に分散していてそれは、幼稚園、小学校、中学校、高校、の途中である。この引っ越しの最後、高校での転校は、今もなお人生に暗い影を落としている。
そうだな。引っ越しには、いいことがあった。それは、人を知れた。単純計算でいこう。一校あたり三百人だとする。転校は、四回あった。つまり八校。しかし、この内、小学校は変わらなかった(地域が変わっただけである)。七校で二千百人。引っ越さないと、千二百人であろうか。まあ、こんな風に表現しなくても、要は、自分が出会った人は、引っ越しをしなかった場合の、約二倍である。
最後の転校だけは精神が病んだものの、概ね、楽しい記憶が多い。心の病気を患ったのも、転校だけが原因ではないしな。人生が虚構でない絶望と、自分を始めとする人が完璧でない失望が、狂気の始まりである。ナンセンスな話を書くのは、きっと、無意味なものを見意味と肯定するやり方が、自己肯定に繋がるからだろう。もっとも、これと逆の立ち位置にある、シュールレアリスムも嫌いではないが。
おっと、話が脱線したな。とにかく、そういう理由で、死に次ぐストレスだとは思えないわけだ。だが方々で聞くあたり、その噂は確からしいのも確か。実際、納得している人間も多数存在するわけだし、私見のみで否定するのは説得力がない。だから見方を変えて、そしてこう考えるとする。
引っ越しのストレスが、死に準ずるほど鮮烈なのではなく、死のストレスが、引っ越し程度のストレスしか、持ち合わせていない。
この仮説について、本当のところはどうなのか、裏付けは未だとれない。だからこの話はお終いにする。それは、自分が生まれてから、親戚が死なないからだな。
引っ越しは二番目のストレス 高黄森哉 @kamikawa2001
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