エンドリピート

多雨ヨキリ

エンドリピート

 物語が好きだ。自分じゃないのに、読むたびに別の自分になれる。には怪獣もそれを倒すヒーローもいないけれど、本の中にはいる。


 小説が好きだ。読む楽しさはもちろんのこと、匂いや手触り、表紙の華麗さがなんとも心安らかな気分にしてくれる。それは高校生の僕にとっても例外ではない。


「……ずっと本読んでるよね」


「え?」


 その日、いつものように教室で本を読んでいた僕は、唐突に声をかけられた。人が話しかけてくるのは久しぶりなので、なんと返せばよいのか分からない。


「……え、あ、そ、その、ああ、はい……。好きなんです」


「ふうん。なんて本なの?」


 彼女は恐らく中沢なかざわという名前だったはずだ。恐らく、や、はず、など曖昧なのは、僕が他人に興味が無かったせいだろうか。

 それともただ人の名前を覚えるのが苦手なだけだからなのだろうか。真偽は定かでない。


「え、えと、有名な本なんですけど……宮沢賢治さんの銀河鉄道の夜っていう」


「あー! それ知ってる! この前テレビでやってた」


 中沢さんはクラスでも活発な方で、根暗な僕には何の用もなさそうだ。冷やかしだろうか。


「その、何か用?」


「別に? 私本とか読まないからさ。面白いのかなーって」


「面白いですよ。それに僕も小説を書いてる途中なので参考程度に」


「マジ!? じゃあすぐ書こう!」


 僕は彼女の謎の行動にあっけにとられた。


 何なんだ突然。僕が本を書いたからといって、彼女に何かメリットがある訳でもない。それに彼女にはもう関わりたくない。

 テンションの差で疲れるだけだ。


「じゃあねえ、私モチーフのキャラを君の小説に出演させてよ」


「ええー……」


「いーじゃんケチー。その代わり普段の生活とか見てていいからさ。どう? お得でしょ」


 自分を見ることには価値があるので料金を払ってください、と言いたげな文句だ。それを無料にする、そう言いたいのだろうか。


「別に……まあ、いいですよ。元々は……」


 その先を言おうとして、止めた。こんなことを未練たらしく言うもんじゃない。


「これで交渉成立だね。途中経過とか、私が見たいときに見せることも条件ね」


 条件を無条件に後付けされたが、まあいいだろう。別にみられて困るようなことは一つも書いていない。


「じゃあ何から教えようかねえ。あ! いきなり下着の色とか聞くのは禁止だゾ♡」


「……はあ」


「ちぇっ、面白くない反応」


 そう言って彼女は元の友達のグループに戻って行った。


 僕は書きかけの原稿用紙を机の上に出し、ペラペラとめくってみる。だが、一文字も書くことなく、それを鞄の中にしまった。


 次の日、僕は唖然とした。


「おーい、遊ぼー」


 僕の家の前に、中沢さんが立っていたのだ。

 今日は土曜日、学校は無い。そしてまだ朝の八時だ。


「ど、どうしたん、ですか」


「ん、途中経過。あと資料集めの手伝いってことでバイブス上げてこ」


「?」


 駄目だ、陽キャの言語は難しすぎる。いや、陽キャと一括りにするのは良くない。訂正しよう、中沢さんの言葉が意味が分からない。これならよっぽど古文の方が分かりやすい。


「だから途中経過。いつでも見せてくれる約束でしょ」


「それだけのために来たんですか……?」


「そんなに引くなし。あと言ったじゃん、資料集めだって」


「……?」


「だーかーらー! 遊びに行こうって言ってんの! 家にこもってても本なんてかけるわけないでしょ」


 ああ、確かに盲点だった。学校だけの彼女を見ていても、普段の彼女を見ていないということはそれだけ書ける情報が少ないと言う事だ。


「ひゃっほーう!」


「う、うえ」


 何十回も僕はジェットコースターに乗せられ、喉の奥が酸っぱくなってきた。頭はふらふらするし、自分のひ弱さが全面的に姿を現してきていた。


「チュロス食べよー!」


「は、はあ、ちょ、ちょっと、待って……」


 僕はさんざん彼女に付き合わされ、やがて日が沈み始めた。


「いやあ、満足満足。君もこれで当分ネタには困らないね」


 彼女は耳のついたカチューシャをつけ、首からは大きなポップコーンのバケツをぶら下げ、幸せそうに笑った。

 対して僕は、久しぶりの長い移動だったせいか、足が震えて余韻に浸るところではない。


「でも中沢さん……、どうして急に誘ってくれたんだ? 資料集めとは言っても、さすがに急に遊園地に行ったりはしないだろ?」


 すると彼女は少しだけのどを詰まらせた。


「んーと、ね。その、何と言いますか……。?」


 彼女にしては、なかなかに歯切れの悪い返事だ。


 それにしても、昔の彼女とは雰囲気が大きく変わった。昔、中学生の時はそこまではっきりとものを言うタイプでは無かったし、どちらかと言えば僕と同じ様に隅で本を読んでいるようなタイプだった。


 二人で読んだ本の総数で、僕たちのクラスは学年で一番本を読んだクラスに選ばれたこともあった。

 だが彼女は一年前を境に、人が変わったように本を読まなくなった。

 前触れはあった。少しの間、中沢さんは学校に来ていない期間があったのだ。まあとはいえ数週間程度ものだったが。


 その期間が終わって、彼女は今のようになった。昔から人付き合いの苦手な奴ではあったが、人と関わる決心でもしたのだろう。

 だから僕は別に、今の彼女の性格でも構わないのだ。


「そっか、うん。今日は楽しかったよ、ありがとう中沢さん」


「私も前から今日の遊園地気になってたし、一人で行くのは気まずいしね。今日はお互い得しかない一日だったね」


 その日は途中経過も見ることも無く、そうやって別れた。


 僕はもうこんな日は人生でないだろうと思っていたのだが、予想に反して中沢さんはしきりに遊びに誘ってきた。

 ご飯も食べに行ったし、ボーリングにも行ったし、ちょっとした旅行にも行った。


「ドリア美味いっ!」


「あっははは! ガターじゃん!」


「すっげ、金閣寺ってマジで金ピカなんだ」


 ひょっとして僕のこと……と思った日もないでは無かったが、彼女は決まって、


「たくさん資料集まった?」


 そう問いかけてくるので、僕も半端では終われない。


 ある日、途中経過を見せて欲しいと頼まれた。

 遊園地に行った日は、僕も彼女も疲れていてそのことを忘れていた。つまり中沢さんが僕の途中経過の原稿を見るのは初めてである。


 実を言えば少し恥ずかしかった。初めに書き出したのだって、彼女が自分を物語の人物にして欲しい。そう僕に言って始めたのだ。

 だから僕は自分から彼女の文章を書こうと思ったわけでは無いのだ。


 その点で言えば、僕はその言葉が無ければ物語を書くをだらだらと、空想の中でだけで終わらせていたかもしれない。


「うはっ! 最初の方の私暗すぎでしょ! あははは!」


 彼女はおかしそうに目を細めて笑った。

 別に何もおかしなことをしている訳では無い。ありふれた行動のはずだ。


 でもその時の僕は、彼女が昔の彼女をという行為に、なぜか心がざわめいたのだ。


「なんでそんなこと言うんだよ。僕は昔の……昔の君の方が親しみやすくて、良かった」


 僕にとっては何気ない一言だった。


 だがその一言で、それだけ彼女を傷つけただろうか。

 中沢さんはひどく狼狽した様子で僕を見た。


「……ごめん」


 彼女はそれだけ言うと、走り去ってしまった。その直後、僕も走り出した。


 人が変わると言う事は、その人に何かしらの事情があったに違いないのだ。僕はそれをずけずけと、理も無く踏み込んでしまった。


 彼女よりも僕は運動神経が悪いので、どうしても後に追いかける形になってしまう。そんな僕が彼女に追いついた時、彼女は小さな公園のブランコに揺られていた。


「中沢さん。その……さっきはごめん」


 彼女は何も答えない。そりゃ怒るよな。

 僕は彼女の隣のブランコに座る。


「どうして、変わったの? 何か嫌なことがあったとか……?」


「……聞いてなかったんだ」


「え?」


 すると彼女は僕に顔を向けて、申し訳なさそうな顔をした。


「ごめん。君は悪くなかった。最初は嫌味かなって思ったけど、やっぱり君はそんな人じゃなかった」


「ど、どういうこと?」


 昼間は明るかった太陽も、傾き夕日に変わっていく。夕日は昼間の煌々とした明るさでは無く、橙色の光を温かく放っている。

 夕日は嫌いじゃない。でも少し寂しさが残る明るさを感じた。


「私ね、もうすぐ死ぬの」


「……は?」


「病気なんだって。定期的に思い出だけが無くなって、体と名前だけが残る。だから君が知ってる中沢さんは私じゃない」


 理解が追い付かない。いや、そもそも理解しようとしているのかさえ分からない。


「定期的とは言ってもその一回の期間が一年か、はたまた一週間なのか、あるいは十年なのか。それは分からない。だから君が知ってるであろう、は日記をつけてたの」


 すると彼女はポケットから、小さな手帳を取り出した。


「これによると一人目の私は小学生低学年の時に死んじゃったみたい。で、二人目は一年前に」


 一年前。彼女が数週間学校に来なかった期間だ。


「そうして今の私誕生。でも驚いたなー、日記を読んだときはさ。君と私ってそこそこ仲が良かったみたいなのに、君から全く声かけてくれないもんだからさ。日記を疑ったよ」


「それは」


 ただ僕が中沢さんと距離を置いていただけだ。急に変わった中沢さんが怖かった。僕のことを嫌いになっていたらどうしよう。話しかけていいのかって。


「分かるんだー、自分の記憶が薄れていくのが。いつも通りのはずなのに、なかなかみんなの顔と名前が一致しない。思い出が曖昧になるとかね。だからこそ前の自分を知っておきたかったの。次の自分を残しておきたかったの」


 だから資料集め……!


「やっぱり記憶が無いってのは不安だからさ。次は君から話しかけてきてよ。絶対喜ぶと思うから。あ! でもこのことを他の人に言うのは禁止ね。私何度も死んでるって知られたらゾンビみたいって思われそうだし。だから内緒、君と私だけの秘密」


 じゃあ彼女は誰にも知られずに死ぬのか?


「せっかく……」


「ん?」


「せっかく、仲良くなれたと思ったのに……!」


 自然と僕の拳は固く閉じられていた。


 すると彼女は笑った。


「私、君の名前一度も呼んで無かったこと気づいた?」


「……あ」


「名前は変わらないんだよ。どれだけ中身が変わっても。でもそんなの嫌じゃん、見た目だけで人を区別してる、みたいなさ。中身を見て欲しい訳よ。それに君はこれからたくさんの私と物語を完成させると思う。だからあえて君の名前を呼ばなかったんだよ」


「……」


「……もう遅いし帰ろっか。また明日ね」


 また明日ね。これが彼女の精一杯の愛情表現だと気が付くのに、かなりの時間を要した。


 そう言った彼女の表情は晴れ晴れとしていて、輝いていた。それは僕が最近見ていた、の笑みだった。


 そして彼女に会うことはもう二度となかった。



 歩いて右手に扉がある。


 それを開けると、本が大好きな彼女と、僕が夜更かししながら熱く語っていた光景が見えた。


 扉をそっと閉じる。


 左にも扉があった。


 それを開けると、明るい彼女が、大きなパフェを頬張る姿が見えた。近くにはそれを見て苦笑する僕も見えた。


 扉をそっと閉じる。


 扉は奥にもずっと続いていた。


 一通り見て回ると、最後に一冊の本が置かれてあった。手に取って読んでみるも、途中までしか書かれていなかった。


 白紙のページ、僕はその部分に手を触れる。


 本のページは、扉と呼ばれることがあるのだそうだ。


 だから僕は君に声をかけた。恐らく何も知らない君に。


「本とか興味ある?」


 彼女の目は、すっと僕に向けられた。

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