ある薬屋と犬と龍と騎士の一日

ほひほひ人形

ある薬屋と犬と龍と騎士の一日

――平穏に生きていく、なんてことの難しさは、200年も生きてればだいたいわかる。


「ししょー! ネロししょー! 薬草摘んできましたよー!」


生きるには金が必要で、金を稼ぐには仕事が必要で、つまるところ働かなきゃ生きていけない。

まったくもって面倒くさいが、せめて好きな仕事がしたいと思って就いたのがこの仕事。いつも店番を任せてる奴が風邪を引いたばかりに、店番しながら薬の調合という、里にいたころではありえない横着をする羽目になっている。


「うるさいわダメ犬、材料運び込むときは裏から入れっつってんだろ」


鉢の中から視線を外さず、客用の入り口から入って来たアホ犬・アイリに注意する。

調合中は目を離せないから仕方ないが、これが客でも同じなんだからやはり店番と調合は同時にやるもんじゃないな。


「どーせお客様なんていないんだからいーじゃないですかー。れーちゃんもいないし」


ちなみに当然店主は俺、こいつは従業員のくせして口答え。さてどうしてくれようか。


「ほーん、ならお前の仕事ぶりを後で伝えに行ってやろう。風邪が治る日が楽しみだな」

「……うっかりしちゃいましたー! 裏から入る私はいい子です……」

「よろしい」


ぎぃ、と扉が閉まって、店と言うよりは小屋に近いこの店には誰もいなくなる。

首都から馬車で三日、それなりに大きな城下町の裏路地に手に入れた店としては上等の物件に、『森抜け』したエルフの俺と、獣人(ニアビースト)の姉妹の計三人で回すこの店はまあそれなりに順調にやっていけている。といってもまだ三年もたってないけどな。


「ただいま戻りました、ネロ師匠!」


そしてこいつは姉のアイリ。狼の獣人らしいが、全体的にもこっとした白い毛並みを見ると犬にしか見えない。妹のレイは毛並みがサラサラだから普通に狼っぽいけど。


「おうお疲れ、茶淹れてあるから飲んでいいぞ」


言いつつ、水差しから数滴たらしてゆっくりと薬を練る。粘りを意識して回すのがコツだ。


「いただきますぅ……ふぅ。師匠のお茶ってやっぱ美味しいですね」

「当たり前だ、エルフの茶だぞ」

「へへー、そうですね」


声しか聞こえないが、笑っているのは声でわかる。

きっかり43回かき回して、丁度薬もできたところだ。


「アイリ、飲む前にこれ干しといてくれ」

「はーい、くんくん……三日くらいですか?」

「そうだけど……何お前、匂いで薬を干す期間嗅ぎ分けてんの?」

「最近、水の匂いで大体の湿り気が分かるようになりました!」

「ふーん……まあ正解だからいいか」


エルフからしたらさっぱりわからんが、分かるというなら分かるんだろう。


「じゃあコレ嗅いでみ、売り物だけど」


棚にあった赤いカサブタのようなものを部下に嗅がす。


「はーい……ふぎゃん! なんれすかこふぇ!」


けっほけっほとむせつつ、鼻を抑えながら涙目になる。


「カエルの胃袋。完全に乾燥するまで匂いが出ないはずなんだがなあ」


どうやらエルフに感知できないだけで獣人には十分な匂いだったらしい。

ちなみに加工すれば虫よけの香水が作れるほど強力なんだが……


「……こりゃ獣人には売れねえわなあ」


てことは獣人と付き合いのある奴には売れないわけで、売り物としちゃイマイチだ。


「もー、こんな匂いなら先に言ってくださいよぉ」


ぐしぐしと鼻をこすりながら涙目の部下。


「あー悪い悪い。ちなみにどんな匂いなんだ?」

「血と沼と……虫? みたいな匂いがすっぱい中に混ざってます」

「はいよ」


それを板に軽く書き留めて、棚に張り付ける。つくづくウケの悪そうな匂いだ。

なんとか工夫して香水にならないかと思ったが、現実はそんなにうまくいかん。


「……それにしても、お客さん来ませんねえ」

「……そうだなあ」


客は来ないし、今日の配達も終わっている。

やることもないので店先に茶を並べ、向かい合う形で椅子に座ってずー、と茶をすすりつつ、部下と二人。

どこからか骨を取り出してがじがじと噛み始めたあたり、よほど暇をアピールしたいんだろう。

別に売上げに困ってるわけじゃないが、部下からしたら勤め先に客が来なければ不安にもなるのはしかたない。


「レイは元気してるか?」

「ふぇ? ……ああ、おかげさまで。薬、効いたって言ってましたよ。でも今日は休ませないとダメなんでしょ? しつこいくらい言われましたけど」


骨を口から出して、また後ろに隠す。すると消えている。ホント、どこにしまってんだろうなああの骨……


「あくまであれは咳やら熱やらを止めるだけだからな、実際に治す力はほぼねえの」


まあそれでも効くことに違いはないんだがな。


「朝起きたらご飯が作ってありまして、『大丈夫だから……』とか言うんですけど、師匠が絶対に休めって言ってたんだよ? って言って、ようやく家を出ましたよ」

「結構お姉ちゃんしてんだな、お前」


わりと素直に見直した。


「ふふん、もっと褒めてください」


ばさばさとしっぽが揺れる。


「よーしよしよしよしよし」

「うふふふふ、もっとお願いします!」


さらに激しくしっぽが揺れる。

見てる分にはめちゃくちゃ面白いが、ホコリが飛ぶからやめておこう。


「また今度な」

「ちぇー……まあれーちゃんに恨まれるのも嫌ですし、この辺にしときます」

「?」


言ってる意味は分からんが、まあどうでもいいか。


「それで、お客が少ないってことなんですけどー」

「その話引っ張るのかよ」

「だってぇ、気になるんですもん」


空になったカップをくるくると回しながら、椅子を揺らしてアイリが言う。


「だーからぁ、お得意様を抱えてるって言ってるだろ」

「そうは言いますけど、まだ私会ったことありませんしー」

「そりゃお前、わざわざ会わせる理由もないしな」

「ええー……例えば町でばったり会ったらどうするんですか? 『お得意様である吾輩に挨拶もしねえとはあのエルフの店の従業員も大したことねえようだなア!』とか言われたくないですよ」

「なんなんだよそのチンピラみたいなお得意様は」


キャラが滅茶苦茶すぎる。


「はぐらかさないでください。どうして私たちにお得意様のことを教えてくれないんですか? 配達もポスト越しにやってますし……まさかですけど、非合法なお薬とか?」


ぐい、と店主に詰め寄る従業員。直に感じる獣臭。


「いや、非合法ってことは……あれ? どうだったっけ? ええと、うーん……少なくともお前らが捕まることはない。それは絶対なんだが……うーん」


説明が難しいんだよなあ……


「……ていうか、レイにはそのへん教えたはずだぞ? 聞かなかったのか?」

「聞きましたよお、でも『お、お姉ちゃんは……えっと、そういうことは、ネロさんに聞くのが、いいと、思う、よ……?』って言われまして」

「んー、しゃあねえか」


マネ上手いな。

レイの奴もああ見えてけじめとかに拘るからか、大事なことは直に聞けということらしい。


「じゃあまあ例えば……この間来た冒険者覚えてるか?」

「この前って……『転生者』様のご一行ですか?」

「そうそれ」


この世界にたまに現れる『転生者』は神の啓示を受けて、この世に変革をもたらすらしい。

確かに魔王とやらが西の大陸でよみがえったとか、北の港に魔物の群れが出たとか聞くが、実際にそれらが確かだと言える情報はまだ回ってきてないからな。

転生者様とやらが本物かどうかも含めて、所詮噂でしかない。


「すごいメンバーでしたよね、熊の獣人さんと……吸血鬼? の子供とかいましたよね? あとは……えっとあの無口な……」

「ロナー遺跡のホムンクルス、だっけ? 見た目は完全に人間だったけどな」

「ええー? そうですか? 人間だとしたら薄着すぎるでしょ、匂いも……なんていうか独特でしたし」


転生者かどうかはともかく、ロナー遺跡と言えば俺の集落にすら情報が届くくらい有名な、『奈落の大穴』と呼ばれる未知の迷宮だったはずだ。

それを攻略できるんだから、転生者だろうがそうじゃなかろうが実力者であることに間違いはない。


「で、あの方々がどうしたんですか?」

「いやほら、あの時レイが売った薬あっただろ? その棚の上にある奴取ってくれ」

「ああ、これですか?」


受け取って、ぽん、とビンの蓋を取って中身を紙皿に出す。ただし、数粒だけだ。


「……黒い粉ですね」

「近づくなよ。鼻に入ったらえらいことになるぞ」

「ええ……? 何なんですかこれ」

「精力剤」

「は?」

「いやだから……精力剤。超超超強力な奴」

「……いやまあ、薬屋ですからね、想定はしてましたけど……え?」


察しの悪い奴だなあ。


「仮に用途は『そう』じゃないにしてもだな、そんなもんをお買い上げになられたお客様が、『いつもお世話になっておりますお得意様!』って言われたいと思うか?」

「あー……はい」


それにしても、あの日は驚いたもんだ。

雨上がりの夕暮れ時のことだったか。


「ではポーション四本で、お値段これくらいだといかがでしょう」

「『鑑定』……」

「え? 鑑定が何か?」

「え、ああいえ、なんでもありません、ありがとうございます。ギルドの預け金から支払えるって聞いたんですけど……」

「ああ、その場合は割符と、この書類にサインをお願いします」


などというやり取りをして、品物を渡して、『転生者』カイトさんは去っていった。

それだけなら普通のことなんだが、珍しかったのはその後だ。

しばらくしてから扉が開いて、まず現れたのはクマの獣人。名前は確か……エイヴさんだったっけ? 最初はカイトさんと一緒に来たんだが、後から来たお仲間と外に出てもらった時に確かそう呼ばれていたような気がする。


「あ、あの……」


多種族の男をはるかに凌駕する巨躯を縮こまらせて、肌の露出がやたら多いアーマーに大斧をくくりつけたまま入ってくるエイヴさん。

それで一切この店の中の品物にぶつからないんだからとんでもない武芸者なんだがな。露出が多い意味は分からない。

何にせよ店が無事なのはいいことだ。


「いらっしゃいませ。おや、忘れ物でも?」

「い、いや……そういうんじゃねえんだけど……」

「?」

「こ……これ……を、渡せばいいんだよな?」

「これは……ウチの者から? かしこまりました。はいこちら、せいりょ」


ばしん!

ばん!

ばしゅん!


く剤です、と言うより早く薬を奪われ、カウンターに金貨が埋め込まれ、見えない速さで扉から出て行った。まあ精力剤なんだからそりゃ買うのも恥ずかしかろう。

最近ああいうお客さん見てないなあ、などと思いつつ、渡された紙……ウチの広告をしげしげと眺める。そして近くで棚の整理を任せていたレイに声をかける。


「なあレイ、お前が渡したのか?」

「はい、そうですけど……? あ、すいません、私何か粗相を……?」

「いやいやそんなんじゃないけど。いつの間に、と思ってな」

「ああ、お三方をお外にご案内した時にですね。ちょっと……ふふ、思い至ったので」

「ふーん……?」


薬を欲しがっているとはさっぱり分からなかったが、獣人同士わかる感覚とかあるんかね。まあつっついても理解できない事だろうからやめておこう。

などと思っていたら、


「ごめんくださいまし」


入れ違いでお客が来た。

とりあえず埋まった金貨は後でほじくりだしておくとして、受け皿で隠して応対を続ける。


「店主、……………えっと、…………その」

「……はい」


なかなかしゃべらないが、やってきたのは吸血鬼のラドニカさん。

ちっさいナリをしているが、確か店に来たときに『このダメ熊! この千年を生きた吸血鬼の女王の目をごまかせるとおもったのかしら!? 』とか言ってたから千歳? なのか?でも『寝てただけだろ! 冬眠くらい珍しくもねえよ!』とか言い返されてたしよくわからん。

吸血鬼って冬眠するのか?


「こ……この紙に書いてある薬が気になりますわ! そ、そう、研究のため! 研究の為に一つ試しに買って行ってもよくってよ!」


コイツにも渡してたのか、という思いと同時、失礼な態度に腹が立ったので断ることにした。

世間じゃ客を選ぶ店は減っているらしいが、そんなもんは知らん。

薬なんてのは俺が認めたまともな奴だけが使えばいいのだ。


「いや、すいませんけど一応ウチも商売なんでね、そこまで大っぴらに研究しますといわれると、大したものは売れませんけどよろしいですか?」


そう言うとみるみる顔色を変え、


「あっ……ち、違います、研究じゃなくてその……そ、そうですわ! この薬、本当に吸血鬼の女王たる私に効くのかしら?」


困ったようにそう言われた。

……そして俺はと言うと、確かに不安になってしまう。


「なにせ私は高貴にして純血の吸血鬼! どうやら強力で素晴らしい効き目のようですけど、そこを確認せずに買うわけにはいきませんわ!」


声がでかいがまあ許すとして、言ってることはその通りだった。

効かない薬売りました、じゃ話にならんしなあ……かといって今試すわけにも……とその時、一つの案がひらめいた。


「うーんじゃあ……こういうのはどうでしょう? ポーション四本分の代金分と引き換えに、その分の薬をあなたに渡しましょう。その代わりこの割符をもう一回割ってあなたに渡しますから、またお買い求めなら割符を返していただきたい。逆にもし万が一効き目がなければ、この割符を捨てていただければ結構ですよ。ただしその代わり、その後一切ウチであなたに売れるものはありませんけど」


こうしておけば多少の損はあるかもしれないが、面倒な客は断れる。さすがにウチでダメならこの町の薬屋じゃこの客に売れるものがない……と思いたいもんだ。


「そ、それならまあ……しばらくこの町にいる予定ですし……」


そう言って、ポケットから金貨を出す吸血鬼様。


「どうも。それと、これはお連れ様のお忘れ物です。先ほどお釣りをお忘れでして」

「ふ……ふん! あの下僕も仕方のない輩ですわね。帰ったらお説教しないと! というわけで、失礼させていただきますわ!」


で、吸血鬼様は去っていった。吸血鬼って種族はテンションが高いんだろうか?


「で、その割符はどうしたんですか?」

「今朝郵便受けに入ってたから問題なかったんじゃねえかなあ」

ご丁寧に封蝋付きの封筒に入っていたからよっぽど本人だとは思うが。

「で、最後が……ホムンクルスのロナーさんか」

「ああ、その時は私もいましたね」


転生者様ご一行が来た日の、そろそろメシにするかって時間帯のことだったと思う。

扉がゆっくり開いたかと思うと、現れたのは人形のように表情に乏しい女の子……ではなく、ホムンクルスのロナーさん。

店に来たときも「仲間外れは許さない。エイヴ、ラドニカ、私の『目』から逃れられると思ったの?」とか言ってたし、ホムンクルスってのは視力がいいんだろうか。

まあそりゃ作られた存在なんだから視力くらい良くて当たり前かもしれんけど、すごいもんはすごい。

そんな彼女はしばらく直立不動のまま、


「……ヘイ大将、いいの入ってる?」


たぶん間違った知識でそう言った。


「お客さーん、店をお間違えじゃないですか?」


で、対応したのがアイリだ。俺は薬をビンに詰めながらそれを見ていた。


「違わない。あなたと同じ狼の獣人にこの紙をもらった。店の名前に相違はない」

「れーちゃんから? し、失礼しました!」

「気にしてない。それより時間がない。この商品を頂戴」

「は、はいこちらですね! どれほどお求めでしょうか」

「私の拳一つ分くらい」


多いな、と思ったが俺は気にしない。ホムンクルス的には適量なんだろう。


「そ、そんなに……大丈夫ですか?」

「? ……ああ理解した。値段の意味なら、私にはへそくりがある」


そう言ってべえー、と舌を出して、喉の奥から取り出したのは小さな宝箱。中からは黄金のキューブ。すごいところに隠してるな。


「計算はしてある。この大きさで、価格的に問題ないはず」


さいころくらいの大きさのそれは、確かにそれくらいの値段はしそうだ。


「そして耐久の面でも問題ない。マスター程じゃないけど私も『鑑定』のスキルは持ってる。私の体内防壁と薬物耐性を突破するにはこれくらい必要不可欠。普通の薬なら無理だけど、その薬は水に溶かせば体内の魔力を活性化させるから、わずかだけど私にも効き目がある」

「は、はあ……よくご存じで。お、お買い上げありがとうございました」

「この町にしばらく滞在する。これで私もお得意様?」

「た、多分……」

「了解。帰る。ありがとう」


そう言って店を出た彼女の顔はなんとなくだが嬉しそうに見えた。


「……で結局、れーちゃんは三人に精力剤を売り込んだ、と……確か、精力剤は『ダンジョンから脱出するとき』に使うんですよね?」

「ん? えらく当たり前のこと聞くんだなお前」


ダンジョンでダンジョンマスターを倒したとして、問題は帰路だ。戦利品を抱えての脱出は油断しがちだし、安心感で疲労もピーク。行きのルートによっては盗賊やら山賊と出くわす危険も少なくない。そうなると帰還前に回復用の拠点の設営が不可欠だから、安全を確保するまで最後の仕事に耐えきるための精力剤なんだが……


「でもたまに男女のペアの冒険者が使うとか……それでなくとも夜に使うとか……つまりその……」

「あのなー何言ってんだお前、男女ペアの冒険者なんてそんなもんだし、夜に使うのも用途の一つだけど、冒険中に薬使ってそんなことしたら無防備にダンジョンで丸一日寝て過ごす羽目になるんだぞ。あれだけ仲良くて、しかもポーション持ち歩くくらい武闘派なパーティがそんなお遊びするかよ、ポーションにしろ精力剤にしろ、副作用が半端ないことくらい知ってるだろ?」

「……デスヨネー、ソンナ事スルワケナイデスヨネー」


分かってくれて何よりだ。ポーションだって傷こそ治るが、副作用を考えれば三日三晩吐き気が収まらないとかだって珍しくないんだから、本来なら宿で三日寝てたほうがはるかに安上がりなのだ。

そんなもんを四つも買って冒険するあの人たちの日常は俺なんかが想像つかないくらいハードなんだろう。

大変だなあ、と思いつつ茶をすする。喋りながら飲んでるうちにだいぶ味が変化して、甘みが出てきたせいか、眠くなってきた。


「あーでもそうか……今気づいたけど、精力剤の在庫がかなり少ないのか……でもレイが病欠だしなー、どうするかな……」

「ん……それ、関係あるんですか……? ちゅ……あー美味しい」


骨を舐めまわしながら、アイリが尋ねる。言ってなかったっけ?


「あー、……その精力剤さあ……原材料、ドラゴンなんだよな……だから、貰いに行こうと思ってな……でもなあ、手に入るかわからないからな……」

「は?」


骨がころん、と落ちて、驚いた眼でこっちを見る部下。これ絶対に誤解してるな。


「……師匠って、ドラゴンスレイヤーなんですか?」

「だったらこんな店持ってねえよ。……『貰いに行こうと思って』って言っただろ、そのまんまの意味で……要は、精力剤をくれるドラゴンと知り合いなんだよ俺は」


内緒だぞ、とジェスチャーすると、こくこくこく! と頷くアイリ。まあいい時期だよな。


「で、でも……なんで教えてくれたんです?」

「……まあ、そろそろお前らを完全に信用してもいいかなーと」

「……まだされてなかったんですね」

「傷ついたか?……悪いな」


そう言うと、ふりふりと首を横に振る。


「いえ、ドラゴンなら仕方ないですよ……それこそギルドとか……エリナさんに知れたら大騒動じゃないですか?」


ドラゴン。栄誉と財の象徴。

火を噴き、山に暮らして、大空を飛び回り大型の獣を丸呑みにする最強の獣。

言語を理解するしコミュニケーションをとれる個体も存在するけど、ほぼ間違いなくどの種族の味方もしない。神の化身とかいう呼び名すらある孤高の種族だ。

で、冒険者や国の中にはそういうのに挑んで倒し、『強いんだぜアピール』をする輩もいるわけなんだが、暴龍として暴れてるとかならともかく、そういう討伐目的じゃなきゃ普通に考えて意味もなく命を焚火にくべて捨てるようなもんだ。勝てるわけがない。


「大騒動だよなあ……討伐クエストとか組まれたらその日に俺、この店たたまなきゃならんし……頼むから言わないでくれよ」

「絶対に言いませんよ……ていうかどうやって知り合ったんです?」

「んーまあ、その辺はおいおいな。まあ、遅かれ早かれ行くしかないしな……悪いけど5日くらい店開けるから、その間レイと……」


休んでてくれるか、と言おうとして。


「邪魔するぞ! ネロ=ノーブ! いるか!」


……邪魔が入った。


「あ、エリナ……様」

「どうも、騎士団長殿。妹さんのお薬であればまだ一か月はいらないはずでしょう?」


こいつはこの都市の王宮近衛騎士団団長、エリナー=ルーゼン=バーサースターク。俺がこの町に来たときはまだ一番下っ端だったのが、姫様の誕生祭で披露した武功を認められたとかで異例の出世を果たしたこの都市のアイドルさんだ。アイドル扱いを本人は嫌がっているが、赤い全身鎧によく通る声、そして盗賊団をつぶした逸話やらなんやらが無数にあって、しかもエルフの俺から見てもかなりの美形なんだからそりゃアイドルにならざるをえないって話だろう。性格は気に入らないが。


「今日はその話じゃない。お前に聞きたいことがある!」

「なんでしょう」


どすどすと足音を立てて俺の近くに詰め寄る騎士団長。


「お前……最近誰にどんな薬を売った?」

「……言うわけないでしょ、それ」

「まあ、だろうな。薬屋ギルドは秘密主義、客の情報は絶対に流さない、だろ?」

「当たり前ですよ。ていうか、ウチは『お茶っぱ』しか売ってないんですからお茶屋です」

「ふん、妹が世話になってる以上、そういうことにしてやってるだけだ。ここ以上にまともな薬が手に入れば、こんな店すぐに摘発してくれる」

「……」


こう言う所が気に入らないんだよなあ。


「話がそれたな。それで、耳の長くて早いお前らのことだ。夕べの騒ぎのことくらいはとっくに知っているんだろう?」

「……?」


何それ?


「相変わらずとぼけるのがうまい奴だ。種族問わず魔力暴走……しかも昨日のギルドの夕食会に参加したほぼ全員が同時にともなれば……誰がどう見ても何者かが夕食会で毒を盛ったとしか考えられないだろう! 幸いにして誰も命に別状はないものの、よりにもよって魔力暴走で殺そうなどと……非道極まりない!」

「!」


アイリのしっぽが驚きでぴくん! と跳ねる。

確かにそうだ。魔力は全身をめぐってるんだから、そんなもんが暴走したら最悪体のどこかしらが爆発してもおかしくない。しかも普段から魔力を込めるところほど爆発しやすいから、獣人なら牙や爪、俺たちエルフなら耳や手(弓を使う奴が多いからな)、人間なら頭……恐ろしい話だ。


「……あ、あー、だから今日、ギルドに人が少なかったんですねー」

「知ってたのか」

「受付のヒッチさんと仲良しですもん、私。でもおかしいなあ、何か大きい依頼でもあるのかと思って『何かあったんですか?』って聞いたのに、『さ、さあ……?』みたいな返ししか言わなかったんですけど……」

「ふん、犬風情が信用されてないだけだろう」

「っ」

「おい、そこまでにしとけよ」


少しの沈黙。そして空気は最悪になった。


「……とにかく、今参加者に事情を聴いてるところだ。今日は私だけが来てやったが、場合によっては王宮に召喚されることも覚悟しておけよ」

「はいはい、拷問は勘弁してくださいよ。ついうっかり妹さんの薬の作り方を忘れたくない」

「安心しろ、万が一お前が犯人なら、聞き出してから殺してやる」


そう言って、去っていく団長様。


「……信用しておくからな」


そう呟いて、扉の閉まる音がして、沈黙が残る。

しかし俺の心は不快感しかなかった。


「気にすんな」

「気にしてませんよ。それに……獣人を嫌う人がいるのも、ここは当たり前ですし」

「そんなもん、この間までこの辺にいた盗賊団が獣人だったってだけだろ」


十年くらいまでこの辺りは獣人が率いる大盗賊団のテリトリーだったらしい。

今じゃ禁忌の山の向こうまで撤退しているらしいが、エリナの場合は幼いころにそいつらに両親を殺されたとかで、いまだにあからさまに獣人嫌いだ。


「仕方ないですよね。師匠だって、お父さんやお母さんを人間に殺されたらこの町にはいないんじゃないですか?」

「……否定はしない。でもなあ……」

「ね? そんなもんなんですよ……だから、仲良くしてあげてください」

「……わかったよ」


今度、旨い骨でも買ってやるか。味なんてわからんけど。

そう思うことにして、とりあえず荷造りを始めることにした。


「……ところで師匠、一つお願いがあるんですけど」

「ん?」

「私もついて行っていいですか? その、取り調べとか、受けたくないんで……」

「うーん、それもそうか……」


まさか拷問まではされないだろうが、取り調べだけだとしてもこいつには受けさせたくない。最悪……想像したくはないが、適当に犯人をでっちあげて手柄にしようとかアホ貴族が企み始めたら、その生贄として容疑者の店で働く獣人……ってことになりかねない。


「ああいいよ、レイはまあ下宿先のタルトさんに任すとして……それにしてもまったく油断できない世の中だよなー、転生者様が参加してた夕食会だろ? そこで毒を盛れるとか……よほどレベルの高いアサシンがこの町にいるのか?」


あのパーティの目をかいくぐって毒を盛るとか、手段も毒の種類も想像できない。

そんなことができるやつがこの都市にまだいるとしたら、裏の連中からしても喉から手が出るほど欲しい逸材だろう。

……って考えると、ホントにしばらくこの都市にいたくないな。


「ど、どうなんでしょうね……怖いですね……」

「? なんか汗すごくないかお前、大丈夫か?」

「だ、大丈夫ですよ、師匠こそお大事にしてくださいね……」


よくわからんが、何はともあれ早いところ出発するか。

で、馬車を借りて丸一日。

荒野に杭を立てて、馬を繋いで、獣除けの薬をしみこませた縄でぐるりと囲う。


「よーしよしよーし……うん、大人しくていい馬だ」

「し、師匠……龍って、この山ですか……?」

「うん、何なら今から帰ってもいいぞ」

「い、いいえ、いいんです、いいんです、けど、流石に……『白の山』とは思ってなくて」

「……まあ、な」


白の山。

文字通り、骨のように白い死んだ山だ。

木らしきものは生えているが葉もつけず真っ白で水を吸っている様子もないし、土も同様に、感触は土そのものでも色は白一色。常に空には雲が立ち込めていて風がやまず、今にも雨が降りそうなのだが、それでいて雨は一切降らない。

もちろん生物らしきものは一匹もいないし、通過するだけなら何も害はない。


「通り過ぎるは白の山、うっかり空見てまっかっか~……でしたっけ?」


ただし、絶対に守らなければならない言い伝えが一つ。


『もしも白の山で空から誰かの声が聞こえても、絶対に一人で見あげてはならない』


いつからか言われている言い伝えだ。

わらべ歌に逆らって、空を見たらどうなるか? 答えは山の中に転がっている。


「うーわ……あれ新しい死体じゃないですか……? この辺のお店の品じゃないし、よそから来た冒険者みたいですね……」


遠眼鏡で見ると、そこには死体。

飾りか何かのように、真っ白な木の一番てっぺん、頭を突き刺されて、ぶらぶらと揺れている、誰かの体。理屈で言えば結構な量の血液が木を伝っているはずなのだが、流れるべきはずの血はどこにも見えない。


「木に見える何かが血を吸ってるとか、もうこれ呪いでしょ」

「そう見えるよな、ところが魔力の反応はないんだわ、これが」

「あー、エルフ的にはそういう感じなんですね」


白い土の上に足を踏み入れて、道なりに進む。

白一色の地面だが、足跡や汚れはそのまま残ってるから道がそこにあることを理解するのは難しくない。なんなら月夜でも猛獣や魔物の危険もないから、ある意味では安全だ。


「……さて、と。ここからは道を外れるわけだが」


ごくり、と喉が鳴る音。


「逃げようと思うなよ。『あの方』からは逃げられないし、それでなくてもご機嫌を損ねたら死ぬからな。最悪見捨てるぞ」

「は……はい」

「んじゃ行くか」


道を外れて、まっすぐ歩く。

ひゅう、と風が吹いて、久しく嗅いでいなかった生暖かい空気を感じる。


「!」


びくっ、と背後で硬直するアイリ。


「怯えなくていいって。この先に洞窟があるから、手前まで行くぞ」

「洞窟……ですか」

「ただし、絶対に俺の前に出るなよ」

「はひ」


噛んだのか、怯えているのか。ともあれ、大して歩きもしないうちに洞窟の入口が見えてきた。生暖かい空気はますます濃くなって、ねっとりとした湿り気と、肉を洗った水のような匂いがますます強くなる。


「……こんにちわー。ネロです」


そして洞窟の入口。

青い星屑のような粒子が奥の方から光を広げて、うっすら明るくなった洞窟の中から『それ』が鎌首をもたげて俺たちの前に姿を現す。


「っ……!」


肉の色そのままのそれは、見た感じまるっきり触手だ。

青い粒子交じりの粘液を滴らして、俺の頬、服、カバンをつついて一度引っ込む。


「もう一人、連れてきますよ……アイリ、絶対に逃げようとするなよ」

「は、はい……」


頷くように触手が動くと、アイリの体や持ち物を同じようにつつく。

そして一度洞窟の奥に引っ込んだ。


「……ひ、ひっ……」

「大丈夫か? 良かったな、今食われてないから無事で済みそうだぞ」

「あ、あの……今のは……なん、なん、」

「ドラゴンだよ? ……相当な、変わり者だけどな」


その時だった。


「心外ですねえー」

「!」


洞窟の奥から、声。

それと同時に二本の触手がものすごい勢いで俺たちに巻き付いて、そのまま持ち上げられ、洞窟の奥に引っ張り込まれる。


「暴れるなよ!」

「……っ! は、はいいい……!」


生暖かい洞窟の空気を切り裂いて、高速で引っ張り込まれる俺たちの体。

このまま洞窟の壁に衝突すればおそらくそれで死ねる勢いを何十秒か維持したまま、複雑な洞窟の内部を一直線に引っ張られ続けた。何度か来たことがある俺はまだ耐えられるが、最悪、アイリは気を喪っているかもしれない。そんなふうに思ったころ、開けた場所に出た。


「やあいらっしゃい、久方ぶりですねえ、ネロ。元気してました?」


ゆっくりと触手が俺たちを下ろし、俺は久方ぶりにドラゴンと対面する。


「おかげさまで。お元気そうで何よりです。テテューさん」


そこにあったのは、白い、顔。そして部屋の奥へと延びる首。

かれこれここに来るのは十回を超えているが、いまだに俺はこのドラゴンの全身を見たことがない。

この開けた空間はドーム状の天井に張り付いた青い粒子が比較的多いから、ある程度他の物は見えるけれど、床や、このドラゴンの体までは見えない。

ただ、粒子が見えない黒い空間があるから、そっちに胴体があるのだろう、と言う認識が精いっぱいだ。


「そして、こちらの獣人は……? 味からして、狼の雌……のようですが、生きてますよね? 気の利いたお土産……と言うこともなさそうですが?」


白い顔の大きな目が細く歪んで、笑ったような顔になる。


「……ちなみに、今のは冗談と言うやつです」


ははは、と笑い、生暖かい吐息が俺たちの全身をなでた。


「申し訳ありません、怯えてるみたいで……ウチの店の従業員の、アイリです」

「ほう、キミの店も大きくなりましたねえ……取引先としては嬉しい限りです。どうぞ初めまして、お嬢さん。私の名前はテテューと申します。今後ともよろしく」

「よ、よろし、く、お願いいたします……」

「ふふっ」


当人からすれば軽く笑っただけのその一息で、また生暖かい空気が俺たちの全身に吹き付ける。


「さて、お仕事の話は早く済ませるに限りますね。どの程度欲しいのです?」

「いただけるなら……どの程度でも。ただできれば、この後に山向こうの街に行くのであまり多くないほうが助かるのですが」

「ふーむ、なるほど。ではちょっと準備に時間がかかるので、その間……そうですね、ちょっとした世間話でもしましょうか。どうです、お嬢さん」

「は、はい……」

「はは、そんなに怯えなくとも結構ですよ。他の連中は知りませんが、私は気に入らないから食べるだなんて……そんなことはしませんよ」


にっこりと笑う龍。


「だって、もったいないじゃありませんか。そんなの」


ただしきっと、まだ見たことがないだけで、その本性は邪悪だ。


「さて、そういえば最近、転生者とかいうのが現れたみたいですね。世界の知識を収集する森の民としては何か思うところあったりします?」

「いやそんな……大げさですよ、里の連中とは違って、俺はしがない薬屋ですから」

「うふふ、そうでしたねえ……いやはや社会と言うのは不思議なものです、森で暮らすうちは多種族を寄せ付けなかったあなたたちが、私の目の前に店の部下を連れてやってくる……私達にはない感覚ですねえ……」


うっとりと、何を思っているのか、ドラゴンの顔は微笑んでいる。

とにかく今日も機嫌は悪くないようなので、さっきからガチガチに緊張しているアイリをどうにかしよう。


「アイリ、せっかくだから聞きたいこととかないか?」

「そ、そそそそうですね……じゃ、じゃあ……こ、この部屋……なんですけど」

「おお、何です? 何でも聞いてください」

「骨の匂いがするんですけど、こんなにもたくさんどこで集めたんですか……?」


――世界が、凍った……かと思った。


「おお……うれしい、何とうれしい質問でしょう……」


ばしゃばしゃと、目の前のドラゴンの瞳から涙があふれる。


「いやそれがですねえ……私も部屋の模様替え、というのを100年ぶりくらいにしてみたのですよ……しかし誰一人としてそれに気づかないものですからね……いやあ、一度取り掛かるとこだわってしまいまして……ほら、そこら辺にあった骨を集めて、とりあえず椅子のようなものを作ってみたんですが……いかがです? 座り心地は」


そう言って、触手に差し出された二つの骨の山。とりあえず座ってみる。硬い。


「あ、はい、独特です……座るよりかじるほうが好きなので……」

「うふふふふ! 面白い……とても面白い方だ……まだまだたくさんありますし、良ければ何本か持って行っても構いませんよ」

「そ、そうですか、じゃあ後で、お言葉に甘えて……」


まさかここまでうまくいくとは思わなかったが、どうやらお得意様に部下の印象は上々らしい。

心の中で思い切り安堵のため息をついて、改めて床に座りなおすと、たしかにここの床は砂ではなく、細かい骨だった。そして木の枝か何かと思っていた棒も、手に取ると骨なのがよくわかる。


「おっと、準備ができたようですね、はいどうぞ」


触手がまた一本、俺たちの前に現れて、『材料』を渡してもらう。


「私の血と、骨と、肝を少し。……うふふ、大切に使ってくださいね」


動物の胃袋を加工した水筒に、血と肝。そして数本の骨。

あっさり寄越したそれは、間違いなくこの龍の一部。だというのに、痛みを伴う様子とか、もっと言えば、血を流す音すら聞こえなかった。

どうやってこれを準備したのかは暗くてよくわからないが、考えずに頂いていこう。


「ではすいません、このあたりで失礼します」

「ええ、また。お嬢さん、今度ゆっくりお話ししましょう」

「え、ええ、よろしくお願いいたします……」


そしてまた、触手が現れて、いつものように入り口まで送ってもらう。

……はず、だった。


「……失礼。ちょっと出払ってるみたいでね。お客様の前で騒がせる前にもいかなかったんですけど、まあ、別れ際の余興には良いでしょう」

「出払って……る?」

「私の触手ですよ。どうもね、外が騒がしかったので……いやいや、最近は命知らずが増えましたねえ……本当に……」


……どこか遠くから、声が聞こえる。

逃げろ、助けて、嫌だ……この場所で絶対に聞きたくなかったセリフが、この場の気温を、雰囲気を悪化させていく。


「いやはや、珍しいこともあるものです……ネロさん、あなた、尾けられましたね?」


あまりにも楽しそうに、ドラゴンが言った。

どこか遠くから聞こえる声は、全て、明らかに、助けを求める叫び声。

洞窟に反響した声が、この部屋に集まるようにしてかすかに響いている。

全身から汗が噴き出して、まともに言葉を出せない。


「尾行なんて! そんな……」

「ああお嬢さん、気にしなくて結構ですよ。この洞窟に入るまで気づかなかったのは私も同じですし……おそらく貴方も今気づいたのでしょ? 余興と思って、楽しもうじゃありませんか」

「よ、余興……ですか」


嫌な予感が止まらない。

そして俺はもうすでに理解してしまっている。

この状況で、俺を尾行するバカがいるとすればただ一人だけだ。


「うぁ、あ……あ……」

「あーらら、まだ割と元気ですね。知り合いみたいですけど、この人誰です?」


俺たちの街を警護する騎士団長、エリナー=ルーゼン=バーサースタークが、満身創痍で触手に吊られてそこにいた。

全身鎧はその所々が抉られたように砕けていて、滴る血やおかしな方向に曲がった手足が痛々しい。


「き、騎士団長の……エリナさんです……」

「おやおや、通りで強いわけですね。久しぶりに三回ほど触手を切られましたよ。新しく生やせなかったらお手上げでしたねえ……」


がじゃん、と音を立てて落ちた体が、震えながらゆっくりと動いて、怯え切った顔がこっちを見ていた。


「うあ……ね、ネロ、お前……何、と……契約……した……」

「……契約なんてしてねえよ、知り合いだ」

「はっ……そう……か……とんだ藪蛇だったな……」


自嘲し、笑みを浮かべる女騎士。


「部下もみんな死んだ……手も足も……でなかった……あんな風に遊ばれるくらいなら……できればお前に殺されたい……な、なあ頼む、殺すなら……お前がやってくれ……」


竜が、にやにやと笑いながらこっちを見ている。

とにかく、何ができるかはわからないけど、できるのは時間を稼ぐことだけだ。


「何で着いてきたんだよ……余計なことしなきゃ、何もなかったんだ」

「……転生者に薬を売ったろう……例の件の、調べはついてたんだ……魔力暴走は、お前の店の薬のせいだと……それでもお前が……店で、大人しくしてれば……転生者の事故で片付いたかもしれなかったのに……」

「……そっか、俺の薬が盗まれてたのか……悪かったな」


次があれば、絶対に厳重な保管を義務付けよう。

……しかし考えてみれば、この状況はかなり良くない。

俺を調べてたこいつがこのまま死んだら、まず間違いなく俺が捕まって処刑だろう。

逃げようにもレイがまだ向こうにいるし、今は手持ちに金もない。

それに、今のこいつはとんでもなく大きな勘違いをしている。


「……あのさ、あまりこういうことは言いたくないんだが……」


ポケットからナイフを取り出して、言う。


「まず、介錯くらいはしてやるよ。……それでいいですかね?」

「師匠!?」

「ええ、かまいませんよぉ」


声からも伝わる笑み。


「え、ちょっ……あ、でも……その……」


それと対照的に、慌てふためく部下。


「……別にいいだろ、お前だってさっき酷いこと言われたんだしさ」

「あ、でもそんな、ええ……いや、そんな、私は怒ってないです! ですから……」

「手遅れだよ」

「っ……」


息をのむ音。横たわる女騎士を殺すために数歩歩く。

けれど、それは明らかに最悪の選択肢だ。


「……安心しろ」


……頼むから通れ、と、最後の一言を放つ。


「妹もすぐそっちに送ってやるよ」


静かな洞窟に、その声はやけに響いた。


「……え?」

「し、師匠……?」

「……妹? へえ、妹さんがいるんですか」


良し食いついた。

顔を見られないようにして、ナイフを構える。


「ま……待て、待ってくれ、な、何で? なんで私だけじゃなく、」

「黙れよ。逆に聞くけど何で無事に済むと思ったんだ? 俺の部下にくだらない事吹き込みやがって、生きてるうちはお客様だが死んだら金は払えないだろ」


なるべく冷たく、手の震えが怒りに見えるように、声色を全力で調節する。


「た、頼む! 金なんて家に余ってる! せ、せめてそれが無くなるまで……」

「できるわけないだろ、死人の家から泥棒しろってか? ……ああそうだ、いい事思いついた」


頼むから通れ、ともう一度祈る。あと一手で、全部助かる。


「なんなら妹さんもここに連れてきてから殺すか」


その言葉に、女騎士の顔が完全に絶望に染まる。


「ほー。それはなかなか悪くないですね」

「や、やめろ! やめてくれ! 今日のことは謝る、私が悪かったし私はどうなってもいい! だから、妹には手を出さないでくれ!」

「……どうします? テテューさん」

「ご自由に」


良し通った!


「じゃ、目の前でじっくり殺しますか。……と、思ったんですけど、ただ一つ困ったことがあるんですよね……」

「……ほう?」

「いやその妹ってのが、病弱すぎて……多分ここへ来る前に無理させると死ぬくらい弱いんですよ。言っては見たものの、それはつまらないな、と」


もちろん、実際そこまでじゃない。


「うーん、この人の前で妹さんの死体をバラバラにするのも見ものですけど、確かにそれは余興の質が落ちますねぇ」

「とはいえ恨みも晴らしたいので……ウチの駒にするっていうのはどうでしょう」

「駒、ですか?」

「ええ、逆らうことも許さずにウチの店でこき使ってやるんですよ、飽きたらそれはそれでここでじっくり死なせばいいわけですし……それに、このまま街に帰っても、またほかの誰かにこういう、尾行とかされると面倒なんですよね……引っ越しするくらいだったら駒にしたほうが都合がよくて」

「うーん、世知辛いですねえ。まあ割と楽しめましたし、我が家がうるさくならないんなら良いですよ、それでも」


ふう、と息が漏れた。


「その代わり、たまには顔を見せてくださいよ? ここで遊ぶよりも残酷に生きていく経過を見たいんですから」

「はい、もちろんです」


やり切った安堵感が、全身を駆け巡る。


「良かったな、新しい従業員……いや奴隷だな、うん、奴隷が手に入ったぞ。どーせ逆らえないんだし、好きに使っていいぞアイリ」

「わ、わーい! この私に酷いこと言ったのを、反省させてやりましょー! やっぱりよく考えると許せませんからねー」


お前もう少し演技できないか!?


「じゃあ、今日の所は帰ります。帰っても問題なくなりましたからね」

「……ま、いいでしょ。触手も治りましたし送りますよ」


ぐるぐると巻き付いた触手が、俺たちを持ち上げる。ひどく疲れた体がふっと楽になって入口へ戻されるその最後の一瞬に、


「……面白い余興でしたよ。でも、同じ演目をまた見る気はありませんからね?」


俺にだけ聞こえるほどの小さな声で、そう触手が囁いた。



――平穏に生きていくことの難しさは、200年も生きてればだいたいわかる。


生きるには金が必要で、金を稼ぐには仕事が必要で、つまるところ働かなきゃ生きていけない。まったくもって面倒くさいが、せめて好きな仕事がしたいと思って就いたのがこの仕事。

それでドラゴンに殺されそうになるんだから……つくづく世の中ってのは恐ろしいよな。


――で、それから一週間がたった。

俺たちはドラゴンに襲われたところを『偶然通りかかった騎士団』に助けてもらって、勇敢なる騎士の方々は団長を残して全員お亡くなりになった、ということになった。

拾った骨からは精力剤に似た成分が検出され、ほぼ毒に近いそれはごく少量を混ぜただけでも魔力暴走を起こすには十分な効能を持つとのことで、どうやら先日の事件はこのドラゴンの一部が混入したことによる事故と言うことになりそうだった。

もちろん、そこに全身を骨折した女騎士様の意見もあったのは言うまでもない。


「無実が証明されてよかったよ、危うくテロの片棒担がされたぜ」


全く迷惑だなあ、と言うと、


「あ、あはは、そうですね……」

と、目をそらしながら部下が言った。


で、

「ドラゴンスレイヤー万歳! 騎士団長万歳!」


街は今、祭りの真っ盛りである。

騎士団がドラゴンに負けた、ではなく、民を守るために女騎士様がギリギリの戦いの中でドラゴンを倒した、と言うことにしたほうが、世間は百倍盛り上がる。

急ピッチで作ったという『ドラゴンを殺した女騎士』の銅像が、別の騎士団に担がれて町の中央広場へと運ばれていく。追悼式と銘打って始まったはずのお祭り騒ぎは、ヒーロー不在のままつつがなく進行している。

大怪我していた女騎士様は多分まだ病院だと思うが、クライマックスで大々的に姿を現すんだろう。


「へえ~、私が寝ている間にそんなことがあったんですね~」


ごしごしごしごしごしごしごしごし。


「そ、そうなんだよ……あのさ、そこまで磨かなくても皿は十分きれいなんだが……」

「ダメです~私がいない間、姉さんがず~っとお師匠様といたんでしょう~? だったら、私も寝てたぶんがんばらないと」


ごしごしごしごしごしごしごしごし。

こだわりと言うべきか、店の薬皿が全体的に薄くなったように感じるまで、復帰したこいつの『お仕事』は止まらなかった。まあ好きにさせよう。


「しかしまあどうせ祭りの日に薬を買いに来る奴もそんなにいないだろうし、快気祝いに行ってきたらどうだ」

「病み上がりですから、ゆっくりしたいんです~。……ダメ、ですか?」

「いやいいけどさ……」


その割には皿を洗う手に力がこもっている気がするが、まあちょっと張り切るくらいがちょうどいいか……と思っていたところに、こんこん、とノックの音。

きぃ……と扉が開いて、ゆっくりと『そいつ』が現れた瞬間、時が止まった。


「やぁ……ちょっと悪戯が過ぎたかな?」


白い髪、白い服、青い目に、病的に白い肌。見間違えるはずもなく、それは……


「テテュー……さん? いや、なんで……その姿……え?」

「あー、驚かしてごめんね。500年ぶりに外に出てみたんだけど、何を間違えたのかな……ウチの家、無くなっちゃった」

「は?」


慌てて店の裏から屋根に上る。


「師匠?」


そして、レイも梯子ナシで路地裏の壁を蹴って店の屋根に上がる。

そして遠眼鏡で山の方を見ると……

――あの真っ白な山が、真っ二つに割れていた。


……場面は変わって、山の内部、竜の住処。

そして時間は、一日前にさかのぼる。


「さて、分身も行かせましたし、あの女騎士を見張るには十分でしょう……それにしても、昨日から何の用ですか?あなたたちは……」


人間の男が一人、獣人の女が一人、闇の眷属の女が一人、そして……古代のホムンクルス? いつだったか『吸った』冒険者の脳にそんな単語があったはず。


「いやー、バレてたとはね」


怯えるでもなく、そして私に……龍に挑むというのに野心もなく、見たこともない黒い服を着た人間の男は軽く、そう言った。


「おい旦那、ヤベエぞこれ……龍っぽいけど違う。本物はこんなんじゃねえ」

「私にもデータがない。新種のヘビ? 違う。そもそも……ここの鉱物が全部未発見。こんなの、通常ならあり得ない。『創造』した?」

「血の巡りもまともじゃありませんわね、作りたいように体を作れる……名づけるなら『シフター』と言ったところですわ」

「ふーん、んじゃシフターって呼ぼうか。……分身も作れるみたいだしね」


……どうやって見抜いた?

私が分身を作れることを知っていた? だったらこうして住処に来ている以上、何らかの攻撃なり、泳がせて後をつけるなり……いやそもそも、どうしてこいつらはここまで来るのに一切迷っていなかった?


「『超鑑定』」


は?


「これが僕のスキルの名前ですよ、視界に入りさえすればありとあらゆるものを鑑定できる。それだけの大したことないスキルなんですけどね?」


鑑定。それくらいなら私にもできる……が、この男の着ている服……『学生服』とは何のことだ? 語感からはありふれた服にしか感じられないが、使われている技術が異常すぎる。繊維の編み方が尋常じゃないし、そもそも布に炎耐性があるのはどういうことだ。

加えて、『高』の、文字?が浮いた留め具も全く寸分の狂いなく同じものだ。まさかあれが全部マジックアイテムと言うこともないだろうが、だったら何の意味もなく全く同じ彫金……しかも金属を彫るのではなく浮かすような手間を施して、わざわざパズルめいた留め具ごときを作ったのか? 意味が分からなすぎる。


「名前はなし、523年前にここに落ちた隕石の魔力と、偶然そこにいた魔物の魔力が反応して生まれたモンスター、この山自体がこいつの『殻』みたいなものだから、洞窟で一泊でもすればパーティは全滅……やれやれ、こんなのがいたとはね」

「!?」


どういうことだ? 私を調べた何者か……いやそんな存在がいるわけない! しかしだったらなぜ、こいつは私のことを知っている!?

いやそれこそがコイツの魔術か!

次の瞬間、私は分身とのリンクを完全に切ることに決めていた。


「あ、旦那、分身とのリンクが切れたぜ。どうする?」

「いいよ、そっちはあと数百年しないとこうはならないから」

「……貴様、何者だ?」

「転生者……そう呼ばれてるけど、ただのこ」


次の瞬間、私は全ての触手を鋭利にとがらせて殺到させた。

コイツが何者だろうとどうでもいい。玩具にするつもりだったあの人間もどうでもいい。今は今ここにいるこの存在を全力で駆除しなければならない。


「旦那ァ! ぼさっとすんな!」


だというのに、斧の一振りで全ての触手が弾かれた。


「遅い」

「ごきげんよう」


首を挟んで、魔力の高まり、そして高熱を感じる。

魔力の波動が、私の肉と骨を焼いて千切る。


「なぁめぇるぅなぁ!」


だがそれが何だというのだ。

首など、頭などまた作ればいい。生やせばいい。

肉さえ残れば、私を私たらしめるこの思考は止まらない。


「うわ、こいつは……」

「首を落としても死なない、と。美的センスのかけらもありませんわね」

「冒涜的」


こいつらを殺すには何があればいい?

眼は100、舌を70、牙を500、爪を200。この山にあるすべての私を結集して、凝固させて、こいつら全員を殺す。手足をもいで、目をくりぬいて互いの肉を混ぜ合わせてなお百年生かして殺してやる。


「――――!」


声を忘れて叫んだのはいつ以来だろう。

私のすべてを向けて、その四人は……


「ん、まあ頑張ったほうじゃね」

「及第点、と言ったところですわね」

「相手が悪かった……ちょっとかわいそう」

「いや、レベル上げてなかったら危なかったからね?」


……平然と、立っていた。

光すら刺さない崩れた山の中で、全員無傷で立っていた。


「……は?」


なんだこれは? 何が起きた?


「レベルカンストさせといて良かったね、……本当、レベルなんてものが見えるんならさ、一番最初の街で最大まで上げるでしょ、誰だって」


レベル? 何の話だ?


「超鑑定のたまものですわ、流石私が認めた殿方……」

「おいこら、抜け駆けすんなクソ吸血鬼」

「同意。あの時一番最初だったのは私。そして今日これからも、一番最初は……」

「うっるせえんだよ何でお前らが盛ってんだ!」

「今更初心なのもどうかと思いますの」

「そうそう、それに……原材料がこんなにもある」


何の……話だ? と思う間もなく、私の一部が四か所、ほんのわずかに食われた。


「んっ……さすがにナマはきっついな」

「あの薬の方が良かった」

「エルフの技術もバカになりませんわねー。おいしさの追求は千年の叡智ですの」

「いいからほら、みんな行くよ」


魔力が倍加するのを感じる。

四色のそれはまるではるか昔に見た、あの虹のようで……


すぱん。


最後に聞いたのはそんな音だった。

そして最後に見たのは、

獣のような速度で、全ての私が極限まで切りつくされて、

飛び散った肉は蠅が食いつくし、

それでも残った蠢く私の血を光が貫いて蒸発させる、


そんな、荒唐無稽な画だった。


――場面は戻って、祭りの狂騒が聴こえてくる薬屋の中。


「……ってなわけで、本体死んじゃった。泊めて?」

「いいけど、働けよ」

「……え?」


うそでしょ? と言わんばかりの表情。


「いや……当たり前だろ、働かざる者食うべからずだ」

「えっ……私、龍だよ?」

「だからどうした、丁度祭りだし焼かれてくるか?」

「いやだよー! えっ……私、500年間働かずに生きてきたのに、今更働くの……?」


顔面を蒼白にして、龍の化身がそう言った。


「いやだー! はたらきたくなーい!」

「いやお前そもそも働かされるために作られたんじゃねえの!? 分身だろ?」

「やだったらやだー! ぼろぼろのぐちゃぐちゃのふらふらになってもまだ健気に生き続けるしかない女騎士を最前列で見たかっただけなのにー!」


悪趣味が過ぎる。


「あきらめろ! 頼むから!」

「ひぐっ、ぐすっ……こんなのってないよー……」


――平穏に生きていく、なんてことの難しさは、200年も生きてればだいたいわかる。

こいつは500年かけて今更それを知ったらしいが……まあそんなことはどうでもいい話だ。

重要なのは転生者とか、あの女騎士が解放されたとかそういうことじゃない。


「あっ、つまり精力剤は、これで最後かよ……人気商品だったんだがなあ……」


……つくづく、平穏ってのは難しいもんだ。

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ある薬屋と犬と龍と騎士の一日 ほひほひ人形 @syouyuwars

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