第8話 御化亜氣(おばぁけ)学会
おばけを研究する研究者が所属する学術団体が、御化亜氣(おばぁけ)学会である。
御化亜氣(おばぁけ)学会では年に1度、年会費というものを現金で数千円ほど納めるが、会員である要件を満たすためには、それとは別に提出しなければならないものがある。それは、おばけ達との心の交流を深めることで得られる信頼の結晶(通称:おばけ玉)である。普段は目に見えないが、それはおばぁけ学会の会員になると年に1度開催される学会会場に設置された特殊な装置に入ることで結晶化され、生体外へ出現する。これが学会の内規で定められた一定以上の大きさになっていない研究者は、その年のおばぁけ学会会場へ入場することすらかなわない。
これは、研究のためならおばけの静かな生活を破壊してもよい、というような倫理観に欠ける悪徳研究者を排除するための手段の1つでもある。
そして、このおばけ玉の結晶化技術を実用化するきっかけとなったある事件がある。バックラムが巻き込まれたこの事件は、当時の私の脇の甘さが招いた事件だった。世の中に新しいものを発表するということが多方面にもたらす影響というものについて、もう少し慎重に対応すべきだったと今でも思う。
バックラムと出会ってから1年が過ぎた頃。バックラムはすっかり研究室生活にもなじみ、実験室で試験管やビーカーを腕に抱える姿などは、もはや我が研究室の日常の風景として、学生たちに親しまれていた。ちょうどその頃に我々の研究チームは、「おばけ」に関する研究内容を研究論文としてまとめ、学術誌上で発表した。
たちまち「おばけ」という生物は世間に認知された。それから間もなくすると今度は、世界各地から「様々なおばけ種発見」の報告が相次いだ。これには、木村教授が開発した研究機器「おばけ可視化装置-懐中電灯型」の貢献も大きかった。
どうやらおばけの種類にもいくつかタイプがありそうだ、という事実が徐々に明らかにされ始めたのもこの時期である。
やがて、おばけに関する発見報告例の増加とおばけを専門とする研究者人口の急激な増加によって、嘘か真実か判然としない情報が世の中にあふれるようになり、おばけを追い求めるあまり、一部の研究者による行き過ぎた調査行為も目立つようになってきていた。
おばけ研究の分野をより良い方向に成長させるためには、研究者同士の情報交換や交流を深める場を提供すると共に、正しい情報をとりまとめて発信する窓口の用意や、おばけの生息環境の適切な保全を提言できるような学術団体を設する必要性が高まっていた。
そしておばけ発見から約2年がたった頃、ようやく当時の現状に危機感を持つ研究者有志が集まり、御化亜氣(おばぁけ)学会が設立される運びとなったのである。
それから年に1度開催される御化亜氣(おばぁけ)学会の学術集会では、おばけに関する研究を専門とする研究者が集い、様々な研究内容を報告し合うようになった。参加人数は年々増加の一途をたどり、今では様々な分科会が発足し、賑わいを見せている。
おばけの基本構造や生理学に関する研究や、おばけの病気に関する研究、はたまた人間とおばけの関わり方に関する研究など、研究人口が増えるにつれて、研究内容の多様性は増し、研究分野のすそ野が大きな広がりをみせたことが功を奏し、おばけに関する研究は大きく前進した。おばけから思わぬヒントを得た新規エネルギー産生技術の開発や、新しい医療用素材の開発など、研究成果の社会への還元も着々と進んでいた。
そして、栄えある第1回目の御化亜氣(おばぁけ)学会では、我々がこれまでに得たバックラムの基本情報を公表し、「おばけ」と名付けるに至った出来事を聴衆に向かって説明した。この発表に対する反響は大きく、我々とバックラムを取り巻く周囲の環境は途端に騒がしくなった。大学の広報室には、「おばけ」との付き合い方についての問い合わせや、「おばけ」をつかまえて販売するためにおばけが通り抜けられない材質を教えてくれないか、だの「おばけ」を追い払うための方法をおしえてほしい、などの問い合わせも多く寄せられた。中には、駆除するためには殺虫剤が効くかどうか、というものまであったから、害獣という受け止め方をしている人もいるらしいことが分かる。
自然界における隣人であるおばけと人間はどのように付き合うべきなのか、おばけの尊厳を無視して利用しようと金儲けを企む輩からバックラムを含むおばけ達をどうやって守るのか、発足間もない当時の御化亜氣(おばぁけ)学会では、「おばけ」という生物に関する倫理と福祉のガイドライン策定を急いだ。
しかし、有名になったが故に、我々はとある事件に巻き込まれることになったのである。
*
その事件が起こったのは、御化亜氣(おばぁけ)学会でバックラムのことを発表してからちょうど1か月が経過したある日のことである。
その日は、学生たちの研究進捗状況を確認するために月に1度の割合で定期的に行われている研究報告会の日だった。私の研究室では5名の学生が、各自簡単にまとめた研究内容について発表を行っていた。ただ、この時のバックラムは、報告会を行っていた教室にはいなかったから、私の居室か実験室に居たのではないだろうか。報告会は2時間ほどで終了し、学生たちと共に廊下を歩いて我々の研究室へ戻ってきた時に、学生の1人が異変に気が付いて叫んだ。
「先生、大変です!研究室が荒らされています」
なるほど、実験室から学生室、私の居室に至るまで、引き出しという引き出しは開け放たれており、書類は床一面に散らばってぐしゃぐしゃに踏み荒らされていた。
私自身、こんな光景はテレビドラマでしか見たことがなかったので、こういう状況が現実に起こるとはなあ、とのんきに考えてから、はっと我に返る。
「バックラムは?バックラムは無事か?」
守衛に連絡し、大学の関係各所と警察への通報を済ませると、学生と私はそれぞれ手分けをして、研究室内を探し回った。しかし、普段なら居るはずの場所のどこを探しても、バックラムの姿は見当たらなかった。
荒らされた室内を見回しながら、数日前に気になる問い合わせがあったことを思い出し、嫌な予感が胸をよぎる。
*
その男は、海外のサーバーを経由した秘匿通信で、私の所に直接問い合わせをしてきた。一般には公開していない私の通信アドレスをどこで入手したのかは分からない。相手は海外を拠点に活動している、とある企業名を名乗った。野太い男の声だったが、肉声ではない不自然な人工的な声であり、明らかに偽名と思われる名前を名乗った。単なるいたずらかとも思ったが、わざわざ身元を隠すように声質を変え、高額な自動翻訳装置を通して通信してきていることを考えると、少し考えただけでも、関わり合いにはなりたくない、そんな直感的な感情しか湧いてはこなかった。
その問い合わせ内容は予想通りの酷いものであったので、話を聞いている間にもふつふつと湧いて来る怒りの感情を静めるために、私は何度も深呼吸をしなければならなかった。
それは、おばけを兵器として利用できないか、という類いの問い合わせ内容である。私の沈黙に対し、相手は、おばけを調教することはできないのか、と言い換えた上で、改めて質問を投げかけてきた。さらには、自分たちは表向きの主要な事業とは別に軍事産業にも手を出しているので、様々な国の軍と取引実績があり、各国の重要人物とのつながりがこの企業の研究開発資金を潤沢なものにしている、という話まで持ち出された。実際に会うこともなくこんな話をしてくるあたりもそうだが、その口調はいかにも詐欺っぽい上に、暗に力で押さえつけようとするような、そんな横暴な印象を受けた。
そして莫大な研究費を長期に渡って提供する代わりに、バックラムを差し出し、研究させろ、という尊大で乱暴な物言いをされた辺りから、私はこの問い合わせを「ろくでもないブラック案件」に分類した。「こちらでは対応できない」という旨を丁寧に説明し、頭の中では「二度と連絡してくるな。このくそ野郎」と悪態をついて、その日の通信を終了させたのだ。
確かに、これまで見てきたおばけの能力から考えれば、スパイや生物兵器として利用することを考える輩が今後も出て来るであろうことは容易に想像することができた。だから、御化亜氣(おばぁけ)学会側は、こういったおばけの悪用を目論む者たちの情報を集めた上で、その対抗策を練る必要にせまられていた。当時の御化亜氣(おばぁけ)学会に所属する各国の研究者と連携をとり、国や国際機関への働きかけを続けることで、おばけという生物自体を営利目的に使用することを禁じ、種の保存と保護の対象とするように根気強く根回しを行っていた。それと並行しておばけの能力を公表する際には、おばけの能力発動条件の不確実性を知らしめることで、暗に軍事利用には適さないと思い込ませるような予防線を張り巡らせることにした。
暴力や生物の尊厳を踏み荒らす裏の世界の住人達に対し、おばけには利用価値がない、ということを周知徹底できれば良いのだから。
*
通報によって大学へ駆けつけた警察官は現場の被害状況を確認し、我々は事情聴取を受けた。幸いにも、重要な機密情報は研究室の奥深くに厳重管理されていたので、侵入者たちに触れられた形跡は無かった。教職員も学生も不在中の犯行であったため、人的被害はなかったが、実験室の引き出しはいくつか鍵が壊されていたので、器物損壊の被害届を提出し、犯人捜査は開始された。
バックラムという生物が誘拐されたかもしれない、という私の訴えは、「盗難」という扱いで処理されることになった。ところが学内の防犯システムは、犯人グループによって犯行の時間帯は無効化されていたため、我々は犯人の顔を拝むことも叶わなかった。警察の見解では、防犯セキュリティへの対応や侵入時の目撃者が1人もいない点を考慮すると、相当慣れた手口であることや、複数人数による犯行であることは明白で、組織的な犯罪者集団の関与も疑われる、ということらしい。盗まれたものがないのに、わざと現場を荒らす手口は、裏の世界では一種の「警告」としてよく使われる手法だという。
警察による捜査とは別に、私たちは学内から神社まで、心当たりのある場所をいくつも探し回った。木村教授や根元教授、大西先生、前田さんや学生たちまでバックラムを知る者は皆、時間の許す限り捜索に協力してくれた。しかしそこから数日の間、バックラムの行方はようとして知れなかった。
ところが事件発覚から3日が経過したその日、姿を消していたバックラムが突如として実験室に姿を現した。しかし、その大きさは以前と比べると1/4程度、子供の手のひらサイズにまで小さくなってしまっていた。バックラムの身に何が起こったのか、詳しくは分からない。が、戻ってきたバックラムは実験補助作業をすることも、学生室へ移動して学生と触れ合うことも、私の居室へ来ることもなく、実験室の窓辺に置かれた机の上で、球形のまま、ただじっとしたままで日々を過ごすようになった。
本当にバックラムなのだろうか?これがバックラムだとするならば、この活動状態と大きさの変化は一体どういう状態を示すのだろうか?
我々の研究チームはおばけの状態変化に関する研究を行っているR大学の大河原教授を迎えて、現状について話し合った。何らかの刺激によって初期化されてしまった状態なのか、それとも植物化している状態なのか、研究者たちの解釈は分かれた。代謝状況を測定した木村教授は、動物と植物の代謝がちょうど半々の程度を示している、と報告したし、主だった肉眼病変などの異常は特に見当たらなかった。
どういう状況なのか把握することもできないお手上げ状態のまま、我々は2週間以上を過ごした。その間も小さなバックラムの姿は、いつも同じ窓辺の机の上にあり、動くことも、浮遊することもなく、ただじっとそこに在り続けるままだった。
その頃、ある国の研究機関に侵入して破壊工作を行ったとして国際指名手配されていた とある犯罪者集団のメンバー2名が現地の警察によって逮捕された。彼らは他にも様々な研究機関を標的とした妨害活動を行っていたことを自供したそうだ。標的となった研究機関リストの中には、我々の大学も入っていたため、すぐに警察から連絡が入った。
彼らは、世界中の科学研究の発展が人類に悪影響を及ぼしていると主張する団体から依頼を受けて研究機関に対する妨害工作を行っていたという。ところが、おばけの研究をしている我が大学を狙った理由については、頑なに口を閉ざしているという。
警察には、おばけの軍事利用について大学に秘匿通信で問い合わせてきた企業の件を告げてあった。近年急速に台頭してきた新興企業であるこの企業の活動実績にはどうも怪しい点が多いのだが、捜査に対しては捜査機関の上層部から圧力がかかるという点で、警察界隈では限りなく黒に近い灰色企業として有名になっているらしい。
どちらにしても、「おばけ」という存在を世に知らしめたことでバックラムの軍事利用を企む者が出現し、我々の対策が後手に回ったことで、それまで穏やかに暮らしていたバックラムの生活を一変させてしまったことは確かである。
私はおばけ研究家 一之森 一悟朗 @obake_dr
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