後編

 最初は全く知らない場所に来たんだと思っていた。

 でも建物も、人の着てる服だって見たことはあった。本でしか見たことがなかったけど。


 ここが町って所なのかな。たくさんの人がいて、角ばった変な建物はビルっていったかな。


 ここなら本当に「まま」が見つけられるかも。

 施設で過ごしてきて今日初めて聞いた言葉だから今までで見たこともなかったんだ。


 みんなもほんとは見たことが無いんだよ。だから僕が見つけたら、持って帰って見せてあげよう。


 先生も教えてくれなかったからきっと知らないんだ。もしかしたら僕の方が物知りになっちゃうなあ。


 悪いことしちゃったけど先生も「まま」を教えてあげれば許してくれるかも。


 わくわくが止まらない。まるで本に出てきた冒険家みたいで。

 僕の足はどんどんと早く動く。僕が風になったみたい。


 周りから色々な音が聞こえる。がらがらとか、キーキーとか。まるで音楽みたい。


 しばらく走り続けて、僕は前に見えた景色に脚を止めた。

 赤色のライトがチカチカと光る車が僕の前を塞いでいる。


 でも邪魔だからどいてね。僕は「まま」を探すのに忙しいから。僕は通せんぼする車をジャンプして越えた。


 また甲高い声が聞こえる。

 そうだ。ここの人なら教えてくれるかな、「まま」ってもの。

 

 僕は振り返って、さっきの通せんぼする車の方に戻ると、僕は目に入った男の人に近づいた。


 男の人は僕が近寄ると頭を抱え込んで小さく丸くなってしまった。

 僕が話しかけても何にも答えてくれない。まあ分かっていたけど。


 僕はムカッとして通せんぼしていた車に向かって手を叩きつけた。


 はっとしてすぐ手を引っ込めて男の人に謝ろうとした。男の人のものだったでしょ、きっと。


 でも謝ることもできなかった。どこを探しても、もう男の人はいなかった。


 僕は辺りを探してまわってけれど、姿かたちも見つけられなかった。あるのは水溜まりだけ。


 あきらめて「まま」探しを続けようとしたその時、ふいにお腹が鳴った。


 はっきりと耳に聞こえるほどのお腹の音。そういえばお昼からなにも食べていなかった。


 時間も分からないけれど、今頃施設じゃお昼ごはんも終わっている時間だよね。


 どうしようかと悩みながら、ゆっくり歩いていると、後ろから騒がしい音が聞こえてきた。


 音がだんだん近づいてくる。変にざわざわとした音。なんだろうと振り返ってそれを見た僕は、心臓跳び跳ねたみたいな衝撃を感じた。


「待つんだ! 戻ってこい、なな!」


 そんな風に呼ぶ声がはっきりと聞こえた。雅先生の声。

 怒った声は苦手。優しくないから。僕はすぐに逃げようとした。


 すると急に足がうまく動かなくて転んでしまった。


 見ると、足に網のようなものが引っかかっている。外そうと脚を動かすほどにそれは絡み付いて脚にへばりつく。


 僕についてきていたいたのは雅先生だけじゃなかったみたい。

 他の先生に、検査をしてくれるドクターたち、そして黒い服を着た知らない人まで。


 ドクターは僕の顔に何かを吹き掛けてきた。

 なにも匂いがしない、煙のようなもの。それを吸うと急に僕は眠くなってきた。


 まだ「まま」を見つけていないのに。僕の頭は吸い寄せられるように硬い地面に落ちた。


 なんでみんな僕のことを邪魔するんだろう。ただ知りたいだけなのに。誰も教えてくれないから自分で探そうとしたのに。それをみんなに邪魔される。


 僕は夢を見ているのかな。寝ているはずなのに目の前に景色が浮かんでくる。


 ふわふわとしたカラフルな色の建物に、見たこともない動物たち。

 それに、そこかしこからいい匂いがする。


 僕はお腹が減りっぱなしだったからか、匂いのする方に体が勝手に吸い寄せられるみたい。


 匂いがすぐそこまで近づいたその瞬間、口いっぱいに美味しいがはじけた。


 食べたことの無い味、だけどすごく美味しい。お肉みたいな味もするし、新鮮な野菜みたいな味もする。


 噛めば噛むほどお腹がすいてくる。もっと食べたい。

 匂いはあちこちから流れてきた。そこに行くと、また気づいたときには美味しいが口いっぱいに感じられる。


 口に入っているのがなんなのか分からないけれど、食べれば食べるほどに嬉しくなるから、気にしない。


 ちょっとして、遠くからでも分かるほど美味しそうな匂いがしてきた。


 僕はそれを最後にしようと匂いがする方に走り出した。口からはよだれが滝のように流れている。


 僕は匂いの元にたどり着いた。

 結局それがなにか分からなかったけど、僕の口には今までで一番の幸せが口いっぱいに広がった。


 それを飲み込んで落ち着いたころ、だんだんと夢が覚めていくのが分かった。楽しい時間が終わるみたい。


 そのとき顔にぴしゃんとなにかが当たった。僕ははっとして目を覚ました。

 目を擦り、上を見ると、空はどんよりとした灰色に染まっている。


 僕は見たことがない空の色にもビックリしたけど、もっとビックリしたことは空から水が落ちてきたことだった。

 こんな天気があるなんて。本でしか見たことがない。


 最初は弱かったそれも、だんだんとシャワーみたいに強くなって体を濡らしてゆく。

 その水はとってもひんやりとしていて気持ちがいい。


 結局「まま」っていうものは分からなかった。今日はもういいや。なんか、満足しちゃった。


 先生もドクターも僕のことをきっと探している。

 僕は辺りを見渡した。ここはどこだろう。ドクターたちに眠らされたところとは全然景色が違う。


 灰色の空からのシャワーは僕の体をどんどんと濡らしていく。


 僕は道も分からず、とぼとぼと歩いていた。

 急に寒くなってきたみたいで、脚が思うように動かない。


 それでも脚を止めること無く動かして歩き続けていると、目の前に壁が全部ガラスでできている建物が現れた。


 僕の姿がガラスにうつっている。


 手と脚が真っ赤に染まっている。ああ、あと顔の周りも。

 全身を覆う真っ白な毛皮は水を吸って体に引っ付いていい気持ちがしない。

 ふわふわの尻尾も今は水に濡れて重くうなだれている。


 そういえば通せんぼしていた小さな車の男の人もどこかに行っちゃったしよく分からないな。


 僕は鏡みたいな建物の壁をじっと見つめていると急に鏡の中の僕の体がドロッとした液体になって地面に流れていた。


 慌てて自分の体を見ると水を多く浴びたところからどんどんと溶けていた。


 僕って水に弱いんだっけと思っていると、また急に眠くなってくる。


 僕は音を立てて地面に倒れた。体が溶けていく。地面には水と一緒に、赤色の液体もたくさん流れている。


 もう起きてられない、と僕は目を閉じた。

 しばらくしてこんな声が聞こえた気がした。その声はとっても優しくてあったかい感じがした。


「回収完了。施設に戻り次第、他の子供と同様に記憶改竄きおくかいざんを行い、検体No.7は再び経過観察へ移る」


 目覚めの鐘が鳴る。僕はぱちっと目を開けた。今日の天気は晴れ。カーテンの隙間から光が入ってきている。


 僕は少しだけ伸びをしてベッドから起き上がると窓に近づいて、勢いよくカーテンを開いた。すると後ろの方でごそごそと動く音がした。


 振り返ると、みおくんがベッドの上で大きなあくびをしていた。


「今日は早いね、みおくん。いつもはもっとねぼすけなのに」

「……いつも一緒の時間に起きてるでしょ、僕たち。ななくんの方こそ寝ぼけてるんじゃないの」


 みおくんはベッドから降りるとてきぱきと服を着替え始めた。


 僕はなんだか不思議な感じがしたけど、まあいいやと思って、みおくんと同じように着替えのためにクローゼットを開けた。


 着替えを終えて、僕はみおくんと一緒に部屋を出た。

 僕たちが廊下に出ると、髪がくるくるのアルくんがこっちに来た。


「おはよう。今日も一緒に起きてきてるんだな」

「ななくんがカーテンを勢いよく開けるから、目が覚めちゃうんだよ」


 みおくんが僕を指でつついてくる。アルくんが笑って言った。


「ルームメイトらしいことやってるね。二人は」

「……るーむめいとってなんだっけ?」


 僕たちの横を他の子達が早足で通り過ぎていく。僕が前を向くと、アルくんがおでこに手を当てて下を向いて、みおくんは口に手を当てて笑っていた。


「前に先生が話してただろ? ルームメイトってのは一緒の部屋で暮らしてる友達のことだよ。ななとみおみたいに」


 いつもは迷惑ばっかだよ、とみおくんは僕を見ながら笑った。

 たくさんの足音がアルくんの後ろから聞こえてきた。


「ほら、三人とも。話していないで。食堂に行きなさい」


 いつも優しい雅先生の言葉に、僕はなぜか胸がきゅっとするような感じがした。


 アルくんとみおくんが先に歩いている。


 僕は走って二人の背中をトンっと押した。二人は振り返って僕の方を見た。僕の口から言葉がこぼれた。


「ずっと、一緒にいようね」


 アルくんは笑顔で、もちろんと答えてくれた。 みおくんも何も言わずに頷いてくれた。


でも僕にはなんでか分からなかったけど、みおくんの顔は悲しそうに見えた。


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白の孤児院 イルカ尾 @irukabi

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