『それ』は異世界にありますか?

ほひほひ人形

『それ』は異世界にありますか?


ぴんぽんぱんぽん、と町内放送の音割れチャイムが鳴る。


「――本日、朝7時ちょうどに『次元融震』が観測されました。みなさん、落ち着いて周りの方を確認してください。

昨日と異なる人、昨日までいなかった人が見つかった場合は、落ち着いて警察・消防にご連絡をお願いします……」


その放送は2回繰り返されて、静かな朝が戻ってきた。

街ゆく人々は顔を見合わせて、ある者は冗談を交わし、ある者は面倒くさそうにスマホをいじり始めた。


そしてその日の正午までに、警察・消防への連絡は3件。


――全部勘違いと、イタズラだった。



● ● ● ● 



「と、言うわけでね桜田くぅん!」

「なぁにが『と、言うわけでね』なんですか江西先輩」


久しぶりに日本で次元融震が起きたその日、大方の予想通り、僕の先輩はめんどくさいことを言い出した。


「次元融震だよ次元融震! この次元とどこかの次元がどこかでくっついたせいで起きた地震だよ!」


定員割れのなんちゃって公立進学校、一応は防音の科学実験室で、僕らの科学部部長、江西 桜(えにし さくら)先輩は高らかに叫ぶ。


「まるで誰かに説明するかのようなセリフをありがとうございます、今ちょっと忙しいんで黙っててください」


それに対して僕、桜田 江(さくらだ こう)は火にかけたフラスコから目を離すわけにもいかず、口で注意を促す。


「冷たくないかーい? たまにはそのくっっっっっっっっっっっっそ甘ったるい謎の液体から目を離してくれよぉ~」


声の位置からして、今日も机に腰掛けている白衣の先輩は、足をぶらぶらさせながら退屈そうに僕に言った。


「今いいところなんですから黙っててください」

「ふぇーん」


本当に面倒くさい。

軽く先輩の方を見ると、目に手を当てて、ちらっとこっちを覗いていた。

本当に本当に面倒くさい。反応するのがめんどくさい。

しかし一応、理論上の限界まで熱した僕の最新作をこれ以上熱に晒してもしょうがないので、僕はフラスコを金網に下ろして、中の茶色い液体が冷めるまで待つ。


「相変わらず研究大好きだねえ、キミは。そんなに甘味ってのは追及する価値があるのかい?」

「は? 世の中に甘味ほど面白いものあります?」


よほどヒマなのか、わざわざ僕の琴線に触れる話題を振られた。

そして甘味の素晴らしさを理解しない相手への啓蒙は人類の責務なので、仕方なく、僕は先輩に向き直る。


「あのですね、甘さってのは神が人間にもたらした福音なんですよ」

「ほう」

「塩気ってのは人間じゃなくても必要ですし、苦みや酸味は危険な状態の食物を判断するための機能でしょう。

じゃあ甘味を感じるのって何のためだと思います? 脳のための機能でしょ。

それが快楽を伴って、脳に良い! 世界一頭のいい生物は人間なんだから、

もっと人間は甘味を称えて甘味を追及して、脳のため、ひいては人類の発展の為により良い甘みを探っていくのは当然のことじゃないですか」

「なるほどね」


黙ってりゃ丸メガネの美人、口を開けば台無し、運動神経は小学生な先輩は、やっぱり机に腰掛けて、僕に愛想笑いを浮かべていた。


「とはいえこの思想が理解されるはずもないので、とりあえず今はこうして僕一人が人類のために甘味を研究しているわけです」


ガラス棒で粘度を確かめながら、一応ノートに書いておく。理論上はこんなもんなんだけどな。


「いきなり常識を語るカルトって怖いよね。ところで辛味に関しては?」

「論ずるに値しません。アレ痛覚でしょ。汗をかきたいマゾヒストだけが好きなだけエンジョイしててください」


なーにがスコビルだ。痛みを数値化して口に入れるとか、全く意味が分からない。

この話何度目かなあ、と思いながらフラスコを確認すると、濃縮された甘味はフラスコの底にチョコレート色で揺蕩っていた。

焦げたら苦みとか言うゴミが入るので全部台無しなのだが、なんとなく色から見ると失敗しているような気もする。


「ところで花坂のやつはどうしたんです?」

「特に遅れるとも聞いてないけどね。また補修かな?」


と、その時だった。

がらっ、と部屋の扉が開いて、ピンク髪の幼女……にしか見えない高校一年生、花坂 槐(はなさか えんじゅ)が現れた。


「遅くなりましたぁー!」


アクセサリーをじゃらじゃらつけたカバンを机に置いて、椅子をどかして、スペースを作りつつ現れたのは、ここ科学部最後の一人。

入学式の時に小学生と間違えて、小学校までの道を教えて以来の付き合いがある、僕らの後輩だ。


「うっぷぇ! 何ですかこの匂いは! ……なんて聞くまでもないですか。まーた甘味に狂ってるんですね、コウ先輩」

「お? 啓蒙してやろうか?」


いきなりケンカを売ってきた。

ちなみに僕を名前呼びなのは、『桜先輩』だとどっちかわかんないじゃないですか、とのことでだ。


「よくぶちょーも平気ですよねー」

「一応こっちが風上だからね。なんなら工場扇を回してあげよう」


言いつつ、先輩の手元のリモコンで、僕の隣の工場扇が『弱』で回りだす。


「ごほっごほっげっはぁっ! ま、まだ早いです部長!」

「ああごめんごめん!」


そんなに匂いが強いか? と思いつつ、慌てて僕らは荷物をどかす。

そして窓を開けて、落ち着いたところで、『何の話してたんですか?』と槐が言った。


「……何の話でしたっけ」


部長お手製ブレンドの『科学部茶』をすすりながら、僕はさっきまでの会話を思い出す。


「可哀そうにコウ先輩、ついに甘味で脳がおかしく……」

「甘味は脳の味方に決まってるだろキャラメル食わすぞ」

「ふぇえ、先輩が怖い……」


と、そこへ、部長が足を組み替えて、


「今朝の『次元融震』の話だよ。なんか面白いことあったかい?」


と、言った。ちなみにその口元には僕がこの前買ったバリ甘クッキー。

実際は大して甘くなかったので期待外れだったが、部のみんなにはウケが良かったので良しとしよう。


「うーん、聞いてないですねえ……」

「そりゃそうだよ、漫画やゲームじゃあるまいし」


『次元融震』と言うのは、近代になって起こる『多次元宇宙メタバース』と呼ばれる『異世界』とこの世界が繋がる際の現象のことだ。

これでゲームや漫画なら誰かしらが異世界に行って帰ってきたり、異世界から化け物が侵略してきたり、とんでもない髪の色をした女の子とイチャついたりするかもしれないが、現実は退屈である。


――行ったら絶対に帰ってこれないし、無事に済む保証はゼロ。


それが今の科学で導き出した、『異世界の真実』だった。

ちょっと考えれば当たり前の話で、文明どころかまず空気や重力がまともかどうかすらわからない異世界とこの地球が繋がったところで、起こり得るのはせいぜいが地震くらい。ましてやそこから文明を持った生物がやってきて、


「なかよくしましょう!」


とか、


「しんりゃくしてやる!」


とか、


なるはずがないのである。

あるいは仮に向こうからそういうのが来たとしても、向こうは異次元を自在に渡れる生物、こっちは何も知らない未開のおサルさんなんだから、宇宙人と人間のごとく、勝ち負けは分かり切っている。

ただ一応、次元融震の後に『人物の記憶の混濁』とか、『原因不明の大爆発』とかがなくもないから、今朝みたいな連絡が来るってだけだ。


「あの町内放送、意味あるんですか?」

「全国の市町村役場が同じこと思ってるよ、多分」


一応都市伝説的にはその後国の機関に連れ去られ、そいつがいた痕跡をすべて消されて異世界からの侵略者と戦うことになっている。

まあわざわざしっかり通報させてからそんなことしてたらバカでもわかる怪しさだと思うのだが、都市伝説にツッコミもめんどくさい。


「はぁーっ、つまんないねぇー。なんか面白いことないのかなー」


先輩は、何やらファイルを見ながらフラスコから色鮮やかな液体、具体的にはありとあらゆる野草から沸かした『茶のような何か』をブレンドしている。

実際、どれをどう飲んでもおいしいのは先輩のすごいところだとは思うのだ。

しかし本人はそれに満足していないようで、大体いつもつまらなそうにしている。


「それこそ部長だって僕みたいに甘味の追求とかすればいいじゃないですか」


世間一般の科学部が何をしてるのかは知らないが、少なくとも僕の人生は甘味に捧げているので、僕は今日も甘味の研究をするだけだ。

今の課題としては『世界一の甘味』の作成なので、僕の毎日に退屈の文字はない。トライアンドエラーって楽しいよね。


「隙あらば布教してくるよねキミは……」

「甘味万歳」

「甘味大好きコウ先輩はともかく、私はここでお料理できればいいんですけどね」

「料理部が無いからねウチは……」

「そりゃ私立とかでもない限り、『部』は無理ですよ」


まあいかにも金かかりそうだしなあ。

市販のお菓子の再現ってことで一応科学部をエンジョイしている槐も、なんだかんだ気を遣ってはいるようだ。


「砂糖と野草は困らないんですけどね、この部」

「おうウチの工場から好きなだけ持っていけ。また野草クッキーでも作ってくれよ」

「もうヨモギとつくしの季節終わったんで、アレ来年まで無理ですよ」

「……そっか、美味かったんだけどな」

「……残念だねえ」


至極当然の帰結として、そうなった。

茶を口にすると相変わらずおいしいけれど、このお茶を味わえるのもせいぜい秋までだろう。

そうしたら先輩は受験に本腰入れるし、僕も僕で志望校くらいは決めなきゃならない。

そもそもこの部が生き残れるかも怪しいしな。


「はぁーつまんないねぇー、なんか面白いことないのかなー!」


若干重くなった空気を払うように、先輩が同じことを叫ぶ。

まあもうすぐ夏休みだし、どこかに出かけるとかしても……と思ったその時だった。


バッシャアアアアアアアアアアアアン!


と音がしてガラスが割れた。


「なっ、なんだい!?」

「先輩、こっちこっち!」

「んひゃあ!?」


僕等もびっくりして立ち上がり、先輩は背中側から僕が引っ張って、反対側の窓際まで三人で避難する。


「これに懲りたら机に座るのやめてくださいよ」

「わ、わかったから放してくれよ」

「あ、すいません」


ずっと脇を抱えてしまっていた。

しかしそれを気にするより、『外から飛び込んできた黒くて丸い何か』が蠢きだしたので僕らは動きを止めた。

まるで黒いゴミ袋みたいなシルエットだったそいつが、SF映画のクリーチャーみたいに羽を広げ、姿を現す。


「グ……キィイイイイイイイイイイイイ!」


――犬の頭をした蝙蝠が、そこにいた。


「モンスターだ」

「クリーチャーだね」

「化け物じゃないですか!」


ばたばたと苦しそうにするそいつは、なぜか苦しそうにもがいている。

見ると、窓ガラスに突っ込んだせいか、羽の一部が変な方向に折れていた。

しかしそれでも大型犬みたいな大きさなので、苦しんで暴れるだけで、部長お手製のお茶フラスコをなぎ倒す。


「ああっ! せっかく集めたのに!」


飛び散る液体が羽にかかって、ミミズみたいな色の長い舌をイヌコウモリ(今命名)が伸ばした。


「キッモ!」


べちょべちょと液体を舐めまわす音がして、イヌコウモリが落ち着いたのか、周りをきょろきょろとしだす。

そして近くの棚にあったホルマリン漬けのカエルを見つけると、その舌を伸ばして巻き取り、掲げるようにしてビンを割って、ホルマリンごと飲み始めた。

……旨いのか? それ。


「あ、スマホ……」

「カバン、全部向こうだな、取りに行くなよ」

「行かないです」


運悪く僕ら全員が机にカバンとスマホを置いていたので、イヌコウモリ側の机に全部ある。


「非常ベル、鳴らしてみるかい? 火事じゃないけど、この様子ならさすがに文句も言われないだろう」

「それでこっち来るのが怖いんですよねえ……」


イヌコウモリがホルマリン漬けに夢中なうちにどうにか脱出したいけど、ここは三階、窓からベランダに出れるとしても危険だし、出入口はイヌコウモリの近く、隣の薬品保管庫に誰か回り込んできてくれればいいけど、そこまで冷静に判断してくれるとも思えない。

どうにか今僕らがいる反対側、黒板の前を通って出入り口まで行ければいいんだが。


「ご、ごめんねみんな……私が、あんなこと言ったから……」

「いや先輩がアレ呼んだんなら逆にすごいでしょ、異世界帰りですか?」

「多分違う……」


たぶんて。


「……あの、一ついいです?」


と、ここで槐が手を挙げて発言した。


「なに」

「……いきたいです」

「は?」

「……トイレ、行きたいです」


えっ。



「……極度の緊張。あと私の特性のお茶の成分にはおなかの調子をよくする乳酸菌が……」



もうヤダどうしてこんなことになっちゃったかなあ!

視線の先では、イヌコウモリが三本あったカエルのホルマリン漬けを完食して、蝙蝠のホルマリン漬けにキモい舌を伸ばしている。

どうやらホルマリン漬けは異世界の化け物のお気に召したらしい。


「……今行くしかないかな。消火器でどうにか目くらましできないか?」


壁際の消火器を生まれて初めて手に持って、

仕方なくじりじりと、三人(僕が前で女子二人が後ろ)の状態で、黒板側に回り込む。イヌコウモリが黒板の反対側を向いてくれれば何とかなるんだがなあ……


「ありがとうございます先輩、私先輩のこと忘れません……」

「僕が死んだらお前、トイレ行きたいばかりに先輩殺した女子になるぞ」


B級映画でもなかなかいなさそうなキャラになるな。

などと大馬鹿なことを考えていたら、蝙蝠のホルマリン漬けを口にしたイヌコウモリが苦しそうに咳き込みだした。


「グボッ、ッググア!」


ぐちょちょちょ、と自分の喉から自分の舌で蝙蝠を引っ張り出して、


「キャヒン! キャヒン!」


何やら苦しそうにしている。


「なにあれ」

「同族食べて苦しんでるんじゃないですか?」

「共食いか……」


まあ確かに、異世界で口にしたのがおいしい人間だったら僕らも悲しいどころじゃないけども。


「グアアアアアア!」


やっべ気づかれた!

と思った次の瞬間、机に脚を乗せたイヌコウモリが転ぶ。

そしてその喉の下で、『それ』が割れた。


「あ……」

「あっ」

「ああ……」


どろりと流れ出した、『茶色い液体』。

イヌコウモリはその匂いを嗅ぐようにして、ゆっくりと……恐る恐る舌を伸ばし、その先が、


ちょん、


と触れた瞬間、


「キュッ!? グァアアアアアアアア……」


泡を吹いて倒れた。


「……失礼だろ! それは!」


と僕が嘆くと、入り口の扉が開く音。


「あ……ああっ! ど、どうしよう! こんなの絶対怒られるー!」


そこから出てきたのは、

宇宙戦争の兵士みたいな、白一色の潜水服みたいな服を着た、あからさまに異世界の誰かだった。


――そしてそれからしばらくして。


「ほ、本当に申し訳ありません! 全部弁償しますんで……」


ヘルメットを取って、現れたのはエメラルド色の髪の毛をした、男か女かわからない奴だった。

コイツは名前をエメルと言い、うっかり朝起動した『とある装置』が一瞬だけ作動して、こっちに『ペット』を飛ばしてしまったらしい。


「……まあいいけどさ、そもそもどうしてまだ誰も来ないんだ?」

「あ、それは、その……防音装置で、色々と誤魔化し……じゃなかった! この世界に影響がないようにしてますので!」


ふーん。


「ペットは死んじゃったみたいだけど、いいのかい?」


と、先輩が尋ねる。


「あ、いえ、アレくらいなら持ち帰って病院に持っていけば数日で……」

「そっか、そりゃよかったな! ホルマリンとか絶対に体に悪いしな!」

「ぷぷぷー」


槐が笑い、僕はとにかく腹が立つ。

アレ絶対にホルマリンのせいだからな。


「あ、あの、何か……」

「うるせえ早く帰れ」

「まぁまぁ先輩、せっかくのチャンスじゃないですか」


夕暮れの科学室で、改めて席を設けた僕らは、異世界人と話が出来ていた。

向こうが謝りたいみたいなのでとりあえず成り行きに任せたけど、実際これは凄い技術ではある。確かに異世界の技術を味わうチャンスではあるけど、腹は立つ。


「痕跡を消したいんですけど、ディノーが……あの生き物が壊したもの、教えてもらっても……?」

「えっと……フラスコが……4つかな。あとホルマリン漬けのカエルが三匹と蝙蝠が一匹と……ドクダミと乾燥したヨモギの茶と……」


などと先輩が指折り数えると、結構序盤でエメルが慌てだした。


「えっえっえっ、この世界の動植物を、そんなにも勝手に!? そんなあ、どうしよぉ……」

「……どうしようって言われてもねえ」

「で、でも弁償しないなんて許されないし……なんでもします! 何かしてほしいこと、ありませんか!?」

「えー?」


僕ら三人、視線を合わせて考える。


「ていうかそもそも、私達と話す意味あるんですか? 記憶消してバイバーイってされるかと思いましたよ」

「そんな野蛮なことしませ……できませんよ! 数日中に本格的にこちらの文明とはコンタクトを……あっ!」


言っちゃいけないこと言っちゃった、という顔をして、エメルは口を押える。

本当にポンコツだなコイツ。

しかし何でもしてくれるならそれはそれで話は早いわけで、僕はその『思い付き』を確認して、みんなに伝えた。


「面白そうだけど、いいのかねえ?」

「私も気にしませんけど……ありなんですかそれ?」

「どうなん? ――ってことなんだけど」


「い、いえ……相談してはみますし、正直、悪い話では……う、うう……と、とにかくやってみます! すいませんでした!」


そして、ぱちん、と一瞬で、世界が元に戻り、エメルも消えた。

今まで聞こえていなかった非常ベルが鳴り響いて、校内にいた先生や生徒がばたばたと外に出て、誰が消防や警察まで校庭に来ていた。


色々と破壊された科学室は僕らの証言によって、『誰かが投げ込んだ大きな何か』によってホルマリンのビンやフラスコを破壊したイタズラとして処理された。



● ● ● ● 


「ほう、ここが異世界か!」

「なんていうか、未来の世界の猫型ロボットがいそうですよね」

「ねえねえお店行きましょうよ! あれ多分駄菓子屋ですよ!」


それから、二か月。

あの後エメルさんの世界と僕らの世界は『交流』を開始して、世界中がパニックになりつつも、少なくとも日本は平和だった。

そして平和だからこそ、できることもあるわけで……


「ようこそ地球の皆さん、健康診断その他、ご準備はお済みですか?」


こっちの人間を模したロボットが、日本語で語り掛けてくる。

曲線や球体の建物が並ぶ明るい街の中で、僕らは今、『異世界』に初めて降り立った『交換留学生』だ。


「野草も気になるけど、やっぱり最初は買い物かな!」

「甘いもの買いましょうよ甘いもの!」

「お菓子! お菓子! 親戚中からめっちゃ頼まれたんですよ!?」

「あ、イヌコウモリ、本当にペットだったんだねえ……色違いだ」

「へー、赤かったりします?」

「ほら見てよ、水玉模様だよ」

「噓でしょ!?」


興奮を隠しきれず、僕らはついはしゃぐ。


「しかし本当にエメルさんが約束したとおりになるとはね」

「言ってみるもんですね!」

「グッジョブです!」


あの時、

『じゃあ……どうせコンタクト取るんならさ、ウチの学校と交換留学生してくれよ。それで僕らを異世界に連れてってくれ』


と、思い付きで言ってみて本当に良かった。

勿論他にも交換留学生は要るんだろうけど、『運よく選ばれた』僕らは今後も異世界との行き来を繰り返しながら、科学部の活動ができる。

先輩はもうすぐ卒業だけど、異世界の植物の研究をしたいらしい。

やっぱり先輩、植物、好きだったんだな。


「あー、みなさんそこにいたんですかー! 探しましたよ!」


エメルさんがこっちに走ってくる。

これから一か月、僕らは異世界で過ごすわけだけども……


「そう言えばここってもう異世界って呼ばないらしいですよ」

「へー、何ていうんだい?」

「隣の世界、だから……えっと」

「ネイバー、だっけ?」

「ああそれですそれ」


……異世界はなくなって、今となってはお隣さん。

そりゃそうだよな、中世みたいな剣と魔法の世界じゃなくても、僕らの世界よりあまりに進んだ、こんなにも面白そうな世界があったっていいだろう。


「で、先輩は進路どうするんです?」

「え、そんなの決まってんだろ」


分かり切ったことを槐が聞いてきたので、僕はいつも通りに応えてやった。


「世界一の甘味を作るんだから、僕はこっちの世界で研究するんだよ」


その答えに呆れた顔と笑った顔が返ってきて、改めて僕は思った。


――この世界には、もう少し甘味に関して理解がないものかねえ。













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