第3話 幼馴染

「ねぇ、起きて。もう……早く起きなさいよ。いつまでそうしているの?」


 不機嫌そうな声がする。

 女性のようだ。

 誰だろう?

 この声、どこかで聞いたことのあるような……。

 

「いつまで待たせる気? いい加減疲れてきちゃったんだけど…… はぁ」


 イライラしながらため息を吐く声の主。


 ギシ


 音がして、俺の体が少し揺れた。

 彼女は俺の直ぐ近くに腰を下ろしたようだ。

 これ以上寝ていたら彼女に怒られる! 早く起きなければ…… そう思うのだけれど。

 おかしい。

 声や気配は分かるのに。

 身体が動かせない。声が出ない。

 まぶたをあげることすら叶わない。

 金縛りにあって、体だけが寝ている状態なのだろうか。

 

 早く目を開けて、彼女が誰だか確かめたくて仕方ないのに、それができない。


 ひょっとして俺は死んでしまったのか? 

 半ばパニックになって焦っていると……。

 

 彼女の掌が、そっと俺の額に触れた。

 そのままゆっくり髪を撫でられた。

 2回、3回、4回、5回。

 温もりが沁みてくる。

 安心する。気持ちいい。


 こんなふうにされて喜ぶなんて、俺は猫?

 考えてみても自分が何者だか分からない。


「…… 昨日まではひどい雨だったけれど、今日は晴れて気持ちいいんだよ。窓、開けようか」


 カラカラと音がして、新鮮な空気が流れ込んできた。


 チーチュルチーチー


 鳥の囀りが聴こえる。

 そよそよと吹き込む風、草花の香りを鼻先に感じた。

 心地良いや。


「あれ? 嘘…… 今ちょっと笑った? ひょっとして私の声も届いてる?」


 彼女の声のトーンがあがった。


「ねぇ聞こえているの? 私、ずっと待っているんだよ。貴方が目を覚ますのを。もう一度貴方に会いたい」


 彼女の言葉が胸に刺さる。

 なんでこんなに苦しいのだろう。


—— 本当は俺だって会いたい。


「あのね、今日は7月7日、星祭の日だよ。街なかでもあちこちで短冊を結んだ竹や笹が飾られてる。カラフルな短冊に、みんな思い思いの願い事を書いて星にお供えしてた。懐かしいでしょ」


 七夕か。

 揺れる笹の葉、願いごとが書かれた五色の短冊。 

 おぼろげに思い出が蘇ってくる。

 

「小学校の時はさ、一緒に飾りを作ったよね。折り紙をハサミで切ってさ、輪っかとか、網飾りとか、吹流しとか。私がせっかく可愛い色で作っているのに、貴方が黒とか茶色とかの輪っかを作るからケンカしたりしたね」


 そうだ。俺は以前学校に通っていた。

 あの時は隣のクラスに負けないくらい長い飾りを作ろうと、輪っかを量産してアイツとケンカになった。


—— アイツって?

 

「あの頃の願い事、覚えてる? 私は『自転車に乗れますように』とか『料理が上手くなりますように』だったなぁ。だってね、当時の貴方に『自転車乗れなくてダサい』とか、『クッキー焦げの味しかしなかった』とか、めちゃくちゃ馬鹿にされたんだもの。今に見ていろって、お星さまにお願いしちゃった。あの時の貴方の願い事なんだったか覚えてる? 私は覚えているよ。……『ヒーローになる‼︎』だったよね」


 女の子をからかったり、ヒーロー宣言をしたり…… 俺は、かなり恥ずかしい男だったんだろうか。


「今思えば、貴方はずっとヒーローになりたかったのかもね。ほんと全然成長していないんだから。ここにくる途中、商店街に大きな笹が飾ってあったの。誰でも願いをかけて良いですよって言われたから、私、思わず書いちゃった。黄色い短冊にね『好きな人にもう一度あう』って。彦星と織り姫の二星に届くといいな。…… そして、貴方にも」


—— ああ、俺は……。

 

「…… なんで『勇者病』なんかに罹ったの……」


 再び髪を撫でる彼女が、忌々しげにぽつりと呟いた。


—— 「ユウシャビョウ」?

  「ユウシャ」?

   勇者。

 

 そのキーワードに俺の中の何かが反応した。

 ひりりと鮮明になりかけたものが、再び霞んでいく。


 そうだ、俺は「勇者」。

 なんで忘れていたのだろう。

 こんなところでのんびり寝てなどいられない。

 こんな安穏とした場所に俺がいるという事は、聖女が俺の身代わりになったのだろうか。

 まずい、彼女が壊れてしまう前に急いで助けに行かなくては。


 不幸になるのは俺だけでいいんだ。

 俺なんかどうなってもいいから。


 だから俺を待つあの世界へ。

 さあ、戻らないと!


「どうしたの? 大丈夫? 苦しいの?」


 彼女の声が、俺の勇者としての覚醒を阻む。

 このひとは何故俺の邪魔するんだろう。

 ひょっとして魔王の手の者なのか?


 俺はここから離れたいのに、この声が逃してくれない。

 呼びかけは続き、彼女の手はなおも優しく俺に触れる。

 

 嫌だ、やめてくれ。

 (違う、やめないで)


 勇者じゃない俺に価値なんて無い。


 俺を戻せ、あの世界へ。

 (戻らせないで、ここにいても良いというならば)


 頭と心がぐちゃぐちゃして、キィンと頭に痛みが走り、息が出来なくなった。

 苦しい。

 

「大丈夫、大丈夫、大丈夫だから」


 彼女の温もりを全身に感じた。

 抱きしめられている。


「楽にして。ゆっくり息を吐いて。ひとーつ、ふたーつ、みーっつ。そう、大丈夫」

 

 穏やかな彼女の声、伝わる鼓動。

 それを聞いているうちに、俺の体のあちこちに入っていたヘンな力が抜け、あるべき所に流れ出す。

 

「落ち着いた? ……もっとずっと前に、こうしていれば。違っていたのかな」


 彼女がぽつりと呟き、そっと体を離した。


「もう子どもじゃ無いんだからって、貴方と距離を取った。貴方の痛みは貴方にしか分からないから、知ったかぶりで慰めても邪魔だろうなって。離れた所からそっと見守るの優しさだと自分に言い聞かせていたんだけれど、たぶん違ったんだね」


 ふうーっと長いため息が聞こえる。


「『勇者病』…… 国内でもう400万人以上が罹ってるって。 ヒーローやヒロインになる幻覚を見せて脳を侵食する病なんて…… 私は怖い。重症化すると脳みそが溶けて死んじゃうんだよ。でも、貴方はどう思っているのかな? この病、一部では『救済主』って言われているみたいなんだよ。何故ならね、現実のあらゆる苦しみから解放されて、理想の中で死ねるから。だから、人に最も優しい病ではないかって言われてる」


 確かに、それに魅力を感じないと言ったら、嘘になる。


「甘い夢なら、私だって時々見るよ。現実は時に、ううん、大概上手くいかない事の方が多い」


 彼女の手が再び俺の髪に触れる。


「でも、夢の中ではこんなふうに貴方・・にふれられない。貴方の熱は感じない。私はその方が辛い……」


 ふうっと吐き出された息が頬にかかる。


「もっとちゃんとぶつかれば良かった。もう子どもじゃない、そう思ったら拒絶されるのが怖くなって、何も言えなかった。余計なお世話でも、ケンカになっても、例え貴方に嫌われることになったとしても。早くこの扉を開ければ良かった。貴方が夢に囚われ、自分自身に全く関心を持たなくなってしまう前に」


 そうだ、俺はあの時上手くいかない事があって、君に当たって、君が遠ざかって、絶望して…… 夢の病に侵された。


「貴方のなりたかった『ヒーロー』ってどんなもの? 貴方がなんでヒーローになりたかったか知りたくて、調べたけれどよく分からなかったよ。色んな本には、何かを、誰かを倒すより、自分の欲望に勝つこと、自分の運命を担うことが勇気、ヒーローはそれが出来る人だって書いてあった……」


 そんなの分かってる。

 だから俺は現実でヒーローなんかになれない。

 分かってる! だから……。


「…… 私だってさ、いつも精一杯。それこそ失敗なんてしょっちゅうしてる。自分自身にだって勝てない時もたくさんあるし、ちっとも強くないの。ほんと格好悪くて、くよくよしちゃう時ってある。でもね、貴方のことを想えば頑張ろうって思えるの。私はね、ヒーローであってほしいだなんて少しも思っていないんだよ」


 君の言葉が胸にささる。

 俺は…… 分かっていなかった?


「目を覚まして。平凡で、どこにでもいそうな貴方。でも、貴方はひとりしかいない。勇者じゃない、ヒーローを求めてなんかいなくて、ただの貴方がいいの。また一緒に歩きたい。いつもの道の脇にね、黄色くて丸い花がたくさん咲いたよ。優しいおひさま匂いがするの。貴方に見せたいな。…… ずっとそばにいて欲しい。ねぇ、目を覚まして…… お願い……」


 ちゅっ


 温かく柔らかいものが、唇に触れ、離れていった。


「…… 寂しいの。私、最近じゃ料理上手といわれるんだよ。唐揚げも、オムライスも、ロールキャベツだって美味しく作れるようになった。お願い、戻ってきて食べてよ。一味足りないとか、また文句を言ってもいいからさ」


 俺の顔に温かい雨が降る。


「愛してる」


 掠れるような告白。

 俺を呼び起こす声。


 指先に点る熱。

 

 俺は………… 俺も君に触れたい。


 


 


 

 

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『勇者』である君へ − the voice of salvation.− 碧月 葉 @momobeko

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