ユウくんとサヤちゃんは片想い

日諸 畔(ひもろ ほとり)

すれ違っているような、すれ違っていないような

 肩を落とした京橋きょうばし 裕也ゆうやは、アパートのドアに鍵を差し込んだ。狭くてボロい代わりに家賃は安い。狭いながらも風呂とトイレは備え付きだ。親からの仕送りとバイト代で暮らしている大学生としては、贅沢な部類に入るだろう。


「ちょっと聞いてくれよー」


 裕也はワンルームに入るなり、情けない声をあげる。隣に迷惑にならない程度の音量を心がけているあたりに、彼の性格が現れていた。


「なぁに、どうしたの?」


 そんな裕也に、落ち着いた優しい返事が向けられる。互いに小さい頃からの友達、小夜子さやこだ。

 裕也が大学進学のために一人暮らしを始めて二年経った今も、二人の距離感は変わらなかった。些細な愚痴や相談の相手になってくれる。裕也にとって彼女は大変貴重な存在であった。


「それがさー、今日もだったよー」

「んー? 今日もだったんだ?」

「そー、いい感じの所まで行った気がしたんだけどさ、京橋くんはお友達以上には思えないってさー」


 裕也は悔しそうに床を叩く。もちろん力は控えめで。小夜子は、そんな優しい彼が好きだった。それはもう、十年近く前から。

 幼馴染というポジションがあるからこそ、気安い関係でいられる。小夜子は椅子から立ちあがり、裕也の頭を撫でた。


「可哀想に、よしよし」

「サヤちゃんのアドバイス通りにしたはずなんだけどね、なんだよもう」

「んー、ユウくんが悪いとは思えないな」


 互いの呼び名も子供の頃から変わらない。近しい関係であるからこそ、小夜子は裕也への想いを口にできなかった。

 それと、裕也に言えないことがもうひとつ。小夜子の言うアドバイスは、いつも的を外したものだった。根が素直な裕也はそれに気付かない様子だ。


「ちゃんと私の言う通りにしたんだよね?」

「そう、二人で出かけようって言われても、みんなを誘ったし」

「うんうん、誠実さをアピールしないとね」

「そっと寄っかかってきても、絶妙に距離をとったし」

「うんうん、恋人にもなっていないのに触ってしまうのは、嫌われるものね」


 裕也はこれまで、異性と恋人関係になったことがない。見た目も悪くなく、学業も運動もそれなりにできる。ある程度のファッションセンスもあり、何より他者への気配りがすごい。

 それでモテないはずがなく、中学高校大学と良い仲になる相手もいた。ただし、友達以上恋人未満から脱却することはなかった。


 その原因が、小夜子のアドバイスである。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 二人の出会いは十五年前。ひと目合った時から意気投合した。いつも一緒に遊んで、いろいろな事を話した。

 子供ながらに結婚の真似事もしてみせたが、裕也はそんなことすっかり忘れている。小夜子は知らない振りをしつつ、大切な思い出として胸に刻んでいた。


 小夜子が恋心を自覚したのは、小学校に通うようになってからだ。二人で過ごす時間が激減し、寂しさのあまり泣きそうになってしまった。そこで小夜子は、裕也が自分にとってどれだけ大切な存在かを理解したのだ。

 彼が大人になれば、いつか自分から離れてしまう。わかってはいても、そんな想像をすることすら小夜子には恐ろしかった。

 小夜子の心には裕也しかいなかった。少しでも長く彼を引き留めるため、毎日が必死であり、それが幸せでもあった。


 そんな気持ちには全く気付かない裕也は、子供らしく能天気に日々を送っていた。それでも、大切な友達のことを忘れることはなかった。

 自分にとっては初めての友達。いつも気にかけてくれる小夜子との友情は、大人になっても歳をとっても変わるものではないと信じていた。

 

 気持ちの方向性はすれ違っていても、二人の縁は切れることなく続いた。そして思春期を迎える頃、裕也と小夜子にとって大事件が起こる。


「サヤちゃん、俺クラスの子に告白されちゃった」

「えっ……」


 その時の衝撃は、言葉にならないものだった。小夜子としても、裕也には素晴らしい青春を送ってほしいとは思う。そこには恋のひとつやふたつあってもいいはずだ。

 しかし、小夜子はそれを認めるわけにはいかなかった。本音を言えば、いつも裕也の隣にいたい。それが事実上無理なのはわかっている。だからせめて、他の女には渡したくないと思った。


 裕也はひたすら戸惑っていた。告白をしてきた同級生のことは憎からず思っている。しかし、異性を意識することをようやく覚え始めた年齢だ。どちらかといえば、気恥しさが勝っていた。


「サヤちゃん、俺どうしよう」


 だからこそ、一番信用できる相手に相談した。きっと小夜子ならば、最適なアドバイスをくれるものだと疑うこともなかった。

 小夜子としても、裕也の信頼には応えたい。でもやっぱり、奪われることには耐えきれなかった。


「そうね、まずは、一旦距離を置いて本当に好きか確かめるのがマナーだと思うの」

「そうか! さすがサヤちゃん!」


 裕也はそのアドバイスを迷うことなく実行した。結果、一旦どころではないほど距離を置くことになる。


「サヤちゃん、俺、無視されるんだけど」

「んー、本当にユウくんの事が好きではなかったのかもね」


 以来、小夜子は裕也を騙し続けることになってしまった。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


「もしかしてさ、あの子は二人で出かけたかったんじゃないだろうか?」

「えっ、そんなことしたら大変だよ」

「どう大変なの?」


 裕也がこんなに食い下がるのは初めてのことだった。小夜子はなんとか誤魔化す言葉を探す。ここでボロが出てしまっては、今までの努力が台無しだ。それに、今までのことがバレてしまえば、二人の関係にヒビが入るきっかけになるかもしれない。


「えっと、ほら、もしその子がユウくんのこと本気で好きだったら、きっとゆっくりと仲を深めるはずだよ。いきなり二人ってことは、何かあるんだよ、たぶん」

「何かって?」

「例えば……スパイとか」

「なるほど。それは怖い」


 小夜子にとっては、かなり無理のある回答だった。それでも裕也は頷いてみせた。

 あまりにも素直な反応に小夜子は胸を撫で下ろす。ただ、好きな男の子を騙している事実に、胸がちくりと傷んだ。 


 いくら裕也とはいえ、それなりの年齢だ。いつまでも騙されているほど子供ではない。何か妙なのは、薄々と感じ取っていた。

 それでも、敢えてそれ以上踏み込まないのは、ある気持ちを抱えているからだ。


「俺さ、このままだと一生彼女できないかもしれないよね」

「うーん、ユウくんカッコイイのに」

「そう言ってくる子もいるんだけどさー、結局お友達なんだよねー。それかスパイ」

「うん、気をつけてね」

「サヤちゃんは、いつも俺をカッコイイと言ってくれるよね」

「そ、それは、事実だからね」

「そうかー」


 ベッドに寝転がりながら、裕也は天井を見つめた。こうやって愚痴っているのも、実はそんなに嫌いではない。小夜子ならば、どんな話もちゃんと聞いてくれる。古くからの友人との会話は、楽しかった。

 それともうひとつ、裕也はいつしか小夜子に恋愛感情を抱いていた。こればっかりは、口に出すわけにはいかない。裕也の持っている感覚では、かなりの非常識な感情だ。


 小夜子は裕也を見つめて考える。彼が自分に友情ではなく愛情を注いでくれたら、どれほど幸せだろうか。叶わないとわかっている恋。それは小夜子の小さな胸を、真綿でゆっくり締め付けるようだった。


「よし、頭を冷やそう。サヤちゃん、ちょっとコンビニ言ってくる」

「うん、行ってらっしゃい」


 裕也は立ち上がり、小夜子に手を振った。財布を手に外へと出ると、夕方を通り過ぎた空が薄紫色に染まっていた。


「サヤちゃんの髪みたいだ」


 無意識に出た言葉に、裕也は照れてしまった。小さな頃からいつも一緒にいる存在。自分の一部と言ってもおかしくない存在。

 母に無理を言って買ってもらった時を思い出す。男の子なのにと、酷く驚かれたのは忘れない。

 まさか喋るようになるとは思わなかった。さらに立って歩くとは驚きだった。

 自分がおかしくなったのではと疑うこともあったが、それは紛れもない真実だ。同意の元で何度も録音したり録画したりしたことがある。

 でも、これは誰にも言えない。小夜子は自分だけの友達で、大切な片想いの相手だから。

 

 一人になったワンルームの中、小夜子は自分の椅子に戻った。裕也がいなければ特にすることはない。


「あら、気付かなかった」


 膝のあたりから糸がほつれてている。年代物の小夜子は、こんな些細なことにも注意しなければならない。仕方なく、小夜子サイズの戸棚から裁縫セットを取り出す。

 裕也が帰るまでには綺麗にできるだろう。彼にはいつも完璧で美しい自分を見てもらうのだ。小夜子は愛しい人を想いながら、自らの脚を縫い直した。


「はぁ、好きだなぁ」


 動いて喋るだけでもおかしいのに、持ち主に恋心を抱いている人形がいる。そんなこと、誰にも言えるわけがなかった。


 不思議な人形とその持ち主。二人の想いはすれ違っているような、そうでないような。奇妙で強い心の糸に絡まっていた。

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ユウくんとサヤちゃんは片想い 日諸 畔(ひもろ ほとり) @horihoho

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