第52話 探偵擬きの二人

 制服の上に羽織ったベージュ色のトレンチコートにハンチング帽を被った閑谷が食器用洗剤である『マジョカルギュッと』を両手で掲げている……画面越しに。

 それは他愛のない早朝風景の一幕。ベッドに寝そべっていたジャージ姿のまま、フライパンに取り残されたハムエッグを焼き直しながら、タイマー代わりに垂れ流しているテレビの情報番組の合間に放映されたCM。


「そっか……確か今日からか」


 キャンペーン予告をするための二秒程度の静止画が目に焼き付く。凛々しく口角を上げ、一瞥するように不敵なまなじりが、芸能人としての新たな閑谷を演出する。

 彼女は同じ高校に通うクラスメートで、住まいも近いらしくて、探偵という立場を強く印象付けた人物。そしてオレにとっては勇猛果敢なヒロイン。

 けれどなんだが閑谷が遠い世界に行ってしまったような、タレント探偵がついにお茶の間にお披露目されて少し寂しい気分だ。ここから彼女の魅力が、正式に不特定多数の人々に知らしめられることになるだろう。


 気付けば画面の向こうでは既に別の、話題になってシリーズ化まで果たした牛乳のCMが流れる。人気アイドルである北見 莉瀬が出演しているが、こう眺めていると閑谷が芸能界のトップクラスと遜色ない雰囲気を漂わせていると嫌でも分かる。

 そういえば。閑谷が一躍有名になった写真はフリージャーナリストが撮影したとされているが、こんなめぼしい名所もない地元に、どのような要件で訪問していたのかと疑問に思っていた。けれど当日、少なくとも閑谷は掴んでいた情報に北見 莉瀬の撮影がショッピングモールで予定されていたと回顧する。

 もしかすると、閑谷が撮影されたのは全くの偶然ではないかもしれない……まあ、今更考えたところでどうしようもないか。


「……閑谷をワンフレームに収めたくなるのは、分からなくもないしな」


 なおざりなままテーブルに鍋敷きを置いて、フライパンを乗せる。食品棚にあった袋入りのイングリッシュマフィンを発見して、いつ購入したのか知らないけど相性は良さげだと冷蔵庫にあるお茶と一緒に持ち運び、再開する情報番組の時計に急かされ朝食を頂く。


 こんな知り合いの誰かにとって特別な一日でも、無感情に通勤通学を迫られる。本当に面倒くさければ別に休んでも良いけど、今日はそうはいかない。

 なし崩し的に西洋風になった朝食を済ませ、ジャージから高校の制服に衣替えして、スマホをポケットに入れる。適当に投げ置けばひしゃげたようになるバッグの軽々しさに苦笑いし、オレにしては珍しく再度鏡台の前で身嗜みを整える。タイミングは間違っているかもしれないけど、いつか貰った化粧水も塗りたぐってみる。適量とかも全然分からず、とにかく片手に作った窪みいっぱいに注いでみた。


 もっとゆとりのある日にすればよかったと後悔しつつ、地肌への仄かな刺激に狼狽えつつ、情報番組の星座占いで下位が確定したところでテレビを消して、バッグを抱えて玄関へと向かう。

 コンクリートにローファーの爪先を叩き、家の鍵を探しながら扉を開く。しっかりと施錠していつものバス停へと歩く。


「今日は……——」


 それは無条件反射というか、想像していた台詞がつい零れてしまったというか、とかくに道端ではおかしな行動だと口を噤む……ただそれだけだった。前兆なんかじゃ全くない、意味深な言葉にもなるはずじゃなかった。


 数少ない信号機。この調子で歩みを進めていればちょうど青色に移ろうときに辿り着けそうだと、なんとなく退屈凌ぎに車道の方角を見たに過ぎない。


 停車された黒塗装の海外自動車。

 ナンバープレートは角度的に分からない。

 閉ざされた後部座席の窓。

 見慣れた編み込みの横髪が触れている。


「——……閑谷、学校に来るんだ」


 今日は閑谷がもし来たら気付くかな。

 今日は閑谷、学校に来るんだ。

 想像内の台詞がそのように変換される。

 わざわざ喋る必要はなかったかもだけど、つい口走ってしまう。


 登校するとなるといつ以来だろう。特別待遇を受けているし、元々閑谷は学業の成績が良いみたいだし留年はしないと思うけど、彼女は不定期に学校を休む。

 閑谷が居なければ周囲の噂話が絶えないし、居たら色めき出すし、高校という閉鎖的な場所でも存在感を示す。


 そして今日は記念すべきCMの放映日。

 当人である閑谷も、普通の高校生として教室に着席している。

 閑谷の名前から着想を得ると、平凡な日常に鮮やかさを加えているんだと思う。


 そんなことを灌木に倣うように進みながら、脳内で往々とすると、突然の太腿からの振動がオレの行動原理の大半を停止させる。

 常時マナーモードのスマホが鳴る。取り出してすぐ名前を確認し、人々の往来に影響しなさそうな場所に移動して応答する。


「はい」

『あと二秒後、信号が変わります』

「預言者か?」

『ううん、いま車から吉永のこと見えてる』

「……知ってる」


 近くを走行していた車に見覚えがあった。

 そこからの予測も成り立つ。

 あれは雫井プロダクションが用意したモノで、閑谷が乗っているだろうなと薄々予感していた。どうやら、当たりらしい。


 いやそれより、どうして電話を掛けてきたんだろう……一つは分かるんだけど。

 閑谷が乗る車は既に発進している。ついでに歩行者用も青色が点灯中だけど、流石に電話しながら歩きたくない。


『CM見た?』

「みたよ」

『……どうだった? 変じゃなかった?』

「多分……というか。現場で一度観覧してたから、変じゃないのは分かってたし」


 これは嘘を吐いた訳じゃない。だけど現実離れした存在になった感じがしたことを、もっと素直に伝えても良かったかもしれない。


『そっか、そうだったね。でも変じゃないならいいか……学校でみんなに言われる前に確認が取れて良かったよ』

「ああ」

『……ねぇ吉永、話変わるけどいい?』

「えっ……うん、なにかな?」

『明日さ、ミステリーイベントのアンバサダーを務めることになっているんだけど……吉永、来れないかな? もしかしたら私が実際に解くことになりそうだから、そのアドバイスとか貰えたらって思って』


 オレがうだうだ思考を巡らせている間にも、閑谷のタレント探偵としての活動は続いている。けれどそもそものキッカケはどうであれ、閑谷がオレを少しでも必要としなければタレント探偵の閑谷と、高校生の閑谷ともこんなに関わりはしなかった。

 人相から誤解されがちで、吃りがちなのに無駄な早口で、ろくに感謝の言葉も話せない、根暗的自己完結思考の結集体。探偵……というより予想屋の才能があるのかどうかオレには知る由もない。けれど閑谷の問い掛け返事はとっくに決まっている……また厄介事に巻き込まれなければいいななんて、自虐混じりに応じる。


「オレで良ければ。なんの役にも立たないかもだけど」

『ははっ、そんなことないでしょ』

「まあ、一人よりは二人の方が考えの幅が広がって効率的だから……かな?」

『うん、吉永が来てくれるならそれでいいか。じゃあ場所は探波ホール、交通費とかは雫井プロダクションが後で出してくれるらしいから心配しなくても良いよ』

「うん……わかった」


 本日二度目の赤信号。眼下にある灌木の花弁がのらりくらりと揺れ、両頬の冷ややかさが日焼けを防いでくれそうな気がする。ただの自己暗示のようなものかもしれないけど、ちょっと心地良くはある。


『ほんと助かるね……吉永は謂わば私の参謀役みたいな存在だから』

「参謀って……またそんな大袈裟な」

『大袈裟じゃないよ。本当にそう思ってる』

「……まあ期待に添えるかどうかはともかく、楽しみにはしてるよ」

『ありがとう吉永、あとでね』


 そんな一言だけ残して、閑谷の声が恐らく走行音と重なって聴こえなくなる。

 どうせもう話は終わっていたからいいけど、どこかやるせない。


「それは……オレの台詞だよ、閑谷」


 そのままスマホをポケットへと仕舞う。

 もう通話が切れてしまっているかもしれないけど、悪足掻くように述べる。あわよくば聴かれてしまえばいいのにと。


 歩行許可の青光り。

 相対的に朱色へと帯びた頰。

 もう閑谷は遥か先に居るだろう。

 タレント探偵という探偵擬き。

 閑谷曰く、その参謀役の探偵擬き。

 未完成な二人の探偵が叡智を補い合う。

 来たる平然が、閑谷によって鮮々と照る。


【タレント探偵の参謀】

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

タレント探偵の参謀 SHOW。 @show_connect

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説