第51話 いつかのための備えあり

 コーヒーを嗜み、お漬物を一口。鼓膜を刺激する閑谷の咀嚼音が小部屋中を残響している。この幸福を噛み締める閑谷の姿はなんというか、オレにまで食欲をそそらせる。


「そういえばさ、閑谷」

「……ちょっと、待って。なにかな?」


 しっかりと飲み込んでから閑谷は返す。

 口元を押さえたままのせいか、どことなく上品に感じる。


「なんで今日、オレここに呼ばれたんだ?」

「んん……あーっ! すっかり忘れてたよ」


 思い出したと両手を叩いた閑谷は、自身の通学用リュックのファスナーに手を掛け、若干ぎこちなくも開く。中から灰色の包装紙を纏った紙箱を掬い上げ、オレが棒立つ方へと歩み寄りその紙箱を手渡してくる。


「これ……」

「はい。吉永にプレゼント」

「え……いやオレ別に誕生日とかもう過ぎてるんだけど……なんのプレゼント?」

「んー実は私からじゃなくてね。朱里さんと桜子さんの二人から、お詫びの品だって」


 早く受け取って欲しいと催促するように軽く紙箱を上下させる閑谷に根負け、オレは賞状を授与するみたいに受け取る。

 確かになんの脈絡もなく閑谷からのプレゼントだとかなり違和感があったけれど、朱里さんと里野さん、二人の謝罪の念が含まれているのなら分からなくもないと思った……半ば無作為に巻き込まれたようなものだし。

 というより、閑谷が明確にその二人からの品物だと言えること即ち、長年の怨恨が無事に晴れ、正式に和解したとも分かる。それはとても喜ばしいことだ。


「へぇ……二人から」

「うん。この前偶然、桜子さんと事務所で逢ってね、ちょっとお話ししたんだよ。桜子さん、合間を縫って朱里さんと食事に行ったらしくて、楽しいことばかりじゃなかったけど色々打ち明けられたって言ってたよ。その帰りに二人で、巻き込んでしまった吉永への贈り物を一緒に選んだみたい、それがコレ」


 閑谷が両手を差し伸ばして、プレゼントを引き立たせる。心なしか手首のスナップまで効かせている。


「別に気にしなくてもよかったのに……というかそれをなんで閑谷が持っているんだ?」

「桜子さんとお喋りしたときにさ、吉永が雫井プロダクションに来ることは稀だし、私は高校一緒だし、桜子さんも忙しくなりそうだから代わりに預かったんだよ。本人は直接渡したいみたいだったけど、今度いつ逢えるか分からないしね」

「まあ……そうだな。里野さん、正式に雫井プロダクションのタレント契約を結んだんだっけ?」

「そうそう。由紀子さんもゆくゆくはそのつもりでスタッフとして雇ってたらしいからね。タイミング的にも今がいいみたい」


 雫井プロダクションの主力タレントは現状でこそ閑谷の一強ではあるけど、元々はアマガミエンターテインメントに所属していた当時の若手の移籍組が地盤を支えていた。

 しかし年月が経過して、実質親会社であるアマガミへの再移籍を望む人や、芸能界以外の別の道に進もうとする人が増加傾向にあった。特段理由に挙げられるのは、移籍してきた若手タレントはレンタルのような契約内容だったこと、閑谷の台頭で雫井プロダクションのしばらくの安泰が予想されること、けれど雫井プロダクションは移籍を経ていない純粋な所属タレントである閑谷に力を注ぐだろうと考えたことが発端のようだ。雫井さんはそのように思っていなくても、タレント側が勘繰ってしまうのは仕方ないというか必然だったのかもしれない。


 つまりは雫井プロダクションとしては、閑谷以外の即戦力タレントの獲得が急務。もしも病気や怪我などで活動を休止した場合、閑谷に依存すればするほど企業としてのダメージを被ってしまうからだ。


「なるほど。オーディション最終候補の実績があり、スタッフとして現場慣れまでさせた里野さんに白羽の矢が立った訳か……あの人地味に先々考えて行動してるんだな」

「うん……でも桜子さんはずっと首を振ってたみたいだよ。なのに由紀子さん、あの手この手を使って説得したんだって。それに根負けたって桜子さん苦笑いしてたよ」


 雫井さんと里野さんのいざこざが容易に想像出来てしまう。ああ見えて狡猾な雫井さんが、生真面目過ぎる里野さんを淡々と口説き落とす様子を。

 確かに里野さんが犯したことは一般的には許されないことだろう。けれど相手である朱里さんが黙認しようとした上に、モデルとしてデビューすることまで望んでいた。当然雫井さんが一部始終を知らないその説得の成功は遺恨が残った三者の総意が叶うことと同義、失敗こそ許されなかったんじゃないだろうか。


「……でも、いいのか閑谷?」

「ん? なにが?」

「里野さんがタレントになると、同じ事務所のライバルになるわけだけど」


 正確には探偵キャラクターで広範囲に活躍の幅を期待されているタレントと、ほとんどモデル業専任であろう双方では目的が大きく異なる。

 けれど雫井プロダクションのタレントという括りは同じ。閑谷としてはプラスに働くのか否か不明瞭な要素でしかない。


「……そんなの決まってるよ」

「決まってる?」

「うん。だって同じタレント仲間が増えるのはいいことだもん。事務所も同じなら尚更いいよね」

「そっか……なら、良かった」


 余計な問い掛けだったなと少し反省する。

 そういえば閑谷はこういうヤツだと、改めて知らしめられる。だからこそ彼女は探偵にもタレントにも向いていると思ったんだ。


 この後。閑谷はコインパーキングに停めていた田池さんの自動車に乗って帰路に就き、オレは歩道からそれとなく見送る。また閑谷から一緒に乗らないかと誘われたけれど、どこにタレントとしての地雷があるか分からないからこれでいいだろう。


 ちなみに朱里さんと里野さんからのお詫びの品は化粧水だった。あまり他意はないのかもしれないけど謳い文句が、相手からの印象が良くなるメンズスキンケア。どことなくオレへの皮肉にも感じなくもない。

 犯罪を疑われないようにという意味合いか、人類としての美容のことをもっと詳しくなって欲しいのか、はたまた閑谷との関係を誤解しているのかは分からない。


 だけどここ最近の出来事で、印象の大切さは嫌になるほど肌に憶えていた。折角の機会だし、たまにはオシャレな手段を講じても良いのかもしれない。

 たとえ一瞬だけでも好感触を得たい人がそばに居るし、到底オレの柄じゃないだろうけど、ちょっとくらい試してみてもいいかな。

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