脳室温バトラー 第28話「絶体絶命!?命輝寺の謎」

(前回までのあらすじ)覇月はつきようとともにバイオ狂博士軍団を打ち倒したたいら初清はつきよはひとり、武者修行の旅に出ていた。奇しくも妖がアマビエと戦っていたころ、初清の前にもまた新たな脅威が迫っていた。


 狂阪きょおさかにも山はあるのだな、と平初清は驚いた。

 なにせ狂阪と言えばこの国第二の都市である――と言えば狂浜きょこはまの住人は人口ではウチのほうが上だと主張するかもしれないが。

 とにかく初清にとっての狂阪とは大都市のイメージばかりが先走り、こんな奥深い山があるとは微塵も思っていなかったのである。

 初清のもとに伝書鳩人間がやってきたのは三日前。各地を巡り脳室温を高めようという旅の途中、立ち寄った狂都きょうとの古刹でのことだった。

 伝書鳩人間が持ってきた文には確かに平初清殿、と宛名が書かれ、中を見てみるとこう書かれてあった。

 

 父君の事で伝えたいことあり〼 命輝寺みょうきじ


 初清の父――かつて高名な脳室温バトラーであったが、ある日忽然と姿を消した。今でもあの全裸姿を克明に思い出せる。初清が全国を巡っているのには、失踪した父の痕跡を捜すという目的も含まれていた。

 初清はその場にいた寺の住職に命輝寺なる寺を知っているかと訊ねた。住職はモチのロンじゃ――と言って、狂阪にある古刹であると教えてくれた。

 初清は素早く矢立をとり、では三日後に伺います――としたため、伝書鳩人間に手渡した。伝書鳩人間は「コレダモンナ」と鳴き声を上げ、口から怪光線を撒き散らしながら走っていった。街は半壊した。

 命輝寺は山の中に佇む由緒正しき名刹であると聞いた。初清は狂阪の街には目もくれず、深い山へと足を進めた。

 山に分け入る前に、茶屋で酒饅頭を食べる。命輝寺の名物として、山下のこの茶屋の饅頭は親しまれている。

 熱い茶を啜って、初清はほっと息を吐いた。狂阪に来たのは三つ――四つだったか? 前の元号の時に開催された万博――万物博狂覧会の時以来だ。父に連れられ、その当時の元号の由来となった白海鼠を見ただけで帰った。どのパビリオンも凄まじい人で、目玉の白海鼠を見られただけでもいま考えれば幸運だったのだろう。現在の桃蝗元年になっても、あの白海鼠は初清の心に残り続けている。

 勘定をすませ、初清は山道を登っていく。しばらく歩くとロープーウェイが見えてきて、これは楽だと飛び乗った。

 ロープーウェイの乗客たちを見て、初清は妙な違和感を覚えた。みな一様に真っ青な顔をして、まだ山門もくぐっていないのにしきりに手を合わせ虚空に向かって必死に拝んでいる。その中で初清ひとりだけが高脳室温を保っているので、なんだか場違いな気がして居心地が悪かった。

 ロープーウェイが停止し、いよいよ目的の命輝寺が目の前に見えた。

 山中にそびえ立つ異形の塔――あれが有名な日輪塔だろう。近くで見ると恐ろしいと聞いていたが、なるほど不気味な偉容である。

 初清と同じロープーウェイに乗ってきた参拝客たちは日輪塔には目もくれず、両手を合わせたまま山門をくぐっていった。常連さんかしら、と初清は遠目にその集団を見送った。

 初清も山門をくぐって一応の参拝をすませ、寺務所を探して境内を歩く。

「平初清殿かね?」

 なかなか寺務所が見つからず半分観光気分になっていたところを、落ち着いた声で呼び止められた。

 立派な袈裟の上に、なぜか白衣を纏った坊主が立っていた。初清は白衣を見て、つい先日戦ったバイオ狂博士の姿を思い起こし、少し顔を顰めてしまった。

「いや、お呼び立てしたのに出迎えもなく申し訳ない。拙僧が文を送った当寺の住職ですわい」

 初清は一礼して、いかにも自分が平初清ですと名乗った。

「父さん――父のことでお話があると」

「左様。左様。まあしかし今はもてなしをさせてくだされ。遠くからご苦労様じゃった。肉はお好きかね?」

 初清はちょっとためらって、

「ここでは精進料理を出していると伺ったのですが」

「何。何。ここいらでも野生の猪やら鹿やら蝶やらが増えて困っておりましてな。今はジビエ料理が当寺のちょっとした名物になっておるのですわい」

「はあ……生憎お腹は空いていませんので」

「そう。そうですかな。残念ですなあ。あんな美味い肉はよそではまず食えんのに」

 ひひひ、と笑う住職。さっさと用件を聞いて山を下りようと決意した初清は、単刀直入に訊ねた。

「父について知っていることがあれば教えてください。聞いたらすぐに帰ります」

「父君。父君ですかな。ああ、あれは立派な脳室温バトラーでしたな。中身がどうなっとるのか是非にもこの目で見てみたかったですわい」

 突然、それまで温和だった住職の口ぶりが一変した。

「あの男。あの男! 我が命輝本尊をあろうことか破壊しようとしたあの男! 許せぬ。許せぬよなあ。聞いておりますか、え? 初清殿。貴殿の父君は我が寺そのものである命輝本尊を破壊しようとしおったのです! 息子である貴殿には、我が寺の損害を賠償する責任がある! 簡単。簡単な話ですわい」

 初清は静かに後じさりながら、念のため住職に口出しをする。

「父とオレは確かに家族ですが、あくまで他人ですよ。父の犯した罪をオレが償う理由はない」

「薄情。薄情者ですなあ。父君も草葉の陰で泣いておられるぞ」

「――何?」

 初清はぐっと前に出る。

「父さんが死んでいる? あんた、そう言ったのか」

「ひひひ。あの男。あの男は強かった。それゆえに敵を作りすぎた。拙僧からは逃げおおせたが」

 生きてはおるまいよ――住職はけたけたと笑いながら言い放った。

「そうか」

 初清は小さく笑う。

「なら安心だ。あんたのような奴のたわごとなら、信頼できないと信頼できる」

「強がり。強がりはよしなされ」

「くだらない妄想は身体に毒だぜ、ご住職。ろくに脳室温も上げられないようなでまかせは口にするだけ恥だって習わなかったのか?」

「ひひひ、申したな。申したな? 拙僧の脳室温が低いなどと。ならば当然、受けていただけるな? 脳室温バトルを!」

「やめときな。脳室温バトルは人を傷つけるためのものじゃない。あんたと戦う気はないよ」

 その場を立ち去ろうとした初清の足を止めたのは、いつの間にか周囲を包囲していた僧形の集団だった。みな手には武器を持ち、一糸乱れぬ陣形を固めている。

「僧兵をこんなに……戦争でもおっぱじめる気なのか?」

「試してみるかね?」

 初清は歯を軋ませた。先日のバイオ狂博士軍団との戦いの苦い記憶が蘇る。あの時は隣に妖がいた。だが、今の初清はひとり。

 その時である。怪光線が初清の前に並んだ僧兵たちの身体を薙ぎ払った。

「コレダモンナ」

 伝書鳩人間が新たな文を持って初清を追ってきたのだ。口から吐く怪光線は半分天災のようなものなので、初清にもコントロールはできないし、そもそも脳を鳩のものに入れ替えられている鳩人間と意思の疎通は不可能に近い。

 だが、今回はその天災さが幸いした。伝書鳩人間の放つ怪光線で僧兵たちの陣形は瓦解――していない。

 確かに怪光線によって胴が焼き切られたはずの僧兵たちは、何事もなかったかのようにその場に立っていた。僧衣には怪光線で焼かれた痕が確かに残っている。だがその下の剥き出しになった皮膚には傷ひとつ付いていない。

 また怪光線が僧兵たちを薙ぎ払う。今度は首を落とされた者もいる。

 首を落とされた僧兵はきびきびとした動きで自分の首を拾い、もとあった場所に乗せる。屁のような音がしたかと思うと、もう元通りだった。

「なんだ――こいつら」

「命輝本尊。命輝本尊のお力よ。拝むがよい。崇めるがよい。貴殿の脳ならば、きっと命輝本尊もお喜びになろうて」

 初清は舌打ちをして、頭に脳室温デバイスを装着する。目の中に表示されたウインドウを視線の動きで操作し、脳室温が一気に高まる。

 ――発気、用意。

 妖を初めとした一般的な脳室温バトラーが概念を呼び出すスタイルなのに対し、初清は概念を自身の身体へと纏う。

「一号さん!」

 右手を掲げ、さらに左手。

「黒ギャルさん!」

 頭に被ったデバイスから概念形成体が初清の全身に行き渡り、初清を高脳室温の戦士へと変身させる。

「百合の力、お借りします!」

 その身に纏うは、いつかどこかの世界で戦っていた――河童懲罰士たちの力の断片。

「河童懲罰士――ブラックリリィ!」

 跳躍。初清の身体は軽々と僧兵の陣形を飛び越えた。

 このまま山を下りようという考えだったのだが、そうは問屋が卸さなかった。

「な――んだ、このっ!」

 脳室温バトルを開始し、展開されたフィールド上に現れたのは、夥しい量の赤い肉塊だった。

 肉塊どもは身を捩らせて初清を捕縛しようと迫ってくる。初清はその一片に足を取られ、凄まじい力で本堂へと引きずり込まれる。

「これは――僧兵たちの呼び出した概念なのか……?」

 いや、おかしい。人間の思い描く概念が、みな一様に同じ姿をしているはずがない。

 同系統の概念を用いる脳室温バトラーたちでも、それぞれの繰り出す概念は確かに異なる。だが今このフィールド上に溢れている肉塊どもは、それらすべてでひとつの生命のような、まったく同質の形状と動きをしている。

 本堂には住職が待ち構えていた。そういえば僧兵たちもこの住職も、デバイスを装着している様子がない。なのにフィールドに肉塊を呼び出し、脳室温を高めた初清を捕らえている。超小型の新型デバイス? それとも――。

「おお。おお。命輝本尊。お喜びくだされ。素晴らしい脳室温の子供めを連れて参りました。この子供を捧げますれば、我らのいのちの輝きは尽きることなく、三千世界を照らし続けましょうや」

 ぱしゃっ、と水風船が割れた音。

 初清の前に立っていたはずの住職の姿がない。

 いや――板張りの床の上を伝ってくる液体。それが、住職だったものだ。

 ブウウウウン――耳鳴りか轟音か判別のつかない騒音が鳴り響く。よく聞けば無数の声がてんでバラバラに真言を唱えている音なのだとわかる。

 フィールドに現れたのは、宙に浮遊した肉塊だった。今まで遭遇した肉塊がすべて数珠つなぎとなったような巨大な姿。そして無数の数珠粒の中心で、いっせいに眼が開く。

 無数の目から凝視された初清は、足が竦みまるで動くことができなかった。異形の姿は確かに初清の正気を削っていく。

 だが、初清が恐れたのはそんなことではない。

 脳室温バトルのフィールドに表示されている対戦相手の脳の数が、千を超えていた。

 この肉塊は、ひとつの生命ではない。千を超える脳が連結された巨大な回路であった。

「よき。よき。素晴らしい心地ですわい。初清殿も早くこちらへ参られよ」

 住職の声。それだけではない。僧兵たち。同じロープーウェイに乗ってきた参拝客。無数の声がハウリングしていた。そのどれもが、恍惚に満ちていた。

「なるほど――」

 父さんがぶっ壊そうとしたのもわかる。冷や汗を浮かべ、初清は打開策を見つけ出そうと冷静に頭を働かせ続けた。

 戦力差は一対千以上。相手は千を超える脳の集合体。おそらくはこの肉塊自体が脳室温デバイスの役割を果たすのだろう。僧兵たちの様子を見る限り、「機能」はそれだけではないことは明らかだが。

「いいぜ。脳室温バトルだ。正面から受けてやるよ!」

 初清は虚空から馬鍬をつかみ取ると、肉塊に向かって振り下ろす。

 これだからいやなんだ――自身のバトルスタイルと信条の乖離は、いつも初清を苦しめる。初清の脳室温バトルはダイレクトアタックが主体になる。概念形成体で強化された己の身体で直接相手を攻撃し、己の脳室温を急速に高めていく。

 脳室温バトルは人を傷つけるためのものじゃない――口ではそう言いながら、初清と戦った者はみな正反対の感想を抱くだろう。

 だが、今は。この状況を打開するためには。

 ハウリングした真言が滝のように轟音を立てる。相手も脳室温を高めている。この場には水の入ったヤカンはない。より高脳室温となった側が、相手をぶっ飛ばせる。

「必殺――ネイキッドギルティ!」

 初清――ブラックリリィの必殺技が炸裂する。衝撃によって本堂は崩れ、肉塊は外へと放り出された。

 ウワンウワンと轟音を上げながら、肉塊はなんと寺のシンボルである日輪塔を掴んで土台から引き抜いた。

「皿の呼吸――伍の型」

 まさか、と初清は驚愕しながらも瞬時にガードの態勢を取る。

「――護理裸ゴリラ饒鉾にょうぼう

 グオオオオと唸りを上げながら、日輪塔を凄まじい早さで叩きつけてくる。まさか全集中の呼吸、それも失われたはずの「皿の呼吸」を使ってくるとは。

 耐える。耐える。止まることのない猛攻。

 千倍――覆しようのない差に思える。だが、処理能力も、排出される熱量も、同様に千倍だったとしたら?

 肉塊の動きが急に鈍り始めた。身体のあちこちからもうもうと煙が上がり、じゅうじゅうと肉の焼ける臭いが漂い始めていた。

 この肉塊はすなわち千個以上の脳そのままだ。剥き出しの脳が脳室温バトルを行って無事ですむはずはない。脳室温を高めるということはそれだけの危険を伴う行為でもある。

 そこに加えて、歴戦のバトラーである初清との戦いによって生まれる脳室温の千倍の熱量。

「ひょっとして、父さんも同じやり方だったのかな」

 焼け落ちていく「いのちの輝き」を見ながら、初清は小さく呟いた。もはや二度と動き出すことはあるまい。デバイスを外して変身を解くと、初清は燃え落ちる命輝寺をバックにスマホで自撮りをしておいた。

 あとで妖に送っておこう。

 妖とともに戦うことができれば、初清は決して孤独な戦士ではない。自分では半ば綺麗事だと諦めかけていた信条を、妖はいたく気に入ってくれた。妖の純粋な目を見ていると、自分もまだ綺麗事を信じてみる気でいられる。

 スマホを確認すると、急に画面に見慣れたロボットの姿が表示された。

「くんロボ? どうした? なんでオレのスマホに――」

「研究会に入会し、親近感湧くな。富と名声に取り憑かれてるこれはweb公開予定はない何かが、ホルモンが体に染み渡る…。」

 相変わらず発狂倶楽部くんロボの言うことは支離滅裂だ。だけどどうしてもないがしろにはできない、不思議な親近感のようなものを抱いてしまう。

 スマホの画面から発狂倶楽部くんロボが消えると、妖からメッセージが届いていた。

「研究会――」

 妖の伝えてきた組織を口に出すと、初清は目に闘志を宿らせた。

「とうとう出てきたか」

 崩れ落ちる命輝寺の山門。もうほとんど読むことはできなくなっていたが、判別のつく部分には「研究会 寄進」と書かれていた。


 第29話へつづく

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脳室温バトラー 久佐馬野景 @nokagekusaba

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