脳室温バトラー

久佐馬野景

脳室温バトラー 第27話「一攫千金!アマビエの罠」

(前回までのあらすじ)

 辛くもバイオ狂博士軍団をたいらの初清はつきよと協力して打ち倒した覇月はつきよう。だがマザー狂博士が散り際に発した「アマビエ2020」という言葉が気にかかる。そんな時、妖の住む町にF県から怪しげな研究会が現れたのだった。


「ええーっ!? アマビエのお札が二十六万三千円で売れただってぇ!?」

 さら眼ん太まんだの素っ頓狂な声が上がった。

 覇月妖のクラスでは、朝から彼らの金銭感覚とはかけ離れた話が繰り広げられていた。

「そうサラ。アマビエは今や妖怪のトップスタァ。そのブロマイドにこれだけの値段がつくのも当然のことサラね」

 眼ん太に得意げに語る学級委員の河童もまた妖怪である。同業者の活躍が誇らしいのだろう。

「そういえば、いまこの町にアマビエの護符の行商がきているじゃないか」

「眼ん太……よからぬことを考えるなよ?」

 妖が言うと、眼ん太は見る間に慌てて河童と二人で話し込み始めた。

 やれやれ、と溜め息を吐くと、目が裏返るように平衡感覚を失いかけた。

 先日のバイオ狂博士軍団との激闘のあと、しばしば起こる症状だった。

 脳室温バトルを悪用した狂博士との対決のために余儀なくされた、闇の脳室温バトル。その後遺症で、今も妖の脳は高温を保ち続けてしまっている。

 脳室温バトルは人を傷つけるためのものじゃない――そう叫んで妖に力を貸してくれた平初清にこの代償は聞かされていたが、想像以上にこたえるものがあった。まるで部屋の室温自体が上がってしまったような熱感。だが聞くところによると、一流の脳室温バトラーは年中この室温に耐えてトレーニングをするともいう。

 妖の脳室温の最大出力もまた、確実に上がっていた。

 放課後、脳室温バトルを行う発狂倶楽部に向かおうとする妖の前を、眼ん太と河童が横切っていった。

 怪しい――妖は朝の会話を思い出し、二人のあとをつけることにする。

 眼ん太と河童は、道路の隅に露店を出している怪しい男に話しかけていた。さてはあれが話に聞いた行商かと、妖は気配を消して様子を窺う。『頭はクールに、脳室温はホットに』だ。

「ええーっ!? 平賀源内が作ったアマビエ像だってぇ!?」

「そうとも。今でこそ『鳥のような口』、『長い髪』、『三本足』という形が定着しているが、当時は多様なバリエーションがあったのさ。平賀源内もまた、そこにインスピレーションを受けてこのアマビエ像を作ったわけだ。今なら四千五百円」

「うーん、でも僕たちお金が……」

「ならこうしよう。私がこのアマビエ像を君に譲る。君はこのアマビエ像を四千五百円以上で誰かに売る。その時売れた値段の半分を私に渡してくれればいい」

「ほ、本当!?」

「ああ本当だとも。さらにこのアマビエ像は定期的に君に届くようになる。それをどんどん四千五百円以上で売れば売るだけ君の利益になる。売れた時の値段の半分は私に渡す。どうだね、このサイクルは!」

 妖は不審を抱き始めていた。男の話にではない。すんなりと話を受け入れている眼ん太と河童にである。眼ん太は愚かだが、同居する未来からきた全裸型ミュータント・河童懲罰えもんに教育を施されている。こんな見え見えの罠に引っかかるような危険は冒さないはずである。

「自分みたいに在庫払底騒ぎになったら目も当てられませんぜ。」

 ウィーン、ガションガションと音を立てて、妖の背後にロボットが現れた。

「くんロボ! しぃっ――」

 彼の名前は発狂倶楽部くんロボ。発狂したロボである。その言葉に意味はなく、また意味を求めることは発狂の淵に立つこととなる。だが妖はなぜかこのロボが他人のような気がせず、いつも相手をしていた。だが今は間が悪い。

「カニに侵食されし罪」

 気付かれてしまうと口――ロボットなので発声器官ではない――を塞ごうとしたが、妖はくんロボの言葉にはっとする。

「あいつ――まさか脳室温デバイスを」

 妖はランドセルから、自分のフルフェイス型脳室温デバイスを取り出す。頭には被らず、マッチングモードを起動する。すぐに露店の男に反応し、スタンバイモードに移行する。

 やっぱりだ。あの男は脳室温デバイスを使っている。

 脳室温の高さは、高温となった当人よりもむしろ周囲に強く影響する。高い脳室温は容易にトンデモ理論を生み出し、強引な牽強付会をも可能にする。

 妖はかつて戦った狂博士の言葉を思い出す。

 ――我々が悪いわけではないのじゃ。

 ――悪いのは脳室温、その本質にこそあるのじゃ。

 ――脳室温の高さとは、歴史を紐解けばわかる通り本来悪の力とされておる。

 ――君が我々を止めようと、発狂した世界はさらなる高脳室温を発生させるのじゃ。

 その狂博士は直後にゴリラに八つ裂きにされたが、妖の中には今でも彼の発した言葉が残っていた。

 だが――妖は脳室温デバイスを手に男の前に躍り出た。

「よ、妖くん!?」

「眼ん太、そいつの脳室温の高さに惑わされるな。河童懲罰えもんを呼んでくるんだ」

「なんだい君は。私はいま理想的なお金の稼ぎ方の話をしているところなんだ。邪魔をするなら帰ってくれたまえ。それとも、君も参加するかい?」

 妖は身体に溜まり続けていた熱感を全身から勢いよく吐き出す。男はたまらず悲鳴を上げるが、眼ん太と河童はなんともない。

「あ、あぢぃ! こ、このガキ、まさか噂の脳室温バトラーかっ!?」

「脳室温の高さをインチキ商売に使うなんて許せねえ! オレと脳室温バトルで勝負しやがれ!」

「ひーっひっひっひ! いいだろう。本当はじっくり支配を進めるつもりだったが、お前を排除すればこの町は一気に我ら〈研究会〉のものだァ!」

 頭に脳室温デバイスを装着し、目の前に展開されるウインドウを目の動きで操作する。

 ――発気、用意。

 ぐん、と脳室温が一気に高まる。

 相手がくり出したのは予想通り、アマビエであった。対する妖はいつもの相棒、ゴリラ女房。

「くくく、なかなかの高室温。だがその旧型デバイスで、どこまで耐えられるかなァ!」

 アマビエとゴリラ女房がそれぞれ男と妖の前に、水の入ったヤカンを置く。

 このヤカンの中の水を先に沸騰させたほうが、脳室温バトルの勝者。ルール自体は簡単だが、その実深い戦略が必要になる。

「アマビエの知名度はもはや世界レベル! お前のゴリラ女房など、所詮沖縄のマイナー妖怪にすぎない!」

 まず相手がしかけてくる。

 精神攻撃は基本。脳室温バトルにおいて、正気に返ることはすなわち敗北を意味する。的確に相手の痛いところを突く舌戦は、勝負を有利に運ぶ基本戦術だ。

 だが、歴戦の脳室温バトラーである妖がそんなことで揺さぶられるはずもなかった。

YO

 冷え冷えしたフロアに かますぜオレのゴリラ

 アマビエ見たなら 書いて記せよその姿

 あんたの像 欲目で見ても不細工ゴリラ

 それでおいくら? ふざけんなボンな」

 ゴリラ女房のドラミングのビートに合わせて言葉を矢継ぎ早に打ち出す。

 男は明らかに機を失していた。突然の妖の言葉の連打に、まともに返答することもできない。追い打ちをかけ続けるように、ゴリラ女房のビートは八小節鳴り響く。

 沈黙が痛々しい。なにもできずにビートだけが刻まれたことによる屈辱。その熱さでは決して脳室温は上がらない。

 序盤の精神攻撃は妖が制した。相手はぎりりと歯噛みしながら、次の手を打とうと頭を捻っている。どんな手を打たれても打ち返す自信が妖にはあった。

「――やむを得ない。行け! アマビエ!」

 クケェ! と鳴いて、アマビエはゴリラ女房に向かって突進する。

 概念同士をぶつけて相手を疲弊させる。確かに有効な一手だ。

「相手が悪かったな! こっちはパワー型のゴリラ女房だ!」

 グオオオオと唸りを上げ、ゴリラ女房がアマビエを掴んで八つ裂きにする。概念の消滅は敗北を意味しないが、こちらが圧倒的優位に立ったことは明白。

 突然、妖のゴリラ女房が苦しみ始めた。

「どうした!? ゴリラ女房!」

「おやおやおやァ? 知らなかったかな? なら教えてあげようか」

 ゴリラ女房が消滅し、残骸の中からアマビエが現れる。

「ゴリラ女房とはアマビエだったんだよ!」

 しかけてきやがった――!

 最終局面。己の脳室温の高さを誇示し、己を鼓舞し、脳室温を飛躍的に高めていくラストスパート。

 男は滅茶苦茶な理論で妖のゴリラ女房を消滅させた。なんという脳室温の高さ。平温では到底思いつかない、「ゴリラ女房アマビエ説」。

 いや、違う。妖は男の脳室温がそこまでの領域まで上がっていないことに気付く。

「あんた、本当にどこまでもアマビエ頼みなんだな。差し詰め量産型の雑兵ってとこか」

 男の持つ概念であるアマビエは、男が自ら感得したものではない。おそらくは誰かから受け渡されたもの。

 その性質は、「あらゆる妖怪のアマビエ化」。圧倒的知名度を笠に着た悪辣な能力。「それってアマビエだよね?」と訊かれれば、現状おおよその妖怪は反論もできないままにアマビエということにされてしまう。

 背後になにか大きな悪意を感じざるを得ない。こんな雑魚にまで非装着型の脳室温デバイスと、バトル用のアマビエを与えるほどの組織が、いる。

「ふははは! 気付いたところでお前のゴリラ女房は消滅したあとだ! このまま私の脳室温が高まれば……」

「フッ、それはどうかな」

 妖はゴリラ女房の残骸から現れたアマビエに手をかざす。

「思い出せ! お前の本当の名を! お前は――アリエ!」

 アマビエの身体がまばゆく光だし、その形が変わっていく。大きな目に高い鼻。頭には纏まった豊かな黒髪。全体的に丸っこいフォルムで、首から下はダルマのように丸まっている。

「ば、馬鹿なっ!? 私のアマビエが……コントロールを奪取されただとォ!?」

 アマビエ――いや、アリエが全く自分の意思に反応しないことに気付いたのだろう。男が驚愕の声を張り上げた。

「所詮は借り物、紛い物の力だってことさ! あんたの脳室温には、過ぎた力だったようだな!」

 そして妖のヤカンが沸騰を知らせる笛を鳴らした。

 妖はデバイスを外して道端に倒れた男に歩み寄る。この男の脳室温デバイスがいったいどんなものなのか確認をしておきたかった。

「おい、あんた――」

「ひっ、ヒィ! お許しを!」

 突然目を見開いて怯え始めた男に、妖は思わず呆気にとられる。

「お、おい、オレはなにも――」

 言いかけて、妖ははっとする。

 男は妖を見てなどいない。その目は白目を剥いていて、だが明らかになにかを見ているかのように男の身体は反応していた。

「イヤだあああああ! た、たすけ――」

 さっきまで暴れていた男の身体が、急にぴくりとも動かなくなった。

「眼ん太くん、いったいどうしたんだい」

 全裸型ミュータント――河童懲罰えもんが眼ん太に連れられてやってきていた。彼ならば信頼できる。妖は仔細を話して、男の検分を河童懲罰えもんに任せた。

「死んではいない。だけどもう生きてもいないよ」

「どういうことだよう、河童懲罰えもん」

 眼ん太が不安げに訊ねるのに、妖も同調する。

「おそらくは、脳に直接、脳室温デバイスを埋め込まれているんだ。デバイス自体をコントロールできる者がいれば、脳を自在に操ることができるようにね。こんなものは僕のいた未来でも見たことがないよ」

「そんな――」

 脳室温バトルは人を傷つけるためのものじゃない――初清の言葉であるのと同時に、妖の矜持でもある言葉だ。

 だがこのデバイスを作った者は、その矜持をいとも容易く踏みにじる。

「ビエビエビエビエ髭ボーボーゴリラ」

 発狂倶楽部くんロボの声だけが、むなしく響いていた。

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