恋よりも恋に近しい

新巻へもん

この気持ちを言葉に乗せられなくても

「この子のことをよろしくね」

 あやめに初めて対面したときに、なにか分からないけど温かいものでぼくの胸はあふれそうになった。

 乳の匂いのするあやめはとても小さくて、ぼくが守ってあげなくちゃという気持ちになる。

 その日から僕の居場所はあやめの隣になった。

 暖かくてふわふわしたあやめはぼくが側に居ればご機嫌だ。もちろん僕も幸せで一杯。

 ときどき、けぽっと飲み残しを吐きかけられるのだけは閉口したけれど。あれは酷い臭いがする。

 身動きできなかったあやめは、やがて四つ足で這い回りはじめる。今まで動けなかった分を取り戻すかのように元気に動き回った。

 つかまり立ちできるようになるとソファによじ登っては降りるを繰り返す。あきもせずに何度も何度も。

 そして、やっぱり疲れるとどこでも寝てしまう。

 あやめがソファで寝ているとぼくはその下に添い寝することにした。ころんと寝返りをうっても床に落ちないように。あやめが頭を打って泣いたりしたらぼくも悲しくなってしまう。

 あやめが病院で注射を打たれて、わんわん泣いた時は本当に辛かった。ぼくもあの注射というやつはあまり好きじゃない。だけど、ぼくはもう子供じゃないからね。泣いたりなんかしないんだ。

 小さかったあやめはぐんぐん大きくなってぼくより背が高くなっちゃった。でも、ぼくの方が強いんだ。ぼくに跨ってお馬さんごっこをするあやめを乗せてもへっちゃらさ。お母さんに見つかってあやめは叱られていたから、ぼくは全然平気だよって伝えてあげた。

 いっしょに公園を駆けまわったり、フリスビーで遊んだり、小さなプールでびしょびしょになったこともある。あやめと一緒だと何をしても楽しいんだ。

 ずうっと一緒に遊んでいられると思ったのに、ある時からあやめはランドセルを背負って出かけるようになってしまった。

 ぼくも一緒に出掛けたいってお願いしたけどダメだった。つまらない。

 でも、お日様が傾いてしばらくするとあやめが帰ってくる。そうしたら暗くなるまで遊ぶんだ。

 前はぼくの方が圧倒的に速かったのに、手足がすらりと伸びたあやめもだいぶ足が速くなった。

 疲れたらお互いによりそってお昼寝をする。あやめはいい香りがするんだ。とても幸せな気分。

 だけど、一番うれしいのはあやめに頭をわしゃわしゃってされるとき。ずうっとしていてほしい。

 ある日、いつものように家の扉が開いた音が聞こえたので、玄関まですっ飛んで行った。なにか変だぞ。

 大きな男が片手であやめの口を押えていた。もう片方の手にはギラギラ光る刃物を握っている。

 あやめの怯える顔を見るとぼくの血は瞬時にたぎった。ずうっと大昔のご先祖さまから受け継いだ野性がよみがえる。

 ぼくはぱっと男に躍りかかると脛に思い切り噛みついてやった。あやめを放せ。

 背中に痛みが走り、かっと熱くなったけど気にしない。

 首をゆすって増々強く牙をたてる。

 その隙にあやめは男の手から逃れていた。ああよかった。でも、あやめは泣きそうな顔をしている。

 もう許さないぞ。

 また背中に別の痛みを感じたけど、怒りが痛覚を凌駕する。

 一旦口を開けて、もう一本の脚に深く牙を埋めた。熱い血潮が喉に流れ込んでくる。

 男は悲鳴をあげると扉を開けて逃げ出した。

 最後に尻にもがぶりと噛みつく。どうだ参ったか。

 意気揚々と家の扉にもどる。気分は高揚していたけど、何か体が重い。

 扉がしまっていたので、足でひっかき、小さく吠える。ワン。

 すっと開いてあやめがぼくを招き入れた。泣きじゃくりながらあやめはぼくを抱きしめる。しきりに何か言っているけど、涙声でよく分からないや。

 ああ。もう泣かないで。ぼくも悲しくなってきちゃう。

 なんだか。眠いや。ちょっとだけ寝てもいいよね……。


 ああ。まったく最悪だよ。

 毛をそられるし、何かいやな臭いのするものを塗られるし、首の周りにダサいエリザベスカラーをつけられるし、注射もされた。

 ぼくと再会したあやめはわんわん泣くし。

 でも、悲しくて泣いているんじゃないって分かった。人間って嬉しくても泣くんだね。だから、ぼくはあやめが泣き止むまでじっと待つことにした。

 まあ、特別なおやつも貰えたし悪い事ばかりじゃなかったけどね。このおやつはあやめの次ぐらいには気に入っているやつなんだ。

 家に帰ったら、あやめのひざの上に乗せられてぎゅうっと抱きしめられた。はああ。尻尾を千切れそうになるほど振ってしまう。

 この気持ちは何だろう?

 あやめ。これからもずうっと一緒だよ。

 ぼくはあやめのほっぺをぺろりとした。

 

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