また、会う日まで
霧に包まれた川に浮かぶ小舟の上で死神は宙に浮かぶ光の玉を前にただその時を待っていた。
そしてそれは彼が思っていたよりも早く起こることになる。
時間にして一時間も経たずに光の玉に変化が起こった。
それまで放っていた光がいきなり強くなったかと思えばそれがはじけ、光の粒子になり辺りに散った。
散り散りになった光はほんの一瞬だけあたりに漂うと次の瞬間、それまでいた船の先頭辺りに光が集まっていった。
それはだんだんと立体的に集まり、そして、人型に光は集まり、そこでまた眩い光を放った。
光が収まると、船の先頭には四肢が先に行くほどに透けており、心臓の辺りから光が漏れ出す少女が座っていた。
「海音さんですか?」と、死神は恐る恐る話しかけた。
少女は閉じていた目を開けると、前にいる黒い影に視線を合わせた。
「全部、思い出した」
海音は口を開き、自分の透けている腕や足に目を向けた。
透けた指先を通しておくの黒い影が見える。指を動かそうと力を籠めると込めたように指は思うように動いかせた。
足に力を入れゆっくりと立ち上がる。しっかりと足には感覚があり、視界が高くなった。
「記憶が戻ったのですか。それは、よかった」
死神は胸を撫でおろすかのような仕草をすると、それまで水に浮かんでいただけの船をゆっくりと進め始めた。
船の進みは遅かったが、揺れが起きると海音はよろめき、最初のように船の先に腰を下ろした。
「戻ってきたらお話を聞こうかと思いましたが、それはやめておきましょう。どうぞ、これを使って下さい」
死神は海音に向かって腕を伸ばしてきた。その手の中には白い布が携えられていた。
海音は何のためのものか分からなかったが、それを受け取るとその瞬間頬をつたる水滴を感じ、思わず手でぬぐった。
拭っても拭っても水感が無くなることはなくあふれ出してくる。
海音は泣いていた。とめどなく自分の瞳からあふれ出る涙をすぐにはとめられなかった。
涙と一緒に声もあふれ出した。船の進む音では彼女の感情を覆い隠すことはできないようであった。
生前の悲しみが一度に海音のふりかかったかのように海音は泣き続けた。
彼女が泣き止み、落ち着きをとり戻すころにはあたりの霧は晴れ、対岸が見えるようになっていた。
「私、分かりました」
鼻をすすりながら、彼女は今にも途切れそうなか細い声でぽつりと小さくつぶやいた。
死神はそれを聞き逃さず、おもわず船の舵を取っていた腕を止め、海音に注目した。
死神はなにも言わなかったが、海音は言葉をゆっくりと選ぶように話し出した。
「この光は、後悔の記憶が原因、でしたよね」
「今、やっと落ち着いて、光の意味が分かりました」
海音は自分の心臓に両手を当て、目を瞑った。
「この光はとても、あたたかい。そして、これに触れると、穏やかな気持ちになる」
「でも悲しくて、俯いて、下を見ると光が眩しく感じます」
「どんなに悲しくても、顔をあげないと、いけなくなる」
「前を見れば先が見える、そして進める。立ち直らせてくれたんです。この光は」
海音は目を開け、死神の方を見た。あいかわらず、影によって顔は見ることができなかった。
海音が話し出してから何も言わなかったが、少しだけ微笑んでいるように海音は感じられた。
海音はそれ以降、俯くことはなかった。船が進む先にある対岸を眺めている。
二人の間に会話はない。船が進む音だけが二人の空間に満ちていた。
記憶の戻った海音は改めて死を実感していた。濃厚な時間を生きていた気もするが短く、一瞬であったかのようにも思えた。
家族にも、友達にも別れを告げることはできていなかったと海音は胸にこみあげてくるものをすべて飲み込んだ。
死神はそんな海音の姿を心配そうに見ていた。
彼女は自分と向き合い、一人で気持ちを整理する時間が必要なのだろうとしばらくは何も言わなかったが、拭いきれない負の気持ちを感じ取るのは容易であった。
彼女のために自分ができることはないかと、必死に頭を回転させた。どんな些細なことでも彼女のためになることを考え続けた。
そして死神が再び口を開いたのは、対岸がすぐ目の前に近づいた時であった。
「まもなく彼岸です。後悔の整理はおすみになられましたか」
死神は自分の感情を表に出さないようにわざと堅苦しく、言葉を放った。
海音は突然の死神の言葉に一瞬ドキッとしたが少しだけ間をおいて、死神には向かって頷いた。
死神にはまだ海音が立ち直れていないことに気づいていた。
船が岸につき、船が止まると立ち上がり、海音にあたるすれすれまで近づいた。
「後悔の記憶との向き合い、記憶も取り戻し、未練はあるにしてもひと段落つけたとお思いでしょう」
「しかし海音様には、まだ何か心残りがあるように見られます。それに気づいていらっしゃるでしょうか」
海音は心臓が跳ね上がるような衝撃を感じた。死神の言葉に海音は確かに思い当たることがあった。
しかし、それは思い浮かべただけでも息苦しくなるような感情を孕んでいた。
「最後までわたくしは海音様のお手伝いをしたいと思っております。必要なものがあればすぐに用意しましょう」
その言葉を聞いた海音は静かに涙を流し始めた。
どうしても言葉にしたかったのに、言葉にできなかったものが確かに海音にはあった。
死ぬ直前まで、その想いは海音の中で消えることはなかった。
誰にも言えず、伝えたい言葉はどんどんとあふれ出しそれを必死に飲み込み続けた。
死神の言葉はきっかけに過ぎなかった。今まで何度でもその機会はあったはずだ。
それでも海音はその言葉にようやく覚悟が決まった。
「紙と、ペンをもらえますか」
死神はすぐに言われたものを持ってくると、それに海音は積もり積もった言葉をひたすらに書き並べた。
それが終わるころになると海音は憑き物がとれたかのような清々しい表情になっていた。
彼女は全ての後悔に向かい合い、それを背負い、その先へと、自らの足で進んでゆく。
彼女の手の中には、きれいに畳まれた一枚の紙が携えられていた。
十月十三日で時の止まった君へ
君は私の事なんて知らないだろうし、憶えてもいないかもしれないけれど、私は君の事を知っている。私は君から目を離せなかった。でも、あれだけ近かったのに、君と話す機会はほとんどなかった。いや、私に勇気がなかっただけ。ただ遠くから、見ていることしかしていなかった。追加づこうと思えばできたはずなのに。だからかな。君はいってしまった。そのことを聞いたとき、私は言葉が出なかった。その時、ほんとうに胸が苦しくなった。息がしづらくなって、鼓動がしばらく変な感じだった。君の顔を最後に見たのはいつだったかな。ほんの一瞬だけだけれど私に見せてくれた笑顔は、まるで太陽のような、朗らかで、やさしくて。いまでも思い出すその顔は、鮮明で。君以上にきれいな笑顔は見たことがなかった。
ねえ、このおもいはなんだったんだろう。どうしてこんなにも苦しくて、悔しくて。痛くて。君がいなくなってからそれに気づいたんだろう。ほんとうにいなくなったと気づいたのはしらせを聞いてから何日も経ってからだったかな。もしかしたら嘘だったのかもしれない。まだどこかにいるんじゃないかなって。でももう君を見ることもあうこともできなかったんだ。
私は失った。失ってわかった。私は君に恋をしていた。どうやっても君のことが忘れられなくて、どんな時も君の事を考えていた。君に何度も話しかけようとして、その一歩が踏み出せなくて、そうしているうちに伝えられず、君はいってしまった。伝えていれば何か変わったのかな。伝えられていれば君はまだいてくれたのかな。
君は私に本当の恋を教えてくれた。ありがとう。そして、いや、さよならなんて言わない。君とまた、会うその日まで。私はあなたの事を忘れない。
後悔の精算はお早めに イルカ尾 @irukabi
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