十月 後悔の結末

 電気の消えた薄暗い教室で、海音は自分の席から灰色に染まった空を眺めていた。


 少しだけ開いた窓の隙間からは校門を出る生徒たちの騒がしい声が入り込んでいた。


 席を立ち、海音は窓から校門の方を覗くと、生徒たちの服装は男子も女子もバラバラな色の制服をまとっていた。


 十月に入り、つい最近までとはうって変わってひんやりとした空気の満ちる季節と変わり、この一週間は衣替えの季節となっていた。


 海音はぼんやりと下に見える生徒の姿を見ている。


 濃厚な経験を九月の最後に経験し、日常に戻ったはずであった海音はどことなく気の抜けた雰囲気をまとっていた。


 はっと海音は壁に掛けられた時計に目を向けると思っていた以上に時間が進んでおり、海音は急いで荷物をまとめると教室を出た。


 教室にいた理由は特になかった。休んだ次の日の行った学校では担任に残るように言われ、色々と話をしたが、何日か経った今日では、いつも通りの日常へと戻っていた。


 廊下を早足で歩いてゆく海音の頬にひんやりとした空気が触れてゆく。


 海音は持っていた部活道具の入ったカバンに目を向け、この気温ではもう泳ぎたくはないなと思いながらも、しばらく行ってなかった部活へと足を止めずに向かって行った。


 外靴に履き替え、プールの方に駆けてゆくと、部活のチームメイトの後ろ姿が海音の目に留まった。


 すると突然、海音の足取りがだんだんと重くなり、そして止まってしまった。


 ここしばらく部活自体がなかったことに加え、数日休んでいたこともあり、しばらくぶりに会う部員に普段であれば後ろからでも声をかける海音であったがこの時はなぜかそれ以上足が進まなかった。


 海音は目線の先のチームメイトの後ろ姿を立ち止まったまま見ていると突然後ろから押されるような衝撃が走り、あわてて後ろを振り返った。


 後ろには人影も何も見られなかった。


 海音は目線を戻し前に進もうとすると自分の足元に何かがいることに気づき、おそるおそるそれに目を向けた。


「おっ。どうしたー。突然の背中を押されて、驚いて振り返ったがなにもいなかったことにビビったみたいな顔してるぞー」


 海音の足元でしゃがみこんで上目遣いで顔を覗き込むにやにやとした表情のあふれるそれが唯一の同級生選手の弥生だと気づくのには時間が掛からなかった。


 海音はため息をつき、足元に縮まる弥生の横を抜け、そのまま歩き出した。


「ええー。嘘でしょ。怒ったの? ちょっと、ガン無視はひどいってー」


 そんな弥生の言葉に一切耳を貸さずに、海音は部室の中に入っていった。


 海音は荷物を床にどさっとおろすとその場に腰を下ろし、今入ってきた扉の方向に体を向ける。


 少しして扉が開き、入ってきた弥生と海音は目があった。弥生は固まり、そのままじっと海音の顔を見ていた。


「あ、久しぶり。元気?」


 口を開いた弥生はそう言った。不意打ちのように聞かれたその言葉に海音はすぐに反応できなかった。


 気の抜けたような緩んだ顔を弥生は海音に向けていた。海音はさっきの返答を言葉の代わりに頷くことで返した。


「そっか」と弥生が言うと入り口の扉の前から離れ、部室の奥に入り荷物を置き、海音と同じように床に座った。


「今日なにやんのかね? 部活」


 弥生はスマホを片手に持ったまま海音に聞いてきた。


「さあね」


 海音はそっけなく答えた。海音は弥生にしばらく休んでいたことについて何か聞かれるのではないかと気が気でなかったようでしきりに弥生の方を見ていた。


 弥生はすでに目線をスマホに下ろし、画面をいじっている。


 電気もつけず、窓も少ないために薄暗いままだったために弥生の顔にはスマホの光が照らしていた。


「そういえば」


 弥生の言葉に体がびくついた。「な、なに?」と海音はしどろもどろになりながら弥生の顔を見た。


「陽真理って今日来るのかな? まだ見てないんだけどさ」


 弥生の返答はまた海音の予想とは全く違うものであったために肩透かしを食らったように不完全燃焼になりながらも弥生に、


「私も、会ってないから、わかんない」


 とだけ不審な様子を悟らせないように意識しながらそう返すと、弥生はまた一方的にではあるが話を続けた。


 その後も弥生は普段通りの態度で海音に接し続けた。


 なに一つ変わらない弥生の様子に、最初は不安に思っていた海音も心穏やかになったのか心配し過ぎていることが馬鹿らしく思えたのか、軽口を言い合うようになっていった。


 しばらくすると、いきなり部室の扉が勢いよく開き、部室に光が差し込んでくる。


 二人の会話がぴたりと止まり、扉の方に視線を向けた。光を遮りながら黒い人影が入ってくる。


「あれ、まだいたんですか? 先輩」


 海音は入ってきた人影の顔を合わせようと目線をあげた。逆光でもその表情がはっきりと分かった。


「遅かったな。陽真理」


 海音はすでにいつもの調子に戻っているようで、さっきまでの心配は無駄だったと気づいたのだろう。


「プールサイドに人いますよ。いつも早い先輩たちがまだこんなとこにいていいんですか?」


 陽真理の後ろの開かれた扉から声が入ってくる。海音は時計を見るとすでに部室に来てから三十分は過ぎていた。


 海音は立ち上がり、大きく伸びをした。そして、自分両頬を少し強めに叩いた。


 弥生はそんな海音の様子にほんの少し笑ったように声を漏らすと、自分も立ち上がり、あくびをしながら着替えを始めた。


 海音は慣れた手つきで素早く着替えをすますと、弥生と陽真理のいるほうへと振り返った。


 二人はまだ着替えを終えておらず、話しながら着替えをしていた。


「先行くよ」海音は二人に向かってそう言うと、部室の扉を開けると、海音の顔を太陽の光が照らし、海音はその眩しさに思わず手で影を作り空を見上げた。


 雲に覆われて灰色一色だった空はところどころに青色が見え、光が線のように差し込んでいる。


 海音は胸が熱くなるのを感じていた。プールサイドから声が聞こえる。


 海音は開いたままの扉を閉めると無意識に、


「ありがとう」


 そんな言葉が口からこぼれ落ちた。


 海音は前になおり、プールサイドに向かう。後ろはもう振り返る気はないようだ。


『全部、思い出したよ』


 そんな声が聞こえたかと思えば、急に視界に光が満ち、たちまち海音は光に包まれていった。

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