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関口清
1919年(大正8)2月7日生。群馬県出身
東京美術学校予科を経て、1943年(昭和18)9月油画科卒業
1943年11月10日入営
1945年(昭和20)8月19日、沖縄、宮古島の第28師団第4野戦病院にて戦病死。陸軍軍曹。
26歳
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[病床日誌より]
昭和20年7月1日
○夜明け1回敵機来る。
天気晴朗にして一日気分よし。
△俺は過去を最も楽しんで来た。そして現在最もくるしんでいる、地獄も極楽もこの世にある。
故に俺は死ねない。生きることが最も正しいと信じている。
俺は、この世の地獄極楽を見たのちになおもなさねばならぬ仕事がある。
×15時30分安田一等兵逝く、黒沢、椿、佐古田3名戦死。
7月2日
○朝1回敵機来る。
一日就寝、夕食前砂川の家へ行く。
7月3日
朝1回敵機来る。
7月4日 13時敵機1回来る。
○俺は人間としてあまりに貴重な体験を多くしてきた。これは人類にとっても貴重な宝となるだろう。俺は俺のこの体からにじみ出た、あせと油と、涙の宝石を宮古の土として埋めてしまいたくない。
俺は苦しければ苦しいほど生きたいのだ。俺の運命の逆境が大きければ大きいほど俺が生に対する執着も大となるのだ。
俺は何と生き甲斐のある時代に生まれたのだろうと思う。俺はこの戦争の、そして人類のいや総ての結末がみたい。生きねばならぬ。貴重な宝を後世に残すべく、病魔と衰弱と、うえと、酷暑と戦わねばならぬのだ。幸いに俺は若いし根底にねばりを持ち、生命は、重きをになうほこりに満ちているのだ。
俺は植物の球根のように、逆境からその生命を守り、かつなし得る限りは肥大して春を!!
発芽の時期を静かにまとう。
それは必ずやって来る事を確信する。
○13時頃近所の民家へ行く。醜態の地方人からブジョクを受く。
7月5日
○午前敵機1回
朝から下痢気味、昨日あまり日光の直射を受けしためか。
7月6日
○敵上陸の算大なり
10時頃敵機30機ほど来る。
少し下痢気味。
7月11日
体の調子良し、今日から並食にす。今朝早く友軍機来る、敵機来らず。
角田衛生兵より梅干をもらう。
吉谷信子の『花』を読み終る、おも白く読めた。夕刻甲斐軍曹来る、俺の衰弱した体にひきかえて彼は何と健全な赤金の体くであろう、俺も必ず彼にまけぬ体になって見せると心にちかう。
彼の顔の線がしまっていて最も美しかった。
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写真撮影 松井みのり @mnr_matsui
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