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 写真をよく見ると、上半身は裸であばら骨や鎖骨が浮き出ており、顔も骨と皮のような状態です。ボロボロなズボンを履いていました。何度見ても不気味で不安な気持ちになるのですが、帽子をかぶっていることがわかりました。そして、帽子の形状から、きっと兵隊なのだろうと思いました。

 兵隊です。沖縄で戦争があったことは歴史の教科書でなんとなく知っていましたので、きっと第二次世界大戦の兵隊なんだろうと思いました。

 そう思うと、わたしはこの兵隊に対して、不気味と思ってしまったことが失礼な気がしてしまいました。いえ、失礼という言葉では正確に表現できていないかもしれません。不気味と思ってしまったことで、この写真の中の兵隊に何か怒りを向けられるのではないかと、恐怖や罪悪感を感じたというほうが正しい表現かもしれません。とにかくこのままの気持ちでは良くないと感じたのです。

 わたしはせめてもの償いの気持ちで沖縄での戦争をすこし調べてみました。すると、そこには私が想像する以上に悍ましい世界が広がっていたのです。

 沖縄での戦争で最初に犠牲になったのは、障がいを持つ人たちでした。実際に戦闘する前に、精神障がいを持つ人や、耳が聞こえない人たちは隔離排除されていったそうです。他にも日本軍からスパイとして処刑された人もいたそうです。

 それから、沖縄本島での戦いは本当にひどいもので地獄絵図のようだったそうです。ここではあまりにも悍ましいのでその全てを伝えることはできませんが、負傷した兵隊が青酸カリで自ら命を絶ったり、すぐ隣にいた友人が銃撃で死んでしまったり、他にも子どもの泣き叫ぶ声がうるさいから敵に居場所がバレるかもしれないということで「子どもを埋めろ」と言われることもあったそうです。まさに死と隣り合わせの毎日を過ごしていたのだと思います。

 そして、被害は戦中だけではなく戦後にもあったそうです。食糧は底をついたというのに船は魚雷で沈められ、さらに牛や馬だけではなく犬までも殺されてしまったので、食べることができるものは限られたイモだけだったそうです。結果として、ひどい日射や伝染病、栄養失調などで多くの人が死んでしまいました。

 あなたがどう感じたかわかりませんが、わたしは沖縄での戦争について知れば知るほど、暗い気持ちになっていき、涙を流してしまいました。伝えたことが全てだとは思えませんが、精神的にこれ以上の負担に耐えきれず、沖縄の戦争について調べ終えることにしました。

 沖縄の戦争について調べ終えても、宮古島の写真の中にいる彼は何も変わることなく衰弱しきった様子のままでした。表情も変わりません。しかし、沖縄料理の店員さんの笑顔の写真も、観光客の笑顔の写真もそのまま変わりませんでした。写真は心を記録するものです。

 歴史の教科書に書いてある通り、第二次世界大戦は過去にあったことです。現代を楽しく一生懸命生きているわたしがどう頑張ろうと歴史を変えることはできません。仮にわたしがタイムスリップをすることができたとしても、よほどの権力者ではない限り、きっと彼らと同じように苦しむだろうと思います。そして、その苦しみはわたしの予想をはるかに超えるものに違いありません。

 わたしの写真に写った彼はどのようにして最期を迎えたのでしょうか。

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