誰ガ為ノ珈琲

荒谷改(あらたに あらた)

第1話

「ねぇ、どうしてあの珈琲は、いつまでもあそこに残されているのかな?あれは一体、誰のための珈琲なんだろう」




 店に入ると、カフェ特有の珈琲のかぐわしい香りが…しなかった。


「なんだいこれは、情緒もへったくれもあったもんじゃない」

 

コロナという災厄の仲で飲食店が店を開けるのは楽なことではない。換気を徹底するために空調の効きを通常より高くしているのだろう。


「そんなにぶーたれるな。店の人に聞こえるぞ、モカ」


 娘にモカなんて名前をつけるほど彼女の親は珈琲好き。喫茶店を営んでいる。


「聞こえるわけないだろ?見てみろ、店員なんかちっともいないじゃないか、千伊乃」

 

 カプチーノのチーノの部分を息子の名前にするほど、僕の親は珈琲好き。珈琲豆店を営んでいる。モカの実家の喫茶店には豆を卸してもいるが、今は休業中。よほどのご贔屓のいる人気店とか大規模チェーン展開している店でもない限り、喫茶店業界はなかなか厳しい。


「タッチパネルで注文を受け付けてるのか。接触の機会を少なくするための配慮だな」


「うー、年季の入った味わいのあるメニュー表から、今日の一杯とそれに合うお茶うけの甘味を選ぶのが最大の楽しみなのに」

 

 モカはぶちぶちと文句を垂れながら、タッチパネルをデコピンした。

 

 パネルの一覧から選んでタッチすれば、店員が所定の場所にお盆を運んでくれるので、客はそれを取りにいく仕組みになっているようだ。セルフサービスなら店員の人数も減らせるし売り上げ減少への対抗策にもなっているのだろう。


「こんなんじゃ私の喫茶欲はちっとも満たされないじゃないか」

 

 僕らは共に子供の頃から珈琲を飲んで育った人間だ。牛乳よりも早く珈琲デビューをしたという共通の武勇伝をもっていたことから僕らの交友関係は始まり、今では珈琲を飲みに喫茶店へ行きどうでもいいことを駄弁るのが日課のようになっていた。コロナが起きる前までは。


 「身体が珈琲を欲してやまないから、どこでもいいから珈琲を飲みに行こうっていったのはモカだろ」

 

 僕ら行きつけの店はどこも個人が営んでいる小さな店だから、コロナ化では店を休んでいる。ノーライフノーコーヒーな僕らにとっては緊急事態。もちろん実家から豆は取り寄せてるので家で淹れることはできる。母から仕込まれた僕の焙煎(ロースト)技術はそこらのプロにも負けない自信だってある。けど珈琲ってのはそんなに単純なものじゃない。その魅力を堪能するには、誰と、どこで、いつ、どんな風に飲むのか。それによってその味わいは芳醇(ほうじゅん)にもなればビターなだけにもなってしまう。


「千伊乃のきたなくてせっまい部屋で飲む珈琲なんてドブの水と変わらない」

 

 モカの本だらけの部屋だって事情はたいして変わらない。


「青空の下も悪くはないけど、やはり落ち着いた空間でゆったりとした一杯を楽しみたいものだね…ゆったりしたいゆったりしたいゆったりしたーい」

 

 きかん坊のごとく駄々をこね始めたゆったり坊モカを沈めるために、開いてる喫茶店の中から僕らを満たしてくれそうな店を探してやってきたのだけど。


「ふん、千伊乃の探索力なんてこんなもんだよ」


「そう言うなよ。まだ来て一分もたってないのに」

 

 フォローはしてみるも、モカの言う通りどうやら僕の探索眼は節穴だったかもしれない。この店は関東中心にチェーン展開している大規模カフェ店だが、近代型カフェとは一味違った昔ながらの雰囲気をウリにしているという評判をネットで見つけたので、試してみようと思ったのだ。けどいざ来てみると、コロナ対策仕様なのは仕方ないにしても、椅子の質感とかライトの輝度、モバイル利用の設備など、ちょっと僕らが喫茶店に求めるものとはズレていて、悪い店ではないんだろうけど僕らには合わなさそうだと正直思ってしまった。


「見てごらん。文庫本を開いてる客が一人もいないなんて信じられるかい?こんなの喫茶店とは言えないよ」


「それは狭量すぎるんじゃないかな?傍からみたらスマホと睨めっこしてるだけに見えても実は格調高い文学作品を読んでるかもしれないじゃないか」


「そうだろうか…皆忙しそうな顔してイライラしてるように見える客だっているよ。私の知ってる喫茶店の客はもっとゆったり落ち着いた顔つきのはずなのに」


「客層にまで文句を言うのはさすがに口が過ぎるよ」


「それもこれも珈琲が足りてないのが悪いんだ。はやく珈琲充電しないと禁断症状で死んでしまう」


「なら早く注文しなよ。僕はもう決めた」


「わかってるよ、焦らせるな」

 

 あーでもないこーでもないと呻きながら、ようやくモカは注文した。僕はエスプレッソマキアートを、モカはアイスコーヒーとガトーショコラを頼んだ。


「アイスなんて珍しいね」


「千伊乃こそマキアートタイプを頼むなんてどうしたというんだ?」

 

 どうやら考えてることは同じらしい。本当に信頼できるバリスタになら混じりっけなしのホット珈琲を頼むのだが、そうでない場合はどストレートに珈琲の味が出てしまうものは避けるのが無難だ。最近ではトッピングの種類も増えてるので、色々な形で珈琲を楽しむこともできるようになっている。


「珈琲好きとしては嬉しいような気もするけど、ちょっとカジュアルになりすぎな気もするな」


「古参の愚痴は老害でしかないってのが最近の風潮だよ?」


「仕方ないじゃないか。私の母も千伊乃のママも、きっと妊娠中も授乳中も珈琲飲んでたに決まってるんだから、母乳からも珈琲成分を摂取してたのに違いない。そんな古参中の古参なんだから愚痴のひとつやふたつ、口をついたって仕方ないことなんだ」


「そんな古参たちには嬉しいお知らせだ。この店は2杯までならお代わり自由みたいだよ。ほらっ、お代わりボタンがある」


「珈琲お代わり自由なんて当たり前じゃないか、喫茶店なんだから」


「チェーン店でお代わり自由のとこなんて滅多にないよ。喫茶店でもどこでもやってるってわけじゃないし。たまたま僕らの通ってる所は客に優しいってだけで」


「そうなのかい?ウチの店もそうだからてっきり…」


「自分の常識を世間の常識って思い込むのは悪い癖だね、モカ」


「ふん、珈琲っていうのは元々「悪魔の飲み物」なんて言われた時代もあったのだよ。それが今や老若男女が気兼ねなく楽しんでいる。常識なんて時代や所が変わればいくらだって変化するものってことぐらい、私だってわかってるさ」


「そうだといいけどね。さて、そろそろ注文が届いたみたいだ。取りにいこう」


  僕らは立ち上がり、所定の場所に頼んだものを取りに行った。席に戻るなりさっそくモカは口をつける。


「まぁこんなものだろうな。ちょっと一言くらいアドバイスしてきてあげようかな」


「やめなさい!!何様のつもりなんだよ君は」


「だってこの味じゃあ、豆の本来のポテンシャルを引出してるとはいえないだろう?」


「人には好みってものもあるし一概には言えないよ」


「好みねぇ…なら問おう。冷めた珈琲を好む人間はいると思うかい?」


「なんの話?」


「言葉通りだ。淹れ立て珈琲よりも冷めた珈琲を好む人間はいるのかな?」


「そりゃ好みは人それぞれだけど、そんな人に会ったことはないな」

 

 モカは得意そうに笑った。


「ならなぜさっき私たちが取りに行ったとき、あそこには冷めた珈琲がおいてあったのかな?冷めた珈琲好きの人のためのものでないのなら、とっくに冷めてしまった珈琲をいつまでも置いておくのは店としてどうなんだろう?」

 

 僕は配膳場を振り返った。確かに珈琲が今でも一つ残されていた。


「この店ではタッチパネルで注文し、あちら側で用意ができるとパネルにお知らせが入りレシートが発行される。それを客が無人精算機で支払うと、注文したものを受取れる形になっているね」

 

 モカの言う通り、料金を払うと店員が所定の場所に注文したものを置いてくれるので、僕らはそこから自分の席まで運ぶという仕組みになっている。


「ならおかしくないか?なぜあの珈琲はいつまでもあそこに置いたままになっているんだろう?謎だよ」

 

 にやり、と大好物を前にしたようにモカは笑った。モカ曰く、珈琲と謎は相性がいいのだそうだ。ちょっとした謎は珈琲の味わいをより豊かにしてくれる、というのが持論だ。


「確かに料金を払うと同時に頼んだものが置かれ、それを受取る仕組みなんだから珈琲がいつまでも残されてるのは……あっ、そうだ。お代わりだよ」

 

 僕はタッチパネルのお代わりボタンを確認した。


「ほらっ、見てごらんモカ。お代わりボタンを押すと3~5分以内に珈琲のお代わりが配膳場に置かれるので、お受け取りに来てくださいって書いてある。料金が無料なんだからわざわざ支払いの必要もないし、珈琲だけが置かれていてもおかしくはないはずだよ」


「お代わりの場合は用意が出来た時にタッチパネルにお知らせが入ったりはしないのかい?」


「そうみたいだ。お代わりに関してはあくまで店側のサービスだから、店員の手の空いたタイミングでぱぱっと済ませたいのかもしれないね。混雑して忙しい時間帯はお代わりをご用意できるまでに時間がかかることもございます、って書いてあるし」


「そんなんじゃ珈琲が冷めてしまうこともあるってことじゃないか。けしからん。ウチの店ではお代わりだって淹れ立てをだなぁ……」


「はいはいわかりましたよ。君の実家の店が客に良心的なのはわかってる。でもねモカ、ここは大規模チェーン展開しているカフェなんだ。お客さん一人ひとりに真心を尽くして向き合うのにも限界がある。お代わり無料ってだけでも十分な企業努力だと思うよ」


「しかし千伊乃、それにしたって説明がつかないよ。ごらん、店内はとても忙しいようには思えない」

 

 確かに混雑しているとはいいがたい。


「考えてごらん。もし君が3~5分以内に用意されるというお代わりを頼んだとして、できれるだけ冷めないよう、いつ用意されるのか注意を怠らないのではないかな。マメに配膳場をチェックするなりして」


「まあ、そうかな」

 

 店内はさほど広くない。どの席からでも立ち上がれば配膳場に置かれたもののチェックくらいはできそうだった。


「では再び君に問おう。なぜあの珈琲はいつまでもあそこに残されているのだろう」

 

 にやにやと笑いながら尋ねるモカ。この顔はきっと既に自分では答えを知っているのだ。その上で、僕が困っている様子を眺めながら優越感を味わおうって魂胆なのだ。


「…うーん。お代わりを頼んだ人がトイレにでも行ってるんじゃないかな。もしくは急に電話が入ったとかでお代わり頼んだことを忘れているとか」


「なるほどねぇ。まあその可能性もなくはないが」


「……勿体ぶるのはやめなよ。もうモカにはわかってるんだろ。君の好きな謎も優越感も十分に味わいつくしただろ?そろそろ答えを教えてくれよ」


「あっさり降参とは歯ごたえにかけるなぁ。まあ仕方ない、答え合わせといこう。実に簡単な話だよ。あの珈琲お代わりを頼んだ客はね、実に常識的な珈琲ルールを知らなかったのさ」


「珈琲ルール?」


「お代わり自由……ただしアイスは不可、だ」


「あっ」


「珈琲お代わり自由の店でも、アイスがお代わり自由な店はほとんどない。理由は、まあコストや手間がホットに比べるとアイスは段違いだからね。喫茶店慣れしてる人なら自明のことだ」

 

 コストがかかってしまう理由はスマホで検索すれば簡単にわかる。なのでアイスもお代わりできるのは、ファミレスのドリンクバーなどに限られるている。


「きっとアイスコーヒーを頼んだ客が、コーヒーお代わり自由ボタンを見て勘違いしたんだ。アイスもお代わりOKなんだと。店側もコロナ対策で急遽用意したタッチパネルにアイスは不可と表記するのを忘れてしまったんだろう。そしてボタンが押され、配膳場に置かれたのはホット珈琲。いつまで経っても自分の頼んだお代わりのアイスコーヒーは置かれない。きっと今か今かと待ち構えてイライラしてるんじゃないかな?そのうち店員に怒鳴りこみにいくんじゃないか?」

 

 モカはにやにやしながら目の前のイライラした顔つきの客を見た。リモートワーク慣れしてないサラリーマン風の彼の前にはアイスコーヒーの空のグラスが置かれていた。喫茶店にも慣れてない雰囲気だ。


「店員に一言くらい教えてやったほうがいいかもしれないよ。客が勘違いしている可能性があるってね。冷めた珈琲はアイスコーヒーにはならないんだ」


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