第6話 蛇足、もしくはちいさな決意
後日。
珍しく地災対策室調査員たちは招集をかけられ、本部に集まることになった。
「こないだの守家、結局何だったのかわかったの?」
自分のデスクに座って招集をかけた当人――室長である雛子の登場を待ちながら暦は幸路に訊ねる。
いつの間にか地災対策室の新人としてまぎれ込んでいた特異存在――守家と名乗っていた存在のことはいちおう調査が継続されているはずだったが、幸路は首を横に振った。
「研究班でいろいろ解析してたらしいけど、結局わからなかったらしいよー。新人研修には最初からまぎれこんでたっぽい。たぶん、〝座敷童〟に近い性質の何かだろう、ってことでいったん調査終了だってー」
座敷童――家につき、その家を富ませることで有名ではあるが、いつの間にか遊んでいる子どもの中にまぎれているという伝承も持つ特異存在。いたことは確かに覚えられているのに、どんな顔をしていたのかといった詳細は忘れ去られる、いたはずの「ひとり」。
たしかに、似ているかもしれない。
「ねぇさん!」
とがった声で呼びかけられ、暦はため息をこぼしながら振り返った。
遠方地での仕事を片付けてからの戻りだったため、本部への到着が遅れていた弟――同僚でもある――が眉をつり上げて大股でこちらに近づいてきている。
怒ってるなぁ、と思いつつ、視線は弟に向けたまま幸路に確認する。
「めぐにこないだのこと連絡した?」
「してないよー。けど、たぶん本部詰めの内の何人かメグの息かかってるから」
そこから筒抜けだよー、と肩をすくめた相棒の気配に、もういちどため息をこぼす。
うちの弟はあいかわらず過保護すぎる。
「仕事でも無茶してほしくないけど、今回は仕事ですらなかったって聞いたんだけど!」
見た目だけは暦よりも大きく――美青年と呼ぶにふさわしい見た目に育ったのに、自分の目の前までやって来てきゃんきゃんと子犬のように吠える弟を見上げ、両手を挙げる。
降参のポーズだ。
「心配かけてごめん。でも、ちょっと想定外の出来事が重なりすぎたんだよ」
決してわざと危険に飛び込んだわけでは、と弁明していると、弟の隣からくすくすと笑い声が聞こえてきた。視線をそちらに移せば、ベリーショートにきつめの美貌のファッションモデルのような女性がにやにやしながらこちらを見守っていた。
「巡、暦がまたやらかしたって聞いてから、こっちの仕事ぼろぼろだったのよねぇ」
「珠緒!」
自分の相棒からの暴露に弟があせったように声を荒らげる。
そんなことだろうとは思っていたので、暦としては特にリアクションのしようがないのだが。暦の弟は、心配性で、過保護で、たぶんお姉ちゃん大好きっ子で、ついでにちょっと詰めが甘くてかわいいのだ。
「ま、暦が無茶するなんていつものことだけど――で? 今回はなかなかやばいのが出たんですって?」
すっと目を細めた珠緒の声が低くなる。
雛子には報告を上げたものの、周囲の調査員にはまだ「天つ神案件」が発生したことは伏せられている。それが巡経由で珠緒まで伝わっている、ということはどんだけ中枢に近いところに弟の「耳」がいるのか。自身はまだ一介の調査員のくせに、と軽く眉をひそめて弟を見る。
そんな暦の視線に気づいた巡が何か言いかけたところで――。
「揃っているな」
よく通る声がフロアに響いた。
思い思いの場所で雑談していた調査員全員が自分のデスクに戻ると、その場で直立して声の主――雛子を迎える。
きびきびとした動きで全員の前までやって来た彼女は二名の人物を連れていた。暦と幸路は顔を見合わせた。
どちらも、面識のある相手だ。巡と珠緒も片方は知っている。
「本日付で特例枠での中途採用となった調査員二名だ。自己紹介を」
雛子にうながされ、まずひとり――深い緋色の髪をぴょんぴょん跳ねさせ、猫のようなつり目をきらきらさせた青年が一歩前に出る。
「はいはーい。守家透でっす! つい最近取得した資格は普通免許でっす! よろしくお願いしまーす」
暦と目が合うと、守家はばちこん、と音がしそうなウインクをしてきた。
なんだ、何がどうなってこうなった。
混乱する暦に追い打ちをかけるように、守家の隣に立っていたもうひとり――艶やかな黒髪を首筋で切りそろえ、真新しいスーツに身を包んだ青年が一歩前に出た。漆黒の目で一同を見渡す。
「……………」
浅黒い肌が印象的な美形の流し目に、調査員一同息を呑んで彼の言葉を待つ。だが、彼はなかなか口を開かない。
「…………………岡、大鬼(たいき)だ」
やっと告げられた美声の名乗りに、一同は詰めていた息を吐いた。
「実力については即戦力であることは確認済みだが、事務作業については手の空いているものが教えてやってほしい。班分けについては岡を標野班に、守家を白鳥班に組み込むが、慣れるまでしばらくは標野班・白鳥班は二班合同で動くように。以上」
「え、えええぇ……」
幸路にも話が通っていなかったらしく、あからさまに動揺している。
「え、えええーっと、よろしくー」
が、とりあえず彼が声を上げたことで、他の調査員も口々に「よろしく」と言い始める。
「よろしくー、守家さん、岡さん」
「こちらこそお願いします!」
愛想よく返事をしている守家に対して、鬼薬師は呼ばれるたび整った顔が渋くゆがんでいく。
美形の不機嫌顔の圧に周囲が若干及び腰になってしまっているではないか。
何やってるんだか。
ふ、と息をこぼすと、同僚に囲まれたふたりを少し離れたところから仁王立ちで見守っていた雛子に歩み寄る。
「室長」
「なんだ」
隣に並んで同じ方向を見つめながら、暦は雛子に声をかけた。
「聞きたいことはいろいろありますけど――」
なんでふたりがここにいるのか、とか、彼らとはどんな契約を結んで引き込んだのか、とか、どんな裏取引をして上に「特例枠」を認めさせたのか、とか、聞きたいような聞かないほうが平穏に過ごせるような、でも気にかかることは本当にいろいろあるのだか、とりあえず――。
「鬼薬師の名前決めたのって、室長ですか?」
「そうだ。本人が特にこだわらないと言ったからわたしの独断で決めて登録した」
真顔でまっすぐ前を向いたままの彼女の顔が、わずかに不満そうにくもる――たぶんそれに気づける人間はほとんどいないけれど。
「……こだわらないと言ったくせに、妙に嫌そうなのはなぜだと思う?」
「そうですね――」
うっすら想像はついているのだが、それを話す前に確認をしておきたい。
大鬼は、なんとなく由来がわかる。彼は鬼の中でもかなり力を持つ存在だ。強い、という意味での「大」なのだろう。では――。
「ところで、なんで〝岡〟なんですか?」
「標野がそう呼んでいたからだが」
果たして大真面目な顔で雛子は答えた。
「イントネーションが少し違っていて、間延びした呼び方だった気がするが、確かに〝おかさん〟と」
やっぱり。
こらえきれず、暦はふき出した。そのまま腹を抱えて笑ってしまう。
何ごとか、と幸路をはじめとした調査員数名が振り返り、聞き耳を立てていたらしい鬼薬師がこちらをにらみつけてきていたが、かまうまい。
めんどうくさい、興味がないと丸投げにした彼が悪いのだ。
よ、ろ、し、く、お、か、あ、さ、ん。
声には出さず、ぱくぱくと口を動かして伝えてやれば、今度こそはっきりと鬼薬師の眉間にしわが刻まれ、運悪く目の前にいた調査員が「ひぇ」とおびえた声を上げる。同時に暦の口の動きで「岡」の名前の由来に気づいた幸路、珠緒、巡が相次いでふき出す。
事情を知らない調査員たちはきょとんと目を丸くし、守家は読めない笑顔でにこにこし、雛子はますます不満げになった。
「なんだ。岡はまずかったのか」
「……いい名づけだと思いますよ、室長」
彼にぴったりです、と力強くうなずいてみせれば、意外に単純な雛子は表情を晴れやかなものに――わかりにくいながらも――変える。
わちゃわちゃと、混沌とした目の前の光景を見ながら思う。
天つ神は、暦たちを泡沫と呼んだ。だが、この泡沫と泡沫のあわいに浮かぶ儚いものこそ、暦たちの日常であり、人生そのものだ。
たとえ「命の定めを外れた」と宣告されようと、暦はこの輪の中にいたい。
自然と自分の胸に浮かんだ気持ちに、自分で驚く。
玉兎に出会うまで、暦は自分が無価値だと思っていた。寄る辺なく、いつも心細かった。
玉兎にこちらへ戻された時には、どうして、と思った。どうして拾って、また放り出すようなことをするのかと彼を恨んだ。
実家に戻されてから地災対策室に保護されるまで、多くのものを呪って生きていた。
それなのに、今、自分はあたたかい気持ちを抱えてここにいたいと思っている。玉兎に再会したい、と願うのと同じくらい強く、望んでいる。
時間を止めた身体は何ひとつ変わっていないのに、自分は変わっていく。
今も、これからも。
ならば、できれば良いほうへ。
「この幸せを守れますように」
恥ずかしいから、大きな声では言えない。でも、祈りを込めてつぶやく。
天つ神の言うとおり、この世の誰もの言葉に言霊は宿るのなら。
『よい言葉が、あなたを守ってくれますように』
この祈りは、
勝手に生きるために、神にも抗う傲慢なわたしを。
昔と変わらず無力で、それでも雪の中で立ち尽くすばかりではない、ちいさなわたしを。
ふと目が合った鬼薬師が、ふん、と口の端を上げて笑った。暦も同じように挑発的に笑い返す。
神が立ちふさがろうと退かない強情な愚か者どうしだ。
言葉にせずとも互いが同じことを考えていると確信できる。
さあ、勝負を続けよう。
それが、たまらなく心強い――なんて、口にしたりはしないけれど。
ちなみにまったくの蛇足ながら、当然のように「岡大鬼」こと鬼薬師のあだ名は「おかーさん」で定着した。
返らぬ逆言、孵るは禍事 なっぱ @goronbonbon
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